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北領のナターシャ  作者: Peace
北領のナターシャ
3/22

オーラブ騎士団




 王都の北領を治める現当主アレクセイ=ダーシュコワ公爵に忠誠を誓うオーラブ騎士団が、北領の北の端にある魔の森と恐れられるラブリュスの森にいるのは少々変わった事情があった。

 当初、騎士団の目的はラブリュスの森に住むといわれているノルニグル族の元まで使者を護送することであった。

 このノルニグル族は40年前の人魔大戦の折、伝説的活躍を遂げた北の先住民の総称だ。英雄ともてはやされていた彼らは、しかしある事件をきっかけに公爵家と乖離し、大半がこの北の果ての森に移住していた。

 独特の進化を遂げた魔物や魔獣、精霊が跋扈するこの森はエルフですら住めないと言われる過酷な環境であったが、彼らの生存はわずかに行われる交易と森から上る煙が証明していた。

 そんな彼らの村を訪ねるには、彼ら自身による案内が必要不可欠で、それはオーラブ騎士団も例外ではない。

 一年を通してほんの数回しかこちらに出てこない彼らとなんとか接触し、村まで案内するように交渉し終わったころには半年が経っていた。



 案内役との合流地点に選ばれた最北の要塞都市に、約束の日の前日に着いた騎士団一行であったが、それから一週間たっても彼らの前に案内人が現れることはなかった。

 彼らもここで引き下がるわけにはいかなかったが、この辺境の地を治める伯爵に「案内人がいないのであれば森に入ることを許可でない」と、強く主張されてしまい、公爵家からの指示も彼らの望むものではなかった。

 兵站や所持金の限界に近づき、焦りながらも森に入る名分を日々目を光らせて探っていた彼らは、その夜、空を覆う一瞬の光と森の奥から上がる火の手を見た。



 その後、公爵からの許可を求めるために馬より早いアックスビークで伝令を出して一日、返信と増援到着に二日、この地を治めている伯爵とのいざこざと準備に一日と半分とられ、結局彼らが出発したのは、先の現象から五日目の日が頂点を過ぎたあたり。集められた人数は副団長、副団長補佐、大隊長二人、小隊長十人、団員93人の総勢107人であった。

 地図のない魔の森の中を、火事の現場を目指して行軍を行うなど自殺と同義であり、団長の不在も大きかった。だが、あの火事の原因は気になっていたし、なによりも今回の任務のもう一つの目的は彼らの命より重く、次の機会を待つ時間もなかった。

 決死の覚悟で行われた行軍は速度を重視され鎧や盾は持たず、修道士を連れず、休憩も取らずに食事も最小限に、排泄行為ですら馬上で行われていた。

 数々の遭遇戦をこなし戦えなくなったものをわずかな護衛をつけて帰して、また、囮になるために隊から離れ徐々に数を減らし、辺りがすっかり暗くなった頃には、人数はわずか29人になっていた。









 いくつもの困難を突破し川を超えた辺りで少女のこちらを呼ぶ声が聞こえた時、福団長補佐のアンドレイは、心の中であらん限りの罵倒を吐いた。

 自分たちの副団長ドミトリー――ジーマはその役職に見合う強大な力と聡明さを持っていたが、いまだ歳が若く正義感が強い彼はこういった事に潔癖であった。

 そこが魅力でもあったが、現状を考えると厄介ごとに首を突っ込みたくない。しかしジーマは、今もわずかに考え込むような動作を見せた後、矢のように声の方向に飛んで行ってしまった。

 この魔の森の奥で少女の声などいかにも怪しいが、こうなってしまってはもう何を言っても無駄なことは、ジーマの補佐についてこの一年で嫌というほど分かっていた彼は、後続に指示を出して馬を急がせた。



 そこにいたゴブリンは、彼らが知るそれではなく、統率がとれていて、少数ではあるがこちらの騎兵突撃に対して迎撃しようとしたものまでいた。改めてこの森の異常性を理解させられたが、それでも目の前に現れた年若い娘は極めつけであった。

 一本にまとめられた森の暗闇のような黒い髪は月の光りを反射して輝き、こちらを見渡す頭の動きとともに腰のあたりで楽しそうに踊っている。肌は陶磁器のように透明感がある白で、鼻筋はやや低い、うすい桜色の唇は緊張に細められ、珍しい黒目は妖しい色を含んでいた。重ね着していたチュニックの胸元を赤く染め、足には襤褸が巻かれている。

