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北領のナターシャ  作者: Peace
北領のナターシャ
8/22

北領のナターシャ(前編)





「こう?いや、こうかな?」

「うーん、もっとこうっすね。徐々に力を入れていく感じで。」



 うららかな春の日差しが優しく照らしつける中、ナタリア達は整備された道をアナトセティへと移動している。

 箱馬車とそれを守る様な位置を走る騎士たちとは、少し離れたところにグレゴリーと二人乗りをしたナタリアはいた。

 出発前に乗馬を教えてほしいとナタリアが頼み込み、グレゴリーが軽快に了承しての事だった。



 馬は非常に賢い生き物で、乗馬した人間が未熟であれば小馬鹿にしたような態度をとる。実際にナタリアは顔を撫でようと差し伸ばした手は噛まれて、一人で乗ったら振り落とされた。地面に転がるナタリアの姿を見てグレゴリーの馬は鼻で笑う様に嘶き。それで彼女は馬の背中で思いっきり吐いたことを思い出した。

 二人乗りした今、ナタリアは手綱を握り必死に馬の横腹を刺激して違和感に首をかしげているが、順調に進んでいるのは後ろに乗ったグレゴリーが馬に指示を出しているからだ。



「もしかして、乗馬ってものすごく難しい?」

「うーん、おれもまだ未熟だから、わかったような事は言えないっすね。」

「……いつから、乗ってるの?」

「はじめて乗ったのは四歳の時。本格的に習い始めたのは七歳からっすね。」



 がくりと音が聞こえるほど大きくナタリアの首が下を向いて、そのわかりやすい反応にグレゴリーは笑いを押し殺した。

 彼の愛馬は特別な調教をうけ、彼以外は誰もまともに乗せた事のない青毛の美しい自慢の相棒だ。

 その体は箱馬車を引いてる一般的な馬に比べて、二回り以上大きくタフで賢い。そもそも小さなナタリアの軽い体重と弱い刺激では、彼の愛馬に指示を出すのは難しい。

 恐らくそれにも気づいていないだろうナタリアの様子を見て、始めてグレゴリーは彼女に勝ったような気持ちになった。

 あきらめた彼女は手綱をグレゴリーに返した。



「それでグレッグ、傷の具合はどう?」

「まだ痛むとこもありますけど、動くのに問題ないっす。ナターシャは?」

「左腕が肩より上にあがらないけど、問題ないわ」

「人間の体って、肘で刃物みたいに斬れるんすね。修道士のヤンも傷を見て、びびってましたよ。」

「私もボールになったのは初体験よ。セシルもびびってたけど、多分あれは傷じゃなくて、私を見てびびってたんじゃないかな」


 気まずそうな彼女を見て、グレゴリーは合点がいった。


「それじゃ、今朝、急に乗馬を習いたいって言ったのって……」

「そう。同じ馬車だとセシルが怯えるから。

でも、乗馬を習いたいのは本当だし、私たちが仲良くしてれば、ジーマもきつい罰を与えようとは思わないでしょ?」

「それは……。

一応、朝、事情を説明してお咎めなしってことになりましたよ」

「ああ、そうなんだ」



 楽しそうに話し合う二人に、確執のようなものは一切ない。

 今朝、ばったりとあった二人は、戦々恐々と様子を伺っていた周りが拍子抜けするほどあっさりと、おしゃべりをはじめ仲良く朝食をとった。

 自然と相手の事をグレッグ、ナターシャ、と愛称で呼び合う様子は、二人を仲の良い兄弟のようにも、恋人同士にも、また戦友同士にも見せた。治療を担当したヤンは、あれほどまでに傷つけられながらも笑顔で話し合える二人を気味悪がっていたが、騎士たちにとってそれは普通の事である。



