正義と正義
久しぶりに出てくる用語
ウィル・リューリク君……リューリク家現当主、前当主が暗殺されたため若くして就任。若さに付け込まれいろいろとしゃぶりつくされている。中学校にあがったかどうかくらいの歳のめちゃかわいい男の子。
リューリク家……北領二十一侯爵家のひとつ。北領の聖書「ドミトリー叙事詩」にも出てくる名家。北領の衛兵を一手に引き受ける。かつてはその名を聞くだけで悪党は震えあがったと言われるほどに力のある貴族だった(過去形)。
北領二十一侯爵……北領内にめちゃいる侯爵家の中から選ばれた名家。人魔大戦時に大英雄ドミトリーと共に戦った英雄を輩出した家だけで構成されていたが不満が噴出したため、戦後にちょくちょくと増えたり減ったりを繰り返し今は二十一で落ち着いている。
壁の外を見ればどこまでも草原が広がっていた。少し先が丘となって空と重なり、その境界線上を歩く人がぼんやりと見えた。東北東を見れば整備された大きな道があり、行商人と思われる馬を引いた一団が騎士に護衛されながら北へと進んでいる。
唐突に風が吹き、草原が波のように揺れ、日の光を反射しキラキラと煌めいた。ナタリアは揺れる髪を片手で抑え、胸をかき乱すような風景を瞳を細めて眺めた。
ナタリア達は街を囲う壁の上に来ていた。北領を囲う壁は北領の壮大さを表す様に雄々しい。平均して高さ10メートル程ある。彼女たちがいるのはその中でも突出し高く作られた位置、そのさらに一段と高い物見に守衛を金でどかし入り込んでいた。
グレゴリーがいない。それだけでなんとなく張り合いがなくなっていたナタリアは、つまらなそうに口を開いた。
「あるところに偉業をなした船があった。そうだな、仮にイケメンダンディ号と名付けようか。イケメンダンディ号は偉業をなした船であるから、もちろん人々はイケメンダンディ号を後世まで保存しようと努めた。木造であるから腐った部分から新しい木材に置き換えられていき、最終的に元の木材は一切無くなった」
「何の話だよ……」
「その時、イケメンダンディ号はイケメンダンディ号と言えるだろうか? 仮に元の木材で新しく船を作ったらどちらがイケメンダンディ号だと思う?」
「頭おかしぃーんじゃねぇか!! さっさと紐をほどけ!!」
「答えろ」
「――っ!! 知らねぇーよ! 部品が変わろうと船として動けば船だし。新しい船と古い船どっちがイケメンダンディ号かはそいつ次第だ」
「うーん、80点」
「嘘だろ。うそだろぉぉぉおおおおおお!! 高いじゃないかああぁああぉおおおおあああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
地上20メートル、ナタリアの奇麗なフォームのローリングソバットが決まった。彼女の傍にいた一同は、雲一つない青空を背景に空中で一瞬止まった彼女の美しさに息をのみ、本当に蹴ったことにビビった。
ナタリアの横にとぐろ状態で置かれた紐が蹴り落された男の足に引っ張られ、シュルシュルと音をたてて落ちていく。悲鳴がだんだん遠のいていった。柱に結ばれた紐の端がピンと伸びた。男の悲鳴はまだ聞こえる。
下を覗き込んでいたナタリアが、地面スレスレに男がぶら下がっていることを確認すると振り返りいい笑顔でサムズアップした。おそらくこの世界で初のバンジージャンプは大成功だった。
思わずといった様子でユーリがすごい理不尽なものを見た気がする、と呟いた。いつもは良い反応をしてくれるグレゴリーがいないためテンション高めのナタリアは自然とユーリに近づいて行った。
「この紐の強度すごいだろ!! あの男の体重は……87キロくらいか? こんな細いのに切れなかった!」
「えぇ……。……どっからもってきたんだ、その紐」
「空挺騎士団のアダムスからもらった」
「空挺騎士団!!? あのワイバーン乗りに知り合いがいるのか!? オーラブ騎士団とは犬猿の仲だぞ、どうやって知り合った?」
興味津々に下を覗き込んでいたアンナがはんなりと振り返ってナタリアに先んじて答えた。
「ナターシャ様は荒事が絡まなければコミュニケーションおばけですからね~男女問わず被害者は多いです~。毎日えぐい量の手紙と貢物が届きますよ~」
