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北領のナターシャ  作者: Peace
北領のナターシャ
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who the fuck knows



 頬を撫でるやわらかい風に微睡みから目覚めた彼の前に、月の光に照らされた背の高い樹木とその足元を覆う茂みがあった。辺りに漂う木々の香りが彼を優しく包み込み、それにわずかに混ざる土の匂いが良いアクセントになっていて心地よく。

 彼の寝起きの頭は、予想外な状況と気持ちの良い時間に邪魔され働かず、呑気にも身近に感じる自然を満喫するように体に指示をだしたようであった。

 大きく投げ出した両腕を、周りの草や土はまるで歓迎するように優しく受けとめた。異常な状況にありながら脱力しリラックスしている彼の姿には、余裕がある。



 風に揺れる枝葉に見え隠れする月を眺めながら、周りにあふれる自然の香りをすんすん、と鼻をならしながら楽しんでいた彼だったが、その中に嗅ぎ慣れた鉄臭さと生臭さが混ざっていることに気付くと、その穏やかな時間は終わりを告げた。

 警戒しながら周りを見渡し誰もいないことを確認すると、未だ寝転がりながらもようやく今いる場所について考えはじめた。



(さて、ここはどこだ?)



 一言で表すなら森だ。

 彼の周りにだけ木々がなく、開けていて月の光が届くため身の回りを見ることに不自由はなかったが、今のいる場所から少し先は周りの樹木の背が高く密集している。枝葉は活力にあふれて月の光を拒絶し、辺りは原始的な闇に包まれていた。暗闇に慣れはじめた彼の目でも、ほんの数メートル先までしか見通すことができない。

 それにいつの間にか長袖に着替えているようであり、何枚か重ね着をしているのだが不思議と暑さは感じない。気を失っている間に着替えさせられたのかそれとも着替えたのか、ますますわけがわからなくなる。



(酔っぱらって徘徊して、知らないうちに森の中まできてしまったか?)



 自分が若いころに散々にやらかしてきたためになんとも説得力がある仮説だった。国境を二つ越え女物のワンピースを着ていた時なんかは、本気で自殺を考えた。そんなことがあるたびに自分にあきれて、できもしない禁酒を誓ったものだ。

 まさに今の状況であったのだが、歳をとるとともにそんなことはめっきり減ったし、そもそも昨夜は飲んでいないはずである。流石に一杯目を覚えていられないほどボケてないと思いたい。

 なにより自分がいたのは、近年リゾート地として開発された赤道からやや南にはずれた小さな島だ。わずかに残った緑はすべて計算された不自然な自然でどこかくたびれており、こことは似ても似つかない。その上、交通機関が未発達で船もよりつけないあの島から出る方法は空からだけであるが、最後のプライベートジェットが出たのをしっかり見届けたし、次のはどんなに早くても48時間後のはずであるのだが――。

 周りを見渡し、ふと彼は気付いた。目の前にあるクリスマスツリーのような三角錐状の木は針葉樹と呼ばれるものではないだろうか、と。学のない自分にはこの木の詳しい種類も分布もわからないが、自分がいた島に生えてないことはわかる。

 そうすると、自分は元いた場所から少なくとも緯度は大きくずれた位置にいることになる。途端に、肌寒いような気もしてきた。

 


(どうなってやがる。眠っている間に運ばれたのか? いや、俺がなにも気付かないなんてあり得ないだろ)



 怠慢な考えであったが、彼にはそんな態度をとれる自信と経験、そしてプライドがあった。一線こそ退いていたが、まだまだ若造には負けられないを口癖にしている。時間ができた最近は趣味を兼ねて様々な人物に師事をうけ、身体能力でこそ若いころには劣るが、それを補う武器をすでに身につけていた。



 深く考えながらいつもの癖で下あごを擦る。そこに、お気に入りの髭がなく、代わりにいやにすべすべとした感触があった。ぎょっとして見えるわけもない自分の顎を見ようと視線を下げ。視界に入った自分の体に眩暈がした。

 着ている服は見たことのない長袖のワンピースのようなもので、血で赤く染まってる。さらには靴も履いていない。だが、そんなことなど、胸にある二つの丘のインパクトに比べたら問題ない。

 確認するように全身をくまなく触る。全体的に細くやわらかい、そしてほどよい弾力が返ってくる。最後に両手を自分の胸に這わせ、詰め物でないことを確認した。その感触は間違いなく、おっぱいだった。

 眩暈が吐き気に変わる。どんな薬をキメた時よりも強い衝撃に、脳がぶっ飛び倒れてしまいたくなりながらも、自分の脳みそは理解した。



今の自分の体は、女である。



(……頭がどうにかなりそうだ、もしくはもう、どうにかなってしまっているのか)



 何十年と生きてきた常識が通用しない事態。自分の体に起きた事とまともに向き合えない。この問題をいま深く考えることは彼女の、脳が、心が拒否をしていた。



 幸いなことに現実逃避をするにちょうど良さそうなものを、先のクリスマスツリーの木の根元に見つけていた彼女は、急いで立ち上がった。しかし、体格に恵まていた男の時の感覚と現在のギャップをうまく頭が処理できずにすぐ座り込んでしまう。その際のふわり、とやわらかく肩と背中に落ちる髪の毛の感触をできるだけ無視して、もう一度今度はゆっくりと慎重に立ち上がる。

 やはりふわふわとしていて、重いと思い込んで軽い物を持ち上げた時のような違和感があった。重心の位置が違い、目線の高さが違い、体の重さが違う、ほんの数歩を幼児の様によちよちと歩きクリスマスツリーに抱きつくようにして体を止めると、そのまま反転して背を預け座り込む。

