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北領のナターシャ  作者: Peace
本物の悪
17/22

狂人は惹かれ合う



おひさしブリーフすごく汚い話です。



俺も忘れてた登場人物

ナタリア……元おじさんイッちゃってる倫理観ガバガバ系美少女主人公。

ユーリ……ガチゲイのオーラブ騎士団員。ナタリアが責任を取るのであれば平民がどうなろうがきにしないスタンダードなタイプの貴族。

エルゼ……ナタリアのお付きのメイド。漆黒の意思を持った覚悟完了系少女。めちゃ強いナタリアの持つ技術を愛してやまない。名前がたまにエルザになる。

アンナ……ナタリアのお付きのメイドその2。前の話で強いショックを受けていたように見えるが…………?


エドモンド……犯罪者。肉サンドバック。根性があるばっかりにナタリアを挑発し彼女も引くに引けない泥沼に突入。

名もない男……前話では名前も出てこなかった男。ナタリアに刺され砕かれ折られて部屋に転がっている。


アレクセイ……現北領当主、五十近いおっさん、曖昧になるとナタリアの際どい所を触ったりする。そのたびに彼女は覚悟を決めるが、未だにそうなってはいない。

カチューシャ……エカテリーナ、故人、アレクセイの奥さん。純潔のノルニグル族、黒髪の美しい娘でどこかナタリアと似ているらしい。










 ナタリア達が、エドモンド邸へ消えて長い時間が経っていた。太陽も頂点に近づいたことで日が差し始めた裏路地で、エルゼは一人壁に背を預け瞑想していた。一時聞こえた怒声と悲鳴はもう聞こえない。それでも彼女の集中力が切れることはなかった。



 だからこそ目の前の扉に近づく存在に気づくのも早かった。

 エルゼは迷いなく腰の一本を握り、体を引き絞る。扉が開いた瞬間、斬りかかった。扉ごと切り捨てんばかりの豪快な一太刀は、しかし甲高い音と共に止められる。即座に下がり、二の太刀を浴びせんとするエルゼのすぐ前に相手の影があった。初動、剣の柄を片手で抑えられ、完全に死に体を晒したエルゼは迷わず目の前の敵に噛みつくことを選択した。

 近づけたおでこをぴしゃんと叩かれて、ようやくエルゼは誰が出てきたのか知った。

 急いで離れ、膝をつき畏まる彼女に愉快そうな声がかかる。



「びっくりした。狂犬みたいだな、あなた」

「師よ、誠に申し訳ありません。なんとお詫びをすればいいのか……」

「いいよいいよ。それよりさ、お腹すいてない? ちょっと長くなりそうだから中で待ちなよ」

「ご配慮に感謝します。しかし、流石の動きでした。実戦であれば三回は殺されていた」



 ナタリアは快活にエルゼを家に招き入れた。狭い廊下の先を歩くナタリアから香水が香るように血の匂いがした。髪と服装は乱れ、拳には拳闘士のように布が巻かれ赤黒い染みを作り。普段から漂っているどこか疲れた雰囲気。それがいつもより濃く感じられた。

 リビングは硬貨と紙札が床に散らばり、傾いたテーブルとボロボロの椅子が正面玄関をよく見える位置に並べられている。そんな中でアンナは一人ぽつんと座っていた。一目で元気がないことがわかる。気にしながらも勧められるまま椅子に座り、出された紅茶を舐め味に驚いたエルゼはナタリアを見た。



「びっくりだろう? いかつい男達が飲むには上等すぎる。置いてあるのも貴族御用達の高級品。儲けてるよなぁ」

「はぁ」

「しかもこの家にはキッチンがついてる! 貴族の家にしかないもんだと思ってたよ」

「珍しいですね。料理人もいるのでしょうか」

「ノビている奴の中にいるかもな。……実は私は料理が得意でね。そのうち作ってみようかな。ママの料理よりうまいよ」



 少し間をおいてエルゼは楽しみです、と答えた。疑う発言だった。台所は身近なものではなく、料理は特殊技能だ。貴族なら専門職の人間がやるし、上級の家庭では召使いがやる。召使いが雇えないような人間の家に台所はない、代わりにそんな地域には、大きな食堂がある。

