Japanese Taste Liot
2050年、初夏の、まだ涼しいと言える夜の新宿で、俺、つまり、リュシアン=カイエンは新宿に立ち尽くしていた。
「迷った……」
がっくりと肩を垂れる。ついでに尻尾も垂れる。俺は、キメラ症という病気でこんな容貌になっている。尻尾が生え、犬頭の、小柄なアメリカ人。フランス系だ。
仕事で日本に来てひと段落して、夜の街へ繰り出したはいいが目当ての店が見つからず、こうして途方に暮れている。辺りには牛丼屋、ラーメン屋、コンビニ、風俗店やら、客引きやら、とにかくやかましい。本当なら、二丁目、なるところを目指していたのだが、どうやら別のところに迷い込んだらしい。
漢字は読めないが、でかでかと、通りの入口に赤いイルミネーションが光っている。名のある繁華街だからここかと思ったのだが、目当てのモノがなく、キメラ症の人間に近寄る人間もあまりなく、ひたすら途方にくれる。ああ、日本とはキメラ症に寛容ではなかったのか、さらにため息が出る。
「ああ、まいった、コンビニくらいしか行くところがない」
一人ごちてコンビニに入る。雑誌は無論立ち読みできない。読めないからだ。酒でも買おう。日本のウィスキーは実は好きで、ニッカは安いしよく飲む。ニッカの小瓶を棚から見つけ出すと、それをレジまで持っていく。
するとそこで妙なものを見つけた。金属製の四角い、鍋のようなものに、茶色の、ヌードルのようなスープに様々な具材が煮込まれているモノがある。普通の姿の健常人の女性がその前に立ち、何かを選んでいるようだ。一瞬こちらをむいて「あ、キメラ症?」というようなことを日本語で言っていた。
「キメラ症」というのは、ウィルス感染症の一種で、エイズのような性感染症だ。人間に感染すると、慢性的な倦怠感や、末期にはガンなどを引き起こす。また、そのウィルスは人間の遺伝子と他の動物の遺伝子をすり替えるという作用がある。俺の場合はハスキーと親の遺伝子でそれが起こった。
キメラ症の研究が最も進んでいるのが日本だが、先のように一般生活ではまだ珍しいらしい。しかし俺にとってはこの四角い鍋と謎の具材たちの方が珍しい。ちょっと距離をとってその女性を観察することにした。そういえば、腹も減っている。
さすがにレジカウンターの店員に怪しまれそうなので、入口付近のコミックらしきものを立ち読みしながら様子を伺うことにした。手持ちのスマートフォンを鏡替わりにして、彼女を観察する。
その女性は、まずそばにある発泡スチロール製のカップを手に取り、さらに鍋に置いてあるおたまを手にとった。スープをおたま一杯ほど、カップに移すと具材を選び始めた。なるほど、セルフサービスなのだな。
次に彼女はやや茶色くなっている卵のようなもの、青白いヌードルのようなもの、スープがよくしみたであろう円柱型のもの、四角く白いなにか、そして、男性の股についているような何かを箸でつまみ、カップに移していく。なんだあれは、やや小ぶりだが、女性はあれを好むのか?
そしてその他にも数点、何かをカップに詰めたあとレジカウンターへと並んだ。なるほど、そうやって買うのだな。俺も俄然興味がわいてきた。今夜は二丁目にはたどり着けなさそうだし、あれを食べて夜を過ごそう。よく見れば大きいカップもある。これなら男の俺でも満足いくだろう。
早速俺はその鍋の前に陣取った。大きめのカップを手に取る。
なるほど、鍋の全面にはメニューが貼ってある。詳細は不明だが値段と外見は判別可能だ、そこまで高くない。どの商品も1ドル前後。90円から150円か。なるほど、鍋ものとはやや時期はずれだがうまそうだ。
まず、見た目でわかるものを選ぶ。ボイルした卵だ。薄く色づいており、鍋から香るものとよく似た味がしみていることをうかがわせる。次はコンブだ。日本には甘味、塩味、酸味、苦味、辛味の他に、ウマミという味覚があるらしいが、その代表格がこの海藻らしい。なるほど、片結びして外見もよい。
次に先の女性も入れていた謎の白い物体をつかみ、カップに入れる。なんとふわふわしたものだろうか。綿菓子のようにだが実体はしっかりとしている。さらに青白いヌードル。これも縛ってあり見た目に華やかだ。他にも様々あるが、適当に詰めておこう。合計10品くらいだろうか、10ドル前後か。
鍋の中身とニッカの代金の支払いをする。コンビニの男性店員がなにやら妙な目、色目かもしれない目つきで俺を見てきている。残念ながらタイプではないからノーサンキューだがいい気分はする。せっかくだからウィンクの一つでもあげてみると、なんだかニヤニヤしていた。そういうことか。
