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北領のナターシャ  作者: Peace
本物の悪
16/22

正義の味方

はい


























 よく晴れた日だった。北領でも珍しい団子と緑茶が自慢の店にナタリア達はいる。

 表通りから二本裏にひっそりと佇む店は、場所はわかりにくいが味はよく小洒落ていた。ユーリはこういった穴場の様な店に詳しい。



 疲れた顔のナタリアは店先の長椅子に座り、仏頂面のユーリと沈痛な表情グレゴリーに挟まれて座っている。朝日が強く傘型の日よけがなければ、対面に座るアンナとエルゼの姿はまともに見えなかっただろう。

 ユーリが何十本目となる団子の串を咥えながら、そういえばと切り出した。



「あんた、昨日あんなことやっておいてよく外出の許可が出たな」

「あれなぁ。黙ってりゃいいのにアンナが全部言うからなぁ」

「当たり前です~。後々、バレて私の責任になるのは嫌ですからぁ~」

「おかげで本気で謝って縋りついて泣き落とすはめになったっての。‥‥エルザのフォローがなければやばかったかもなぁ」

「師よ、私は当然のことをしたまでです」

「……だから師って」



 続く「呼ぶなよ」という言葉は、忠犬のような眼差しのエルザの前に飲み込んだ。代わりにナタリアの口からはため息が出る。

 昨日の酒場でのナタリア、ユーリ、金玉付きグレゴリーの戦い。アンナ曰く三大怪獣超激突がエルザ与えた影響は大きかった。初めてカブトムシを見た少年のように終始食い入るように見届け。その後、彼女のナタリアリスペクトは天井知らずだ。

 なんせ、他国の一般的な騎士も怯える屈強な北領の市民をゴミの様に弾き飛ばす一級と呼ばれる冒険者が四人束になっても敵わないオーラブ騎士団員とまともに戦えるナタリア(ノルニグル族)。

 体格、性別等数え上げるのも馬鹿らしくなる量のハンデを負いながら、ただエルゼの知らないなんらかの技術のみで戦う、戦えるその姿を見たときから、エルゼの中でナタリアは神に彼女はその信奉者になった。

 それからは、もうめちゃくちゃにラブコールだ。寝ても冷めても弟子にしてくれ、とうるさい若い情熱にナタリアは彼女らしく全て諦め受け入れた。

 エルゼを極力視界に入れないようにして、ナタリアは続ける。



「それよりユーリ、わき腹は? まだ全部くっついてないんだっけ?」

「へし折った癖によく聞くぜ」

「半分はグレゴリーでしょう?」



 グレゴリーを抑えるように始まった酒場での戦いは二対一から当たり前のように一対一対一に変動していった。途中の流れでナタリアの右ボディーとグレゴリーの左ボディーが同時にユーリに突き刺さる友情コンボがさく裂する場面があり、そこで彼は痛手を負った。

 もちろん彼もただでは終わらない。その際、戦いを終える決定打を二人にかましていた。だが、割に合わない微妙な結末になった。昨日の戦いに勝者はいない。

 横目でナタリアを確認して彼は続けた。



「あぁ、祈りの限界がきた。これ以上は魔力中毒になるってよ。まぁ下の方だし折れててもくっついててもそう変わらない。お前は大丈夫みたいだな」

「魔力の容量? が多いんだって。魔法なんて使えないけど」

「……魔法を使えない? 身体強化系もか? あれで? ……いや、いい。まともに聞いたら頭がおかしくなりそうだ」



 さらに目をキラキラさせ、じっっと見つめるエルゼ。ナタリアは彼女を無視しながら話していると、もう一人面倒くさい男がチラチラと彼女の事を伺っていた。キラキラとチラチラ、彼女は頭がおかしくなりそうだった。

