動物たちの大脱走 6
*****
「弥宵、無事に帰ったか。おかえり」
「ただいま、お父さん。今日はもうお仕事終わったの?」
「いや。今から一件、来客がある。掃除は羊吉くんが終わらせたから、あとは天馬の餌やりだけ、弥宵がやってくれるか」
「分かった。それが終わったら、羊吉と一緒に動物たちを探しに出掛けるね」
「ああ、気を付けてな」
いつもなら、この広い寺の敷地を全て一人で掃除していたのだが、羊吉が終わらせたと聞いて、弥宵はラッキーだと思った。その分、動物探しに時間を費やすことができる。
「天馬って……裏庭で飼ってる馬のこと?」
「そうだよ。神社じゃなくて寺に馬って、神馬でもないし変だよね。でも、町のお祭りとか、催し事があるとだいたいは呼ばれるから、町ではけっこうな人気者なんだよ」
羊吉の質問に、弥宵は嬉々として答えた。弥宵が動物を好きになったきっかけは、数年前に慎太郎がどこからか雄の子馬を引き取ってきて、弥宵に世話をさせたことだ。子馬には“天馬”と名付け、今ではもう立派に成長している。定期的に獣医師を呼んでケアもしてもらっているため、健康面も問題ない。
「天馬ー! ご飯だよー」
餌の入ったバケツを持って、裏庭へ続く階段を降り、弥宵が柵の外から呼びかける。栗色の美しい毛並みを持つ天馬が、馬小屋から顔を出し、一目散に弥宵へと近寄ってきた。
弥宵が人参を差し出せば、天馬は遠慮なく咥えて受け取った。ショリショリと音を立てて食べる姿を見ながら、弥宵は微笑んでその頭を撫でる。
「よーしよし。たくさんあるから、ゆっくり食べてね」
「……すごい。僕が掃除に入った時は、こっちに来るなってくらいに嫌がられたのに」
「初めて見る人だからびっくりしたんだよ。天馬は穏やかな性格だから、すぐに慣れると思う」
「いや。天馬はきっと、弥宵のことが好きなんだね。その気持ちは分かる」
羊吉の言葉に、弥宵はドキッとした。また不整脈だ。別に、羊吉が弥宵を好きだと言ったわけではないのに。「あはは、そうだといいな」と照れ隠しをして、弥宵は動揺しつつも天馬に餌を与え続けた。
「掃除の仕方、全部お父さんに習ったの?」
「うん。慎太郎さんの教え方は分かりやすい。無駄がなくて簡潔だから、今日でたくさん覚えたよ。洗濯機の使い方も分かる」
「そっか。私も楽できるから、助かった。ありがとう」
「ほんと? 僕、二人の役に立ててる?」
「もちろんだよ。家族なら、協力し合わないとね」
「家族、か……いいね」
また、羊吉は寂しそうに笑った。あやかしは、どうやってこの世に生まれてくるのだろうか。羊吉には、家族がいないのか。弥宵には、とてもじゃないが踏み込んで聞く勇気はなかった。彼は、三年以上も羊の姿で過ごしながら、囚われの身を我慢していたのだ。
(動物たちも、逃げることができて喜んでる……?)
天馬に餌をやる手が、止まった。天馬も、こんな場所ではなくて広大な草原を駆け抜けたいと思うだろうか。弥宵の心に、迷いが生まれる。
「ねえ、羊吉」
「うん?」
「動物を飼うのって、人間のエゴなのかな? あの子たち、みんな逃げたかったのかな」
「……それは、分からない。僕はあのまま一生飼われるのは嫌だったけど、動物の中には人に飼われることで、安全に幸せに、長生きするのもいるだろうし」
柵越しに、天馬が弥宵へと鼻を近づける。餌をくれと催促されているようだ。人参をもう一本渡しながら、弥宵は考えた。動物たちを探して、もし見つけても、連れ戻さない方がいいのではないか、と。
「……僕は、動物の姿になれるからといって、他の動物と会話できるわけではないから。本当のところは分からないよ」
「そっか……」
「少なくとも、天馬は幸せそうだけど?」
その言葉に、弥宵が俯いていた顔を上げると、天馬は少し斜めを向いてはいるものの、弥宵のそばからじっと動かないでいた。餌はもうない。空のバケツを見せても、天馬は催促するわけでもなく、鼻をひくひくさせるだけだ。羊吉に言われたとおり、天馬が幸せでいてくれたら、それだけでも嬉しい。
「ありがとう。じっくり、考えてみるね。自分がどうしたいか」
「うん」
最後に弥宵が天馬を撫でると、彼はゆっくりと瞬きをした。そのまま背を向け、鬣と尻尾を揺らしながら、静かに馬小屋の中へと帰っていく。
「さて、制服着替えてくるね。それから動物たちを探しに出掛けるから、玄関で待っててくれる?」
「分かった」
弥宵の脳内で、つい先程の羊吉の言葉が繰り返される。動物たちの本心は、彼らにしか分からない。それでも、弥宵はできる限り、彼らの望みに寄り添ってやりたいのだ。
(もし、動物たちを見つけても……そっとしておいた方がいいのかな)
今は悩んでいても仕方がない。とにかく、やるべきことをやるだけだ。自室に戻り着替え始めたところで、スカートのポケットから、昼間に拾ったキーホルダーが落ちてきた。弥宵はしゃがんで、それを手に取って見つめる。小屋を壊した犯人と、一度話してみたい――弥宵はそう思った。