 こんなところで一人でいることも、その珍しい容姿も恰好も、なにもかもが不自然で不気味な存在だった。

 こちらの高圧的な指示にも従順に対応した態度はどこか慣れを感じさせ、動作一つ一つには見た目に似合わない老練さがあり、そのアンバランスさも団員全員を警戒させた。



 しかし現在、相乗りしている若い騎士の腰に、落ちない様に必死にしがみついている姿は、体格と合わさり幼く見えて気が抜ける。護衛の名目で監視につけた四人の騎士たちも複雑な表情をしていることだろう。

 どうにもやりにくい相手であった。



「ジーマ、彼女は人間だと思いますか?」

「わからない。ボディチェックをした者は亜人の特徴は見られなかったと言っていたが、さぁどうだろうな」

「精霊じゃないですか?」

「昔、ニンフを遠目で見たが、あれらは体は小さくても不思議な圧迫感がある。彼女――ナタリアからは感じないし、ゴブリンは精霊を襲わない」

「アンデットはどうです?」

「満月の夜だ、奴らだとしたらすぐわかるよ。……最悪の状況が続いたんだ、悲観する気持ちもわかるけど前向きに考えるべきだろう」

「つまり彼女が目的のノルニグル族だと……」

「……ああ」



 ジーマ本人も信じられないのだろう、力のないその言葉は辺りにむなしく響いた。童話や英雄譚でしかノルニグル族を知らない世代の彼らが、自分の中にある大きく屈強なノルニグル族のイメージと小さく華奢な彼女を結びつけるのは困難であった。

 気まずい沈黙が二人を包む、そんな彼らの雰囲気を察した一騎が隊の中から彼らに近づき明るく声をかけた。



「案外その通りかもしれんぞ」

「ヴィクトール、何か分かったのか?」

「ああ、ゴブリン共の別働隊をぶっ飛ばした帰りに見つけたんだ」

「なにを?」

「奴らの死体さ。首を落とされたのが二匹、首筋と足の筋を切られたのが二匹。あのお嬢ちゃん、かわいい顔してえげつねぇことしやがる」

「その4体は固まった位置に?」

「オウとも、一息に殺されたんだろうよ。死体はみんな目を見開いて呆然としとったよ」

「そういえば、彼女の持っていた折れた短刀も、魔力がこもっているみたいですね。一体、どんなことに使ったらあの業物が折れるのか。考えただけで恐ろしいものです」

「……どちらも異常だな」

「案外うちのカミさんといい勝負をするかもしれんぞ?」



 「それじゃあ誰も勝てませんね」とアンドレイが呟き3人は小さく笑った。

 ナタリアに対する疑問はいくらでもあったし、状況はいまだ切迫していた。それでもこの騎士団にナタリアを見捨てるという選択肢はなかった。それは決して正義感によるものだけでなく、彼女の持つ黒髪黒目と彼らが無理をしてまでノルニグル族に接触を持とうとしたことに深く関係していた。

 「とりあえずは本人から聞くしかない」と最後にジーマが締めくくり、そこからは川を目指して、一名を除いて穏やかな行軍が続いた。










 ナタリアの腰がそろそろ限界を迎えようとした頃、一気に視界が開けまず滝が目に入った。月の光によって照らし出されたそれは、彼女の五感に躍動感をもって存在を訴えかけてくる。その滝は不思議な迫力があり、生命力に満ちていた。

 わずかな間見とれていたナタリアは荒々しいエスコートで馬から降ろされたが、それも気にならないほどその滝に心惹かれた。それは、今までいた鬱蒼とした森の中からの解放感からであり、いくらか心に余裕を取り戻すことができていた。



 川についた騎士団一行だったが、休む暇もなくジーマの指示のもと半数は斥候に出て、残りの半数には小休止という名のナタリアの監視をしていた。

 彼女は、浮遊感と慣れない腰の痛みに悶えながらも、周りの騎士の練度に内心舌を巻いていた。どの騎士も体格が良く指示一つに俊敏に動き、慣れた様子で三人のグループに分かれ周りを警戒する姿は堂に入っている。……彼らのうち三人に一人は常に自分のことを警戒しているようであった。それでも、その目に色欲が含まれていないことは救いであった。