 なんとなくノルニグル族は森の中で虫とか採って喰ってそう、と一瞬エルゼの頭をかすめ頬が引きつりそうになった。だが、エルゼは一直線だ。食事と強靭な肉体の関係性はよく知っている彼女は、この瞬間例えどんなものを出されても完食する覚悟を完了した。



 表情を一転しナタリアは黙り込んだ。右手が顎を擦る。これが彼女が考えている時の動作だとエルゼは最近知った。どこか年寄り臭く、彼女がするとコミカルな印象を受ける。見ていて落ち着くこの動作がエルゼは好きだった。

 また彼女の右手が動く。頬をくすぐる髪を一房耳にかけ、前髪をかき上げた。女らしいひどく何かをかき乱す仕草だ。ちぐはぐなのだ。彼女は。エルゼにはそう思えた。



「面白くない話もあるんだ。奴さん、思ったより口が堅い。それで、ちょっと、……やりすぎちゃった」

「それはついてないですね」

「いいね! あんたならそんな感じだと思った。アンナは空気にやられて参っちゃったみたいなんだ。家探しもしてみたいんだが、いかんせんでかすぎてなぁ」

「なるほど」

「まぁ最後にこれ試してダメなら諦めようと思う。……おっと、来ない方がいい、昼飯食えなくなるぞ。ここで警戒しといてくれ」

「?」

「ははっ。わからないならわからないでいいさ」



 笑い、口笛を吹きながら二階に向かうナタリアの手には、くるみ(ナッツ)とくるみ割り機が握られていた。








 二階の扉が少し開いていた。匂いが廊下にまで立ちこめ、ナタリアは不機嫌そうに中に入った。



「ヘイ、ユーリ。扉は閉めとけ下まで臭ったらどうする」

「あんたがあまりにおっかないからこいつが漏らしたんだ。あんたのせいなんだからちょっとくらい我慢しろ」

「馬鹿言え。こいつのケツの緩さまで勘定できるもんか」

「口は堅ぇのにな、ははっ」



 部屋の中でだるそうに座っていたユーリが、隣のエドモンドの頭をペチンと叩いた。

 エドモンドは椅子に縛り付けられていた。パンツ一枚の姿で口枷を噛ませ目を覆うように布が巻きつけらえている。体は弛緩しきっており青あざだらけで血と汗で濡れ、何度も転がされホコリまみれになっていた。床にはおびただしい量の赤が飛び散り、血と糞尿の匂いが鼻につく。

 ナタリアはエドモンドに近づくと髪を掴んで上を向かせ、一発殴ると手を離した。彼はピクリともしない。



「タフな野郎だ。北領のクズ共はみんなこうなのか? 先を思うと嫌になるな」

「はぁ? 今更何言って……ッ!! あんた、それは!」



 ナタリアが下から持ってきたくるみ割りを見つけたユーリの表情が引きつった。非常にシンプルな構造で、てこの原理を使い圧力でくるみを割るタイプだ。

 ナタリアが左手にくるみを二つ持ちコリコリと音を鳴らし、右手でくるみ割りを開閉してみせるとユーリは顔を真っ青にした。



「あんたなぁ! ……女には想像できないかもしれないが、それは本当にやばいぞ」

「知ってるさ。よーーくね」

「……本気かよ」

「正直、迷ってる」

「はぁ?」



 くるみ割り機を見つめながらナタリアは形容し難い表情をした。奥歯にものが挟まったような、けつの座りが悪いような顔は見ていてユーリまでムズムズしてくる。



「……コレは女しかできない、らしい。今のところこいつを前にして私はなんとも思わない。多分できる、と思う。だから、なんか、不安というか。……とにかくデリケートな事情がある」

「……なんの話か知らないけど、やるなら僕は外にでるからな」

「馬鹿言うな。誰がこいつを抑えるんだよ」

「ふっざけんな! きんたま潰す瞬間なんか見てたまるか!!」

「……ん゛ーーーーー!!」



 ユーリの大声に反応してエドモンドが暴れだした。縛られた椅子ごと激しく揺らし、口枷によって言葉にならない音を発している。縛られ自由のきかない太ももを限界まで閉じているのが、いじらしい。

