人間とあやかしの恋 3
その夜、布団に入った弥宵は、羊吉のことが気になって、なかなか寝付けなかった。正確には、自分ももうすぐ死ぬかもしれない、という恐怖があったからなのだろう。
(羊吉、どうしてるかな)
家の中はしんと静まり返っていて、もう誰も起きている気配はない。弥宵は枕を手に、羊吉が眠る部屋へとやって来た。
静かに、忍び足で羊吉に近づくと、彼は穏やかな顔で眠っていた。夕食には卵粥を食べていたし、食欲はあった。それでも、まだ力が入らないらしい。
(タオル、ずれてる……)
額からタオルがずれて、片目を隠してしまっていた。弥宵は小さく笑ってそれを取り、桶の水で再度濡らして絞ると、きちんと畳んで額に乗せる。すると、羊吉は目を閉じたまま笑った。
楽しい夢を見ているのかもしれない。羊吉は、孤独に生きてきた。弥宵と慎太郎が、初めて優しくしてくれた人間だと言った。三年以上、羊と間違えられ、学校の飼育小屋で飼われていた。“羊吉”という名前を付けてもらえて、嬉しいと言った。「ここを出て行く」と宣言した時は、寂しそうだった。だから、羊吉がいい夢を見られているなら、弥宵も嬉しい。
弥宵は羊吉の手をとって、ゆっくりと撫でた。慎太郎とはまた違う、ごつごつとして骨張った手。いつでも弥宵を守ってくれて、支えてくれて、励ましてくれた優しい手だ。それが今は、力が入らなくて動かない。
「っ……」
弥宵は声を出さないように、そっと涙を流した。受験がうまくいったら、告白しようと決めていたのに。それを叶えるよりも前に、羊吉も弥宵も消えてしまうのではないか。そんな不安がいつまで経っても拭えない。
「だれ……? 弥宵?」
「あ……ごめん、起こしちゃった?」
鼻をすすったのがいけなかったのか、羊吉が目を覚ました。弥宵は手を離して、慌てて涙を拭う。しかし、羊吉には全てお見通しだった。
「そんなに、心配?」
「そりゃそうだよ。逆に私がけろっとしてたら、羊吉、寂しいでしょ?」
「……うん。寂しいな」
羊吉が力なく笑う。ゆっくりと弥宵の手に自分の手を重ね、彼は真顔になった。隠していたことを、教えてくれるらしい。
「最後になるかもしれないから、言うね」
「うん」
「僕は、半妖だから、生まれつき他のあやかしよりも力が弱かった。多分、そのせいで……他よりも寿命が早まっているんだと思う。普段から眠くてたまらないのも、力が足りないからだ」
「……うん」
慎太郎の予想は、正解だった。この衰弱具合は、寿命が関わっていたらしい。弥宵は、羊吉の手を優しく握り返す。
「僕は……弥宵を道連れにしたくない。けど、やっぱり伝えておきたいことがある」
「……なあに?」
「聞いたら、弥宵も僕と一緒に消えてしまうかもしれない」
「いいよ、それでも。だから、聞きたい」
羊吉は、ふっと笑った。「弥宵らしいな……」と小さく呟く。
「二年と少し前、新しい飼育係に弥宵が入ってきた。まだ今より幼かったけど、飼育係の誰よりも世話を一生懸命してくれて、僕に名前も付けてくれた」
「うん。そうだったね」
「誰も聞いていないのに、いつも話しかけてくれた」
「なんか、恥ずかしいや……独り言が多くてごめん」
思い出話に花が咲く。本当に今更だが、彼はやはり、あの“羊”だったのだ。弥宵は、再度実感した。
「飼育当番が弥宵になるのが、いつも楽しみだった。それで、気付いた」
「何に?」
「僕は……弥宵に恋をしてるんだって」
羊吉の目が、優しく弥宵を見つめる。その姿が、弥宵の涙で滲んでいく。
「でも、僕はあやかしで……その上、力をなくして、元の姿に戻れなくて。気持ちを伝えようにも伝えられなくて」
「……うん」
「この姿に戻れた時は、運命だと思った。八百万の神が、僕の願いをきっと聞き入れてくれたんだって」
弥宵は、堪えきれずに泣き始めた。羊吉の気持ちが嬉しいのに、同じくらい悲しくてたまらない。
「図らずも、一緒に暮らせることになって……すごく嬉しかった。慎太郎さんには、僕の気持ちは、見抜かれていたみたいだけど」
「ふふ。お父さん、そういうの聡いから」
「うん。でもいつか、気持ちを伝えられたらいいなって、思ってた」
「ありがとう。ちゃんと伝わってるよ」
弥宵は、膝を動かして、あと少しだけ羊吉の傍に寄った。繋いだ手に、しっかりと温もりを感じる。今だ。今言わなければ、確実に後悔する。弥宵は見えない誰かに背中を押されたようだった。
「私は……私もね。羊吉のことが……」
その時、羊吉の手から力が抜けた。弥宵ははっとして、羊吉の顔を覗き込む。
「羊吉、ねえ……どうしたの?」
だが、反応はない。きっと眠っただけだろうと思い、弥宵は口元に手をかざした。だが、呼吸は感じられない。
「待って……やだ……」
一縷の望みをかけて、頸動脈に触れる。しかし、脈は動いていなかった。弥宵は、羊吉の胸の上へと崩れ落ちる。
「どうして……そんな、急に……私の気持ちも聞いてよ!」
胸を叩きながら、弥宵は小さく叫んだ。どれだけ待っても、返事はなかった。