 今は治療を買って出たグレゴリーと名乗った青年による足の手当てが終わり、彼の干し肉を分けてもらい一緒にそれを齧りながら会話をしているところであった。

 なかなかにおちゃめな性格なこの青年は、どこか緊迫した雰囲気をもって自分を警戒している周りに比べて、友好的に話しかけてきた。いかにもな若者で、もし指輪物語に出てくる俳優のような恰好をしていなかったら、携帯を貸してくれないか、とナタリアも聞いていたことだろう。

 さらに彼の、食いつきが悪いとわかると話題を変え、身振り手振りをつけ楽しそうに抑揚つけながら話すさまは、どこかこなれている。こちらの警戒をするするとすり抜けて懐に入ってくる様子は、もはや芸術的ですらあった。

 彼との会話に楽しみを見出し始めたころ、副団長のドミトリー……ジーマと名乗った彼がひとりでこちらに近づいてきていることに気付いた。



「それじゃあ、いくつか聞きたいんだけど、いいかな?」

「答えられることなら」

「なぜあの場所に?」

「迷子」

「君はノルニグル族?」

「……私たちのことをそう呼んでいるの?」



 むう、とジーマは唸った。本当に迷子であるなら村の位置も聞けない。30年も前に森の中に消えたノルニグル族とジーマは直接あったことは限りなく少ない。彼らが自分たちからノルニグル族と名乗ったことがあったかわからなかった。

 彼女の強さやあの武器、なにをしていて迷子になったか、あの火事のことなど疑問は増えるばかりであるし、全てを聞く時間はない。彼女が一人で森にいることはノルニグル族にとって普通なのかもわからない。

 そもそも彼女の証言の正誤を判断するには、ジーマはノルニグル族に対する知識があまりにも少ない事を、尋問する今の段階になってから気がついた。

 彼女が何者であるかは、ノルニグル族の村についてから考えればいいと結論付けると、問題となるのは「自分たちに害があるか」であるのだが、おそらく人間であるし、武器はあっさりと渡してきた。今までの態度も協力的であったことを考えると、そちらもそこまで神経質にならなくても良いのかもしれない。



「僕たちはこの後、この森の中にあるノルニグル族の村に向かうことになると思う。ナタリアにも同行してもらう事になるけど構わない?」

「……それがあなたたちの目的?」

「…………ああ」

「それなら、かまわない」

「それはよかった。……ああ、最後にエルフか確認したいんだけどいいかい?」

「……どうぞ」

「グレゴリー、頼む」

「失礼しますよっと」



 そう言ってグレゴリーは顔をナタリアの首筋に顔を近づけるとおもいっきり匂いを嗅いだ。そのあまりの行動にぎょっとしてグレゴリーを見つめると、そんなナタリアの動きがおもしろかったのか、ジーマが小さく噴き出した。眉を顰めて視線で抗議する姿は今のナタリアの精一杯のガンつけであったが、ジーマには若い娘の拗ねた姿にしか見えず、笑いながら弁明をはじめた。



「あっはっは。いや、すまない。ここがエルフも住まない森と呼ばれているのを失念していたよ。

 この森に住んでいるならエルフのことも知らないのも当然か。エルフと呼ばれる種族は人間と見た目に違いはなくて、人間をよく思っていない奴が多くてね。唯一の違いが匂いなんだ。他に彼らの方が長寿で美男美女が多いんだけど、……君も綺麗だから、つい疑ってしまったんだ」

「……そんなに面白かった?」

「くっくっく。本当にすまない。大人びている君があんまりにも子供っぽい反応をしたものだからついね。許してほしい。……それでグレゴリー、一応聞くけどどうだった?」

「すんごい良い匂いっす」

「……」



 そこでまたナタリアが変な顔をするものだから、ジーマはたまらず笑ってしまった。彼女の年相応の態度を見てジーマの中に一つ仮説が浮かんだ。

 見たところ20歳にもとどいていないだろう彼女は箱入りで森の外のことを知らず聞いたこともないのじゃないだろうか。

 彼女の着ている血にまみれたチュニックも、よく見れば型は古いが生地は上等なものであったし、村の中でも有力者の娘でかわいがられて育ったのかもしれない。乗馬が下手くそなのもノルニグル族には乗馬が苦手だという有名な逸話があった。