 封建社会のこの時代、貴族でなくても子孫が残せないのは非常に大きな問題となる。図らずとも時代の弱点を突いたナタリアは布をユーリに渡しながら続けた。



「やる、やってみる。何でも試してみるもんだ。私の金玉じゃないし」

「ん゛ーーー!! ん゛ん゛ん゛ーーーー!」

「……この布は?」

「潰した時、先っちょからなんか汁が出そうじゃない? それで抑えといて、汚いから」

「生々しいな。……まじかぁ、まじでやる気か。うーーーん」

「ん゛ーーーーーー!! ん゛ん゛ーーーーー!!!」

「……ま、いっか。僕の金玉じゃないし」

「ん゛ん゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「うるせぇ」



 ナタリアが椅子を蹴り倒す。倒れたエドモンドは口枷を床に擦り、なんとかずらそうとしている。あまりの必死さにユーリはちょっと笑った。対してナタリアはひどく冷淡な表情でその動きを見ていた。



 三十分にもわたる水責めウォーターボーディングに耐えきって以降、エドモンドには口枷を付けひたすらに痛め続けていた。あの死の恐怖に耐えきる精神力を見せた以上、中途半端では駄目だった。時間をかけ淡々と痛みを与え続けた。

 これは最後の詰めの一手。ここで口枷をとって最後の質問をする。緊張を緩め、最後の逃げ道を用意してやる。それでも話さないなら、もう拉致って少しづつ精神を削っていかなければいけない。これには時間と手間がかかる。そんな暇も準備もナタリアにはない。

 とりあえず金玉出すか、とベルトに手をかけたところで入口に転がっていた男がぼそり、と呟いた。そのあまりに小さい声にナタリアがキレ気味に聞き返せば、荒い呼吸の合間に「……もう、限界だ。エド」と聞こえた。



「へぇ?」

「あんたが傷ついていくのをこれ以上見てられないんだ。許してくれ」



 ナタリアに襲いかかり刺され肩を外され踝を砕かれても声を出さなかった男のはじめての悲鳴を彼女は冷めた目で見つめる。



「続けて」

「一階の台所。ドアから前に3歩、右に2歩の床下」

「……ユーリ」

「あぁ」



 部屋を出ていくユーリを見届け、男の外れている肩にナタリアは足を乗せた。焼け付く様な痛みに歯をかみしめながら男は彼女を睨みつける。



「まったく、どいつもこいつも生意気な面をする」

「お嬢さん、あまりこの世界を舐めちゃいけねぇ。それ持ってとっととマンマんとこ戻りな。この世には死ぬより辛い事だってあるぜ」

「……あれ見といて良くもそんな温いコトが言えるな」




 ナタリアの目がすっと細まり、小さな体にはち切れそうなほどに何かが漲った。きっとグレゴリーが今のナタリアを見たら、必死で彼女をなだめ男の口を塞いでいた事だろう。だが今ここに彼はいない。

 痛みからか男の口はよく回る。



「俺にゃ子猫が戯れてるようにしか見えなかったぜ」

「――本当に殺しちまうぞッ! クソガキ共が!!」

「ッ!!」

(…………ちっ、いかん。素が出ちまった)