「人徳、ってやつかにゃ?」
「顔と体、それから詐欺まがいの話術のせいじゃないですか~?」「にゃ、とか。ないわ」
「うるせぇ」
穏やかな笑いが辺りを包んだ。壁の下、地面すれすれの位置からは情けない「助けてくれー」の声が響いていた。
エドモンドをしばいて一週間が経っていた。そして、ハリセンボンと化したエドモンドの死体が貧困街の入り口に吊るされ三日が経っていた。
この一週間、ナタリア達はアウトローをしばいて、しばいて、しばきたおしていた。後に屑どもに恐怖の一週間と呼ばれ恐れられるナタリア伝説の始まりだった。ちんけな屑は、誰もがナタリアの名を聞くと内股になり震えあがる。グレゴリーは頭を抱え続けた。
やりすぎだとは感じていた。情報はループし目新しいものはなくなったが、幹部と呼べる上の人間に通じる情報は出ない。この方法では限界だったが、売名を目的とみれば十分な成果だ。
ナタリアに指示されぶつぶつ文句を垂れながらユーリは紐を引っ張り男を引き寄せた。男は全身を硬くし息も荒く顔中に脂汗を浮かべたまま一言も喋らずユーリの足にしがみつこうとして、彼の足で頭を抑えられ拒否されていた。
男は股間のあたりから頭の先まで濡れていた。逆さまでぶら下がった状態で漏らせばそうもなる。彼が極度の高所恐怖症であることは事前に調べていたことだった。
ナタリアは少し視線を外に投げた。北門から北領に入ろうとしている一団の中に家族連れを見つけた。まだ5、6歳くらいの子供が走り出そうとしているのを若い母親が手を引いて抑え、隣にいる父親が能天気に笑っているのを咎めている。
男を見た。30過ぎのいい体格の男が、体中を小便まみれに本気で泣いて震えている。
「ビアンキの幹部はどこにいる?」
「ウップ。頼む、下におろしてくれ。知ってることはすべて話した!!」
「ビアンキの幹部は、どこにいる?」
「知らない!! なぜ俺なんだ知るわけないだろう!?」
「同じ西領系の屑だろ? あんたら西領系はファミリー同士のつながりが厚いらしいじゃないか。エドモンドも西領じゃ、あんたの組織にいたと聞いたぞ」
「……エドモンドだと? 奴はとっくに絶縁されてる。うちは関係ない! ……うちらの世界でもまともにやっていけない糞どもの最後に行き着く先がビアンキだ。ひでぇところだ誰もかかわりたがらねぇ」
「薬、女、親殺し、何でもありの屑の中の屑。んなこたぁとっくに知ってるんだ」
「それがすべてだ!! 俺が知るか!」
「オーライ、ならもう用はねぇ」
「なら下に連れてけ!!」
ナタリアは軽薄に笑うと彼が落ちないように柱に結ばれていた紐をほどいた。希望に満ちた顏を見せる素直な男に思わずユーリたちは目を背けた。このまま解放されるわけがない。
足の紐も取ろうとする男をしり目にナタリアは紐を端に置かれていた石材や大砲の玉に結び始めた。男の瞳が不安に震えた。
結ばれた石材を落ちるギリギリまで彼女は動かした。男は必死になって紐をほどこうとするが、優しいナタリアは落とした時に誤って紐がほどけないように特殊な縛りでガチガチに固めている。切らなければどうしようもない。
悪魔の様な笑顔でナタリアは彼を見た。
「かわいいお嬢さん、お願いだから……」
「かわいいなんて照れちゃうな。私はナタリアって言うんだ。特別にナターシャって呼ばせてあげる。……私の事覚えてくれた?」
「あぁ、ナターシャ。キミはとっても奇麗だよ、忘れられない。もう十分、十分堪能したよ……。だから……」
「あんたのボスによろしくね(はーと)」
「やめろ。やめろやめろやめぇええええええああああああああああああああああ!!!!」
躊躇なく彼女は紐が結ばれた石材や大砲の玉を蹴り落した。再び紐が激しい音をたてながら落ちていく。必死に床にしがみついた男だったが紐がピンと張った瞬間、ずるずると引っ張られ床を滑る。
足首が壁の外に出て、涙が出て、脛が出て、糞が出て、膝が出て男の体はピタリと止まった。
「よーし、計算通り。血は出てない、ケガもしてない。グレゴリーも安心だな!」
「別の体液が出ているのですが……」
「あげてくれぇえええ!!」
「しっかりしがみついとけ。後一時間もすれば守衛も戻ってくる」
