1 Eden of Chaos
…………端的に言って、それからの目覚めは最悪だった。
チュンチュンと野鳥が鳴く声だけが耳には入り、目の前には銀髪碧眼の美少女。「朝チュン」なる男の夢ランキング上位の出来事といっても差し支えない状況。
そんな緑の美しい森の中での目覚めが、こんなにも最悪だと感じれるほどの、悪夢。内容はイマイチよく覚えていないのだが、地獄と形容出来たことだけは間違いない。
「な――――ん、だったんだよ、あれは???」
思わずに泣きそうになりながら呟いた蒼穹の様子を、件の銀髪碧眼の美少女、ティアラは怪訝な表情で見つめていた。
「えっ……と、大丈夫かな蒼穹???」
「――――気にしないでくれ、夢の話だ」
安堵すると共に、なんだか恥ずかしくなってきた蒼穹は、目を逸らしながらそう呟く。
そんなことよりも、今度はいったいどこに辿り着いたのだろうか……と、蒼穹は辺りを見渡しながら思う。無造作に手をついていた地面には鮮やかな緑の芝生、東京にいたころには見たこともなかったほどの大樹。それらがこの地の自然の豊かさを教えてくれる。
とはいえ、未だに自らの置かれている状況については一切理解出来ていない蒼穹は。
「で、説明はしてくれるんだろうな。えっと……ティアラ」
「も、もちろんだとも蒼穹、まずこの地の名前は「エデン」、自然の恵みが豊かでいくつかの国に分かれていたんだ」
不意に、名前で呼ばれたことに驚いたのか照れたのかは不明だが、ティアラは頬を赤く染めながら言葉を紡いでいく。
「ちなみに私が生まれ育ったのもここからすぐに見えて来るニブルの城下町という所だよ。常に活気に溢れていたし、私の父上である領主様も民のことを一番に考えていると評判だった」
「そういえば、学校の屋上でも王女だとかなんとか言っていたな。その身なりからも何となく想像出来るが……貴族だったのか。ティアラは」
「その通り!! 私は見ての通り高貴な人間なんだよ。この衣装もよく似合っているかな蒼穹?」
ティアラは、そう言って白銀のドレスの裾を掴んでひらりと翻す。
確かに、そうした佇まいによって何やらキラキラとしたオーラのようなものが見えた気がした。
「……確かに似合っている」
蒼穹が眉間にしわを寄せたまま絞り出すような声で答える。
「君に褒められると嬉しいな……しかし、そんなに見つめたって何も出ないぞ」
「――――まぁいい、説明を続けてくれ」
不覚にもドキリとしそうになる蒼穹だったが、低く呻くことでそれを抑え、言った。
「そ、そうだね。ええと、どこまで話したかな。私たちの結婚式の日時の話だったかな」
「おい、もうそろそろいちいちボケを挟んでいくのはやめろ」
「さいですか……」
しょぼん、とティアラのテンションに合わせて特徴的なアホ毛が垂れる。
「まぁ、実際の所今私達のいるこの世界についての説明はこんなものなのだけどね。あと言い忘れていたとすればここは蒼穹が暮していた世界とはそもそも全く異なる異世界だ。キミを眠らせ飛行機に乗せて拉致してきたわけでは決して無いから安心したまえ」
「…………待て、待て待て。今なんか最後にとんでもないことを付け足さなかったか? 異世界……だと???」
思っていたよりもとんでもない事態になっていたことに、蒼穹は再び驚く。先ほどから頭が追い付かないほどにあり得ないことが起きていたと思えば極め付けに異世界と来た。
……冗談じゃない。
漫画やアニメの影響である程度は身近に感じられる単語だが、いざそこに自分が入り込むなどとは思ってもみなかった。
「……混乱してきた。異世界って……異世界は百歩譲って本当だとして、そもそも何で俺がこんなところに連れてこられなければならない? ただの学生どころか、特にこれといった突出性もない俺が???」
「私の言う事自体はある程度信じてくれているんだね。ああ嬉しい、そしてキミを選んだのは私なので要は私がキミを愛している以外の理由は無いのだけれど……」
