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無名探偵  作者: 真島 文吉
一章  無名探偵
4/110

 木蘭亭での騒ぎから三日が経った頃、棚主の探偵社に脅迫状が投じられた。


 棚主は通りに面した四階建てのびるぢんぐの、最上階に部屋を借りて、そこに探偵社を開いている。辿りつくにはびるぢんぐの玄関扉を開けて、一階のミルクホール(酒場のようなものである)を突っ切り、奥の階段をひたすら上って行くしかない。

 階段の途中には別の店舗の部屋があり、帰る時は当然同じルートを引き返す。


 脅迫状を投じた犯人は明け方を狙ってやってきたが、惜しくも帰る途中で便所から出てきた住人の一人にばっちり顔を見られてしまったのだ。


 犯人は開き直って住人を押しのけ、さっさと退散したのだが……


「運の悪い野郎さ。よりによってきゃめらまん(カメラマン)に見つかるとはな」


「まさか写真に撮ったのかい?」


「いや、生憎あいにくきゃめらを持ってなかった。けど、こちとら『狙った情景を切り取る』お仕事だぜ。とっさの記憶力と似顔絵ぐらいは、まぁ『たしなみ』ってやつよ」


 ミルクホールのテーブルの上に、背の低いきゃめらまんが犯人の似顔絵を得意げに置いた。


 まるで江戸時代の人相書きのような古臭い絵柄だったが、棚主はその髪型とぼこぼこにれ上がった顔面の形から、木蘭亭でぶちのめした鴨山組のヤクザの一人だと断じた。


 もっとも、実は投げ込まれた脅迫状の内容を見れば、それぐらいのことは察せられる。


 ドアと床の隙間にはさまっていた封筒ふうとう入りの紙には、汚い字で


『官憲ニ代ワリ天誅てんちゅうヲ下ス。本日正午、銀座、尾張町角、建設中ノカツフエ(・・・・)ニ来ルベシ』


とあった。


 カツフエとは、つまりカッフェ。喫茶店のことだ。


 棚主はヤクザ達を暴行し、官憲はそれを見逃した。

 だから建設業者と繋がりのあるヤクザ達は、その建設業者が管理している現場に棚主をおびき出し、復讐しようというのだろう。


 鼻で笑う棚主に、似顔絵を描いたきゃめらまんが少し心配そうに言った。


「で、行くのか?」


「仕方あるまいよ。会社にまでこられちゃ、付き合ってやらんわけにもいくまい」


「素直に警察に届けろよ。お前はどうしてそう、無闇に暴れたがるんだ」


 童顔のきゃめらまんの言葉に、棚主はこげ茶色の背広の襟をいじりながら、当然のように答える。


「警察は今回アテにならんし、そもそも俺はろくでなしの悪党だ。戸籍もない。警察に頼れた身分じゃないのさ」


「いずれ死ぬぞ。そんな生き方をしてたら……」


「浮浪児時代の方が、今よりずっと『死』に近かったよ」


 席を立ち、背広と同色のハットを被る棚主。胸元の赤い蝶ネクタイを整え、玄関扉を開く。


「それに、俺の性分なんだ。噛み付いてきた奴はぶん殴らんと気が済まん」


 きゃめらまんが何事かを言おうとしたが、その声が届く前に玄関扉は閉められた。


 心地よい陽気にめいっぱい伸びをしてから、棚主は往来を歩き始める。指定された正午まではまだ時間がある。のんびり散策がてら行くつもりだった。


 ポケットに手を突っ込みながらぶらぶらと歩く棚主に、道端で弁当を食っていた書生が挨拶した。片手を上げて「よう」と応えると、さらに前からやってきた二人組の婦人が、すれ違いざまに会釈えしゃくする。


 探偵などという職業は、本来世間に忌避きひされるものだ。個人的なことを何の権利もないくせに探ってくるのだから、当然だろう。


 にも関わらず棚主が近隣住民にうとまれていないのは、彼自身が自分の職業を必要な相手にしか明かさぬよう心掛けていることと、本屋にところ狭しと並ぶ探偵小説のせいだろう。