 面倒くさいグレゴリーが、ナタリアに向き合う。即座に彼女がだるそうに口を開く。



「許すって」

「ナターシャ、すいません!」

「大げさだって」

「俺はあなたを辱めるようなことを!」

「なんもいらないって」

「なにか、お詫びさせてください!」



 全部先に言い切った彼女を見て、ユーリが吹き出した。アンナは黙ってグレゴリーの脛を蹴る。



「黙ってると思ったら何だ急に、喜劇か?」

「朝からずっとこれだ。いい加減覚える。……それに、他人事じゃないだろう」



 ユーリは肩をすくめておどけてみせた。

 昨日の結末。ユーリは両脇腹を貫かれながら、グレゴリーの頭を鷲掴みナタリアの胸に叩きつけていた。それで彼は正気に戻った。

 ナタリアとしても恥ずかしさ等はなかった。ただグレゴリーが正気に戻って最初に見たものが、胸がちぎれるかと言うほどの激痛に耐えるナタリアで、それを屈辱に震えていると勘違いした。女子二人に治療を受ける最中わめきのように「乳が……とれる」、「こんなものいらない」と言っていたことも勘違いに拍車をかけた。

 グレゴリーは弁解を重ねる。



「それでもおれは……」

「わかった」



 そう言うと彼女は立ち上がり、グレゴリーに本気でビンタした。朝の裏道に甲高い音が鳴り響き、グレゴリーは女の子のように地面に倒れ伏した。頬を抑えた彼がナタリアを見上げる。



「これでチャラ。次謝ったら帰ってもらう。いいな?」

「……うっす」

「良し。ほら行くぞ」



 先を歩くナタリアに焦って店に料金を払ったグレゴリーは、頬に作った紅葉を片手で抑えながらその背中に続く。そんな二人を見てユーリは呆れた様につぶやいた。



「どっちが男だか分かりゃしないな」









 団子屋を離れ、一同はナタリアを先頭に入り組んだ道を歩く。北領の中央部はある程度の都市計画に基づいて作られたが、人口の増加によって増設を重ねた結果、街を覆う壁に近づくほど道は複雑に治安も悪くなっていく。

 その迷路を彼女は迷いなく進む。地形は事前に頭に入れてきていた。



 周りは閑静な住宅街と言えた。道の端に散らばったゴミと壁の落書きが一帯の治安を物語っている。すれ違う人もいない。

 下品な落書きに眉をひそめながらグレゴリーがナタリアに話しかけた。



「それで、衛兵詰所に向かうんすよね?」



 各地区には、それぞれ担当する衛兵詰所があり所長がいる。そのあり方や機能は殆どナタリアの知る警察署や駐在所と同じだ。

 ナタリアはウィルから、リューリク家捺印入りの書状をもらっていた。そこには衛兵詰所に対して彼女達に協力を促す事が書いてある。グレゴリーの疑問は正しい。

 ナタリアは答えずバツが悪そうにユーリを見た。二人の視線が絡まり、そこには声にならない言葉が交わされていた。何かを押し付けあっている、そんな雰囲気だ。グレゴリーが口を挟もうとしたタイミングで、しょうがないっといった感じでユーリが答えた。



「あー。……いや、奴らには頼らない。リューリク家の当主が変わって奴らは腐った。問題はいろいろとあるんだが。……給金が下がりすぎたせいで、上は汚職で小金を稼ぐやつだらけだ。下っ端もリューリク家より直属の上司に気に入られようとする奴が多すぎてほとんど軍閥化している」

「へ?」

「私もそれを聞いて考え直した。やつらを頼ったらむしろ邪魔されかねない。だから直接行く」

「直接? いや待ってください。誰のとこ行くかは知らないっすけど、直接って現行犯でもないのに?」



 今度はナタリアとユーリはグレゴリーに背を向け、顔を近づけヒソヒソと話し始めた。彼にも途切れ途切れにセーフだアウトだ、金玉が付く等といった単語が聞こえてくる。

 二人の距離感、除け者にされた寂しさに拗ね文句を言おうとした彼を先んじて振り返った二人が話し出す。



「サイカのエドモンドって呼ばれている男がいるの。リューリク家の当主が変わって以降、殺人、強姦、強盗の容疑で何度も捕まってる。でもいつも証拠不十分で数日で出てるらしい」