「何でそうなる??? 俺はお前と今日初めて会ったはずだ。お前はそれとも違うって言うのか?」
「…………」
そう、蒼穹が言葉にした瞬間、ティアラは本当に小さくだが呻き声を発し、そのわずかな変化を蒼穹に気づかれないように返した。
「悪いけど蒼穹、話は一旦後だ」
ティアラは遮って、視線を蒼穹から自身の後方へと移す。
「敵さんのお出ましだよ、今後のためにも蒼穹は下がって見ているといい」
この世界に来たばかりで状況を飲み込めず混乱していたのもあり、ある程度すぐ近くまで迫っていた地鳴りにような巨大な足音に気づけていなかった。
見ると、ティアラの後方数メートルほど先には見た事もないような巨大な生物……が押し寄せてきていた。
数はざっと5体。四足歩行する、およそ軽自動車ほどのサイズの個体が4体に加え、中央にはリーダー各と思しき個体。他のとは異なる二足歩行をしており、ダンプカーほどの大きさで鎧を纏った騎士を思わせる巨人。
その図体の大きさだけでも相当な重圧を感じさせるが、5体に共通する部分として、生物としての感情を一切隠した異形の仮面を有している点がある。
それが恐ろしく不気味で、見られているだけでもぞわり、と悪寒が走る。
「おいティアラ、大丈夫なのか? 見たところ丸腰の俺たちでどうにか出来るような状況ではなさそうだが……」
本当は恐怖で震える手を必死に握り締めて、蒼穹は訊ねる。どんな状況であろうとも、男が女の子の前であからさまにビビるわけにもいかないのだ。
「ああ、まぁ問題は取りあえずないよ。"キマイラ"ベースに加えて"デーモン"が1体……私の力を見せるいい機会だ」
ティアラは、不敵に笑うと同時に、地を蹴り駆ける。もちろん、蒼穹の危惧した通り丸腰のままでである。
そして、中央の"デーモン"と呼ばれた巨人に向かって踏み切り、飛びかかった。
「来てくれ、私の剣。『偽剣・双炎之理』よ!!」
突進の勢いを殺さずに、彼女は叫んだ。すると、その両手が紅く燃え上がると共に……爆発的な火柱が掌から水平に撃ち出される。
『●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ーーー!!!!』
その一撃により、巨人が声にならない叫び声……と言うよりも咆哮を上げる。
無理もない、ティアラの一撃は巨人の仮面を含めた顔面の半分ほどと、右肩ごと右腕を吹き飛ばしたのだ。そのままバランスを崩した巨人が地に伏せるのと同時に、薄れるようにして消えていく火柱の中から二振りの真紅の剣が姿を現した。
「何だよ、これは……!?」
「これが私のチカラさ……! まぁこの程度はほんの一部だけどね。蒼穹は私に惚れ直してもいいんだよ」
「真面目にやれよ!! 後ろ後ろ!!」
ティアラがこちらを振り返って得意気な笑みを浮かべているが、残った4体が一斉に突進してくるのが蒼穹には見えた。
"キマイラ"ベースなどと呼ばれたそれらは、さながら暴牛のように地を鳴らし、ティアラへと牙を剥く。蒼穹はそれを見て思わず駆け出しそうになったが、すぐに彼女は右手を小さく上げてそれを制する。
「大丈夫だよ蒼穹、私こう見えて強いんだからね」
向かい来る4体の敵を見据えて、ティアラが頷きながら言う。
それに応えるようにして、敵も唸りを上げた。さながら獲物を目前にして歓喜する肉食獣のよう。
「「「「グォォォォォオオオオォォォオオオーーー!!!!」」」」
「フフッ、遅いよっ!」
ティアラは純白白銀のドレスを閃かせてバックステップ。
暴虐の爪と牙が空を切って、飛び掛かってきた敵が空中で大きな隙を見せたのをティアラは見逃さなかった。
「はあぁぁッ!」
今度はティアラの方から敵に向かって跳ぶ。そうして両者が交錯する際に、ティアラはその両手に握る真紅の剣を勢いよく振り抜いた。
「ガッ――――!!」
敵の一体は短い断末魔を上げると共に絶命。頭部と思しき部位が不気味な仮面ごと宙を舞った。
