間章 無気力と自分らしさ
ここからハルト視点です。
視点変えないで主人公、できるかなぁ?
社会革命福祉論でゼミの先生がこんなことを言っていた。
「リスクを恐れてしまっては対価を得られない。もしリスクに対して対価が小さいようだと、人はリスクを冒すことを諦める。それが今の無気力社会を作ってる」
「若い人だけの問題じゃない。ある程度キャリアを積んで踏ん反り返っている50代以上の人たちだって、同じことをする。それはなぜか。どの世代にとっても、リスクを回避したいと望むのは当たり前のことだからだ」
「わたしはそれを、選択的無気力と呼んでいる」
無気力になることを選択できる社会になった、と聞かされた時はすごい時代になったなと思った。
でも、望んで無気力にされてしまった俺はどうしたらいいのだろうか。
自分の作った靴が設定価格の二倍で売られていることは、受け止め難いものだった。
八万円超えで出品されてるのを見て愕然とした。
俺の靴の値段は、俺の気持ちの値段だ。靴を作ってる時が寝る時間を惜しむくらい一番楽しく、素の自分でいることができた。
そんな楽しい時間を頂いてる俺としては、それを苦労として値段に上乗せすることはできなかったのだ。
そしてこの店の意味は『弾を込める人』
人の日常の一部になりたいという思いと価格設定は切り離してはいけない。だからこれ以上値上げはできない。
元々の値段の四万円でも十分高いのだ。耐久性、安全性、コストを含めて値段を設定してある。
もちろん、会社の利益にならないので、靴だけ売っても意味がない。他の商品が売れてくれるのが赤字にならない条件だ。
実際、効率の悪さを抜きにしても、一足の靴を作るにはニ週間ほどかかっていた。
だけど、ネットや通販で売らないのには理由がある。
お客さんの喜ぶ顔が見たい。これに尽きる。
靴を買った人が後からもう一度店にやってきて、靴についてベタ褒めしてくれるのだ。
俺が推してくれる物なら、と靴以外の服やインテリアを買ってくれる。お客さんに信頼されること、それが堪らなく嬉しかった。
靴だけ作れて接客が全然ダメな俺でもなんとか店を潰さないくらいにはできていたんだ。
でも、靴が転売されてからは、疑心暗鬼になってしまった。
特にお客さんが靴を買う前に褒めてくることに対して疑うようになった。
いや、あなたこの靴の何がわかるの?と心の中で怒るようになり、そんな自分が嫌になったんだ。
次第に利益を生まない靴を作るよりかは、と靴作りで籠ることは少なくなる。
アイシャと住むようになったから、というのもあるけどね。プライベートも大切にね!
そうして店に置いてある靴の数が少なくなると、もっと転売された靴の値段が上がる。
だから俺は無気力になり、アイシャのせいにして靴作りを辞めてしまった。
だけど、
久々に気合入れてアイシャに靴を作ってプレゼントした時、こんなことを言われた。
「世界でひとつだけのわたしのための靴、ありがとうございます。ねぇ、ハルト様?わたしはあなたが靴を作ってる姿が大好きですよ」
屈託の無い、眩しい笑顔だった。
アイシャは俺が期待した通りの反応を俺にくれたんだ。
それが、俺にとってどれだけ嬉しかったか。
夜に構ってあげずに作業場に一緒にいてもアイシャは一言も文句を言わなかった。
舞と別れた原因を思い出して怖かった。構ってあげなかったら。アイシャが離れそうな気がした。
それでもアイシャはそばにいてくれた。
バレてるけど、秘密でアイシャのための靴を作ってるんだとアイシャ自身がわかっていたとしても、怖かった。
そしてここに、完成させた愛情たっぷりの靴とアイシャの笑顔がある。
思わず目の前の光が沈殿して、涙がこぼれた。
やっぱり、やっぱり俺は、靴を作って人を喜ばせたい!
「アイシャ、ごめん。俺アイシャのためじゃなくても靴作っていいかなぁ?」
「靴を作ってる時のハルト様が一番生き生きとしてます。かっこいいです。わたしと過ごす時間が無くなっても、そばでハルト様を見ていられるならわたしは構いませんよ?」
「ありがとう、アイシャ」
「でも徹夜はやめてくださいね?」
「うん、約束するよ」
こうして俺は自分らしく働く意味をアイシャと共に見つけたのだった。
色んな味のstoryをぽぽぽっと出しまくってしまい、すみません。
次回、ざまぁ編再開です(言ったぞ!