捻くれ者の僕の……
「あれから○年○ヶ月……」
「これをきっかけに地元に戻り……」
溢れるニュースは同じような言葉を並べてる
映し出されるのは過去と現在を比べる映像
「前に進んでいます」
「応援していきましょう」
似たような言葉と共に移る話題
食傷気味だと思うのは、きっと自分勝手だ
けれど……
捻くれ者の僕は、それが「不幸探し」に見えて仕方がない
いっそ哀れなほど
いっそ呆れるほど
画面に映る全てが「大多数が求める不幸とそこから這い上がろうとする人」に見えてしまって気持ちが悪い
きっかけがそうであっても
今を語るのに必要なものであっても
「うん、知ってる」
「またそれか……」
そんな言葉と溜息が渦巻いている
立ち上がったのは凄いことです
前に進むのも凄いことです
でも……
立ち止まってはいけませんか?
前を見て、何か行動をしなくてはいけませんか?
誰かに取り上げられるような……「特別」と思える何かが無くてはいけないのでしょうか?
誰もが起業出来る訳じゃない
誰もが大きく踏み出せる訳じゃない
何年もかけて「日常」といえるモノを手にするだけではいけませんか?
話題性は大切です
伝えていく事は大切です
忘れないようにする事は大切です
でも……
話題性は無くても、失ってしまったモノを大切に、日々を過ごすだけではいけませんか?
伝えられなくても、あの時感じた事を、思った事を、いつか思い出してはいけませんか?
忘れられなくても、心の底から笑って、泣く為に今は忘れたいと願ってはいけませんか?
悲しいほど
呆れるほど
駄目駄目な捻くれ者の僕は、テレビの向こうに聞いてしまうのです
「それは何の為のものですか?」