 気が付けば肩を踏み抜いていた。それでも悲鳴を挙げなかったのは、凄んだナタリアの迫力か。男の喉が緊張に動いた。彼女はつまらなそうに鼻を鳴らしタバコを咥えた。

 ほどなくして戻ってきたユーリが、部屋を見渡し首をかしげる。



「またいじめてたのか?」

「私が可憐過ぎてイジメられてたところだ。若すぎるのもつまらんな。それで? 早かったな」

「言われた通りあったよ。ざっと見た限り面白い話も色々とある。大当たりと言える内容だが、まぁ考えるに六割ってところかね」



 ナタリアの大きな瞳が男を捕らえた。ビクリ、とわかりやすく男は怯えた。やっぱり虐めてたんじゃないか、とユーリが小さく漏らす。



「おい、残りはどこだ」

「それが妥協案だ。それ以上渡しちまったら俺たちはおしまいだ」

「知るかよ。言ったはずだ、全部奪うってよ。今死ぬか後で死ぬかの違いでしかないんだ」

「……あとはエドの頭の中だ」

「ユーリ」



 どのみち一度外すつもりである、問題はなかった。ユーリが口枷と目隠しを剥ぎ取る。



「ベルディーゴ!! てめぇ!」

「もう無理だ、エド。帰ろう、俺達の故郷に……」

「ふざけんな!! ここまで来るのに俺たちがどれだけ!!!」

「故郷のあの娘になんて言やぁいい? 俺たちにはデカ過ぎる仕事だった。ビアンキの奴らも好きになれねぇ。ちょうどよかったんだ」

「てめぇ!! もうこれ以上喋るな!!」

「……オーライ。よーくわかったよ」



 ナタリアは言い合いを始めた二人を制してベルディーゴのズボンを剥ぎ取りながら続けた。



「エドモンド、私も面倒くさくなった。いいか? これから、ベルディーゴの金玉潰して、ちぎってハンバーグにしてお前に食わせる。私は料理が得意なんだ。……おら! 暴れんな!! 金玉出せやこらァ!!」

「なっ!!!」

「もう殴るのも飽きた! 殺するつもりはないが。いや、金玉潰せば死ぬかぁ? どっちでもいいや、わっはっは!!」

「待て。待て待て待て!! 俺にやれ。俺を殺せばいいだろう!! なんでそうなるんだ!!」

「あんた、いい根性してやがる。尊敬するよ、どんな痛みも死の恐怖もないって面だ。……友人を食って生きていけ。そっちの方が面白そうだ」

「良い、エド。構うな」

「てめぇは黙ってろ!! ちんこ出して何言っても説得力ねぇんだよ!」

「時間はないぞ。エド」



 脱がしたベルディーゴのパンツをブンブン振り回しながらナタリアは焦らす。ユーリはベルディーゴをしっかりと捕まえ怒張したそれを見て、やっぱり最後の時ってこうなるんだな、などと神妙に呟きながら布でしっかり抑えた。

 パンツを投げ飛ばすと「話す気になったか?」と言いながらナタリアはポケットからくるみを出し、見せつけるように砕く。中身を取り出すと、コリ、コリ、と咀嚼した。歯を噛み締め震えるエドモンドにナタリアはため息をつく。



「だんまりか。ベルディーゴ、ベルディーゴとお別れの時間だぞ。ユーリ、袋もしっかり抑えとけ。情けだ、一発で決める」

「ぼくぅー? 袋ぐらい自分で持てよ」

「そいつはえらく紳士的な提案だな。あん? コホン――花も恥じらう乙女は玉袋なんて触らないのよ?」

「どっからその声出した???? ちっ。まぁわかった。ほらよ」

「……よし行くぞ、行くからな」



 ユーリががっちりとベルディーゴを抑え、彼は覚悟を決め目を閉じた。鉄が玉に当たる感覚に全身の筋肉を強張らせ、両手はユーリの太ももあたりを掴んでいる。その様子はさながら今にも出産しそうな妊婦とその夫のようだ。ベルディーゴの開かれた股に座り込むナタリアはさながら助産師だ。

 きゅっと唇をすぼめ薄目でユーリは成り行きを見ていた。が、なかなか金玉は潰れない。心なしか彼女の手は震えていた。ナタリアの顔を見れば、ユーリと同じように唇をすぼめ薄目でこちらを見る彼女と目が合った。ユーリが顎で示して「んー」と言えば「んー」と頷いてナタリアはまた向き合い。じわじわと力がこもりベルディーゴの悲痛な叫びが響いた。

 あまりに切実な叫びについにエドモンドが待ったをかけた。



「……そいつはクソだが従兄弟なんだ。頼む」

大当たり(ジャックポット)。西領の人間は家族を裏切らないって聞いた」

「……ッ!! くそっ、くそったれ!! 話す!!! 話すよ!!」

「おい!!」

「きんたまがどれだけ大切かって話なら聞かないよ。私だって良くわかってる」

「違う。あんたらが知りたい事だ。……だから、やめてくれ」

「馬鹿野郎……」



 エドモンドは諦めた様に瞳を閉じた。ベルディーゴは悔し気な表情の中に安堵が透けて見え、ナタリアはそれ以上に安堵した表情で震える右腕を見ていた。ユーリは不審な目でナタリアを見ながらようやく金玉から手を離した。