「くそがぁああ!!殺してやるぞぉおお!! お前を殺してやる!!!」
「糞まみれのくせに生意気だなお前」
ナタリアが煽りながら床の溝を掴んでいる男の指を一本ずつ引きはがしている時だった。彼女たちのいる物見までの一本道を数人の足音が近づき、荒々しく扉を開けた。
「貴様ら!! 動くな!!!」
「あー?」
抜刀した男たちが六人突入してきた。軽装ではあるが鎧を身に着け、右上腕には赤い布が巻かれている。北領において赤は正義を示す、衛兵の登場であった。
屑と衛兵の一部が裏で手を組んでいるのはわかっている事だった。おそらく彼らの小遣い稼ぎの男が糞まみれなのを察知して急いでやってきたのだろう。そんなことは何回かあった。
しゃがみ込み男の指を掴んでいるナタリアを四人が囲った。アンナがエルゼを壁際まで引っ掴みそれに追随してユーリもしれっと壁際まで退避した。その三人を二人の衛兵が警戒していた。
「なんで私一人に4人であっちに2人なんだ? 私をよく見ろ、おかしくないか?」
「黒い瞳の妖しい童女、貴様がナタリアだろう! 指一本でも動かしてみろ、えらいことになるぞ」
「へぇ、私を知っているのか。ならリューリク家からの正式な許可はもらっていることも知っているか? 書類もあるぞ」
「その書類には過去に罪を犯したものであれば、金玉をナッツのように砕いても、敬虔な地母神信者のケツ穴に木彫りの地母神偶像を突っ込んでも、糞漏れテルテル坊主を作ってもいいと書いているのか? ……もう一度言うぞ、黙れ」
「なんだおまえ私のファンか? ひとつ勘違いだ。金玉はまだ砕いてない」
一発、衛兵のビンタがナタリアの頬をうった。アンナとユーリが首を横に振る。
頬をなぞり「えらいことになった」とまだ軽口をたたくナタリアに、ついに衛兵は斬りかかる。急所をはずした一撃だった。少し痛めつける。そんな魂胆が透けて見える攻撃で、そんな甘えはもちろん彼女に通じない。
ナタリアは皮一枚で避けるとそのまま振るわれ伸びきった衛兵の腕を絡め、足をとって転ばせ。別の衛兵に背を預けるようにして立ち上がり他の衛兵二人の攻撃を止めて見せた。
後ろから捕まえにかかった衛兵の右足親指を小細工の施されたブーツで破壊し、正面二人の内、片方に奇麗な前蹴りが決まった。最後の一人がやけくそに切りつければ、その手は取られ教科書に乗せたいほど奇麗に投げ飛ばされる。5秒かからず全てが終わった。
残り二人の衛兵を見れば、床に倒れており。エルゼが剣を握り犬のように唸りそれをアンナが羽交い絞めし、ユーリが倒れた男達のケツを見つめていた。いつも通りだ。
落ちかけている男の目から生気が消える。
さて、とナタリアは一人の衛兵の前に来るとビンタをやり返した。三回した。三倍返しだ。彼女はひどく根に持つ。
「私のファンにしてはお粗末だな。そんな腑抜けでどうにかなると思ったか。あんたら何区所属だ?」
「……」
「だんまり、か。……ひどいこと、しちゃうぞ?」
北領の警備を担う衛兵隊は地域ごとに衛兵詰所があり担当地域がある。現代的に言ってしまえば、県警のようなものであり、各衛兵詰所には所長がいて、各所長をまとめるのがリューリク家であるのだ。名目上は。
理由は様々だが、リューリク家の力が弱まり各衛兵詰所がほぼ軍閥化し、悪党と繋がり小遣い稼ぎに精をだす、というどこかで聞いたことがあるような状態が今の北領だ。今回のようにリューリク家の名前を出しても立ち向かってくることはこの一週間よくあった。
だからこそナタリアは、悪党をしばき所長とのつながりの証拠をつかみ、それで所長を脅し、担当地域内で好き勝手してもいいよう一筆書かせていた。その数もだいぶ溜まってきている。
ナタリアはその成果を胸元から取り出し、その紙束の中から2枚ほど男に見せつけた。
「この男を追ってきたってことは、2区か5区の所属だろう? ほらこれが所長の許可証だ。納得したか? まぁ折角会えたんだ、握手してやるからお帰り」
「……北領では屑には正しく罰が下る」
「まったくどいつもこいつも……。会話をしろ、会話を」
ゆっくりと開けっ放しの扉がノックされた。うんざりと振り返ったナタリアを前に、へにゃっとした笑顔を浮かべた男が向かってくる。
