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無名探偵  作者: 真島 文吉
二章  血戦
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最終話

 文鳥さんこと、大西巡査は落花生の殻を割りながら思った。

 人には身の丈に合った生き方というものがあるのだと。


 森元警部補の熱い心意気に惚れ、警官としての正義に一身を捧げるつもりだった自分が、とうとう何もせずじまいだった今回の騒動。考えてみれば妻に何の相談もせずに……作戦の性質上家族にも話せるものではなかったが……協力を引き受けた手前、何事もなかったことはかえってよかったのかもしれない。


 それでも山田栄八の悪事を摘発するために集った自分達が、号令を待っているうちに全てが終わってしまったのは、なんともやるせない。まるで天に『おっさんが無理すんなよ』とさとされたような気分だ。


 山田栄八は、自分達が踏み込むはずだった横浜港の船上で『不慮の操船事故』で海に投げ出されて死んだらしい。その発表が山田家と、その息がかかった連中の隠蔽いんぺい工作であることは察しがつく。


 何故なら山田栄八糾弾計画の発案者である森元警部補が、警察から姿を消しているからだ。ただの操船事故で山田栄八が死んだのなら、彼の身に何かが起こるはずはない。


 何の意志が働いて、山田栄八と森元警部補の両方を世間から消したのか。それを知る術は自分にはない。自分達の支援者である城戸警視も、森元警部補のことを気に病んだのかずっと自宅にこもっておられると聞く。


 結局帝都からは山田栄八も、彼に牙を剥く者も消えうせた。これに関連して鴨山組も組員全員が謎の失踪を遂げていて、彼らが強行しようとしていた銀座舗装工事計画も民間の反発が高まり、中途半端な終わり方を迎えようとしているらしい。


「何かが起こったのは間違いないが、その何かを知ることはできない……か……ああ、俺は結局外野なんだなあ。立派な正義の警官になろうなんて考えがおこがましいんだ……なあお近ちゃん」


 脇を通ったお近に声を投げ、大西巡査は彼女の大きな尻を軽やかな手つきで撫でた。


 途端に飛んでくる張り手をまともに横っ面に食らい、大西巡査が「くぅ~」と顔をしかめる。


「やっぱり効くなあ! 一気に酔いがさめるお近ちゃんの張り手! これでもっと飲めますありがとう!」


「何考えてんだ莫迦野郎! 酔いざましがしたけりゃ水でもかぶってろ不良警官ッ! 嫁不孝者ッ!」


 お盆を振りかぶったお近に追いかけられ、木蘭の呆れ果てた視線を受けながら、大西巡査は子供のようにへらへら笑っていた。




「これにて一件落着……ってか?」


「少なくとも緋扇組が矢面に立つことはなくなりました。主に山田家の都合で、ですが」


 緋扇組本家の大広間。以前と同じように若と緋田、二人の若頭補佐が座している。

 不満そうな若に、正座した緋田が腕を組み、ことの次第を説明する。


「横浜港に攻め込んだのがワシらやってことは、そもそも露見しとりません。ちゅぅより、襲撃自体をなかったことにしようとしとる連中が、山田家の中に多いようなんですわ」


「あぁ、新聞とか見りゃそんな感じだよな。操船事故にされてるけど……でも、何でだ? 山田家の連中にとっちゃ次期当主をぶっ殺されたわけだろ? 何で犯人の俺達のことを隠そうとしてんだよ」


「山田家の権力ってな、ご存知のとおり相当なもんです。となりゃぁ、山田栄八がそれを相続するってことが面白くなかった連中も多いんでしょうなあ……」


 頭をかく緋田に代わり、補佐二人が交互に説明を引き継ぐ。


「つまり、相続争いですね。山田栄八の代わりに当主の座を得たいと思っている親戚連中が、かなりいたってことです」


「そこにきて今回の騒動は、連中にとっちゃ棚からぼた餅ってやつで。山田栄八が死に、ヤツの息子も死亡しているとなりゃ、当主の座を継承する資格を持つ者は山田家本家にはいなくなる。山田栄八には兄弟もいないそうなんで。そうなると、よその連中に当主の座が回って来る可能性が出てくるんですよ」


 天井を見上げて話を聞いている若に、緋田が「ようするに」と足を崩す。


「山田栄八が死んだことで当主になれるかもしれん連中が、継承後にあらぬ嫌疑をかけられんように結託したっちゅぅことです。山田栄八を殺した犯人が分からん以上、やつが死んで得する人間を疑うのが定石や。……自分らが当主の座ほしさに山田栄八を謀殺した。そんな疑いをかけられんように、山田栄八の死を事故として処理しちまおうと。こういうわけです」


