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妄想オタクの非現実的な日常  作者: 楪 彩郁
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動物たちの大脱走 5

「どぅわっ! 羊吉!?」


 弥宵が塀近くの人影に気付かず、通り過ぎようとしたところを、羊吉が遮ったのだ。ぶつかりそうになって立ち止まった弥宵は、その顔を見て飛び退いた。


「うん。不審者がいたら危ないから、弥宵を迎えに行けって。慎太郎さんが」

「メールで連絡してくれたらよかったのに。驚いて変な声出た……」

「ははっ」


 羊吉は白い歯を見せて笑っている。その間に、弥宵は改めて羊吉の全身を観察した。灰色のTシャツの上に、黒い長袖のパーカーを羽織って、そのフードで髪と角を隠している。紺色のジーンズと赤いスニーカーも買ってもらったらしく、羊吉の長い足によく似合っていた。慎太郎のセンスで選んだのだろう。


(似合ってるし格好いいんだけど、目立つ……)


 隠しきれない褐色の肌と、白髪。既に生徒数人がチラチラと羊吉の姿を見ている。肌は日焼けして、髪は漂白して色を抜いた、と言えばなんとか誤魔化せるのかも知れないが、説明が面倒なのであまり他の生徒には見せたくない。弥宵は無意識のうちに羊吉の手を取って、足早に歩き出した。


「弥宵? 勝手に来たから怒った?」

「え? いやいや、怒ってないよ。迎えに来てくれて、ありがとう」

「そっか。ならいいんだ」


 羊吉は朝も眠そうだったが、今もまだ目がとろんとしている。それでも寺の手伝いを頑張って、弥宵のことも迎えに来てくれた。単純に嬉しい。けれど、それ以上に恥ずかしいのだ。


「でもさ、慎太郎さんには『弥宵に手を出すな』って言われてるんだけど……いいの? これ」

「ん……あっ! ご、ごめん!」


 繋いだ手を目の前に持ってこられて、弥宵はすぐに放した。相手があの羊吉だと思うと、つい気を許してしまう。


(そうだ……今は男の人なんだった)


 男女が手を繋ぐという行為がどういう意味を持つのか。弥宵だってそれくらいは分かっている。不思議と、羊吉と手を繋ぐのは嫌ではない。安心できた。


「分かった。弥宵から繋いできたから、言い訳できると思ったんだけど……残念」

「え? か、かか、からかわないで……」

「あ、見破られた」


 羊吉も冗談なんか言うんだ、と弥宵は思った。直前まで繋いでいた手が熱を持ち始め、心臓がドキドキと音を立てる。男性とのこういった経験がない弥宵には、戸惑いが生まれた。


(落ち着いて。これは不整脈……)


 本当に不整脈だったら病院に行くべき事態だが、弥宵はそうやって自分の気持ちを濁らせた。相手はあやかしだ。ときめいてはいけない。


「そういえばさ、羊吉の元々の名前ってなに?」


 この変な空気を変えようと、弥宵はそう質問した。自分が名付けた名前で呼び続けるのは、失礼だと思ったのだ。


(おじいちゃんみたいって思って、付けた名前だし)


 元はもの凄く格好いい名前だったら謝ろうと考えつつ、弥宵は羊吉の返事を待った。しかし羊吉は、ぽかんと口を開けている。


「羊吉? どうしたの?」

「僕たちあやかしには、人間みたいな個別の名前はないよ。そっか、知らなかった?」

「えっ」

「だから、弥宵に名前を付けてもらって、嬉しかった」

「ご、ごめん。そういうことだとは思わなくて……私、なんて失礼なことを。羊吉、だなんて」

「どうして? 僕は気に入ってるけど」


 人間のルールが、彼らに適用されるとは限らないのだ。本人が気に入っているのなら、“羊吉”という名前を撤回するわけにもいかず、弥宵はその由来について絶対に黙っておくと決めた。


「今まで出会った人間にも、名前を付けられたことはないの?」

「うん。ここまで人に関わったのは、弥宵と慎太郎さんが初めて。僕にこんなによくしてくれるのも、二人が最初で最後だろうって思ってる」


 羊吉は、ほんの少し寂しそうに笑った。羊吉が今までどんな風に生きてきたのか、それは想像がつかない。根掘り葉掘り聞くのは違うし、かといって同情するのも羊吉は喜ばないだろう。弥宵は、羊吉の背中をぽんっと優しく叩いた。


「私は、生まれてすぐにお母さんがいなくなって、ずっとお父さんと二人で暮らしてきたから。新しい家族ができたみたいで、嬉しいよ」

「……ほんと?」

「うん。これからもよろしく。あ、あと、動物探しも手伝ってね?」

「分かった。ありがとう、弥宵」


 羊吉は、お返しのつもりなのか、弥宵の頭をこれでもかというほどに優しく撫でた。そこには感謝と愛情が詰まっていて、弥宵は耳を赤くする。二人はそれから、動物たちが逃げそうな場所について、話し合いながら寺へと戻った。

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