「極悪だな、極悪非道の悪魔を煮詰めただし汁のように最悪だ。なんでそんな奴が簡単に出られるんだ?」

「わかってるでしょう、ユーリ? 衛兵詰所の所長とどっぷりなんだ。金か仕事か、お互いにビジネス関係にある」

「汚い! なんて事だ、許せんな! 衛兵じゃどうにもできない悪が存在するなんて!!」

「そう! そこなの! この結論が出たとき、私は悔しかった。悲しかった。そして、思ったの。衛兵に裁けない罪に罰を与える『正義』が北領には必要だって」

「なんて決意だ! 衛兵の手には負えない巨悪に立ち向かうなんて……」



 寸劇だった。場には白々しさだけが残っている。エルゼだけは感動したように拳を強く握っているが、彼女は存外ポンコツだった。

 熱く語るナタリアとユーリ、二人はしばらくポーズをとった後、似た動作でグレゴリーをチラリと見た。冷めた目をしているグレゴリーを確かめると、二人して「こういうのが好きなんじゃないのか」とボソボソ呟いた。

 ナタリアがしらけた空気を払うように、大きめな咳払いをする。



「まぁ少し大げさだったけど、概ねこんな感じ」

「……そんな事、ありえるんすか? というかわかっているなら所長を変えればいいんじゃ……」

「そう簡単にはいかないだろうな。事態はもっと複雑で、入り組んだ積み木に似てる。邪魔だからと一個引っこ抜くと、思わぬ所が崩れる。今は僕を信じてそういうものだと理解してくれ。いい上司は部下を信じるものだろう?」

「……まぁ、はい。それで目的地は近いんすか」

「今、着いた」



 ナタリア達は丁字路の手前に来ていた。彼女が曲がり角から身を乗り出し指で示したのは数件先にある一軒の家だった。簡素な作りで大きくなく二階建て。

 ナタリアは全員に確認させると、「エルゼ以外はこれをつけてくれ」とポケットから昨日奪った冒険者ギルドのエンブレムを取り出した。

 グレゴリーが苦々しい顔になる。



「身を偽るんすか?」

「正義のヒーローは正体を隠すものでしょう? ……冗談、これがあれば説得力ができるから。

中に入ったらグレゴリーとアンナで一階を制圧、私とユーリは二階を行く。エルゼは裏に回って監視していて、まぁ逃しはしないけどね」

「ちょっと待ってくださいよ~。私も行くんですかぁ~」

「大丈夫。ちょっとお話しするだけだから」



 能天気に笑うナタリアを前に、今度はアンナとグレゴリーが視線で会話を交わした。



「おれは一人でいいっすよ。アンナも上行ってください」

「……へぇ、もちろん。それでもいいよ」



 ナタリアとユーリという組み合わせにストッパーとして彼女を寄こしたのだろう、ということはすぐに分かった。それでも構わない。彼女は相手の出方で対応を変えるつもりでいるし、ひどい空気になったら、きっと止められやしない。

 今回は彼らに挨拶する事が目的で、ついでに情報を絞れればラッキー、くらいに考えていた。

 殺しはしない、せいぜいそのくらいしか決めていない。だから誰に着いてこられてまずいという話でもなかった。










 エルゼを裏に配置し、四人が扉の前に集まった。周りを眺め準備ができているのを確認したグレゴリーがノックするために腕を伸ばす。小さな手がそれを阻む。ナタリアだ。

 彼女はやんわりと首を横に振ると、いつものようにグレゴリーに笑いかけた。子供に諭すような朗らかな雰囲気だ。



「グレッグにもそろそろナタリア流ってやつを教えてあげるよ」

「えっ」




 なんすか、と続くはずだった言葉を遮るように彼女はノーモーションで扉を蹴り飛ばした。完璧なヤクザキックは蝶番をぶっ壊し、扉付近にいたらしい不幸な男も弾き飛ばした。

 薄暗い部屋の中、テーブルを囲う男達と目があう。階段はその奥だ。テーブルの上には紙札とコインが積み重なっていた。突然な出来事に誰もが固まっている。

 ナタリアはもう走り出していた。一番反応のいい男が手に紙札を持ったまま立ち上がったが、彼女はすれ違いざまに投げとばす。男が空気の抜けるようなうめき声を挙げた時には、彼女は階段までたどり着いていた。

