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無名探偵  作者: 真島 文吉
一章  無名探偵
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「そんなわけで、悪いが名を出させてもらったよ。木蘭亭やびるぢんぐの連中に危害が及ぶと困るんでね」


「かめへんかめへん。他ならぬあにさんにやったら、なーんぼ名ぁ出してもろてもえぇんや!」


 ねちっこい関西弁らしき言葉を使う男は、対面した棚主に酒を注がせながら、愉快そうに笑った。


 場所は千住せんじゅ。棚主の住む銀座からは馬車を走らせるか、その気になれば自転車でも行けないことはない、という程度の距離だ。


 和洋折衷の木蘭亭とは違う、昔ながらの純和風の旅籠。

 畳の上に座布団を敷いて、棚主と男は酒をみ交わしていた。


 男の右側には日本髪の飯盛り女が、赤い着物の裾から白い腿を晒してしなだれかかっており、左側には、全く同じ格好をした美少年が同じ姿勢で座っていた。

 普段の棚主なら眉をひそめるような光景だが、今日ばかりは目の前の男に借りがある。お猪口ちょこの酒をちびちびやりながら、殊勝な表情で言った。


「奴らが何か言ってきたらすぐしらせてくれ。尻拭いはさせない」


「いやぁ、大丈夫やろ。鴨山組はあのとおりの根性無しや。組員も今日兄さんが会った連中で全員やし……」


「どこかの一家の傘下なんだろ?」


 ヤクザの組織は基本的に一番上に『一家』や『会』と呼ばれる親組織があり、その傘下に複数の『組』が入っていることが多い。だが男は棚主の言葉に、ゆっくりと首を振った。


「いえ? 鴨山組はあれで全部なんですわ。親分にあたる一家も、子分に当たる組もあらへん。たった数人の『集団』ですわ」


 流石にそれはないだろう、という棚主の心情を察するように、男は「ま、ま」と手をかざした。とりあえず話を聞けという仕草だ。


「鴨山組も銀座なんてえぇところに組を構えるだけあって、昔は組員百名を越す大所帯やったんや。せやけど、今の組長の先代……親父が、エラい醜聞を暴かれましてなぁ」


「醜聞?」


「当時同盟を組んどった、別の組の幹部の嫁に手ぇ出して、はらませよったんですわ。いくら普段から荒っぽいシノギをやっとる組や言うても、仁義に反することしたらアカン。威厳は地に落ち、組員には見捨てられ、シマの殆どをその、同盟やった組に慰謝料としてぶん取られた。で、鴨山組の先代組長は屈辱に耐え切れず自決。跡を継いだ息子が今細々と悪党やっとると。そういうことなんですわ」


 男は意地の悪い狐を思わせるような細い目を、さらにきゅっと、一本の線のように細めた。

 顔の輪郭は痩せて見えるが、ワイシャツの袖やズボンの裾を持ち上げる筋肉は、力強く膨れ上がっている。

 骨ばったその手で両脇の女と少年の肩を掴むと、体をゆすって低く笑った。


 棚主はそんな男の話に呆れたように息をつく。


「みじめだな。同業者にさげすまれ、公務員と癒着して、民にタカって食い繋いでるわけだ。本当に大した連中じゃなかった」


「銀座舗装工事計画ちゅぅのも、鴨山組にとっちゃ民を強請ゆする口実の一つですわ。あと、自分とこの建設業者から金をせびるためのな」


「業者から? ……どういうことだい」


「癒着しとる公務員も、建設業者も、内心では鴨山組をうとましく思っとるんですわ。そりゃあヤクザをうとったら便利っちゃ便利やけど、金がかかりますからな。今の鴨山組には人望もないし、大金をはたいて繋がっとるだけの価値があるかどうか。せやから、連中が金の無心をしてきおっても、業者も素直に『はいどうぞ』とは言わんのですわ」


 つまり、敵に回すと面倒だから愛想を使っている、という面が強いわけだ。


 確かに地域に根ざしたヤクザは、地元民を飢えさせるほど搾取さくしゅすることはあまりない。

 家や店を取り上げて追い出してしまうと、自分のシマの生産性が悪くなり、枯渇するからだ。鴨山組のやり方は、そういうことに考えが及んでいるとは到底思えない。


 力のあった頃の鴨山組を頼りにしていた連中は、鴨山組が落ちぶれた今、過去の癒着の事実を暴露されることを恐れて最低限の便宜べんぎはかっている。そんなところなのだろう。


