0 放課後ディストラクション
「ようやく見つけたよ、私の……私達の英雄様!!」
四月も半ばを過ぎたある日の放課後のことだった。
屋上のドアを開けた彼が目にしたのは、2メートルを超える転落防止用の柵の上で仁王立ちをしている銀髪碧眼の少女。
「まだ世界には猶予が残されているとは言え、これは賭けだったよ。なにせこの最後の機会を、徒労に終わらせるわけには絶対にいかなかったんだから」
その少女は喜びと同時に微かな安堵の表情で彼に言う。
茜色の夕焼けのようにも鮮やかに、高貴な姫君のように凛として、
「――――貴方が好きです、会うことが出来て、嬉しいしかない」
彼女はそう言って微笑む。
その笑顔の裏には何か他にも含まれた感情があったかのようであった。
そして、そんな愛の告白を受けた彼、神薙蒼穹は……この状況を全く理解出来ずにいた。
「……どういう、ことだ?」
眉間にしわを寄せ、無愛想な声で言った彼は辺りを見回しながら屋上を進み、彼女の目の前で足を止める。
そして答えを求めて、彼女を見上げる。
愛の告白云々だけの問題ではなかった。
屋上へ続くドアを開けた瞬間から、その場所は彼がよく知る学園校舎の屋上ではなくなっていたのだから。
放課後になってすぐの時間とはまるで思えない、月と星が浮かび上がった漆黒の空、屋上から見渡すことの出来るこの街の風景も完全にそこになく、まるでこの屋上という空間だけが世界から切り取られてしまったかのような感覚。
「どういうこと、という質問に答えさせてもらうと、私は貴方を迎えに来たんだよ」
「迎えに来た……? そもそも俺はこの手紙で呼び出されてここに来ただけだぞ。まさか悪戯だったりするんじゃないだろうな」
無愛想な声で言った彼はラブレターにしか見えないハートだらけの手紙をかざしながら言った。
そう、蒼穹は差出人の名前がないラブレターに心を躍らせながら放課後の屋上にやってきたのであったが、そこで彼を待ち受けていたのは見慣れない格好をした少女。
少なくてもこの学園の生徒でないことだけはわかるその少女は、煌びやかな純白のドレスを纏い怪訝な表情のまま立ち尽くす蒼穹に向けてさらに続ける。
「なるほど、混乱しているようなので順を追って説明しましょう。まず私は、イグニス皇国王家の正統後継者、第二皇女ティアラです。そして貴方と結婚をするためこの異世界までやってきました、以上です」
「順を追って説明する気が一切ないだと!?」
(えぇ……マジで悪戯だったっぽいなこれは……)
思わず突っ込んでしまった蒼穹だったが、少女のドレスの裾の部分が風でたなびきふわり――――と揺れる様子を見て視線を逸らす。
少女はそのことに気づいていない、それどころかこちらをその真っ直ぐな瞳で見下ろしたまま、跳んだ。
「詳しいことは"向こう"に着いてから話します、なので取りあえずは――――私の手を、取って」
蒼穹の頭上から落ちてきた少女は、そう言いながらこちらに手を伸ばす。蒼穹は反射的に竦み上がるが、このままだとコンクリート製の校舎の屋上に少女が激突するだけだと、足を止めて文字通り空から降ってきた少女を受け止める。
「かっ……!!」
――――が、いくら自分より遥かに体重の軽い少女とは言え、運動神経等も並以下の蒼穹は人間一人の重さを両腕だけで受け止め切れずそのまま膝を折って転倒してしまう。
その結果、思い切り尻餅をついたことで痛みに表情を歪ませる蒼穹。
「お前な――――!」
そこで気づいた、見た目よりもずっと小柄だった少女の顔が目の前にあることに。
その距離感にどきりとした蒼穹だったが、次の瞬間まばゆい光が二人を包み込むことになる。
「なん――――」
言葉を紡ぎ出す間もなく、目の前の景色は吹き飛び、真っ白な光の中で蒼穹の視界には白銀の少女だけが存在する――――。
そして圧倒的な浮遊感と共に、どこかへ吸い込まれていく。
そんな非現実的な状況で、少女はただ呑気に微笑んでいた。
「安心して、後は私に任せてくれればいい」
――――言って、少女がこちらの背に手を回してしがみついてきたので、確かな温もりと共に心臓の鼓動の音がお互い早くなっているのが感じられた。
「ちょっと待て、お前が何者かはこの際置いておくとしよう。それにしてもこれは、この状況は俺の許容出来る範囲を色々と超えている――――!!」
「大丈夫だよ、私が貴方を想う気持ちもきっと蒼穹の許容出来るレベルではないから」
「話が噛み合っていない上に愛が重たいな!」
「ずっと待っていたんだ、この瞬間を」
上下もわからないような状態でもがくしかない蒼穹に、彼女はなおも続ける。
「今、この瞬間……ようやく世界は完全に繋がった。これも蒼穹が――――ひゃっ!?蒼穹そこはダメ!」
「うおっ!!マジでよくわからんがすまん!」
まるで水中のように、満足に身動きを取れないでいる中、少女の柔らかい部分を撫で回していたことにようやく蒼穹は気づいた。
そして、意識してしまった瞬間指先に全神経を集中させた自分にも呆れかえる。
「この状況も悪くないけど……あんまり暴れられると困るからキミとこうしてイチャイチャするのも全部、今は我慢しようかな」
「おい待て、それはどういう――――」
「こういうことだよ」
少女は、そう言って蒼穹の口を塞いだ。
「――――っ!?????」
艶やかな柔らかい唇でもって口を塞がれた蒼穹は、あまりの衝撃に絶句すると同時に、意識が混濁し遠のいていくような感覚に襲われる。
そして、その感覚が続くにつれ、目の前の少女の姿もだんだんと虚ろになった。
実際に意識が遠のいていく中で、蒼穹は最後に確かに聞いた。
――――おかえり、と。
結局、この言葉の意味がなんだったのか、理解出来るのはずっとずっと先のことであった。
十七歳の春、こうして少年は自らに救いを求める姫に出会った。
こうして幕を開けるのは、紛れもない少年にとっての試練であったが、同時にそれは宿命でもあったようだ。