 セナトル王国直轄領、王都や中央と呼ばれる地のはずれ。南領にほど近い場所に建つ一棟の別荘の長い廊下を初老の男が早足で進んでいた。質のいい執事服に気品の溢れる顔立ちは、急いでいてもなお乱れることはない。

 彼は目的の扉の前まで来ると、身だしなみを整え手に持った手紙。その裏面に示された北領公爵家の家紋をもう一度確認すると興奮隠せぬままノックと同時に入室した。



「坊ちゃん」

「きゃっ!」

「むっ、ソシレーヌだけか? 坊ちゃんはどちらに?」

「いえ執事長、そのー」



 彼の視線が部屋を舐めまわす様に動き執務机の影と衣装入れに止まった。すぐさま机の下を覗き込み居ないことを確認すると自信満々に衣装入れの前に立ち開け放った。そこにはただ、服が行儀よく並んでいる。

 ぷるぷると震えている執事長におそるおそるソシレーヌは話しかけた。



「あのー、執事長? 今日は隠れていらっしゃいませんよ」

「信じられん!! たった二時間執務室で仕事することもできないのか!!」

「いえ、その、一時間で今日の仕事は終わらせてしまいました」

「無駄に優秀なのも腹が立つ!! 第一ソシレーヌ、こうならないためのキミだろう!!」

「いえ、その。私ではもうあの方の好奇心を抑えきれません。……その執事長、あんまり興奮なされるとお体に障りますよ」

「……ぐぅぅ。離れにいらっしゃるのだな!! お坊ちゃん!!!!」

「うるさいよ、爺。頭の血管が切れるぞ」



 執務室の開いた扉の向こうにいつのまにか彼はいた。高貴な一族を表す金髪は緩くウェーブして、はっきりした目鼻立ちに一目でわかる鍛えられた長身な体。凛々しい顔つきながらどこか倦怠感を漂わせ影がある。眠たげに半開きとなった瞳がつまらなそうに執事長を見ていた。

 彼は執事長を通り過ぎると、執務机の上に座り右手に持っていたガラス瓶を隣に置いて髪をかき上げた。どこかアンニュイなそんな動作一つとって妙な色気と威圧感がある人物だった。執事長は飲まれまいと勇ましく口を開いた。



「坊ちゃん。重大なお知らせが」

「重大なお知らせね。親父が死んだか?」

「なんてことをおっしゃるのです。不敬にもほどがございますよ。やはり幼少のころ北領で過ごされたのが間違いでございましたか、私はあれほど――」

「口を開けばそれだな、そういうことを言われたくないからこんな糞田舎にいるんだ。……あぁくそいってぇなぁ」



 唐突に胸を抑えて呻いた彼にソシレーヌが近づいた。「失礼します」と一言断ると慣れた手つきで触診はじめその動きが止まった。目まで髪で隠れている彼女の表情をうかがうことはかなわないが、異変に気づいた執事長が問えば、簡単に「肋骨が折れています」と答え祈りを始めた。



「今度は何をやらかしたのですか……」

「心配の前にそれか。大した付き人だよ、爺」

「ただの付き人ではございません。お坊ちゃんが素直でかわいらしかった頃からの付き人でございます。骨折くらいで取り乱したりはいたしません」

「あぁ北領の大地に抱かれアレクセイを父のようにカチューシャを母のように思っていた時期の僕はかわいかった」

「いいえ、あなたが可愛かったのは生まれてから歩き出すまででございます。それで何をなされたのですか?」

「あれだ」



 執事長は彼が差し出したガラス瓶を注視した。五十センチ四方のガラスの瓶の中に小さい植木鉢とそこから青々とした植物が生えている。その植物が青白くうっすらと発光してる姿に見惚れているとソシレーヌの小さな体が彼の視線を遮るように前にでた。



「ソシレーヌ?」

「あの、そのーあまり長く見ない方がよろしいかと存じます。魔に魅入られてしまいます」

「……坊ちゃん?」

「正真正銘本物。魔の森にのみ咲く月下美人だ。1ダースで買うと割引されるんだ」

「1ダース? ご乱心なされましたか? 第二種に分類される所持禁止植物でございますよ?」

「その、遂にやりましたね」

「まぁまぁ最後まで聞いてくれよ。その葉っぱのヤバさを五としたら、ガラス瓶の中の君は百だ」



 追及をやめもう一度ガラス瓶を見ると今度はすぐに黒い粒が所々にいるのがわかった。さっき見たときは一切気にならずに気にもしなかった。あの植物に魅入られていたことに気づき、背筋が冷えた。極力月下美人を見ないように覗き込むとすぐにその正体に気づき数歩下がった。