 そして変化は二人よりも、二人の周辺に起きた。

 ナタリアを神聖視する動きがより強くなり。そして、彼女の力を目の当たりにした一同の中に、もう彼女をただの小娘として扱うものはいない。

 ただ、セシルは完全に彼女に怯えている。

 昨夜、お菓子の夢を見ていたセシルは、血まみれのナタリアに起こされた。その際に悲鳴こそあげたが、普段から治療を担当している彼女はその後、冷静に地母神に祈りを捧げ彼女の傷の癒すことができた。

 しかし、大人も泣きだす治療の最中、悲鳴一つ上げずに異常な目つきで、楽しそうな声をだすナタリアを見て、セシルはなんの根拠もなく治療が終わったら彼女に食べられると本気で信じた。

 治療が終わった後は、セシルは泣きながら「食べないで」と命乞いをして、盛大にナタリアを困らせ。それ以降は、半泣きになりながらナタリアに付いてくる、という器用なことをしている。



 騎士の畏敬を孕んだ視線、セシルの怯えたような視線、かつて、そんな視線に囲まれて生きてきたナタリアにはどちらも心地よかっ た。

 彼らの視線は、自分という不確かな存在を肯定しているように思えた。



 そんな彼女に親しく対応されるグレゴリーには監視の目が増えた。昨夜は治療の後、ナタリアと密会をしない様に、騎士たちは交代で起きてグレゴリーを見張った。密会を防ぐことはできたが、見張りの騎士はグレゴリーから愚痴を聞かされる事となった、それも一晩中。

 だからこそグレゴリーはすっきりとしていて、ナタリアと笑顔で話すことができているのだが、周りのヘイトはますます溜まっていった。



 今も楽しそうにナタリアと話すグレゴリーを、嫉妬の目で見つめながらひそひそと話し合う三人の騎士がいる。真ん中にいる騎士が馬を撫でながら隣に向けてつぶやいた。



「いいなー。見ろよ、やっぱり笑顔が一番だな。あんな距離で見せられたら、火傷しそうだ。イッちまうよ」

「早漏野郎が、わかってねぇーな。

今朝グレゴリーの糞野郎の鎖骨をあの細い指でなぞったの見なかったのか?あの欲情的な動き、網膜に焼きついて頭から離れねぇ。あれが一番だね」

「お前ら二人とも即物的すぎる。見返りは求めるものじゃない、わからないか?無償の愛だ」

「そりゃ宮廷恋愛ってやつか? 嫌だねー、中央かぶれの玉無しは」


 険悪になった二人に真ん中にいた騎士はすぐに割って入り、肩に手を置いた。


「そんな事どうだっていいんだよ。問題はくそったれのグレゴリーだ。奴はマダムキラーだろ? 年下に手を出すほど見境なかったか?」

「奴が愛しているのは女とトレーニング。彼女はどこか上品で落ち着いてる、その上トレーニングに付き合えるとなれば理想の女。一晩聞かされたよ、殺してやりてぇ」

「そう上品なんだ。それこそ上級貴族の様に。いや、獣の様にもなるが、そこにすら品がある」

「玉無しは黙ってろ」



 真剣に、まるで重要な会議に参加しているように熱弁をふるう三人を見て、ジーマは人選でなにかとんでもないミスを犯してしまったのではないかと真面目に悩み始めた。







 アナトセティ、正確にはセナトル王国ダーシュコワ公爵領アナトセティ、通称北領は40年前の人魔大戦の折、大量に現れたラブリュスの森の強力な魔物から王都を守るために作られた当時の最前線基地がそのまま発展して都市となったものだ。

 アナトセティを北と南で二分する様にアナト川が流れ、公爵の屋敷は街の中心をアナト川に分断され北に城が、南に屋敷が存在している。

 アナトセティは、この公爵家の城から波紋状に広がるように発展し、今では膨大な土地となって、アナト川以北にある外から公爵家の城まで続く三本のメインストリートは連日、何万人もの商人や旅人に溢れ賑わせている。