「でな? 鴨山組は今、工事の対象区域の土地をどんどん脅し取っとるけど……多分、権利書の類は業者には渡しとらんと思います。自分らの事務所に保管して、工事が始まる時に出ししぶるわけですな。つまり工事区域の土地の権利書を、買い取れ言うわけです」


「……なるほど。権利書をヤクザが持ってる内は工事ができないし、かと言って入札で請け負った公共工事だから諦めるわけにもいかない。業者はヤクザから、言い値で権利書を買うしかない、か」


「世間を巻き込んだ小遣いせびりやな。あさましいこっちゃ」


 男は飯盛り女に酒を飲ませながら、不意に笑みを消して棚主を見た。

 細い目が、薄刃のようにギラついた光を宿す。


「兄さん、アンタ、鴨山組の奴らをどうするつもりやったんです?」


「ん?」


「殺す気やったんですか。全員」


 棚主は目の前の男の両脇にいる、飯盛り女と美少年を見た。

 物騒な話題が出ているにもかかわらず、二人は男の機嫌をとることに夢中らしく、顔色一つ変えない。

 血生臭い話は日常茶飯事と見て、棚主が腕を組み、答える。


「警官は奴らをとがめず、俺の知り合いが恫喝どうかつされ、危険にさらされた。止めるにはどうすればいい? 金でも握らせるか? 何度でもやってくるのは目に見えている」


「殺す気やったんか、と、聞いとるんですわ」


「死刑の最大の利点は何だと思う?」


 死刑。相手の言わんとしていることを察して、男が飯盛り女の肩を強く握った。

 彼女はあえぐが、嫌な顔はしない。場を満たす不穏な空気に、笑顔を崩せないようだった。

 棚主の目が、目の前の男と同じように、刃のようにまされ、細められる。


「死んだ人間は、誰も傷つけない。殺せない。それが、死刑を行う利点だ」


「ハジキを持っとったんですね?」


「当然だろう。丸腰で行くほど勇敢じゃない」


 ハジキ。即ち拳銃は、大日本帝国においては明治時代から当たり前のように民間で売買されていた。護身用に拳銃を、と広告が出され、時には玩具屋にすら拳銃が並んでいたのだ。


 もちろん所持に際しては許可を得なければならないが、その取得は決して難しくはなかった。


「だが、あくまで最後の手段のつもりだった。拳銃はうるさいからな。逃げるのが面倒になる。それに流石に、五人も殺すのはしんどい」


「死体はどうするつもりだったんで」


「建築現場だったからな。人払いも完璧だった。両隣は空き家。何とかならんこともない。案外、向こう側も同じようなことを考えていたんじゃないかな」


 男は唸り、天井を仰いだ。何とも雑な話に聞こえるが、棚主ならやりかねないということを、彼は知っている。


 ヤクザと戦う者が、一番恐れなければならないのが報復だ。本人が狙われるだけならまだしも、周囲の人間にるいが及ぶことを先ず考えねばならない。


 今回の場合、鴨山組は最初に木蘭亭に目をつけ、その従業員を棚主がかばった。この時点で木蘭亭の人間が棚主にとって、守るべき対象であることは明白だ。棚主と木蘭亭は、平等に鴨山組に狙われる形になる。


