“家族”とあやかし 10
もっとも、実兎が寺に住み始めた時も、学校に通い始めた時も、弥宵はまだその“大切なこと”を知らなかったのだから、教えることすらできない。知ったのはつい最近だ。
「慎太郎は、自分が黙っていたからいけないんだって言ってたけど……ぼくは弥宵にも裏切られたと思ってるから。明日にでも、僕は羊吉たちと出て行く。天馬もでしょ?」
「あ、うん……荷物もそんなにないし。すぐに準備できるよ」
「ってことで、これで弥宵との縁は切ったから! 実兎って名前も返す。だから、もう金輪際呼ばないで。せいぜい、慎太郎とのんびり暮らしなよ」
「待って、まっ……」
実兎は嵐のようにやってきて、引き留める間もなく去っていく。最後に彼は泣いていた。床に、涙の跡が残っている。
「どうして? なんで、こんな……」
「弥宵さん……」
弥宵は両手で顔を覆った。大好きな彼らが、ここを出て行く。いなくなってしまう。弥宵の憧れていた“家族”が、バラバラになっていく。
「嫌だ……寂しいよ……」
弥宵の嗚咽と共に、天馬の泣き声も聞こえる。誰もが喜ばない、嬉しくない最良の結末など、あるのだろうか。もうこうなってしまったら、彼らを引き留めることなど叶わない。だからもう、この結果を弥宵は受け入れなければ。絶望が、心を支配していく。
「俺も、部屋に戻ります」
「……うん」
「どうか、お大事になさって……ください」
弥宵が俯いている間に、天馬は部屋から出て行った。静かになった空間に、弥宵のすすり泣きと、スマートフォンの着信音が響く。ディスプレイには、真由香の文字が浮かんでいた。
『慎太郎に相談できないことがあれば、自分が聞く』と真由香は言ってくれた。思考の働かなくなった頭で、弥宵はそれだけを思い出す。
「もしもし……」
「あ、弥宵? 今からさ、入籍の報告で渉くんと一緒にそっちに行こうと思ってるの。行ってもいい?」
「あ……大丈夫だと思う。お父さんにも伝えておく」
「分かった、言っておいて。っていうか、弥宵、声がおかしくない? どうしたの?」
「……うん。真由香ちゃん、どうしよう……!」
弥宵は泣きじゃくり、しどろもどろになりながら事の顛末を真由香に話した。寺に、あやかしたちを狙う記者や観光客が押し寄せていること、それを受けて、羊吉たち全員が出て行こうとしていること。婚姻届を出し終えて、幸せ絶頂のはずの真由香を困らせると分かっていながらも、弥宵は助けてほしいと懇願した。
「分かった。そういうことなら、私と渉くんに任せなさい」
返ってきたのは、想定外の言葉だった。てっきり、真由香は慎太郎の考えを尊重すると思っていたのだ。
「弥宵、一つ確認だけど、あなたはみんなと一緒にいたいのよね? それは変わらない?」
「うん……! でも、あの……止めないの?」
「私はあなたの親じゃないから。弥宵が選んだなら、それを支持するわ。お兄ちゃんには怒られるだろうけど」
「あ、あり、ありがとう……」
「ふふっ。まだ礼を言うには早いわよ。とにかく、弥宵はみんなに、自分の気持ちを伝える準備をしておきなさい」
真由香には何か秘策があるらしく、やけに楽しそうに電話を切った。弥宵は数秒の間ぼんやりしていたが、これではいけないと奮い立つ。
「とりあえず、顔を洗ってこよう!」
夕食の準備もしていないのだが、じきに真由香たちが到着するだろう。その時の勝負の方が、今の弥宵には大事だった。
*****
「真由香、それに城山くんも……この度は、ご結婚おめでとう」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ありがとうございます。どうぞ、今後もよろしくお願いいたします」
「まあまあ、そんなにかしこまらないで」
真由香たちを招き入れ、慎太郎に会わせた際、彼は弥宵とは一切目を合わせようとしなかった。後ろめたい思いがあるのは分かるが、顕著すぎるほどだ。
「それでね、なんかお寺が困ってるって聞いたから、力になれればと思って」
「ん? ……どういうことだ?」
「渉くんはね、教員免許の他に、弁護士資格も持ってるの。インターネット上にばらまかれたあの子たちの写真については、投稿者と管理サーバーに対して削除依頼を出してくれるから」
「え? そんなことができるのか?」
「はい。お任せください」
城山は、持参していたノートパソコンを鞄から取り出し、電源を入れるやいなや、目にもとまらぬ早さでキーボードを叩いていく。弥宵も、城山が弁護士資格を持っていたことは初耳だった。どこまでも有能な人を夫にできて、真由香が羨ましい。
「最初の投稿はこれだな」
城山は投稿者へのメッセージに、弁護士としての名前と、肖像権侵害に関する警告文を記し、送付した。数分後、なんと投稿が削除されたのだ。
「えっ、先生、すごいです!」
「俺の友達が運営している法律事務所にも協力してもらってる。百パーセント完全に消すことは難しくても、かなりの数は消せるだろうし、最初の投稿者が、警告文が来たことを拡散してくれるだろう。ほらな、動いた」
画面を見せてもらうと、『やばい、弁護士から警告がきた!』という文章が投稿された。その効力は絶大のようで、連なるコメント欄には『うわ、私も消しておく』『こっちも警告きた』という文言が寄せられていく。
「時間は少し掛かるが、彼らが撮られた写真は、これである程度消せる。あいつらを目当てに、客が押し寄せることもなくなってくるだろう」
「よ、よかった……ありがとうございます!」
「教え子が困っているんだ。助けて当然だろう?」
城山と真由香に、弥宵は腰を折って深々と頭を下げた。もっと早く、彼らに相談すべきだったのだ。一人で抱え込むことがどれだけ馬鹿らしかったか、弥宵はようやく悟った。