 アナト川から水がひかれ街中にはいたるところに噴水や川があり、水の都とも言える美しい都市だ。

 アナトセティの南側を守る様にある防壁の外側には、この都市の人口を支える広大な農地が広がっている。アナト川をたどり東に進んでいくと山が連なっていて、それが東領との境界線だ。そしてアナト川はそこから流れてきている。



 日も暮れはじめた頃、数日前から小さく見えていたアナトセティに、ようやくナタリア達はたどり着いた。

 門には人が溢れていて、しばらく待たされそうだ。馬から降りて、人ごみにもまれながら北門と防壁を見上げ、ナタリアはため息をついた。

 でかい。

 それだけじゃない、スコピテラの街を守っていた壁はただ石を積み上げた子供の積み木遊びのような粗暴さがあったが、この壁の石材はすべて均一で芸術的だ。

 その外側に掘ってある堀の中には川から引いてきた水で満たされ、架かっている橋は幅が広く丈夫で、確かな技術を感じる。

 スコピテラと同様に防壁は突起しているところがあり、その上には異常な数の巨大なバリスタが空を睨みつけている。

 遠い所にきてしまったものだ。改めて感傷に浸っているナタリアは、突然後ろからフードを被せられた。



「……なに?」

「こんな美人と一緒にいるところを見られたら、おれ刺されちゃうんで。」



 腑に落ちないところはあったが、自分の容姿が特別だと聞かされていたナタリアは大人しくしていた。

 順番を待っていると、セシルがトコトコとやってきて、ナタリアの外套を小さく引いた。振り返ったナタリアに、ビクつきながらもセシルは健気にも笑顔を向けた。

 今のナタリアにとって怯えた瞳は心の糧だが、彼女の笑顔はあまりにも痛々しく今朝は彼女を避けてしまっていた。負い目を感じていたナタリアは熟慮した後、フードから唯一見える唇の端を持ち上げ、わざとらしく声をだす。



「グレッグ、大変よ。あなたの隠し子が来たわ。刺されるだけで済まないんじゃない?」

「なっ!!!」

「流石に大きすぎですよ。おれまだ21歳っすよ」

「驚いた。馬に乗り始めた頃には、女を乗せてたわけね。それが乗馬の秘訣?」

「子供の前っす。おっさんみたいな下ネタは、厳禁っすよ」

「わ、私が一番年長者なんですよ!!もっと、敬意を持ってくださいよぉ~」

「もちろん」「はいはい」



 言いながら二人は乱暴にデカい帽子の上からセシルの頭を撫でた。

 温かみを感じる二人の腕に、頭は激しく揺らされながらもセシルは楽しそうに笑っている。

傍からは家族に見えるその光景を前にして、周りの騎士たちの心は一つとなった。







 分厚く頑丈な門を門番に見届けられながら潜り抜けると、世界に色が溢れた。

 夕日に照らされたメインストリートは計算されたように石畳が敷き詰められ道幅は人数の多いナタリア達が広がって歩いてもまだ余裕がありそうだ。

 メインストリートの両脇にズラリと並ぶ建物は、スコピテラの木造のぼろい家とも薄汚い石材とも違う。

 レンガ造りで三角の屋根からは煙突が伸び、部屋の数だけあるであろう大きな窓には透明度の高いガラスが埋め込まれている。

 外装は赤褐色が多いが、中には白、黄色、薄い緑、と色鮮やかなものもあり、それぞれの建物の前には食品から武器、服まで様々な商品が並んで辺りには焼きたてのパンのおいしそうな匂いが漂っている

 遠くに見える背の高い塔のような建物には、鐘がついていてその周りの装飾も凝っているのがわかる。



(すごいな。ヨーロッパの田舎に行けば、こんな街もありそうだ。)



 街を歩く住民の服装と、大きな建物の屋根に当たり前のように小型のバリスタがついている事を見つけた事で、元の世界に戻ったような錯覚からは覚めた。それでもナタリアの興奮は収まらない。