 一瞬の出来事だった。敵は間抜け面で見届け、思い出したように立ち上がり言葉にならない怒声を挙げた。

 ナタリアの後ろにはアンナだけがなんとか着いてきていて、ユーリを待つには遠く、グレゴリーは未だ入口付近でアホズラを晒している。彼女の手口は鮮やかすぎた。

 舌打ちを飲み込んで、ナタリアが叫ぶ。



「ユーリ!」

「わかってる!」



 それだけで彼女は階段を駆け上がった。直後に何かが飛んできて彼女らが走り去った場所で派手な音をたてる。テーブルだった。うまい具合にドアを塞いでいる上に、鬼を二匹も残す、誰も登ってこれないだろう。ナタリアは彼らを待つより、目的の人物の確保を優先した。

 計画から外れていたが、実戦はいつもそんなものだ。彼女に焦りはなかったが、やり辛くなったとは感じていた。



 ナタリアは二階の部屋に勢いのまま踏み込んだ。狭い部屋だ。部屋の中心にテーブルがあり他には衣装タンスにベットしかない。テーブルの奥に男、ベッドの上に女が一人いた。

 二人を確かめた瞬間、彼女は直感に従い床を転がった。頭上を刃が通るのを風で感じる。もう一人ドアの死角に隠れていた。焦りは、ない。

 隠れていた男は完全に体勢を崩していた。ナタリアは隠し持っていた短刀でそいつの脇腹を刺した。殺しはしない。わざと縦に刺し、肋骨を少し削って止めた。痛いが、死なない。そして相手の戦意を削るのにちょうどいい。

 しかし男は止まらなかった。単純に振りかぶり、振り下ろす。怪我を感じさせない動作だ。それに合わせるように奥からもう一人が刃物を片手に突っ込んでくる。

 本能的危機感が一瞬ナタリアの中で芽生えた。それも後ろを駆け抜けるアンナの存在に消える。落ち着いて目の前の男を投げつつ肩を極め骨を外し、追い打ちに踝を踏み砕いた。

 男は悲鳴を挙げなかった。痛みに耐えるように浅い呼吸を繰り返し震えている。



 もう一人はアンナにいいのをもらったらしく、弾き返されたテーブルに体を預け青い顔でこちらを睨んでいた。おそらく胃だろう。そんな顔色だ。

 ナタリアはゆっくり近づいた。彼は威嚇する動物のようにナイフを向ける。彼女は構わず間合いに踏み込み、振るわれたそれを奪い、男の手首をテーブルに押し付けると手のひらにナイフを突き刺した。ナイフの勢いは止まらず、そのまま木製のテーブルすら貫通し男の右手は固定された。彼からはくぐもったうめきが漏れ、呼吸音が部屋を満たし、血の匂いが鼻についた。



 興奮が冷めていく、ナタリアは自分でも知らず呼吸を止めていた。大きく深呼吸をして、アンナを確かめる。彼女の上腕辺りには赤い筋ができ、裾からは血が滴る。不愉快気に歪められた顔に、視線だけで問いてみれば大丈夫と返された。

 ナタリアは素直に驚いた。彼女の力量を昨日の酒場で確認している。この男もそこそこやるようだ。



 テーブルの男と入り口の男、二人を見比べて前者がエドモンドであるとナタリアは結論づけた。直感、というよりも経験に基づいたものだ。

 ナタリアの出鼻を挫く形でベッドの上にいた女が急に悲鳴を挙げた。ようやく現実が追いついたらしい。ナタリアはうんざりしたように「黙れ」と言った。

 それでも取り乱した女は泣き止まない。ナタリアは近づき毛布を剥ぎ取り、髪を引っ張り頬を打った。視線を合わせ今度は言い聞かせるように「黙れ」と囁く。女は何度も頷くと自分の口を両手で覆った。気の毒なほど震えている。女は裸だった。商売女らしい。

 彼女のヒステリーが終われば、ナタリアは人が変わったように優しく話しかけた。肩をさすり、頬を打った事を謝り助けることを誓う。魔法のように女の震えは収まり、信頼と不安の入り混じった目をナタリアに向ける。