 シャーロック・ホームズを筆頭とする架空の探偵達の大活躍は、この時代の人々の探偵観を少なからず良好なものに変えている。探偵小説はもはや子供から大人まで好む娯楽ごらくのひとつだ。

 棚主を探偵と知った人の中には、明らかに羨望せんぼうの目で見る者すらいる。


 何ともむずがゆい思いのする現状だったが、まあ、嫌われるよりはマシだった。


二串(ふたくし)くれないか」


 しきりに道行く学生に買い食いを勧めていた焼き鳥屋に、声をかけた。

 鳥の臓物の焼けるいい匂い。年季の入った屋台の中から、若い焼き鳥屋が笑いかけた。


「昼飯かい? 棚主さん」


「朝飯だよ。これから一仕事済ませるんだ」


「じゃ、精がつくようにでかいのを包んでやるよ」


 タケノコの皮に包まれた焼き鳥と代金を交換し、早速一串頬張りながら、棚主は「そういえば」と白々しく往来を振り返った。


「銀座を舗装工事するって話があるそうだね。何でも、家をどかして道路を広げるとか」


「ああ、そういう話だな。当事者達は大変だろうねぇ」


 臓物を串に通しながら他人事のように言う焼き鳥屋に、棚主は水を催促さいそくしながら問いかけた。


「あの工事って、いったいどの辺りまでが対象なんだ? ここは手をつけないのか」


「通り向こうの話だからな。銀座舗装工事計画、なんて大仰な名前をつけてやがるが、実際に舗装されるのは通り一つだけだ。本当は銀座全体をいじくるつもりだったらしいが、民間の反発が目に見えてるんで、一番住民の少ない通りを選んだらしい」


「完全に金を使うための思考だな……住民を追い払ってまでやる意味がない」


 渡されたコップ入りの水を一口飲むと、残った水で竹串をさっと洗い、ポケットに突っ込む。

 コップを返却して背中を向ける棚主に、焼き鳥屋がさも分かったような口で言った。


「結局役人ってのは民衆の敵さ。公の利益って金看板を掲げりゃどんな横暴も通ると思ってやがるんだ。焼き鳥一つ売らねぇくせに、俺達の税金を湯水のごとく使いやがる」


 ふざけやがって、とぶつぶつ言う焼き鳥屋を残して、棚主は再び往来を歩き始めた。


 話を聞く限り、今回の騒動は思ったほど大変な事件ではないらしい。

 結局ケチな公務員とケチなヤクザが結託けったくし、一部の住民から財産をむしり取ろうとしているのだ。


 鴨山組のヤクザ達の露骨な恐喝方法を見ても、彼らが銀座舗装工事計画を、単なるシノギの一つとしてしか考えていないことは明白だ。もっと重大な意図のある計画なら、暴力は使わず慎重に事を運ぶだろう。