 あの糞のような都市とは違う、本当に人間が生きていると実感できる街並み。ここならば生活している自分を想像することができた。

 感動に震えているナタリアの肩を叩いて、グレゴリーはウィンクをした。



「北領にようこそ。ナターシャ。」







 もうすっかり観光気分のナタリアを引き連れながら、一同は長いメインストリートを通り城の前の広場に出ていた。

 中心には立派な噴水があり、その真ん中にある右手に持った剣を天に掲げる騎乗した騎士の像が行きかう人々を見下ろしている。

 その噴水の周りには丁寧に包装された花がたくさん置かれていて、何人かが膝を折って祈りを捧げていた。セシルがその光景を見て叫んだ。


「ああ! そういえばもう追悼の月になってるじゃないですか! お花、買ってくれば良かった」

「追悼の月?」

「ドミトリー様が逝去された月ですよ。アナトセティでは一ヶ月間、喪に服すんです」

「ドミトリーってジーマの事?」

「もう! そうやって私の事からかうんですから、怒りますよ?

40年前の大戦の大英雄で先代アナトセティ領主のドミトリー・ダーシュコワ閣下の事ですよ。英雄譚、教えてあげたじゃないですか!」

(そうだっけか?言われれば初日にそんな話を聞いたような気もするな。よく覚えてないけど)

「とにかく、私お花買いに行きます。ヤンついてきて!」

「やだよ、めんどくさい」

「いいから! 今日こそ不真面目な態度を私が直してあげる!」


 どこにそんな力があるのか、セシルはヤンを引っ張ってきた道を戻っていく。数日ぶりにナタリアの隣は静かになり、肩の荷が下りたような心地に彼女は目を細めて二人の背中を見送った。



 城門の前では二人の騎士が、人形のように微動だにせず立っている。

 ここまで大きな街だ、その城も立派なものだろう。外からは円錐状の屋根がいくつも見えていた。ノイシュヴァンシュタイン城のような外見だろうか、いやシャンボール城かもしれない、期待を胸に狭い城門を潜り抜けると城はその姿を現した。



(なんか、ブサイクだな。)



 豆腐のような長方形に細長い塔を無理矢理いくつもくっつけたらこんな城になるだろう。

 大きいが横に平べったく背が低い。その隣には兵舎だろうか、シンプルな建物がいくつか連なっている。

 建物にロマンはないが、土地は広く、騎士の数がばかみたいに多い。

 兵舎の周りを洗濯物を抱えた従騎士と思われる少年が走り回っていて、どこかから金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。アナト川を渡り屋敷の方に向かうにはまだ距離がある。馬に揺られながらナタリアはだんだんと不安になってきた。



(この街、全部を公爵がまとめてるのか?考えていたよりずっと規模がデカいな。

騎士も数が多すぎる。城に駐留してるならほとんど常備軍みたいなものか。)



 ナタリアは騎士たちに不自然なところがある事はわかっていた。

 住民と接触することを避けているようだし、顔を隠すように誘導されていて、自分に対する対応も嫌に親切だ。

 それでもここまで大人しくついてきたのは、街中であればいざとなったときに逃げきる自信があったからだが、まさかここまで公爵が大貴族で大所帯の騎士団を持っているとは考えていなかった。逃げるとなったらこの街に詳しくない今、千人規模の騎士たちと鬼ごっこをするのは骨が折れそうだ。

 いよいよ大事になってきた。自分を取り囲む騎士たちを見て、深くため息をついた。



 アナト川を渡ると、シンメトリーの緑が豊かな庭があり、先には宮殿がそびえたっていた。

川のほとりには船が止まっていて、メイド服を着た女たちが何事か話しながら荷物を運び出している。

 暗くなり始めているにもかかわらず庭のあるテーブルでは、黒地に黄色のラインがいくつも入ったミツバチみたいなドレスを着た女が、目の前に座っているメイドとおしゃべりを楽しんでいる。