 背後でつばを吐き捨てる音が聞こえた。



「ゲス野郎だな。女のそういう扱い方に慣れてやがる」

「悪態をつくとは余裕じゃないか。エドモンド」

「……てめぇ、なんだ。人間か? 俺が誰か知っててやりやがったのか、糞が」

「お前こそ、私が誰かわかっているのか? 私はお前の悪夢だ。死神にもなる。言葉には気を使えよ」

「はっ! 随分かわいい死神もいたもんだ。試しに俺のを咥えてみろよ、地獄よりずっと良いところに連れてってやるぜ」



 やはり、女二人ではなめられる。少女ともなれば尚更だった。そのための冒険者エンブレムだが、彼は気づいていなかった。

 グレゴリーとユーリは高身長で体格もいい、どちらかがいれば違った反応を引き出せたはずだった。下からはまだ物音と怒声が聞こえていた。そちらももう少し、時間がかかりそうだ。ナタリアは少し悩んだ。



 彼女は無言で一発、殴った。少し拳が痛む。血が滲んでいた。何か喋りかけた男を今度は蹴った。蹴り続けた。殴るより楽だ。息が上がるまで蹴るのをやめなかった。男は随分とぐったりとしている。だが死ぬ怪我ではない。

 彼女はエドモンドの襟を掴み無理やり自分の方に引き寄せた。アテンション・グラスプなどと呼ばれる技術、CIAのやり方だ。癖だったが、引き寄せてから自分の容姿ではあまり効果的ではないことを思い出した。



「どうした? お喋りが好きなんじゃないのか? なんか話せよ」

「……いい匂いがする、そうゆう店みたいだ。それでお前はいつ脱ぎだすんだ? そこまでとばしてもらえないか」

「本当に口が減らないな。西領出身の男はみんなそうなのか? お前の首を土産にお前のママに聞きに行ってもいいか?」

「……マンマに何かしやがったら、ただじゃおかねぇぞ。てめぇ」

「ただじゃおかないってどうする? こんな感じか?」



 言いながらナタリアは彼のもう片方の手のひらをナイフで突き刺した。ナイフは彼の手のひらの骨の間を斜めに通りテーブルに深く突き刺さった。角度を間違えると骨に引っかかり、抜くのにはコツがいる。小技だ。

 悲鳴を呑み込んで耐えるように荒い呼吸をエドモンドは漏らす。入り口の男といいチンピラにしては肝が据わっていた。そのせいで、彼女もバイオレンスな対応をしてしまう。



 そろそろ折えないか、と観察を続けるナタリアと痛みに顔を歪めながら彼女を見上げるエドモンド。互いが互いにはっきりと相手を見た。彼の視線が、不意に彼女の胸元のエンブレムで止まった。

 呆然としたような表情から一転、少しづつ歪み憤怒の形を作った。



「くそったれ! サイコ野郎の糞間抜け! てめぇ、クソ女のとこ冒険者ギルドの糞じゃねぇか! 一級にもなって俺のことも知らねぇのか!! どれだけ世話してやったと思ってる!!」



 激昂、イキリたった彼は手のひらが固定されているのも忘れたように体を動かし、テーブルを激しく揺らした。

 飄々とした態度から一気にかわいらしい反応をするようになった。想像していた反応とは違ったが、余裕を奪うことはできた。噛みつかんと暴れるエドモンドを煽るために、わざと面倒臭そうに口を開く。



「……知らないなぁ」

「ふざけんな!! ルートと賄賂にどれだけ使ったと思ってやがる!! ちくしょう、あのビッチ自分とこの若い者の教育すらできないのかよ!!」

「知らないって言ってるだろう? うちのギルドマスターとあんたがどうなってようが、私には関係ないね。……それより火はないか?」



 返事も聞かずに、ナタリアは勝手に男のポケットをあさり、マッチを取りだした。

 会話を重ねながら彼女は椅子に座り、テーブルの上にあった煙草の葉をすでに紙で巻いていた。手巻きタバコが主流であるのは彼女としてもラッキーだ。シガレットはあまり好みではない。



 たばこ一本分、エドモンドに時間を与えることにした。彼が素直になったのいいが、同じことを繰り返されても面倒だ。

 ナタリアは生前の癖で煙草を吸うが、あまりおいしいとは思えなくなっていた。煙を肺にいれるとむせるので口腔喫煙だ。体が煙草を拒否していたが、ほとんど意地で吸っていた。咥えているだけの時間のほうが長いかもしれない。