当然それだけでは終わらず、ティアラは空中で身を翻して、左手の剣を投擲。彼女から見て左側の個体の急所を正確に貫き沈黙させていく。
「まだだよっ!」
言って、ティアラは文字通り目前まで迫る敵の頭頂部に素早く空いた左手を伸ばし、まるで羽根のように身軽に空中で、さらに上へ目がけて跳んだ。その反作用で地面へと落下させられた個体が無様に転がる。残ったもう一体も同様に獲物を見失って、不格好な着地を決めることとなった。
ティアラの挙動に注目していた蒼穹は、彼女を見失うこともなかったが太陽を背に舞う純白の彼女の姿はとても眩く輝いていて、それでいてこのまま光に飲み込まれて消え入りそうなほどに、儚い印象を与えてくれた。
そして、彼女はそんな中小さく微笑み、呪文を唱えるようにその名を呼ぶ。
「今度はこれだよ! 『偽剣・水蓮乃理』!!」
その言葉と共に、ティアラの胸の部分を貫くようにして、透明な氷の薙刀が召喚される。実際には透明というか、太陽光の乱反射と彼女自身の白で隠されて蒼穹にははっきりと見えなかったことからの表現であるが、実際の所もその刃に決められた色彩はなく、貫き引き裂いた敵の返り血によって何色に染まることもあるということだろうか。
――――とまぁ、そんなことよりも。
(あいつ、あんなものを何種類も出せるのか……)
この状況に対して、順応力の早い蒼穹はそういったティアラの戦闘スキルについて感想を持つようになってきていた。ここは異世界というくらいだ、何が起きても不思議でないと思っていたが、その中でも目の前の彼女は特別な存在であると、直感的に理解することが出来たのだ。
「さぁて、どちらから仕留めてあげようかな」
敵に向けて落下しながら、彼女がそんなことを呟くのが聞こえた。
表情は笑顔のままだが、その大胆かつ豪胆な戦いぶりを目の当たりにして、蒼穹は頼もしさと同時に美しいほどの恐ろしさをも兼ね揃えていると感じられた。
――――そして次の瞬間、決着の刻は訪れることとなる。
着地と同時に、2体の間をすり抜けるように駆け抜けたティアラは、すれ違い様に2撃。右手と左手の異なる得物を以ってそれぞれの首を落とす、滅びの斬撃を加えていたのだ。
完全に沈黙した5体の怪物が風化するようにゆっくりと消え始めるのを確認して、蒼穹は安堵するかのように腰を落とす。
「終わった――――のか?」
「あぁ、終わったとも。蒼穹」
両手に持っていた得物はいつの間にか消えていて、先ほど感じていた重圧のようなものは完全に消え、天使のような笑顔でガッツポーズを見せるティアラの姿があった。
「そして理解してもらえたかな? これがこの世界における私たち人類にとっての最大の脅威、その名は『マリス』という」
驚くべき事実を、ティアラは笑顔のまま、あくまで明るく言い放った。
吹き付ける風に揺れる銀色の髪、満足そうに輝くその碧眼。百合の華のようだと形容出来る彼女の言葉に、蒼穹はただ聞き入るしかなかった。
――――というよりも、言葉を紡ぎ出すことが不可能だった。という方が概ね正しい。
「見ての通りヤツらは人を襲うんだ、それどころかこの世界に元々存在していた生態系を破壊するチカラを持ち――――他の生物を取り込んで現界している。人間の生活圏は、キミのいた世界の半分もないくらいに後退せざるをえなくなった」
「…………」
聞きたいことは突っ込みたいことは山ほど、あった。
「私たち人間は、ああいった脅威を前に逃げ惑うしかなかったんだ。故郷を奪われ、家族を失った人々がどんな思いか、想像もつかないかもしれないんだけど……」
やがて、彼女の口調も落ち着き、表情が曇っていくのがわかった。
その瞳の色も、まるで太陽が堕ちて陰りを見せた闇のようであった。
「――――ごめんよ、暗い話になってしまって。驚いたかな」
「あぁ……まさか未だに夢から覚めていないのではないかと思うほどだ。理解はしてきたがまるで信じられないような状況だ」
