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無名探偵  作者: 真島 文吉
一章  無名探偵
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 混血文化の花が咲き誇る帝都東京の町並みは、日本という島国の歴史においても、世界の歴史においても例を見ない、なんとも奇妙な情景だ。


 石造りのびるぢんぐと昔ながらの木造家屋が混在し、看板の文字一つ取って見ても、日本語と英語、左書きと、その逆が入り混じっている。

 人々の服装も和装と洋装、あるいはその混合と統一性がない。


 そんな様が棚主には、日本でも外国でもない、中途半端な異世界のように見えるのだった。


「まぁ、話は分かったから。後はいつものようにこっちで処理しとくよ」


 派出所の中で椅子に座り、往来を眺めていた棚主は、年配の巡査の声に横目を向ける。


 まるで円筒形の郵便ポストのような形をした石造りの派出所は、人が三、四人入るのが精一杯のこじんまりとしたものだ。

 市井の人々は影でこの施設を『鳥かご』と呼び、哀れんだり、あざ笑ったりしている。


 挙句、派出所には往来監視の目的で扉すらなく、大きく開いた入り口からは寒風や雨が容赦なく吹き込んでくるのだ。家の中にかごを入れてもらえる分、本物の鳥かごの方がマシと言う者までいる。


 そんな『鳥かご』に通い続けて二十年。近隣住民に『文鳥さん』と称される巡査のくりっとした目が、あからさまに棚主の視線を避けていた。


「いつものようにじゃ困るんだけどね。つまり、何もしないってことだろう?」


 棚主の隣に座っていた女将が、静かに怒りのこもった声で言う。

 日に焼けた巡査の顔が、まるで梅干を口いっぱいに頬張ったように、しわくちゃに歪んだ。


「勘弁してくれよ、木蘭もくらん(ねえ)さん。俺だって仕事はしたんだよ? この棚主が毎回必要以上に暴力を振るってるのをもみ消してるのは誰だと思うよ?」


「棚主さんだけじゃないだろ。あんた達警官は、金と縁故えんこ次第で誰の暴力だって見逃すんだ。だからあんな悪辣あくらつなヤクザ連中が、いつまで経っても銀座から消えないんだよ」


 女将改め木蘭は巡査を責めているつもりなのだろうが、棚主にとっても彼女の言葉は痛くないわけではない。所詮暴力に頼って生きているという意味では、棚主もヤクザも同じなのだ。


 ただ、棚主は先刻のヤクザ達と違って、暴力だけに頼っているわけではない。探偵としてもっとつつましい、穏やかな仕事で金を稼ぐことも多いし、隣人を愛する心もある。人を傷つける才に秀でているからと言って、一般人を見下すこともない。


 むしろ、たやすく他人の血を流せる自分は、世のまっとうな人々より劣った人種だと思っている。今更生き方を変える気はないが、少なくとも刺青や組の名を掲げて威張るヤクザとはその点で違っていた。


 木蘭になじられている巡査は、しきりに制帽を脱いだりかぶったりしながら「しかしなぁ、しかしなぁ」と情けない声を出す。


 時代は、婦人解放運動が活発になる過渡期かときである。

 現役警察官が一般人女性にここまで言われて怒らないのは、彼自身が自分達の不甲斐ふがいなさを自覚しているからだろう。


「ヤクザはいかんよ、ヤクザは。連中ばかりは俺達下っ端の判断でどうにかできる保証はないんだ」


「寝ぼけるんじゃないよ。犯罪者だろ? 捕まえるのが官憲の責務ってもんだ」


「捕まえても牢に入れられるとは限らないんだ。特に今日の奴らみたいに『警察の上の方』と繋がってる連中はね」


 巡査はふと、派出所の外で誰かが聞いてはいまいかと不安になったらしい。足早に入り口に向かい、外を確認した。巡査のそんな仕草に、黙っていた棚主が耳を小指でほじくりながら、呆れ声で言う。


「警察の人間がヤクザと繋がることくらい、誰でも知ってるよ。人望のない、狂犬のような組とすら。いくら警察が法の番人とはいえ、ヤクザの暴力と組織力は魅力的だからな。要らぬ秘密を知った者の排除や口封じ……安易な問題解決の手段には、うってつけってわけだ。だから逮捕された時に、便宜べんぎを図ってやる」


「おい、探偵の分際で知った口を利くなよ! 前の署長は清廉潔白な方だったんだ!」


「今は違う」


 ぴしゃりと言い放つ棚主に、巡査はとたんに力なくうなだれ、うなずいた。

 長いため息をつく木蘭を見ないようにしながら、巡査は腕で目元をぬぐう素振りをする。


「今の銀座を管轄している警察署の署長はな、山田栄八やまだえいはちという人なんだが……そりゃもう、俺みたいな下っ端が実情を知ってるぐらいだから、ヤクザとはずぶずぶよ。