 煙草を吸っている間、エドモンドはずっと「ちくしょう」と呟いていた。よっぽど冒険者ギルドのギルドマスターと深いつながりがあるように見える。アウトローだけでなく一般ギルドもこちらに絡んでいる。短くなっていく先端を見ながら、ややこしくなったと彼女は思った。



 吸い終わり、床で煙草を消していると階段から足音が聞こえてきた。エドモンドの瞳の奥に希望が灯る。

 部屋に入ってきたのはユーリだ。部屋の状況、男二人の具合を見てわずかに眉を寄せると、ナタリアに近づき作ったばかりの煙草を奪うと勝手に吸い出した。



「話し合いじゃなかったのか? こんな昆虫採取した蝶みたいにするなんて聞いてないぞ」



 言われて、ナタリアはエドモンドの手を見た。彼の親指同士が重なるように貫かれている両手は蝶のように見えなくもない。彼自身の状況と合わせたギャグだと気づき、耐えきれず彼女は吹き出した。



 ナタリアは返り血が飛んだ頬を釣り上げ、童女のような笑い声を挙げた。笑う彼女は汚れがなく綺麗だった。返り血、たばこの匂い、小汚い部屋、刃物、そんな退廃的、破滅的な雰囲気は彼女を引き立てる。残酷なほどに似合っていた。

 化け物め、と呟いたエドモンドの言葉が嫌にユーリの耳にこびりつく。きっと彼女は悪魔なのだ。そこに惹かれ従う自分も同族に違いないとユーリは思った。エドモンドの表情がその妄想を肯定していたが、不思議と悪い気はしない。