「お邪魔しますよっと、おやおやおや? なんだか穏やかじゃありませんね」
部屋に新しく二人の男が入ってきた。一人は長身でひょろっとした痩せぎすの男でくしゃくしゃの帽子をかぶり、だらしなく服を着こなしている。
もう一人は、背が低いでか鼻の男だ。二人とも身に着けているものも立ち振る舞いも悪くない。貴族だと推測できた。
ナタリアが慎重にならざるを得なかったのは彼らの襟元に赤い線が二本入っていたことだった。衛兵にも階級があり下っ端が右上腕に赤い一本を入れるのに対して、襟元にいれているのは幹部クラスである。中規模以上の衛兵詰所の年老いた所長がつけているのが赤い二本線であった。そんな存在が二人、フラりと壁上に現れ自分の名前を呼ぶ。あまり気持ちいいことではなかった。
「……どちら様かな?」
「私の名前はジョン、こっちは相棒のサム。ちょっと変わった衛兵です。いやー、探しましたよナタリア様。お怪我はありませんか?」
「ほっぺたが痛いわ」
「ご婦人を囲んで暴力を振るうなど同じ衛兵としてお恥ずかしい限り。とりあえず、そちらの落ちかけている男性を助けてもよろしいでしょうか。限界も近いようです」
「……よろしくてよ。ユーリ、上げてやりなさい」
「助かります。サム君、君も手伝ってあげなさい」
めんどくさそうに動きの鈍いユーリに代わってサムが、小柄な体から想像できないようなパワーで落ちかけの男を引き上げ紐を切り取った。
その様子をしり目に、ナタリアはジョンを流し見た。目的を聞く前に少し彼らに探りを入れるつもりだった。
甘えるような瞳、柔らかく口角の上がった唇、とろけるような艶のある声。対男用の演技である。男であった彼女の演じる女はいかにもな女。つまりぶりっ子だった。売女のようだとメイド達にはすこぶる評価が悪かったが、男達の口は嘘のように軽くなる。
「ちょっと変わった衛兵のお兄さん、若いのに襟元に二本線なんてすごいわね。何している人なの?」
「いえ、何ってことはないんですけどね。家柄でしょうか、出世ばかり早くて実力が追い付かないただの若造ですよ。僕なんかよりよっぽどお嬢さんの方が特別だ」
「謙虚なのね。それなら私たちが特別ってことかしら? ……どうかな、特別同士この後昼食でも?」
「いやー、ははっ。大変魅力的な提案なのですが、非常に残念なことに仕事が立て込んでまして。今回もナタリア様にリューリク家からの手紙を預かってきただけですから」
「残念、フラれちゃった。……伝言はウィル様から? 遅かったわね」
「……はい、ウィル・リューリク様から」
差し出された手紙。裏側には几帳面に蝋で封じられリューリク家の判が押されていた。この世界の人間の判子に対する執着はナタリアの想像を絶するものがある。貴族には金庫番と同格で判子番の役職まであるほどで。誤ってそれを軽視する発言をしようものならめちゃくちゃに責められ、最終的に人格否定までされる。ナタリアはされた。ここの偽造はまず考えられず、いずれウィルから接触があることは想定の範疇だった。これが一つのリミットとも考えていた。
手紙に書かれたウィルからの長い文脈の要点を抜き出せば"至急会って話がしたい"という事であった。文の最後には昨日の日付が書かれている。ナタリアの瞳がすっと細くなった。
急ぎエルゼとアンナを確認と調整のためリューリク家に先行するよう指示を出すナタリアにジョンは話しかけた。
「不躾ながら手紙の内容をお聞きしても? お二人がどういう関係か気になりまして」
「好きな食事処の話よ」
「失礼?」
「ビックバーツとかノンノンなんていいかもね。そういう話よ」
「……ご存知でしたか」
「あまり人を試すようなことをしちゃ、だめよ? あなたとは長い付き合いになりそうだし、いい付き合いでいたいわ」
「……えぇ、本当にそう願いますよ。ナタリア様」
ナタリア達が部屋から足早に去っていった。残されたのは、ようやく体を起こせるようになった衛兵が6人と糞まみれの男、それからジョンとサムだけだ。
ジョンは何かを振り払うように頭を振ると、笑顔で床に倒れている衛兵一人一人を労い手を貸して起こした。