 今日の鴨山組って連中は、署長が警官になる前から色々ケツを持ってやってたらしくてな。奴らの言ってた銀座舗装工事計画ってのも、本当はまっとうな会社にいくはずだった仕事を、署長が是非にと鴨山組と繋がりのある業者に回させたって噂だ」


「なんで警察署長が公共工事の委託いたく先をどうこうできるんだよ」


「署長の家は名家なんだ。家系図を見れば政治家や大企業家がゴロゴロしてる。そいつらが一声かけりゃ談合だんごうでも何でもできるってわけだ……だが署長はその一族の中でも、どっちかと言えば出来できが悪い方でな。若い頃に色々『やんちゃ』をやって、鴨山組に目をつけられたって話だ。尻拭いの恩を着せられたんだな」


 ため息混じりに説明する巡査。木蘭は腕を組みながら、そんな彼に心底軽蔑しきった目で訊いた。


「そこまで分かってるのに、一体あんた達警官は何やってんだい? 事情の裏の裏まで知れてるじゃないか。たかが警察署長一人、もっと偉い人を呼んできて免官めんかんしてもらえばいいんだ」


「そこは姐さん、あんたの知らない世界の話さ。警察組織も所詮しょせん人の集まりだ。誰がどう見たって間違ってるってことがあっても、上が黙認しちまう案件もあるのさ。政治家や権力者とは仲よくしたいって警察幹部は多いんでね。署長は可愛がられてるのさ」


 かけらほども戦意のない顔で笑う巡査を、木蘭と棚主はもはや哀れむような目で見ていた。


 棚主はふと、この件に関しては既に警察内部で、署長を糾弾きゅうだんしようとした者がいたのかもしれないな、と思った。


 銀座の街のはしっこで立番をしているような巡査が、署長と鴨山組との関係をあまりに知り過ぎている。いくら強力なバックがついていると言っても、署長とてこんな話は外に出したくはないはずだ。


 つまり、既に署長と鴨山組の関係を内偵ないていした者がいて、真実にたどり着いたものの、それを糾弾する手立てがなかったのかもしれない。警察の上層部は署長に味方し、組織としての自浄作用が望めなかったとしたら。


 内偵者はせめてもの最後っ屁に、署長の秘密を周囲の同僚達に吹き込み、広めたのかもしれない。新聞社などにネタとして売り込む、というような策も取ったかもしれない。


 その結果として、警察署長とヤクザの繋がりが、公然の秘密と化している……


「……少し、想像が過ぎるかな」


「とにかく! 鴨山組には手が出せないんだよ。少なくともおどされたとか物を壊されたとか尻を触られたくらいじゃな! 暴行も、今回みたいに殴り返したら喧嘩扱いになっちまう。だからできたら今度は怪我けがしないように一方的に殴られてくれ! で、目撃者も沢山つけてくれ! そしたら多分動けると思う!」


 警察官の風上にも置けない巡査の台詞に、目をり上げた木蘭が机をバン! と叩き、椅子をひっくり返して派出所から出て行った。


 彼女の後に続こうとする棚主を、巡査が「おい」と呼び止める。


「鴨山組の連中、木蘭姐さんの旅籠も取り上げるつもりなのか?」


「さあ、俺は知らんが。あの旅籠がなくなると安く飯を食える店がなくなって、困る」


「ああ、俺も仕事帰りの酒が飲めなくなって、大いに困る」


 巡査と棚主はお互いに腕を組み、低くうなった。


 少しの間そうしていると、派出所の外から木蘭の、棚主を呼ぶ声が聞こえてくる。

 巡査は仕方なく腕を解いて、棚主にひらひらと手を振って見せた。


「行けよ。今日のことは騒動に居合わせた『飲み客数名』が暴れたことにしといてやる。どうせヤクザ連中を一人の客がぶちのめした、なんて報告したって、上司が信じやしねぇ」


「礼は言わんよ。あんたにはまだ三つほど貸しがある」


「三つ? 妻の浮気調査を二回タダでやらせただけだぞ」


「奥さんからも浮気調査の依頼があったのさ。どう見ても遊女の腰に夢中だったが、潔白だと言っといたんだぜ」


 途端に巡査の顔から血の気が引いた。


 荒く息をしながら「遊女……そうか、あの晩酒を飲んだ帰りに」とか「違う! 見とれたかもしれんが指一本触れては!」とか「妻を疑ったむくいか! こんな関係でこの先やっていけるのか!」とか、壁に頭を打ち付けながらわめいている。


 小さく笑いながら派出所を後にする棚主の背に、巡査が最後にヤケになったように声を投げた。


「ちくしょう棚主! 不良探偵め! 今度何かあってもかばいきれんからそう思えッ!」


 実際棚主は、今日のような殴り合いの喧嘩程度のことは、この巡査との『よしみ』をもって社会からの追求をまぬがれてきた。


 だが彼の行うもっと凶悪な傷害や、殺人に関する事実は。

 当然、未だ警察関係者の知るところではない。

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