 治療を終えたソシレーヌが執事長とガラス瓶の間に体を入れる。



「ハエですか。あまりいいペットとは言えませんね」

「はー、これだから。いいか、まずこれはハエはハエでもショウジョウバエだ。この種は糞に集らないから汚くない。それにこれは飼っているんじゃなくて実験しているんだ。ショウジョウバエの世代交代が早く生物多様性と環境への対応を調べるのにこれほど適した生き物もいない、周知の事実だろう? ただここは暑すぎるせいで安定した飼育をするのに苦労した。毎日我が子のように愛を注ぎ数を増やしたというのに。あぁ、こんな裏切りは辛すぎる」

「相変わらずの気持ちの悪い早口、見事にございます。それで裏切りとはなんですか?」

「うん。それは――」



 爆発音。館が揺れるような大きな大きな爆発音が響いた。窓ガラスは割れ倒れそうになった執事長を体幹の一切ぶれないソシレーヌが支える。

 テーブルの上に座り頭痛をこらえるように頭を抑えた推定元凶を執事長は睨みつけた。



「――何をしたのです」

「それを理解してもらうためには僕の研究テーマ、北領の生物についてを聞いてもらう必要がある。……僕は北に行くほど強力で狡猾にして凶暴になる魔物が大好きだ。非常に面白いテーマ……だというのに有識者を語る無能は誰もが強いから強い、昔からそうだからと考えることをやめている。アホどもだ。

僕は土地によって空気中の魔法量、魔素とでも呼ぶが。その濃度が異なると考えた。すべての辻褄が合う合理的な結論で、論文も発表した」

「もちろん存じていますとも。その結果あなたが名誉ある王都の有識者の学界から追放され、地母神教会から異端者とされ火刑に処される寸前までいき一時過ちを認めるも。怪しい実験を続けたばっかりに遂に国から流浪の民と認定されかけ、社交の場で口に出すことも憚れる低俗な行動をすることで精神異常者を演じ休養と称して今この田舎に隠居をなされているのですから」

「ん゛ん゛……その話はともかく、このガラス瓶の中の魔法量は北領の果て魔の森を再現している。そしてショウジョウバエは卵から約220時間で成虫になり卵を産む。第四世代から凶暴性が現れ、第五世代で狭いガラス瓶の中増えすぎた同族同士で殺し合いが始まった。第六世代で彼らは同族を殺すよりもっと楽に生存圏を確保する方法に気が付いた」

「……嘘だと言ってください」

「国内の有力な魔法使いに依頼しガラス瓶はガラスが可能な最大まで強化され、一度や二度ハンマーで叩かれたくらいじゃ壊れない強度を実現したにもかかわらず……。やはり北領に常識は通用しないな! あっはっはっは!! 

いやー、やはり私の持論は正しかった。僕を馬鹿にしたあいつら全員にこのハエを送ってやろうかな!!」

「あの、そのーこれは坊ちゃんの管理不足から発生したバイオハザードでございますよね? ここの立地から考えますと王都の魔女か南領の獅子が出なければ、人口が半減いたしますよ?」



 執事長とソシレーヌに見つめられた彼は風通しの良くなった窓辺まで近づくと別荘を見渡した。原型をとどめていない離れは燃え上がっている。

 中庭ではメイドが、執事が、庭師が、悲鳴を挙げて走り回っていた。彼らを守るように数人の魔術師が炎を操りハエが焼け落ちている。初春の昼下がりハラハラと焼け落ちるハエは、奇麗だった。

 彼の頬を撫でる気持ちのいい春の息吹は、屋敷に燃え移った炎をむくむくと育てていく。三年をかけ今年建ったばかりの別荘は、もう半焼していた。小さな国なら一年経営できる資金が今日溶けた。控えめに言って、地獄だった。