 幼いころから戦い方を叩きこむというのは有名な話であるし、彼女がノルニグル族ならゴブリン4体など朝飯前だろう。

 自分たちがノルニグル族を知らない様に、彼女もまた自分たちを知らずに警戒しているのかもしれない。

 謎は多いが、その仮説はとりあえず納得することができるものだった。



 初めて会ったときは彼女の雰囲気にあてられ、まるで未知の化け物と遭遇したような錯覚に陥ったが、話してみたらなんてことはない世間知らずのちょっと強い小娘である。ナタリアの人間らしいところを見たジーマには、もう彼女を敵と見ることはできなかった。



 ナタリアに関わること全てがめちゃくちゃで、そこに様々な要因が加わり不思議な調和を持って彼の勘違いを助けることとなった。



 ちょうどそのころ斥候に出ていた団員が戻ってきたので、ジーマはナタリアを後ろに控える二人に任せて、グレゴリーを引き連れ簡単な会議を始め。「おそらくナタリアはノルニグル族の人間だと思う、それも森の外を知らない箱入りの」と斥候から帰ってきたアンドレイとヴィクトールに告げた。

 あっさりと受け入れたヴィクトールに対してアンドレイは難しい顔をしていたが、グレゴリーが「治療中のナタリアとの会話の中で森の外の世界の話に食いつきがよかったっす」とジーマの主張を援護したことで、味方がいないことを悟った彼も、しぶしぶ納得したようだった。



「それじゃあ、これからはナタリアはノルニグル族と仮定して話を進めよう。ああ、もちろんまだ彼女の監視……護衛は外さないし、グレゴリーには引き続き彼女のことを探ってもらう。馬も君のに乗せるんだ、いいね?」

「どっちも得意分野っす」

「さて、問題はここからだ。我々の当初の目的はノルニグル族に対して最近増加の傾向にある魔物に対しての共同戦線の提案だったが、案内人の不在と森の火災を契機にノルニグル族とそれらの関連性の調査にかわった。

だがそれとは別にノルニグル族に少数いると言われている黒髪黒目の人間の確保という任務を執事長から承っている」

「なんすかそれ。おれ聞いてないっすよ。………なんで二人はそんなやっぱりか、みたいな顔してるんすか?」

「今のアレクセイ公爵の状態を考えると、執事長の考えもわかっちまうよ。あのお嬢ちゃんを見たとき、その妄想は一番最初に頭をよぎったさ。たぶん、他の奴もそうだろうよ。だが妄想は妄想、嘘っぱちだ」

「……執事長は真実はどうでもいい、と考えておられるようだ。」

「なっ、なん、くそったれ! あのもやし野郎! それじゃあただの人攫いじゃあねぇか!! 誇りを忘れりゃ俺たちは魔物と同じだ!!!」

「ヴィクトール! 軽率な発言は控えてください。彼のアレクセイ公爵への忠誠心は本物です。……そんな非道な手段をとらなくてはいけないほど我々は追い詰められているということでしょう」



熱を増していく二人に、急いでジーマは割って入った。



「2人とも早合点しないでくれ、もちろん最初は村の責任者と話して血筋を調べるつもりだ。……ただあの方の血族が見つからず、黒髪黒目の人間が他に居たなら、協力を頼めないか、とのお言葉だった。

僕の言葉も紛らわしかった、謝るよ。しかしそういう意味の真実はどうでもいい、だ。ナタリアは村に執着していないように見えたから、彼女を勧誘できればとりあえず目的は達成できる」

「……ここで引き返そうってのか?」

「それも手だと思っている。進むか戻るか、君たちの意見を聞きたい」



 この場において最高責任者の副団長としては情けない言葉であったが、彼の正義感と騎士としてのプライドは進めと彼を急かし、ここまでの仲間の損失が決断を鈍らせ、誰かの言葉を必要としていた。未だ25歳と若く成長途中のジーマの限界でもあった。

 進むことにも戻ることにも大きなメリットとデメリットがある。

 進んで村を見つけたなら、本来の任務を達成できるし帰り道の護衛を願えるかもしれない、矢の補充や装備の点検を安全に行えるし、休憩もとれるだろう。

 しかし、今戻るのならばナタリアの説得は絶対条件であるが、最低限の目的は達成できる。

 近づいているはずだが、村の位置は正確にはわからず、彼らが自分たちを受け入れてくれる保証もなかった。あの時見た炎には尋常ではない魔力が含まれて、それがなにより二の足を踏ませた。