代金は1600円と少し。巻き髪の男が描かれた1000円紙幣を二枚、店員に渡すと、彼は小銭をジャラジャラとレジから取り出し、僕の手に片手をしっかりと添え、さらにその上から覆いかぶせるように小銭を載せた。なるほど、彼はキメラ症が好みなのか。妙な日本人なのかもしれないが。
そんな、ボクと同類の店員がいるコンビニを出ると、ホテルに戻ることにした。
ホテルはやたらと周囲がやかましいが、このあたりは毎晩祭りでもやっているのかというような雰囲気だ。
ホテルの部屋に戻ると、さっそくニッカをグラスに注ぎ、先ほどのほかほかとした煮物をテーブルに置いた。
この何とも言えない、様々な香りがあわさった複雑なものは、一体どんな味がするのだろうか。割り箸は幸いにも使えるので食べることそれ自体に不自由はしなさそうだ。
まずは卵からだ。表面だけ若干硬く、前歯を立てるとぷちりと割れた。しかし中は柔らかく、黄身にまでしっかりと、芳醇かつ香ばしい、甘味を孕んだ何とも言えない味がしみていた。なるほど、これがウマミという味覚なのだなと実感した。
ここで、もらったビニール袋の中に小袋が入っていることに気がつく。黄色いペースト状のものが入っている。これはスパイスかなにかだろうか?とりあえず開けてみるが、ツンとする香りがした。マスタードにも似ているが、それよりも、ワサビよりもアツイ香りがする。これを入れるのだろうか?
おそるおそる、半分かじった卵に、その”強いマスタード”をかけ、残りをほおばる。最初に一瞬辛味は強く来たものの、噛む程に、この煮物のウマミが引き締まっていき、さらに別の完成された味になっていく。
これは、美味い。このマスタードの正体は気になるが、そのほかの具材も気になる。特に気になるのはこの四角く白い、実体のしっかりした綿菓子のようなものだ。それは、店頭で見たのと同様、スープにふんわりと浮いており、下半分だけがスープを染み込ませていた。とりあえず箸で半分にわるが、ムースのような断面をしている。はるかに強度はあるが。口に入れて噛むが、確かに歯ごたえはあるのにしっとりと消え去っていく。しかし、魚肉のようなコクのある味わいだ。それに先ほどのスープのウマミも加わって、濃厚な魚介スープの味わいになる。なるほど、これが日本の味なのだな、と妙に納得してしまった。
その他にも、何かのすり身に何かの根菜をはさんだもの、豆腐のような味がするがニンジンや海藻をたっぷりと含んだもの、すべて独特の味わいとスープの組み合わせがマッチしていた。なんなのだこの食べ物は。
そして俺はそれにたどり着く。男性のソレのような形状の、なぞの袋に。これは一体。見慣れたものではあるが、いやまさか本物ではあるまい。ではこれは一体なんだ?袋状の何かの中に、何かが入っており、紐のような何かで口を閉じてある。
思い切ってそれをかじる。
「むおっ!?なんだこれ!!」
思わず声に出してしまう。中に入っていたのは、モチだ。ライスケーキ。外の袋の正体はわからないが、いずれにせよ味がしみており、中のモチがしっとりと、かつ伸びやかな食感で美味い。ジューシーなそれは俺の舌を刺激してやまない。
思わずニッカを煽る。これは酒と合う。
むしろこの煮物は酒のために存在するのではないだろうか。よく理解できないが、とにかく理屈を飛び越えてこの煮物はうまい。
その煮物のせいでついニッカの小瓶を一本開けてしまったためか、俺はそのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝起きて、早速パソコンを開いて、昨日の煮物について調べる。日本にあり、魚介のような風味に、卵、ヌードル、謎のムースにモチ入りの袋。一体なんなのだ。
ようやくたどり着いたその料理は、オデンと言った。なんと、あのムースは魚のすり身をゆでたものらしい。
嗚呼、日本よ、キメラ症やら二丁目やら、それも素晴らしいがこんな食品に満ち溢れているのか。俺はそんな幸福感に包まれ、その日の午前中はもう一度その煮物を食って過ごした。
ちなみに昨晩の祭りのような雰囲気は朝には消え失せていたが、ごく近くのメトロの駅名が「新宿三丁目」だった。おそらくあのあたりが二丁目だったのだろう。結局目当ての街にはたどり着きながらたどり着けなかったが、コンビニで恐ろしいまでの日本を実感した俺は満足して仕事に向かえた。