閑話 グランドベル王国
ちょっと昔の話を
ーーーその金色の髪は日の光を浴びて更に輝く。
翡翠の瞳は好奇心に満ち、覗きこめば星が幾重にも散りばめられたように輝く、そんなまだ幼いアイシャは嬉々として声を上げる。
「お母様!見てみて!川にお魚がたくさん!」
城から西回りで森を抜けた先、オートラという辺境の地に、一台の馬車が到着した。
森で浄化され、滲み出た水は綺麗で、川にはたくさんの魚がいた。
「アイシャ、みっともないですよ」
馬車から身を乗り出してはしゃぐアイシャ。その隣に座る金色の髪の女性は、この国の女王、ナナリー=グランドベルである。
ナナリーとアイシャにとっては久しぶりの外出だった。
人類共通の敵、魔王をカイル=グランドベルが倒してから十年が経ち、平和が訪れ、少しずつ国の人口が増えてきた頃である。
各地で開拓が手詰まりを見せ、これ以上食料が取れなくなった、そんな時期でもある。他の国々が食料問題から戦争をし始めた。だがここ、グランドベル王国に手を出して来ないのは、カイル・グランドベルという勇者がいるからである。
陸続きのグランドベル王国も同様の食料問題に直面した。それでもなんとか上手くやれたのは、カイルが他国の戦争に参加して報酬をもらえているのが大きい。
魔王がいなくなった今、人類の敵は人類と飢えに集約され、戦争が起き、皮肉にも増えすぎた人口を減らすためにカイルが飛び回っていることをナナリーは知らない。
それほど、この国は勇者に対して盲目で、狂信的信者の上に成り立った危うさがあった。
カイルが戦争のため不在だが、そろそろ王都やその周辺だけでは食料が足りなくなり、ついにオートラに来てしまった女王御一行。
中立地帯であるが故に行き来は楽にできるのだが、森の恵みを頂くには獣人たちの許可が必要だった。
「本当に警戒しないんだな・・・」
薄暗い森の茂みから様子を伺っていた白髪の獣人、スネイルはただ唖然として馬車から顔を出す王女の姿を見ていた。
グランドベルからの使者は三人と通告があった。
彼は女王が交渉に出てくるのは理解できていたが、この場に丸腰の馬車を操る従者と娘を連れてきたことに頭を悩ませた。
同時に、こいつら何考えてんだ?と警戒して連れてきた他の獣人二十名も拍子抜けである。
「じゅうじんさーん、出てきてくださーい!!」
アイシャの無警戒な呼びかけに応じて、すごすごと姿を現わす獣人たち。
「嬢ちゃん、あぶねーよ」
先頭にいたスネイルは、アイシャの天真爛漫さに毒気を抜かれて頭を掻いた。
ーーー
「そこのこわい顔の人!!だいじょーぶだよ!ちょっとここら辺に畑を作りたいだけなの!あっ、あと森のおいしい水とおいしい果物を少しだけちょーだい!」
奥のほうでアイシャを睨んでいた獣人の顔が怯えた表情になる。それを見たスネイルは思わず舌を巻いた。
アイシャが魔法で心を読めることは知っていた。その読心術は『小さな魔女』と恐れられるほど。スネイルはなぜこの子がこう呼ばれているか、その一端を見て戦慄した。
ーーーこの幼さで心の醜さを覗くのに慣れてやがるーーー
スネイルが心の中で驚嘆と畏怖を示すと、それが聞こえたアイシャは変わらずにっこりと笑う。
「誰でもはじめましてはこわいよね。だってみんな、仲良くなりたい気持ちと、仲良くできるかなって不安が、半分半分なんだもん」
そんな単純な話じゃねー!と心の中で叫んだスネイルだったが、ひとつ納得することができた。
ーーーこの子は感情で物事を測っている。
聞いたら心が押しつぶされそうな、汚い言葉や殺意を含んだものがたくさんあるだろう。
だがこの子は、言葉そのものよりも、どうしてその言葉が出てくるのかという大元の感情を辿っているのだ。
この嬢ちゃんがいれば、戦争なんて起こらないかもしれないーーー
スネイルは思わず膝をつく。周りの獣人たちも遅れて膝をつき、地面に拳を突き立てる。
「嬢ちゃん、いいぜ、仲良く暮らそう」
「うん、そーだよー。さいしょからむずかしいことは、ぜんぜん言ってないよ。みんな仲良く暮らそー!」
アイシャが飛び跳ねて満面の笑みを浮かべた。
この笑顔が作り笑いじゃなければいいなとスネイルは心の底から思った。
ーーー
それから六年後、ついにグランドベル王国も攻められ始める。
「嬢ちゃんがいないとこうなるよなぁ」
スネイルのつぶやきは、もう誰にも聞こえない。
『小さな魔女』の名はいつしか『金色の魔女』に変わり、戦争の抑止力として勇者並みに機能していたが、つい先日、彼女は消えてしまった。
「まぁいいか、嬢ちゃん、幸せになってくれよ?」
大切に守ってきた森は他国の兵士によって瞬く間に蹂躙されていくだろう。共存できれば千年持つと言われていた森は一年で死んでしまうかもしれない。
森が死ねば、水が汚れる。
嬢ちゃんと一緒に作った畑がダメになってしまう。
他の獣人は王国に逃げた。王国に行けば勇者が守ってくれるだろう。
だが、この畑だけは、守らなければ。
「嬢ちゃん、逃げてもいい。俺は怒らないよ。嬢ちゃんは良く戦ったからな」
勇者の娘としての宿命、その能力。幼い頃から心の醜さを知りながらも、心に光を与えようとしたアイシャの聖女かと疑うほどの清らかな心。
そしてその心を壊したであろう勇者。
「良い旦那さん連れて帰ってきてくれよ。また土いじりしようぜ。あっ、アイシャに子供ができたらその子と遊ぼう。それが良い」
スネイルに不安は全く無かった。新しい目標を自らに課し、それを実行したくて仕方がなくてーーー
自然と笑みがこぼれた。