 悪魔が笑う。



「ははっ。あんまり目の前で、ひらひらするもんだからついな。私としても穏便に行きたかったが、女二人だとどうも具合が悪い」

「しかし、これはあいつが見たら金玉が付きかねんぞ」

「……ちょっとずつ慣れていってほしいがなぁ」



 しばらく考えて、ナタリアはベットの上の女の名前を呼んだ。びくりと震えた女に急いで服を着せ、震えているところを無理やり立たせた。



「キャロ。災難だったね、こいつらに捕まって無理やりやられて、頬なんか真っ赤じゃない。こいつらにやられたの?」

「……うん」

「助けてあげるけど、今日見たこと聞いたことは……ね?」

「うん、うん……」



 グレゴリーに家まで送らせるようにユーリに彼女を託すと、彼女はまた一本煙草を咥えた。半分ほど吸ったところでユーリは戻ってきた。

 吸っていたタバコをエドモンドに叩きつけて、「さて」と彼女は切り出した。



「本題に入るぞ、あんたには聞きたいことが山ほどある」

「本題? 本題だと? そんなものがあるか! くそが! おい、あんた。この女は狂ってる。お前も一級なら俺が誰かわかるだろ!? 助けてくれ!!」

「僕か? お前のことは知ってるけどなぁ。……そうだ、条件によっちゃ助けてやらないこともないぞ」

「おい」

「ハハハッ! いい。なんでもいい。金か? あんたら雇い主の倍は出す。言ってみてくれ」



 安堵した様にエドモンドは猫なで声を出した。おそらく、男であるユーリが三人の中のリーダーであると思っているのだろう。

 ナタリアは不満そうにしながらことの成り行きを見守った。自然とタバコを咥えていた。



「お前、今までに強姦もしたんだろう?」

「……くそっ! 強姦なんて、誰だってやってることだろう。あんたらの身内がいたのか? 依頼主関係か? それなら悪かった。金も払うし、謝る。だから……」

「いや、もう十分だ。よくわかったよ」



 穏やかな笑顔でユーリはエドモンドに近づく。ナタリアもまだ見たことない表情だった。

 彼はエドモンドの両手のナイフを引き抜いた。コツの事はわからなかったらしく、力任せに抜かれて始めてエドモンドは悲鳴をあげた。蝶が崩れて、ナタリアは仏頂面になった。



「血が止まんねぇ。なぁあんた、頼むから先に修道士を連れてきてくれ。いつも世話になってるやつがいるんだ。それが終わればいくらでも――」

「僕の出す条件は単純だ」

「おい、頼むよ。俺の話を――」

「今まで強姦してきたように、僕に強姦されろ」

「…………え?」



 両手を震わせ傷口を見ていたエドモンドは、血の気の失った顔を更に青くしてユーリ見上げた。彼は先と変わらぬ笑顔でいる。恐ろしいことに、この悪魔はゲイだ。

 ナタリアは二人を見比べて、椅子の上から落ちるのじゃないかと言うほど爆笑した。



「くっ!! あはっははっははは!!! いいねぇ、それ!! 私もそれなら見逃してもいいかなって気がするよ」

「ルールを決めようか。十分やるから僕をイかせろ。……手は使えないみたいだけど、口は使えるから大丈夫だ。頑張れよ」

「……あんたら、どうかしてる」

「おいおい、坊や。震えてどうした? 泣いてるのか? ……そうだな、私がいいことを教えてやろう」



 狂人の宴は加速する。タバコを打ち捨て、ナタリアはエドモンドの両肩に慈しむ様に手置いた。【罪人を許す聖母】そんな題名が付きそうな絵画のような光景だ。

 ナタリアは彼の耳元で優しく囁く。



「あんたの組織、衛兵所との関係、全部話してくれたら痛いのも怖いのも終わり。これ以上傷つけないし、修道士も呼ぶ。どうだ? ん?」

「無理だ……言えることのほうが少ねぇんだ、わかるだろう? 組織は裏切れない」

「なら、しゃぶっとけ、そしたら助ける。……わっはっはっはっっはあは!!」

「……俺が、おれがそんなに……」

「時間は少ないぞ、早くしろよ」



 震えながらエドモンドは、ユーリに近づいた。両手でズボンを下ろそうとして、痛みに力が入らず止まった。無理だと叫ぶ彼に優しいユーリはすぐに「口を使えよ」とアドバイスする。震えながら従順に、ズボンを咥え下ろし。臭いに数分先の自分の姿を想像したエドモンドは吐いた。胃液が床にぶちまけられる。ナタリアがまた爆笑した。



「んふふうふ。いや、私も絶ッッ対無理だわ」

「馬鹿言え、アンタだっていつかするんだぜ。今のうちに見て勉強しとけ」

「いやぁー、無理無理。絶対無理、よっぽど酔っぱらってたら……いやぁ無理だなぁ、くく。……あぁそうだ、アンナ」

「……はい~?」

「そっちの男にもよく見せとけよ? そいつらのボスが今から何するかさ。あははは」

「……ははっ」



 アンナは怒涛の展開に感性が麻痺していた。止めなきゃいけないと考えながら、どうすればいいか分からず、ただ彼女に従った。悔しさに歯を食いしばり涙を浮かべる部下と思わしき男の首を踏み、視線を固定する。

 ナタリアは満足そうに頷くと、椅子に深く座り部屋に置いてあった木の実を映画を見る際のポップコーンのように摘まみながら「続けて」と二人を促す。

 彼女はエドモンドが約束を守れば、本当にそれ以上なにもしないつもりだった。ハードルの高さは彼女自身がよく知っているし、本当にそんなことをしたら彼は大切なものを失う。それを失ってはこの世界では死んだも同然だ。



 エドモンドは涙目でユーリのパンツを咥えた。少しおろし、見えるか見えないかといったところで泣き崩れた。いい歳の大人が本気で泣き、ユーリの足音に縋りつく。ナタリアが投げたピーナッツがエドモンドの頭に当たり跳ねる。



「はぁー、より強い力にやられる。そんな世界で今まで生きてきたんだろう? 覚悟を決めろよ」

「俺は!!!! 最低な街で生きてきたんだ!!! ほかに選択肢なんかなかった!!!! 奪われる前に奪って、ここまで昇って来たんだ!! もう少しで、幹部にだってなれる!!!」