 警察を頼れない以上、当事者間でカタをつけるしかないわけだが、鴨山組は明確な敵意をもって棚主を追い、住所まで突き止めてきた。


 呼び出された場におもむけば、物陰で金槌を構え、匕首を突きつけようとした。殺意はあったと判断していい。


 ならば棚主は、棚主という男は、殺人者として振舞うことを考えねばならない……


 男は天井から視線を降ろし、「いやいや」と、首を振った。


「ワシという極道の『ダチ』がおりまんがな。もっと早く言ってくれりゃあ、話つけたったのに。緋扇組ひおうぎぐみは鴨山組なんかとは格が違いまっせ。一発や」


緋田ひださんよ。あんたは『ダチ』じゃない」


 緋田と呼ばれた男は、その一言で心底心外そうな顔をした。

 だが、棚主は悪びれずに続ける。


「友達ってのは、何の保険もかけずに信頼し合うもんだ。気兼きがねなしに、腹の探り合いもせずに、付き合うもんだ。俺達は違う」


「殺生な。名刺使わせたったのに」


「感謝してる。だがあんたはそれを俺への『貸し』と考えている」


 緋田の目が泳いだ。棚主が続ける。


「組の名を利用させたんだ。確かに『貸し』だろう。ならば、さっきあんたが言ったように極道であるあんたに鴨山組との仲裁を頼んだなら、それも『貸し』に入る」


「……」


「あんたはいずれ、溜まった『貸し』の清算を求めるだろう。あんたは俺を極道にしたがってる。自分の組に入れたがってる。それが嫌だから、俺は無闇にあんたを頼らない」


「悲しいわぁ。兄さん、めちゃくちゃ警戒しとるがな」


「あぁ。だから俺達は友達じゃないのさ。ただの『知り合い』だ」


 きっぱりと言った後、棚主が徳利とっくりを持ち、緋田に差し出した。

 酒を注いでやるつもりだったが、緋田はお猪口を取らず、深く深くため息だけをつく。


 緋田が棚主を友人だと思っているのは、おそらく本心なのだ。そうでなければ組の名の入った名刺など渡さないだろう。


 棚主が自分の名刺を使ったと聞いて、緋田がのんきに笑っていたのは、初めからそういう使い方をさせるために渡したからだ。つまり他のヤクザに、棚主が自分と……本職の極道と懇意こんいにしている人間であると知らしめ、簡単に手を出させないようにするために。


 緋田は、棚主が名刺を私利私欲のために使うような男でないことを知っていた。

 己の身は己で守る。棚主が一人で戦い、傷つく分には名刺は必要ない。


 だが今回のように、棚主への報復として他の人間に危害が加えられる可能性がある時、緋田の名刺のような、組織としての抑止力が必要になるのだ。


 もしそれがなかったなら、棚主は本当に鴨山組を皆殺しにして、死体を埋めていたかもしれない。その後死体が発見されて、万一棚主が世間の追及を受けることになったとしたら。


 戸籍を持たぬ棚主は、そのまま帝都を去り、野に逃れてしまうだろう。


 棚主は『友達』の定義にうるさい。

 彼にとってそれは、大いに意味のある概念なのだ。


 だから『友達』である木蘭亭の女達が暴力に晒された時、代わりに戦った。

 鴨山組に会いに行った。

 拳銃を持って行った。


 親しい人の敵は、是が非でも排除しなければならない。


 時に犯罪行為を生業にする男の、道義と呼ぶにはあまりに身勝手な信念。


 だが、極道である緋田には、それが理解できた。



 ……極道とヤクザは、本来言葉としての意味が違う。

 極道とは仏道を極めた高僧を指す言葉で、それが他の職業の『道』を極めた者にも使われるようになり、優れた侠客きょうかくを極道と称するようになった。


 一方ヤクザは賭博を生業とする博徒ばくとを指す言葉で、花札賭博において『八』『九』『三』の札の組み合わせが最悪の手になることから、何の価値もない、何の役にも立たない、社会の嫌われ者を指す蔑称となったと言われている。


 現在では両者とも同じ意味で使われることが多いが、緋田は未だにヤクザと呼ばれることを嫌う。極道であろうとする。


 彼の所属する緋扇組は元々自警団をルーツとする組の一つで、役人の搾取や無法者の暴力から、暴力で民間を守るために組織された。


 明治の動乱を生き抜いた緋扇組には、侠客としての極道の性質がある。

 あくまで『民の側に立つ悪党』という態度だ。


 法治国家においては欺瞞ぎまんはなはだしい戯言ざれごとに聞こえるが、この時代、彼らのような侠客集団としての極道は、ある程度世間に認められていた。


 だからこそ、民を食い物にする鴨山組のようなヤクザは気に入らない。

 連中を敵に回す、棚主のような男にかれるのだ。


「無理強いはせぇへんけど、うちに来たらもっと楽に生きられまっせ。兄さん、根は侠客やから」


「俺はあんたらみたいに、顔も知らない『民』が大事なんじゃない」


 柱にかけられた時計を見て、棚主が立ち上がった。午後五時。銀座に帰る頃には暗くなっている。


「自分の周りの人間だけが、大事なんだ」


「ま、たいがいのヤツはそうでんな」

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