苦々しい顔で蒼穹は黙り込んだ。
これが夢でないことくらいは勿論わかっている。この世界自体夢だと思えたのならどんなに楽だっただろうか。
「でも、蒼穹はきちんと認めようとしているんだね。この世界のことも、自分の置かれている状況を」
「……」
「実際のところ、そう簡単に認められるものでもないと思うけど、蒼穹はすごいね。それは簡単なようで難しいことだよ」
可愛らしく笑い、ティアラはうんうんと頷いて。
「まぁそれはさておき、街まで戻るとするよ。歩きながら話そう、ここにいてはまたヤツらが襲ってくるかもしれないからね」
「あれは……一体何なんなんだろうな。俺の世界には当然あんな怪物は存在しなかったが、そう簡単に湧いて出て来るもんでもないだろ」
「それに関しては、私もわからないと言うしかないのがモヤっとするところだよ。初めて存在が確認されたのは4年前だと言われている。人類は主要な都市に籠城することでなんとか平和を保ち続けている。こんなものだよ私が知っていることなんて」
「4年前……案外最近のことなんだな、その短い期間でそれだけの被害……」
蒼穹は紡ぎ出す言葉も見つからなくなった。
そうしている間にも二人は草木を掻き分け歩き続けて、ようやく切り通しのような開けた道に出ることが出来た。
すると、
「見えるかい蒼穹、あれが私たちの街、ニブルだよ。あまり小綺麗ではないが立派なものだろう」
「いやまぁ、確かにそうだが……あれはもう城下町というよりも"城塞都市"とでも言った方が正しいんじゃないか?」
言葉の通り、蒼穹たちの視線の先にそびえ立つのは数十メートルを軽く超えるであろう巨大な壁に四方を囲まれた都市。
さらには、その壁を超える高さで中央部に立つ、塔のような城のような建造物が否応なしに視界に入ってくる。
あまりの驚きから、逆に冷静な口調でティアラに応対してしまったが、そもそもあれはここからでないと全景を見渡せないほどに巨大なのだと気が付いた。
その内部には多くの人々が暮らしていることが想像出来るが、壁のあちこちには大砲と思しき迎撃兵器などが多数見られることから、蒼穹の想像していた異世界の中でも、かなり切迫した様子に感じられる。
……こんな現状に対して蒼穹は、率直に思った。
「なぁティアラ」
「何だい蒼穹」
「俺はさ、言ってしまえば普通の男子学生なんだ。勉強だって別に好きでもないし得意でもない」
「うむ知っている」
「なんで知ってるんだ!! まぁいいそれどころかスポーツに関しては他人よりも劣っていると確実に言えるくらい苦手だ」
「で、あろうね」
ティアラはあくまでにこやかに、蒼穹の情報を知っていて当然、既知の事実だと言わんばかりに返していく。
が、それに対し蒼穹はきっぱりと――――。
「ぶっちゃけた話、俺がこんな世界で生きていけるとは思えない」
碧き瞳を見つめて、そう言った。すると、
「えぇ……?」
心底不思議そうな顔で、こちらを見つめ返してくるティアラ。
「えぇ……? じゃないだろ! 普通に考えてみろ普通に!! 俺が言ってるのは現世?に帰してくれってことだ。この世界が俺の想像もつかないくらい大変な状況なのはなんとなく理解出来たが、俺をわざわざ連れて来てどうにかなるような問題とは思えないんだよな」
「ま、まさか……蒼穹。キミはここまで来て帰るって言うのかい? まだチュートリアルも終わってないんですけどぉ」
「何がチュートリアルだ、いきなりお前がいなかったら殺されそうになるような世界だぞ。俺はもっと勇者の剣とかでパパッと魔王を倒して終わりとかな感じがよかったんだ」
「そう、それだよそれ! 蒼穹は向こうでは数多くの怪物と戦って過ごしていたじゃないか! あんなに楽しそうに!!」
ティアラが思い出したかのようにわめく。もはや蒼穹は何で知ってるのかなどという疑問は持たないように続けていく。
「あれはゲームなんだよ!! それに俺は命の取り合いなんて生身でしたことは無いんだ」