 玄関に立っていた者が近づいたナタリア達に対し恭しく扉を開けて中に招き入れ。足を踏み入れた一同に左右に分かれた総勢10人のメイドが同時に頭をさげた。


「おかえりなさいませ」


 ぴったりそろった声はそれだけで品のいい曲のように聞こえる。

 足元まで隠れる黒いロングのチュニックにフリルの縫い付けられた白いエプロン着て、それぞれが頭にカチューシャなど様々な髪留めをつけた姿。外にいたメイドに比べて全員にそれぞれ個性的があり、そして美人だ。

 かつてナタリアもメイドを雇っていたことがあるが、誰もが貧困な国から出稼ぎに来た少女たちで、彼女たちとは似ても似つかない。

 これではまるでそういったプレイだ。

 渋い顔をしているナタリアを他所に、集団から二人のメイドが笑顔のまま一歩前に出た。



「長旅、おつかれさまです。

オーラブ騎士団の皆様はこちらに、執事長のテオドール様がお待ちです」

「ナタリア様はこちらに、私が案内させていただきます」



 二手に分かれる前、グレゴリーが難しい表情でナタリアを見た。しかしその瞳に含まれたものを、ナタリアは読み取ることができなかった。



 豪華な廊下、一定の間隔で細部まで装飾のされたキャンドルホルダーあり大理石の上には踝まで埋まるほどフカフカな絨毯が敷いてある。ここに来るまでにあった扉は数えきれない。

先を歩くメイドを追いながら、ナタリアの嫌な予感は強まっていた。



(ナタリア様、ね。

俺はまだ名乗ってないんだがな、事前に報告はしてあるってことか。

てことは、ある程度、俺をどうするか決まってるってことかねぇ。)



 揺れるメイドの尻を眺めながら、ナタリアは頭の中で敷地内の見取り図を作り逃走経路を検討していた。

 キャンドルホルダーは盗めば高く売れるだろうか、と邪なことを考えていたナタリアに、先を歩いていたメイドが振り返り人好きのする笑顔で話しかけてきた。



「私、ナディアって言います」

(Nadiyya? あ、いや、Nadia、か)

「ナタリアって、いい名前ですね!」

「私は、あんまり好きじゃないな」

「そ、そうでしたか……、すみません。

あっ! フード、とったらいかがですか?」



 言われて思い出したようにナタリアは深くかぶっていたフードを脱いだ。フードの中に押し込められていた彼女の髪が柔らかく広がり、鼻元まで隠していた影が消えて黒い瞳が現れた。

 ナディアが息をのんだが、その反応にはとっくに慣れていた。



「……綺麗な、瞳、ですね」

「それも、あんまり好きじゃない」



 それ以降、二人は応接間までの間、一言もしゃべらずに歩き続けた。







「こちら、老舗の洋菓子店から取り寄せたアップルパイになります。」

「……ええ、ありがとう。」

「紅茶のおかわりは、いかがですか?」

「……いえ、充分よ。」



 この世の贅を尽くしたような部屋で、腰まで埋まるソファに座りながら、ナタリアはうんざりとした声を出した。

 自分とナディアの二人しか飲食していないのに、目の前のテーブルには、いくつものティーカップと洋菓子が所狭しと置いてあり、部屋にはメイドが溢れている。

 


 この部屋に着いた当初ナディアと話していると、キッチンワゴンを押したメイドが入ってきて慣れた手つきで紅茶を入れ始めた。

 そこまでは良かった。しかし、彼女はナタリアを見ると驚いた表情で一礼をして、そのまま退室してしまう。そして、少し時間をおいて今度は別のメイドが来た。

 彼女はテーブルの上にお茶請けを置くとまた退室していく。後はその繰り返しで、出された物は処理しきれずテーブルにたまっていき、やがて出ていく人間よりも入ってくる人間の方が多くなり、メイドたちも部屋に溜まっていった。