 テーブルの上の小さな悪魔達を彼は見た。



「結局形ある成果はこれだけか。流石、最強の魔女と呼ばれるだけはある。彼女の加護がかかったこれだけは壊れていない」

「……一体、全部で何匹いるんです?」

「千はいたな!! あっはっはっは!! やつらの体当たりときたらカチューシャのげんこつ並みに痛いぞ。剣で切ることもできなかった。叩き潰したがな!! いやー我ながらよく生きてた。十個のガラス瓶が一斉に割れるさまはなかなか壮観だったぞ」

「……あなたにお仕えして二十と余年。今日という日は十本指に入る出来事でございます。南領の軍部に連絡いたしますか?」

「いや、獅子の世話になるのはまずい。見通して精鋭の護衛を呼んでおいた。爆発物まで使ったんだ事態は収束にむかっているだろうさ」

「ご慧眼、誠に感銘いたします」

「照れる」

「皮肉にございます。……関係各所には私の方から上手く説明いたしましょう。お坊ちゃんはしばらくの間お隠れください」

「全身に虹色の湿疹が出たことにするかな」



 その理由は三回目、というセリフを何とか飲み込んで執事長はにっこりと笑った。彼が呼んだ精鋭の護衛はセナトル王国に潜む暗部。これを動かすのはちょっと、かなりまずかったが現状を考えれば最善の手であるのだから笑えた。彼は常にぎりぎりの中で首の皮一枚つなげるのだから質が悪く。国民からの人気が異常に高いのは悪夢のような話しだった。並みの執事長であれば憤死する状況も鍛えられ続けたプロ執事長の彼には慣れっこだった。

 一通り話は済んだと伸びをした彼は、そこでようやく執事長の持つ手紙に興味を持った。なんだそれ、と軽く促せば執事長は思い出したように差し出した。



「北領からの手紙にございます」

「テオドールからの手紙はけつを拭く紙と呼んでいる」

「でしたらこれは手紙にございます」

「なに?」




 執事長が見せた手紙の裏、そこにはテオドールの使う簡易式北領の印ではなく、アレクセイのみが扱うことのできる北領公爵家の正式印が押されていた。

 半開きだった目をかっぴらき執事長から手紙を奪い取ると、子供の様な粗暴さで破き読んだ。

 彼の視線が文字の上をなぞる。書かれている姪の発見、元気であること、来月のお披露目会の知らせを口の中で呟く。読み終えた彼は手紙を執事長に読むように突き返すと、頭の中で国内情勢が、北領の現状が、高速で回転した。手紙を読み終えた執事長が見たのは、頬が裂けんばかりに狂乱の笑みを浮かべ小刻みに震える彼の姿だった。



「新しい旗印!! 飛躍するか、北領……! ずいぶん長い間待った!!! 諦めかけたぜ、やはりセナトル王国に必要なのは北領だ。いくぞ爺、北領へ!!」

「お待ちください、すぐには無理でございます。現状をどうなさるおつもりですか」

「偉大なる父上と兄上がいるだろう? 最低限の対処をしたら、あとは彼らに甘えるとするよ」

「そんなことをしては……。そも来月にお披露目があるのに今いってどうされるのです」

「この目で確かめるのさ、その娘ってやつを。そいつ次第で北領は化ける。かつての雄姿を取り戻せるんだ!!」



 彼は興奮を体で表現し叫ぶとソシレーヌの手を無理やり掴み踊り始めた。きょとんとしながら振り回されるソシレーヌであったが、興奮していても彼のリードは完ぺきで王宮音楽まで聞こえてきそうなほど芸術として完成されている。

 踊り一つとってこれだ。才能の塊なのだ彼は。それこそ普通にしていれば、長く歴史に名を残す施政者となれるほどに。

 主のそんな姿を見るたびに非常に残念な気分になってならない執事長であったが、いい加減諦めもついている。それでも最後に小さな反発をしてしまうのはどうしようもない事だった。



「お坊ちゃん、考え直していただけませんか?」

「やだ行く。あとなぁその坊ちゃんってのはやめろ。もうそんな歳じゃない」

「まったく、昔から言い出したら聞かないんですから。あぁわかりました。準備しますよ。――カエサル王子」















前話に引き続き汚ねぇ話だな。半年以上開けといてこれって恥ずかしくないのか。



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