 恐らく、そこまで賢いシノギのできない組なのだ。

 連中と癒着ゆちゃくしている警察署長とやらも、それを見越して工事の権利をくれてやったのかもしれない。所詮小遣い稼ぎにしか使えないだろうと。


 小遣い稼ぎで家を失う住民は、たまったものではないが……



 指定された尾張町角に着く頃には、正午を少し過ぎていた。

 だらだらと寄り道しながら歩いたせいだが、相手は依頼主でも友人でもない無法者だ。多少待たせたところで痛む良心もない。


 会見場所である建設中のカッフェはすぐに見つかった。隣接する民家に無遠慮に木屑や埃を浴びせかけ、道端に材木を放り出している。


 棚主はカッフェに入る前に、両隣の民家を覗いてみた。窓を覆う埃を手で拭うと、うす暗く人気のない、がらんとした玄関が見える。

 靴も家具も見当たらず、奥の壁にはこちらに向かって『呪ワレロ』と、大きな文字が墨で殴り書きされていた。


「やることは、普段から変わらんか……」


 ヤクザに家を脅し取られた住民が、玄関を出る前に壁に呪詛じゅそを塗りこめる光景が脳裏に浮かんだ。

 棚主は汚れた民家に挟まれたカッフェの玄関に歩み寄ると、その新品のドアノブを握り……

 少し開いたところで、ふと気がついて、一歩下がった。

 息を素早く吸うと、半開きのドアに、渾身の力を込めて蹴りを放つ。


 靴底がドアを叩くと同時、ドアの向こうで悲鳴が上がり、誰かが派手に床に倒れる音が響いた。

 息を潜めていたヤクザ達が騒ぐ中、棚主がのそりと室内に侵入する。


 工具や材木が散乱するホールに、直立する四人のヤクザと、尻餅をついている一人のヤクザがいた。

 ドアを開けた瞬間に棚主の頭でも殴ろうとしたのだろう、尻餅をついたヤクザの手には、金槌かなづちが握られている。


 棚主は殺気立つヤクザ達の顔を順に見回した。


 そのほとんどが先日、木蘭亭でぶちのめした面々だったが……


 棚主の目がふと、ホールの最奥で紙巻かみまき煙草を吹かしている、赤い背広姿のヤクザを捉える。

 背広も派手だが、髪の色も妙だ。明るい赤茶色に染めて、もじゃもじゃと肩に垂らしている。


 現在市井に出回っている染毛剤というものは、主に白髪や赤毛を黒くするためのものだ。

 わざわざ明るい色に染める者などまずいない。ヤクザの間でも、色つきの髪などみっともないと言う者が大多数だろう。


 棚主の視線を受けて、赤茶色の髪のヤクザは小さく笑い、煙草を足元に投げ捨てた。


「大した度胸じゃねぇか。素人のくせに」


「あんた誰だ?」


 棚主の問いに、これみよがしに首を巡らせ、ぽきぽきと音を立てる。

 取り巻きのヤクザ達が工具や棒切れを構え、妙に勢いづいた笑顔を浮かべた。


 身分の高いヤクザであることは明白だった。喧嘩の強いごうの者。おそらく組の子分達をまとめる、若頭といったところか。


「鴨山だよ。鴨山正一かもやましょういちだ」


「鴨山……」


 だが棚主の予想に反して、ヤクザは自分の組の名と同じ名字を名乗った。

 鴨山組の鴨山。順当に考えて、組長だ。


 棚主は改めて周囲の面々を見回しながら、眉根を寄せて低い声を出す。


「たかが一般人をシメるために、組長自身が出張ってくる? 人手不足かい、鴨山さん」


「ヤクザを何人もぶちのめす男は一般人じゃねぇ。まぁ座れよ」


 壁際に重ねてあった木椅子を持ち上げて、鴨山が引きずってくる。

 棚主の目の前まで歩み寄り、床に置いた。棚主は動かない。


「長居する気はない。さっさと終わらせよう」


「調子に乗るなよ。座れ」


 鴨山が懐から匕首を取り出し、突きつけようとした。

 だがゆったりとしたその動作が終わる前に、棚主の足が音もなく鴨山の腹に食い込んでいた。

 目を剥く鴨山が背を丸めた瞬間、さらに匕首を握った手首がはね上げられる。


 棚主のポケットから取り出された竹串が、まるで注射針のように鴨山の手首にまっすぐ差し込まれていた。


「なっ……あっ!」


 流れるような暴力に絶句する鴨山の顎が、棚主の拳にまともに突き上げられた。


 匕首を取り落とし、仰向けに倒される鴨山。周囲のヤクザ達は呆気に取られたように、動けないでいた。


「酷いと思うかい? だがな、こいつで突かれたって、死ぬんだぜ」