 彼女たちは顔を覗き込んだりはしなかったが、ナタリアがそちらに顔を向けるとざわめき、そしてわかりやすく喜んだ。

 冒険譚や英雄譚が好きなセシルから、黒髪黒目はノルニグル族の中の一部に現れる身体的特徴で非常に珍しい事、そしてノルニグル族は伝説的存在である事を聞いていたが、今までナタリアはいまいち実感が湧かなかった。

 だが、これを見れば嫌でも自覚してしまう。



(これは、ハリウッドスターってより珍獣扱いだな。

だけど黒い目って、要はダークブラウンの事だろう、ブラウンなんて人類の中で一番多い目の色だし、黒髪だってほとんどの民族が持ってる色だ。

……少なくとも俺の世界では)


 ここに着くまでの街の人々を思い出す。瞳の色をいちいち確認していないが、髪は覚えている。


(……そういえば、一度も見なかったな。黒髪)



 面倒なことになった。これなら街に出ても人気者なってしまう。視線を落としたナタリアの耳に廊下から金属のこすれ合う音が届いた。

 だんだん大きくなるその音に、部屋の中のメイドたちは盛大に慌てた。テーブルに所狭しと置いてあったティーカップを器用にキッチンワゴンに押し込む。だが、入りきらずテーブルの上はなかなか片付かない、諦めた彼女たちは壁にずらりと人形のように並ぶ。そんな様子を見て、対面に座っているナディアも顔色が悪い。

 一気に緊張した部屋に現れたのは、50代に見える女性。音の正体は腰についている鍵だった。彼女は部屋を鋭い視線で一睨みすると何かを言いかけてとまり、ナタリアをまっすぐ見つめた。今までの反応とは違い彼女は親しみの様な、或いは戸惑いの様な不思議な表情を一瞬浮かべた。



「お待たせしました。この後、夕食となりますが、その前にテオドールから話があるそうです。

案内しますので、ついてきてください」

「わかった」


 ナタリアを先に部屋から出して、続いて出ようとした彼女は動きを止めて振り返った。


「それから、貴方達には私から話があります。後で部屋に来るように」

「……はい」



 二人が出ていき音が聞こえなくなるのを確認すると、ナディアは顔を真っ赤にしてに周りを睨む。メイドたちはたまらず眼を逸らした。



「もう!私までイエヴァ様に怒られるじゃない!」

「だって、ターニャが珍しい客が来たって……」

「またあの子! いえ、あの子レディースメイドでしょ? なんで給仕なんてしてるの。

見て、まずいお茶をいれたからナタリアが一口も飲んでないじゃない!!」

「も、元々パーラーメイドだったから給仕も得意だって、勝手に持っていっちゃったのよ。そ、それに一口も飲んでないなら味は関係ないんじゃ……?」

「うるさい!! とにかく、言い訳考えときなさいよ!」



 言ったきりナディアは怒りながら部屋を出て行ってしまい、残されたメイドたちは気まずげに顔を見合わせた。

 ゆっくりと再起動した彼女たちはテーブルの上を片づけ始め、手を動かしながら一人のメイドが愚痴をこぼす。



「でも、メイド長のイエヴァ様がいらっしゃるなんて、普通思わないでしょ?」

「本当その通り。私なんて朝礼以外でイエヴァ様を見たの久々よ」

「ついてないわ。――あれ? フォークが二本足りない……」

「……探しましょ、見つけないと。クビにされたら親に殺されるわ。私」



 しかし、どれだけ部屋を探しても彼女たちがフォークを見つけることはなかった。









 お待たせしました。また、長くなり二つに分けることに。


 内容も都市の描写や新キャラ乱立ばかりでくどい所もありますが、今後の物語の主軸となる部分ですのでご了承願います。


 後編の完成度は半分ほどで早ければ日曜日、遅ければその次の日曜日になるとおもいます。

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