「だから、順番が回ってきただけだろう? 今度はあんたが奪われる。それだけだ」

「だったら!! あんたも、あんたもいつか。陵辱され尽くし、嬲り殺される時が来るぞ!!」

「もちろん、私にだって"また"来る。……私の想像をやすやすと超えて。少し、楽しみだ」

「……狂ってる、あんたら狂ってる」

「おい、ぼくも一緒にするなよ。そんな事はいいから不完全燃焼だ。早くしろ」

「無理だ。 それは、それだけは勘弁してくれ」

「プライドをとるか、それもいいだろう。だが質問に答えるつもりもないんだろう? ……あんたこっから地獄だぞ」



 ナタリアは、エドモンドをテーブルの上に仰向けに寝かせ抑えるようにユーリに指示を出した。ベッドの上の枕カバー、枕元の水差しを取る。

 ユーリが半信半疑で抑えたエドモンドの顔に枕カバーを被せた。視界が塞がり、漂う不審な空気にエドモンドの腕は小刻みに震えていた。ナタリア以外、まだ誰も何が始まるのかわからない。

 ナタリアとしてもこれをすることは、心が痛かった。それだけ、これは強烈だ。今まで何回かやられたことがあるからよくわかる。

 エドモンドの顎を上げ、彼女は警告した。



「コップ一杯の水に溺れたことはあるかい? 頑張れよ、これはちょっとすごいぞ」



 ウォーターボーディング、ただの水責めとはちょっと違う。強制的に肺から空気を放出させ、一瞬で溺れ死ぬ感覚に襲われる。痛みを耐える屈強な精神も、死の感覚を前にすると驚くほど脆い。彼の精神状態では、きっと長くはない。

 ナタリアがこちらの世界に来て、初めて明確に使った前世の記憶、技術は拷問だった。







 


 昼前の通りをグレゴリーは保護した少女、キャロと歩く。彼女の表情は暗く、視線は忙しなく動き体は震えている。小動物のような少女だった。

 小一時間ほど歩いていたが、グレゴリーは笑顔でずっと明るく話し続けている。


 

「それでなんて言ったと思います? 『偉大なアルフレッドは五歳で現在と同等の知識を身につけた』っすよ。おれ偶然聞こえて笑っちゃったんすけど、タイミング悪く目の本人が! いやー追いかけ回されましたよ、ははっ」

「……」

「あー、あんまりおもしろくないっすね。ははは……」



 会話はずっとこんな調子だった。ナタリアの時は笑いを取れた話題だっただけに、グレゴリーも消沈した。

 エドモンド邸で保護した少女。心に負った傷は深そうだった。最初、突入すると聞いた時は頭がおかしいのじゃないかと思った彼だったが、結果としてナタリアは正しく。今行かなければこの少女は犠牲になっていたかもしれない、と思うとグレゴリーはゾッとした。こういう正義の形もあるのだと知った。

 グレゴリーはナタリアを尊敬している。少女を預けられたときも充足感が胸を満たしていた。

 


 話題もなくなり、やきもきしていたグレゴリーに「あの……」と初めてキャロから話しかけた。

 できるだけ優しく返事をしたつもりだったが、キャロは体を震わせる。裾を握りしめながら、彼女は話す。



「あなたもあの女の人の、友達、なんですか?」

「え? えぇ、まぁそっすね。……変なこと聞くんすね」

「だって、なんだかあの人たちとは、雰囲気が、違うから。あなたはお日様みたい」

「あははは。まぁ、おれがあの人たちのストッパーみたいなものっすから」

「ストッパー……」



 冗談の様に話すグレゴリーの言葉に、キャロの様子は変わった。なんとなく、グレゴリーは嫌な予感がしていた。彼女の様子が、どことなくおかしい。



「…………私の言うこと、信じてくれますか?」

「君みたいな可愛いこの言うことは、信じるっすよ」



 立ち止まったキャロは、震えていた。グレゴリーと足元で視線が往復し、何度も両手を擦り合わせた。恐怖、戸惑い、後悔、様々な感情がグレゴリーにも伝わって来る。

 グレゴリーは黙って待った。彼女が心を開き大切な何かを伝えてくれる瞬間を。――ただ、彼女の語るのはグレゴリーにとって残酷な真実だ。



「助けてください! あの人が、殺されちゃう!」

「え?」



 呆然とするグレゴリーに、彼女の口から今までのことが語られた。彼女の様子、態度、全てが彼女の話すことが事実だと伝えている。

 ナタリアは一つミスを犯した。エドモンドとキャロをただの客と嬢と勘違いしたことだ。



 グレゴリーは一言、様子を見てきます、と言いエドモンド邸へ向かう。その瞳には、形状し難い炎が燃えていた。












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