 床に落ちた匕首を拾う棚主が、醜い表情であざ笑った。


 人に対し殺傷力のある武器を抜いた時点で、殺意を表明したも同然。ならば死に至る反撃をされても文句は言えない、というのが、暴力に生きる棚主の理屈だ。


 手首を押さえながらうめく鴨山が、駆け寄る子分を蹴りつけ、ふらふらと立ち上がった。

 竹串を抜きかけて、しかし出血が酷くなる可能性に思い至ったらしく、逡巡しゅんじゅんする。

 棚主はその様子を見て、更にあざ笑う。


「あんたを見てるとよく分かるよ。鴨山組、大した組じゃないってな」


「何だと……!」


「普段反撃してこない一般人ばかり相手にしてるんだろう。喧嘩には慣れてるかもしれんが……殺しには、慣れてない」


 匕首を腰だめにして、棚主が鴨山を睨む。

 だらりとした姿勢で片手で匕首を握った鴨山より、はるかに堂に入った構え方だった。

 体ごと敵に突進し、内臓に刃を突き込み、致命傷を与える。そのための構え。


 危機を感じて手をかざした鴨山の前に、ようやく子分達が盾として立ちはだかった。

 口々に脅し文句をがなりたてる彼らは、しかし、守られている鴨山が青ざめるほどに腰が引けている。


「待て! ちょっと待て! 何が望みだ!?」


 うるさいだけで迫力のかけらもない子分達の声を割って、鴨山が叫ぶように訊いた。


 その必死の形相に、棚主が低い声を返す。


「ふざけなさんな。挑戦してきたのはそっちだろう」


「……少し誤解があるらしい。ひとまず、置け」


 そう鴨山は言うが、棚主は微動だにしない。匕首を構えたまま、ヤクザ達を睨んでいる。

 とうとう後ずさり始める子分の一人を、鴨山は襟首を掴んで引き止める。そのまま、ほんのわずかに媚びの入った声で訊いた。


「あんた、もしや同業者か?」


「……」


「いいか、俺はあんたをどうこうするつもりはねぇ。ただ、あんたがうちの若ぇ衆を痛めつけたって聞いてな……使えるもんならうちに誘おうと思っただけなんだ。同業者なら謝る、誤解だった」


「あんたらの手紙には『天誅ヲ下ス』とあったがね。……俺はヤクザじゃない。だが不愉快なことに、仕事の関係上ヤクザと会うことも多い……失踪人の中には、ヤクザに捕まって遊郭ゆうかくに売り飛ばされる女も多いんでな」


 鴨山は子分達の手前、威厳を保とうと必死なようだった。竹串から滴る血もそのままに、口だけで笑みを浮かべ、踏ん張るように立っている。


 そんな鴨山に表情を消し、棚主がようやく、構えを解いて背を伸ばした。

 ついつい安堵あんどの息をついてしまう子分達を、鴨山は強く舌打ちして睨む。


 棚主が彼らに言った。


「死人を出す気がないなら、二度と俺に近づくな。木蘭亭にもだ。正直な話、あんたらが下らない工事のために見知らぬ他人を脅そうが、立ち退かせようが、どうでもいい。だが俺の周囲に害を及ぼすな。要求はそれだけだ」


「……その木蘭亭とやらの女将が、耳障りなことを触れ回ってんだがな」


「言わせておけ。だが手を出すな。頬の一つでも張ったら後悔させてやる」


「この……っ!」


 気色けしきばむ鴨山の足元に、棚主が投げた匕首が突き刺さる。


 背を返す前に、棚主は保険をかけることにした。懐から名刺入れを取り出し、中の一枚を、行儀は悪いが、鴨山に投げて寄越す。

 しかも名刺は棚主の物ではない、別人の名刺だ。


 道義に反する行為だが、やむをえない。名刺の持ち主には後でびを入れようと思いながら、棚主は鴨山を睨んだ。


「どうしても文句があるなら、そいつに電話を入れろ。一応、知り合いだ……あんたをきっと納得させてくれる」


 名刺を見た鴨山は、途端に目を剥いて歯軋りした。「てめぇやっぱりヤクザじゃねぇか!」と吼える鴨山を背に、棚主は開きっぱなしのドアをくぐる。


 投げた名刺には、銀座の外にシマを持つ、別のヤクザの組の名が記されていた。

 一探偵に過ぎない棚主の元に、ヤクザの世界から依頼人が訪れる理由……棚主とヤクザの世界を繋ぐ、人物の名刺。


 大正の世の今なお、武闘派として名高い組の若頭の名が、そこにあった。

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