「いやー、君たちには少し無理をさせすぎたみたいでしたね。腕っぷしまで噂通りと。あのかわいらしい容姿に騙されました」
「すみません。何をされたのかすらさっぱりです。もう少し引き出したかったのですが……」
「いえいえ十分ですよ。いやぁ心強いやら恐ろしいやら悔しいやら……くっくっく、怖い怖い」
「なんの話です?」
「気にすんな、この人は相棒の俺にも理解できない」
「はぁ」
ぽかんとした表情を浮かべた6人の衛兵。彼らはみなジョンの部下だった。糞たれ男を追ってきたのではなく、ナタリアをここまで追い、ジョンの指示でナタリア達に襲い掛かったのだった。大した成果を挙げれず倒されひやひやとしていたが彼らの上司が非常に愉快そうだったので、安心したやら不気味やらでびくびくしていた。彼らの上司は変人で有名だ。
壁際をゆっくりと動く糞たれ男を見つけて部下の一人がジョンに尋ねた。
「この男どうしますか」
「はっはっは!! はぁ? あぁ、彼女に何を話したかは知りませんが、我々は何も聞いていません。つまりどうすることもできませんよ」
「へっ、犬どもが」
「ただ。お喋りなあなたを組織の人間がどうするかは想像できますよ。彼女は非道ですが不殺を貫いています。しかし、彼女に喋りすぎたがために殺された者はエドモンドを初めこの一週間数えきれないほどいます」
「……」
「我々に罪を話せば、死ぬことはありません。しかるべき罰はうけてもらい、臭い飯を食べてもらいますがね。とりあえず、詰所までお送りしますよ、着くまでに自身の身の振り方を考えてくださいね。……連れて行きなさい」
ジョンは大人しく衛兵に連れていかれる男を見ながら、被っていた帽子を手に取りくしゃりと握った。
話過ぎた人間は消される。そうでなくとも厳しいペナルティを受ける。アウトローの世界では常識であるが、西領から入ってきたファミリーは絆を大切にし、そういった裏切りに特に敏感だ。
恐ろしいことに彼女はそれを知って行動している節があることにジョンは気づいていた。そして彼らもここ数日間、この方法で何度も自白を取っている。不思議な共存ができていると彼は思っていた。それが何だか楽しくて彼はまた喉を鳴らして笑った。
不気味そうにサムが話しかける。
「彼女達に接触するのは早すぎたんじゃないですかね?」
「いえいえ、遅かったらしいですよ? 先ほども怒られてしまいました」
「はい?」
「わかりませんか? 彼女の言ったおすすめの飲食店、我々が彼女を尾行した際に入店した店ですよ。バレてたんですねぇ。もっと早く会いに来いと叱られてしまいました」
「……あっ!!」
「しかし、実際に会ってわかったこともあります。あの服、個性的な着こなしでしたが北領の上流階級御用達のジョンソンアンドウィルのものですね。言葉は訛りのない奇麗な発音でした。黒い瞳は茶の混じらない純粋な黒で、僕はこの瞳の色を持つ人間を一人しか知りません。手入れの行き届いた身だしなみでしたが、髪だけが少しささくれた茶色でした。おそらく馬の尻尾で作られたかつらでしょうね」
「髪? ちょっとまってくださいよ」
「付き人のあの男、サーコートはつけていませんでしたが近衛兵ではないでしょう。装備と視線のやり方立ち方の熟練度を見れば従騎士とも考えにくい。装備から見て昔から北領に駐留している騎士でしょう。北の騎士は魔物を意識して武器がでかくなる傾向がありますからね。ずいぶん若いですが、彼女の立場と含めて考えると5つほどの騎士団に絞れます。この紐を見れば一見空挺騎士団のようですが、こんな冒涜的な使い方をするとも思えない。女性の付き人お二人方ですが、あれは非常によろしくない。彼女たちは暗――」
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってくださいよ!! 情報の暴力です! ついていけない」
「えっ? あぁ、いやー申し訳ない。一度話しだすと止まらないのが僕の悪い癖なんです」
「それは重々存じ上げていますがね。ってちょっと」
相棒に返事をしながらもジョンの想像は止まらなかった。尾行の結果、住処は公爵家付近という事も分かっているが、意外とあそこで暮らす人間は多いため特定には至らない。だが、あそこまで強烈な魅力を持った人間が昔からいたとも思えない。最近、北領に現れたと考えれば自然だ。