 四人ともしばしの間、言葉はなく顔を見合わせていたが最年長のヴィクトールがまず「進もう」と言った。それにジーマが同調し、一つため息をついてアンドレイが頷いた。三人の視線が突き刺さり、グレゴリーがこくこくと頷いた。

 グレゴリーがナタリアの元に向かったのを見届けながら、アンドレイは「そういえば、なぜグレゴリーに彼女の面倒を任せたんです?」と思い出しように二人に聞いた。



「……グレゴリーとユーリで迷っていたんだが、彼の方が相性は良さそうだ」



 ジーマはどこか気まずそうに答えた。

 ユーリと言えばナタリアのボディーチェックをしてこの川まで彼女を馬に乗せた人物であるが、質問の答えにはなっていない。アンドレイはますます首をかしげたが、ヴィクトールが笑いながら説明した。



「グレゴリーは稀代の女ったらし、あいつに任せりゃ女の心証は悪くならねぇ。ユーリなら絆される心配がねぇ。……あいつはゲイだからな」










 彼ら4人が会議をしている間、ナタリアもまた先ほどの会話からわかったことを自分の中でまとめていた。髭面の男…ヴィクトールは会議の最中、感情的になったらしく、こちらにも物騒な話の内容が聞こえてきていて、それも参考になった。

 この森は少し特殊。そんな森の中に住むノルニグル族と接触するのが彼らの目的で、自分はその一族の娘だと思われているらしい。

 グレゴリーといくつか言葉を交わしたが、自分の性別に違和感を覚えなかったようだった。彼らは自分が人間か確かめていたが、性別を確かめはしなかった。エルフかどうかは疑うが、性別は疑わない。やはり性別が変わるなんてことは、ここ住人からしても考えもつかないことなのだろうか。



 迷子とジーマに告げた時、彼は考え込んでしまった。適当に答えたそれは深く聞かれていたら困ったことになっていたが、そんな言葉すら彼らには正しいか判断に困るらしい。これを利用しない手はないだろう。

「何らかの事情で村を飛び出した家出娘で、迷子になって頭が冷え村に帰る途中の身分の高いアホ女」という設定でいこう。

 彼らには無知や好奇心を装って森の外とやらの情報をひきだし、その村まで護衛してもらえばいい。村につけばノルニグル族じゃないことはばれてしまうが、問題はないだろう。無知は本当だし、護衛が必要なのも本当だ。そして自分からノルニグル族とは名乗ってないし名乗らないようにする。嘘はついていない、すべては彼らが勝手に勘違いしただけであると主張しよう。

 村に着くまでに引き出した情報で新しい自分の設定を考えて、村の規模や彼らの反応をみて身の振り方を考えればいいだろう。



 彼らの警護は賊の主張するような警護ではなく、軍隊的な警護であった。自分を乗せた馬は隊列の中心を走っていたし、警戒されているが言葉使いは丁寧であって、下種な態度をとる人間はいなかった。

 自分の足の惨事を見た中年の騎士なんかは、防寒用の品の良さそうな毛皮をこちらが止める間もなく二つに裂いて足に巻いてくれた。彼の存在はたしかにファンタジーであった。

 緊張が緩むことは許されないが、それでもこの世界に来て初めて人の親切心に触れて心安らぐ時間であった。彼らの存在は頼もしく安心もできた。

 彼らに本当のことを話すつもりはなかった。今までの会話から彼らはどこか自分が人間であるかどうかに拘っているように感じたし、「違う世界から来た」という言葉が彼らにとってどんな意味があるのか未知数である。



 違う世界から来た。すっと脳裏に浮かんだ文句だったが、しっくりきた。

 ここは元いた場所と違う世界で、自分は体も性別も違い、若返っている。周りの扱いから考えるに、おそらく女の子だろう。どれだけ質の悪い薬でトリップしても、こんな妄想に囚われたことはない。

 最悪だった。一通り考えがまとまっただけに、余計なことがいくつも頭をよぎる。現状に集中しようと、ふり払うように周りを伺うと川が目に入った。今なら覗きこめば、自分の顔を確認する事ができる。



  しかし、ナタリアの足は根を張ったように動くことはなく、出発の時間でグレゴリーに呼ばれるまでただ傍を流れる川を、遠くから眺めていた……。




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