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妄想オタクの非現実的な日常  作者: 楪 彩郁
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妄想女子と羊吉さん 1

『クリス様……! どうして、ここに?』

『言っただろう。俺は、お前を独りにしない、と』

『で、でも……私……』


(身分違いの許されざる恋、城を出る決意をしたセシリアは、と……)


 稲葉(いなば)弥宵(やよい)は、お気に入りのシャープペンシルをさらさらと走らせ、ノートの罫線の間を殴り書き文字で埋めていく。弥宵の趣味は、男女の恋愛について妄想を膨らませ、それを文字に書き起こすこと。ちょうど今、本当に唐突に、書きたいシーンの台詞が脳内に降りてきたのだ。それが、目新しいセンスもなく、深い含蓄も何もない言葉だとしても、書き留めないわけにはいかなかった。


「次は、この“those problems”が何を指しているか、だ。これよりも前に出てきた問題点を三つ、簡潔に答えてもらおう」


 弥宵の前方、教壇に立ち、テキストとチョークをそれぞれ手に持っている教師。英語科担当、且つこのクラスの担任の城山(しろやま)だ。銀色フレーム眼鏡のその奥に光る目つきは鋭く、短く切り揃えた黒髪が特徴的で、外見も内面も非常に厳格な教師である。上背があり、成長期を迎えている男子高校生たちと並んでも、頭一つ分高い。


 そんな城山の授業は、分かりやすいが厳しいことで有名だ。居眠りをしようものならチョークが飛んでくるし、もしも課題をやってこなければ、その倍の量を放課後こなさなければならない。ただ、指名されて答えられなくても、分からないことを責めはしない。それが、弥宵に気の緩みを生んでいた。


「それじゃ、さっきから何かを必死にメモしている、稲葉」

「……えっ」

「答えてみろ」


 城山に呼ばれた弥宵は、シャープペンシルを持つ右手を止めた。何を答えなくてはならないのか、聞いていなかったので全く分からない。


(しまった……! ああ、いつもの悪い癖!)


 それもこれも、弥宵が妄想に浸っていたのがいけない。うまくいけば、今からクリス王子とセシリアの切なくも甘い感動的なシーンが書けるはず、だったのだが……。弥宵の頭からは、その場面ががらがらと崩れて落ちていく。同時に、全身の血の気が引いていった。


「稲葉。まずは返事」

「は、はいっ!」


 眉根を寄せる城山に対し、弥宵は反射的に椅子から立ち上がった。ただならぬ雰囲気に、周囲の生徒たちが一斉に目配せを始める。「おい稲葉、何やらかしたんだよ……」「先生をキレさせると面倒だから、早く答えて」など、そんな無言のメッセージが、彼らの視線から伝わってくる。


「稲葉。“those problems”の指す、三つの問題点はなんだ?」

「えっ、えーっと……すみません。分かりません……」

「一つもか?」

「……はい」

「ほう。じゃあ、何をメモしていた?」

「それ、は……」


 城山が教壇を降り、弥宵の元へと足早にやってくる。ノートを隠す暇もなく、それは城山によって奪われた。


「……これは、なんだ?」


 案の定、城山の双眸(そうぼう)がすっと細められる。ただでさえ鋭いというのに。声のトーンすら、一段と低くなった。弥宵は目を白黒させながら、震える唇でなんとか返事を紡ぎ出す。


「し、小説の……一部?」

「なるほど。では、私の授業と、これは何の関係がある?」

「……何もありません」

「だろうな。城山、授業が終わったら職員室に来なさい」

「……はい。すみませんでした」


 弥宵は目を瞑って頭を下げた。城山は一際大きな溜め息をついて、教壇へと戻っていく。幸い、恥ずかしい妄想が書き散らしてあるノートは置いていってくれたようだ。


(やっちゃった。居残りかな……)


 脱力して椅子に掛け直すと、周囲のぴりぴりとした空気が、風船が(しぼ)むようにしてやわらいでいった。隣の席では、弥宵の女友達が、「ドンマイ」と声には出さず口の動きだけで励ましてくれる。が、それに反してにやにやしていた。弥宵は唇を尖らせて頷く。


 弥宵に妄想癖があることは、クラスメイトならほぼ誰でも知っている。ただ、それを馬鹿にするような生徒は一人もいない。ほとんどが幼い頃からの付き合いで、小・中・高と狭いコミュニティの中で育ってきていて、気心知れた仲だからだ。山奥の田舎の小さな町では、こういうことも起こりうる。だから、弥宵も息がしやすかった。


(でも、さすがに先生にバレるのは、ねえ……)


 異性の先生だからこそ、恥ずかしい妄想を知られて気まずいところはある。しかも、授業中に先生の話を聞かずに、だ。授業後の職員室での会話を想像しては、弥宵は胃が痛くなる思いだった。

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