エピローグ
――時は過ぎて、春。
弥宵は、実兎と一緒に高校を卒業した。桜は咲き始めたばかりで満開ではないが、ひらひらと花弁が散っていて綺麗だ。校門では、教師たちが卒業生の見送りのために並んで立っている。
「卒業、おめでとう。稲葉」
「ありがとうございます、城山先生」
「そして、実兎。卒業、おめでとう。まさか英語の単位を全てとるとは思わなかった。よく頑張ったな」
「まあね。渉の教え方がよかったから。それに……学校、楽しかったよ。こっちこそ、ありがとう」
実兎は、城山に調子よく返事をして、感謝の気持ちを口にした。町を彷徨っていた生活からは考えられない成長ぶりに、城山の目にも涙が浮かぶ。弥宵はぎょっとした。
「鬼の目にも涙……」
「……誰が鬼だって?」
「ひっ、聞こえてました!? すみません……」
城山は地獄耳かもしれない。弥宵は謝りつつも、城山が本気で怒っていないことを知っていて、笑ってしまった。城山も眼鏡を直しつつ、口角が上がっている。
「先生、異動が決まってるんですよね?」
「ああ。教師は同じ職場で結婚したら、どちらかは必ず異動させられる決まりがあるからな」
「寂しく、なりますね……」
これからは、たまに学校に遊びに来ても、真由香はいて、城山はいないのだ。
「何を言ってる。稲葉は何度でも会う機会があるだろう。遠いが親戚にはなるんだ。それに、実兎も」
「そう、ですね。真由香ちゃんと一緒に、寺にも遊びに来てください」
「ああ。それと、稲葉。第一志望校合格、改めておめでとう」
「はい! 大学では、授業にしっかり集中して、頑張ります!」
「……そうだな。小説ばっかり書くんじゃなくて、勉強もするんだぞ。健闘を祈ってる」
実兎と一緒に頭を下げ、次に出迎えてくれたのは真由香だった。彼女は城山と結婚後、すぐに子どもを授かり、今は少しだけお腹が出てきている。
「弥宵、実兎! 卒業、おめでとう! 今までよく頑張ったわねー!」
真由香は、弥宵と実兎の頭をわしゃわしゃと撫でる。そこに親愛の情が見て取れて、弥宵は笑った。
「真由香ちゃ……稲葉先生、痛いです……」
「もー! 髪の毛がぐちゃぐちゃになるじゃんか!」
「いいじゃない。こんなことできるの、これが最後だよ?」
思えば、かつては真由香の依頼で城山の浮気調査もしたのだ。それがきっかけで、二人は結婚へと進むことになったのだが。
「弥宵と実兎は、私のキューピッドだったのかもしれないわね……」
「ふふ、何それ?」
「渉くんの浮気相手だと思っていた実兎が、ここにこうして制服姿でいるのも不思議だわ」
実兎との出会いは、真由香のためには確かに必然だったのかもしれない。弥宵と実兎は顔を見合わせ、笑った。
「おーい! 弥宵ー! 実兎くーん!」
慎太郎の声がして、弥宵と実兎は振り返る。慎太郎は、今日はいつもの法衣ではなくスーツに身を包んでおり、しかも坊主頭なのでかなり目立った。隣には、様子を見に来た天馬も立っている。弥宵と実兎は、すぐに彼らに駆け寄った。
「弥宵もついに高校を卒業か。ここまで長かったような、早かったような……」
「お父さん。今日までありがとう」
「ど、どうしたんだ? 急に……」
こういう時は、礼を言うものではないのか。城山も、「帰ったら、保護者の方に感謝の気持ちを伝えるように」と最後のHRで言っていた。弥宵が首を傾げていると、慎太郎は目頭を押さえた。
「ちょっと、もー。これから帰って、お祝いするんでしょ? 泣くの早くない?」
「こんなときくらいは、いいじゃないですか。二人とも、卒業おめでとうございます」
「ありがとう、天馬」
実兎が呆れ気味に言うと、天馬がそれを宥めつつも笑っている。あの時、彼らが出て行くことを引き留めなかったら――ここに天馬も実兎もいない。だから、二人が笑ってくれているこの現実が、弥宵はとてつもなく嬉しかった。
学校をバックにして記念写真を撮り、そろそろ寺に帰ろうという頃になっても、羊吉が迎えに来ない。料理の準備に手こずっているのだろうか。
弥宵は、校門の外からもう一度校舎を眺めた。ここで最初に、羊吉に出会ったのだ。
「弥宵、帰るよー」
「実兎、ごめん! 最後に見ておきたいところがあるから、先に帰っててくれないかな?」
「え? あ、うん。分かった。気を付けて帰ってきなよ?」
実兎に手を振り、教師たちが他の生徒を相手しているのを確認して、弥宵は中庭へと駆けていく。そこに、飼育小屋があるのだ。
(もう、世話をすることはないけど……これからはずっと傍にいられるし)
だから、最後に一回だけ。思い出の場所を見ておきたかった。
「あ、れ?」
羊小屋の前に、人影がある。背が高く、褐色の肌に白い髪、男らしい体躯。それは、紛れもなく羊吉だった。
「羊吉、どうしてここに……?」
「あ、弥宵。さっき迎えに来たんだけど、皆、写真撮影に夢中になってて、僕に気付いてくれなかったみたいだから。こっちに抜けてきたんだ」
「そうだったの? ごめんね」
「いや、いいんだ。僕もここを見に来たかったから」
弥宵は羊吉に駆け寄ると、羊小屋の柵に触れた。懐かしい手触りだ。羊吉が羊だった頃の影が、そこに見えるようだった。
「弥宵、卒業と大学合格、改めておめでとう」
「……ありがとう」
「それと、僕を見つけてくれて、僕に優しくしてくれて……ありがとう」
「どう、いたしまして?」
「ははっ」
「なんて返したらいいか、分かんないよ!」
弥宵が照れた次の瞬間、羊吉が弥宵を抱きしめる。誰かに見られるのではないかとヒヤヒヤしたが、それでも、嬉しいものは嬉しい。
「たまにね、これは全部夢なんじゃないかって思うことがあるの」
「そうなの?」
「うん。だから、毎朝起きて、皆が確かに存在するんだと思うと、ほっとする」
「そうだったんだ。でも、大丈夫。僕はちゃんと、ここにいるよ」
「……うん」
不思議なことは数多く起こったけれど、これは間違いなく現実だ。羊吉の温もりが、それを証明している。
「あ、弥宵。空、見て」
「え?」
羊吉が指さした先で、鷹らしき鳥が二羽、卒業を祝福するかのように旋回していた。彼らが誰なのかは、弥宵にも、もちろん羊吉にも分かる。
二人は微笑み合い、「帰ろうか」と同時に言う。そして、手を繋いで帰り道を歩いた。
かくして、これが、平凡な女子高生(※ただし妄想オタク)の日常に起こった、にわかには信じがたい出来事の一部始終である。
めでたし、めでたし。
【完】