最近と言えば公爵家の活発な動きだ。それ以前にあった大きな事件と言えばオーラブ騎士団による魔の森への遠征が印象深い。リューリク家との繋がり、彼女の立場、探している物。ひらめきが、知識が、彼の頭の中で繋がっていく。
「はぁ、もう話してもよろしいですか?」
「これは気を使わせてしまったようで申し訳ない」
「結局彼女はどうするんです」
「……僕が考えるに彼女は、我々がどうこうできる存在ではない。北領の深淵に通ずる人物でしょう。敵とも言い切れませんが逆鱗に触れれば我々は殺され、部署は無くなるでしょう。あの案件に関わったお隣のようにね」
「あんな少女が!? パーチェム並みの案件なんですか?」
「迂闊ですよ。その単語を出すのは」
「……すみません」
おおよそ北領で最高の捜査権を持つジョンの立場であっても手を出せない案件はあった。捜査を担当する彼らに対し、実行する部署であった隣の隊員たちは例のあれに触れ深淵に飲まれた。大半が殺され、生き残った一部も立場を隠し暮らしている。
特権階級のもつ、底の知れない闇を前にすれば彼らの持つ正義感がどれほどの意味を持つのか。
「怖いですか? 僕は怖いです。彼女はいい関係を築きたいと仰っていました。それもいいかもしれません。今のように美味しい汁を吸い続けることことができますしね」
「どこぞに所属する衛兵のように悪人と繋がって得をしろと? 彼女のやっていることは独善的な権力の施行。決して許していい行為ではなく。それならば我々のやるべきことは変わりません。……それにもう考えはあるのでしょう?」
「……そう言ってくれると思いましたよ。彼女とは僕が考えるいい関係を結びたいと思います。ただ、しばらく我慢の時間が続きますし、命を懸けることになるかもしれませんよ?」
「構いませんよ、あなたと正義に捧げましょう」
壁の上をナタリアとユーリはリューリク家へと急く。ナタリアはプリプリと肩を怒らせながら歩き、周りの守衛は自然と彼女に道を譲っていた。
最近、街に出るたびに誰かに尾行されている事はわかっていた。それも一人や二人ではない。まるで街全体から監視されていると錯覚するような視線だ。素知らぬ顔で飲食店や露店を冷かしたりしたが、仕掛けられることはなかった。
相手側が互いにけん制しているのか、警戒しているのか。詳しくはわからない。だがその中に彼らはいた。反応した飲食店から推測するに昨日から。手紙を受け取ったであろう昨日から。
街中に降りる階段へと差し掛かるころ、なんだあのへんてこな連中、とナタリアが愚痴のように呟けば少し考えるようにしてからユーリが答えた。
「おそらく、リューリク家直属の調査室の連中だろうよ」
「調査室? 情報機関か?」
「まぁそうだな。いくつかある情報機関の一つだ。諜報、防諜、高度な犯罪、上位貴族相手の捜査なんかに出張ってくる陰湿な野郎どもだ」
「ジョンか、体を動かすのが得意なタイプには見えなかったな。だが、良い目をしていた」
「現実に絶望しながら妥協しない。あんたの好きなタイプの男だな、だが悪い癖を出すのはやめておいた方がいい。虫も殺せないような顔してやがるが、あいつがいなければ北領二十二侯爵だったんだぜ」
「へぇ、詳しいな」
「……ゲイ・ネットワークだ。マイノリティー同士の結束は強い」
「わぁお、強烈なネットワークだ」
急に動きを止めたナタリアは服の中に腕を突っ込んでゴソゴソとやり始めた。なんだこいつ、と怪訝に見つめるユーリの答えるように、彼女の服の裾から足元に包帯が落ちてきた。
「なんだお前」
「ちょっとサラシ取ってんだ」
「サラシ? なんか胸に巻いてんのか?」
「おぅ、ちょっと早く動くとおっぱいの筋がちぎれそうになるから、いつもは巻いてるんだ。ウィルは私たちの生命線だからな。良い関係を維持するためなら押し付けて、、、いや挟んでくるわ。あっはっは!」
ナタリアはとりたての生暖かい包帯をユーリに無理やり持たせると次は服を買いに行くぞ、と歩き出した。ユーリはあまりに生々しいそれをくしゃくしゃにカバンに突っ込むと、ペッと唾を吐き捨てた。
「……やっぱり女って糞だわ」