 背中の木が大きくて、自分がひどく小さくなってしまったような錯覚に、不安が心の中で生き物のように唸りをあげた。そして、それに共鳴するように、この理不尽に対する怒りが湧き上がる。



 一つ大きく深呼吸をした彼女は、サンタからのプレゼントを確認すると、無造作に落ちていたのは、弦の切れた弓と中ほどから折れた西洋風の両刃の剣であった。

 そのふたつも、博物館でしかお目にかかれないような、ずいぶん現実離れしたレトロなものであったが、彼女の体に起きたファンタジーに比べればかわいいものである。



 彼女は弓については詳しくないためはっきりとは分からなかったが、長さは80cmほどで、軽くしなった木の両端に弦がくくりつけられている簡易的なものだ。アーチェリーしか知らない現代人の彼女には、それが弓として機能するのかわからないほど粗末なものであった。

 剣の方は刃は折れていたが、刀身を見るとよく手入れされていることが分かる。両刃、肉厚で幅は広く鍔はない、布が巻かれた持ち手は両手で握ることは難しそうで、装飾の類はなくあくまで無骨なその刀身は実戦向けに作られた事がうかがえる。中ほどから折れ50cmほどの長さになっているが、片手で使うことを想定しているなら折れた先を含めてもせいぜい70~80cmほどだろう。

 彼女の知識の中で当てはまるものを挙げるとすれば、ローマ軍の戦列歩兵が接近戦に使ったというグラディウスだろうか。



 問題はその刀身が青白いことだ、少なくとも自分は初めて見る金属であった。そもそも、触った感触から金属と判断したがそれすら定かではない。自分の人生と切っても切り離せないほど深い関係だった刃物が、自分の知らない形状と金属でできていることが、彼女を長年の友人に裏切られたような気分にさせた。

 それでも、元友人に出会えたことで先ほどまでの激情は落ち着き、冷静になった頭はさまざまなことを考えはじめた。絶望的な現状が、確かな現実味をもって彼女の世界に浸透してくる。頬を流れる空気も、背中を預ける樹木も、夢であるとは思えなかった。

 この元友人に"ファックノウズ"と名付け、それがいかにもしっくりきて思わず浮かんだ笑顔は、しかしすぐに悲痛に歪められた。



(自分の身になにが起こったのかわからない、自分の容姿もわからない。もっているのは一本の折れた古臭い短刀だけ。……何がどうなってんだ!! どうしろってんだ!!)



 ここがどこかわからない、なんてことはもはやどうでもよかった。サバイバルに最低限必要なナイフの代用品がある今なら、彼女にとってちょっとしたピクニックだ。生死に直接関わる問題には思えない。

 力の信奉者だった彼女に今の華奢な体こそ問題で、死の宣告に近かった。



 地面に乱暴に倒れこみ四肢を投げ出す。数分前は優しく包み込んでくれた草木が、今はただ冷たく感じられる事が悲しかった。

 森から聞いたことがない鳴き声が辺りに響いて、服にべったりとついた血糊は鉄の匂いと彼女の知らない生臭さを鼻に運び、着心地が悪い。全てが彼女の精神を蝕んだ。

 誤魔化すように、これからどうするか考えた。仮にこの森を抜けて、人のいる町に出たとしてそこでどうするか。電話で部下を呼び出すのは問題ない。ここがどんな僻地であろうと、10時間以内に迎えが来る。しかし、そのあとどうする。

 右手に持つ、心の中で罵ったファックノウズだけが、今の彼女の支えだった。



(とにかく、行動を起こして情報を集めなければいけない。元の体に戻らないと決まったわけじゃないんだ)



 そう考えながらも気力が湧かずに目を閉じた彼女だったが、地面がわずかに揺れていることに気付き耳をつけた。

 しばらくそうして音を聞いていた彼女は、急に起き上がると近くの木に寄りかかり、音のした方向を鋭く目を凝らして眺めた。眼前にはただ暗闇が広がるだけで何も見えない。背筋に冷たいものが走った。

 短刀を使い弓から弦をちぎるように切ると、それで髪を乱暴にまとめた。その際の絹のような手触りに萎えそうになる心を叱咤して、長袖の肩から先の部分を破り足に巻く。簡易的な靴はひどく頼りなかったが素足よりはマシであると結論付けて、ファックノウズを腰に巻いてある帯にひっかけながら歩き出す。

 未だこの体に慣れずに倒れそうになるが、それでも急いでこの場を離れなくてはいけなかった。



 彼女はこの地面の揺れが、"何人もの人が移動しているから"と、経験から知っている。



(数は30~40、距離は100m以内)



 嫌な考えがいくつも頭にちらつく。

 体が女になっている時点で、常識は壊されていた。

 足音のばらつきから軍隊ではなさそうだが、この時間、暗闇の中あの集団は、明かりもなく駆け足の速度でこっちに向かってきている。この時点で接触したくないが、人間にしては足音が軽く、その集団が近づくにつれて鉄臭さと生臭さも強くなってきている。

 極力足音を消しながら集団との進行方向から軸を大きく外し、木の陰に隠れた。それから後方の気配を探ってみると彼らもすぐこちらに方向を変えた。どうやらこちらのことを完全に捕捉しているらしい、どんどん悪くなっていく状況にこぼれそうになる愚痴を我慢していると、腰のファックノウズの位置がわずかにズレ、自分を慰めているようで苦笑いが漏れた。



 未だ何もわからない彼女の、出口も終わりも見えない絶望的な鬼ごっこが始まろうとしていた。






推敲を重ねましたが、不審な点や誤字、脱字を発見しましたらご連絡ください。





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