「なんでだよ。そいつらは実際関与してねぇんだから、いくら疑われたって平気だろ」


「疑われたらまずいようなことを、以前からしとったっちゅうことやないですか。だから先代の当主も、護衛屋なんぞを雇っとった……とかな」


「ひょっとすると、彼ら自身お互いを疑っているのかもしれません。身内の誰かが襲撃者を雇い、山田栄八を殺したのだと……ならばこそ一族の恥をさらしたくないと、口裏を合わせたのかも」


 最後の片目に傷のある若頭補佐の言葉に、鼻から息を噴き出す若が、足を投げ出してそっぽを向いた。「どうしました?」と訊く緋田に、若は目を閉じて憂鬱そうに答える。


「でかい家を継ぐってのは、こえぇもんだな。親戚って、本来『仲間』みたいなもんじゃねえのか。それが殺すだの、殺されるだの」


「欲は人を変えますからな。でもその点、若は心配要りまへん。ワシら全員、組長の座に座るんは若以外にあり得ん思うてます。せやから若が大きゅうなるまで、組長の椅子は空席にしときますさかい。何も気にせんと大人になってくださいや」


 大きくなるとか大人になるとか、子ども扱いすんじゃねえ! と怒る若に、大人三人は悪びれもせず、笑い合った。






 晴れ渡った空の下、雑踏をゆっくりと歩く。

 威勢のいい焼鳥屋の呼び込みの声を聞きながら、棚主は包帯を巻いた喉をさすり、人の間を縫うように進んだ。


 自分を含めた邪悪な獣達が、血みどろに噛み合った夜が明けた今。帝都東京は、呆れるほどに平和だ。


 すれ違う人々は笑い、泣き、希望と絶望をそれぞれの顔にたたえている。

 だがとりあえずは皆、今を生きて、歩いている。



 棚主はハットをかぶった頭をふと横に向け、電柱の脇に立つ男に目をやった。

 行きかう人々の群の向こうで、くたびれた背広を着た男は、真新しい眼鏡の奥からじっと棚主を見つめていた。


 立ち止まり、視線を返す棚主に、男はやがて背筋をぴんと伸ばし、深々と一礼する。



 男は結局、警察には戻らなかった。だが自分が今まで信じてきた正義を、捨てるつもりもないらしい。

 彼はこれから、組織を捨て一人で生きていく。個人の正義感のみを抱えて、非力な一般人として、できる限りの戦いを続けていく。


 棚主と雨音を法廷に立たせる代わりに、自分が法廷に立ち、その目で見た悪を、警察内部の腐敗を糾弾するつもりなのだ。


 覚悟を決めた森元は、しかし、棚主と雨音の存在に関してのみ、口を閉ざすことにした。

 その隠蔽いんぺいは、欺瞞ぎまんは、冷厳たる法の正義に背くものだ。



 森元は頭を上げると、少し間を置いてから、ふっ、と棚主に笑顔を向けた。棚主もまた小さく笑みを返し、ハットを取って、ゆっくりと礼をした。


 背を向けて歩き出す森元に、棚主も自分の道へ、再び足を踏み出す。




 やがて尾張町角に着いた棚主は、新築のカッフェの扉を叩いた。

 両脇の民家からは昼飯を作る音と、子供の声が聞こえてくる。


「……約束の時間だ。君の知らない帝都を、案内する」


 扉を開けて出てきた雨音に、棚主は微笑んだ。

 白い洋服を着た雨音はにっこりと笑い、棚主の腕を取る。



 寄桜会が雨音に対する慰謝料として差し出したカッフェは、実際は緋扇組へのご機嫌取りの意味合いの方が強い。だがそれゆえに、彼女が営むこの店にヤクザの暴力が入り込むことは二度とないだろう。


 緋扇組は尾張街角の雨音の店に限り、自分達のシマの一部とすることを寄桜会に認めさせた。だが彼らが雨音にみかじめを要求したり、店の中に踏み入ることは、決してない。


 緋扇組は今後雨音の店の支配権を、他の組織に対してのみ主張する。

 それが緋田が、棚主とかわした約束だった。



 舗装されていない土の地面を歩きながら、多くの人々とすれ違いながら、棚主はふと雑踏の喧騒に、軍服の男の声を聞いた気がした。

 足を止め、周囲を見回すが、人の波の中にその姿を見つけることはできない。


 棚主は彼の語った言葉のひとつひとつを思い返しながら、そっと呟いた。



「俺達は……無名の獣……」


「なら、私が獣の名を呼ぶわ」


 自分の顔を見上げてくる雨音の言葉に、その笑顔に、棚主はハットを目深にかぶり直し、嬉しそうに、小さく頷いた。



 抜けるような青空の下、しっかりと腕を組んで、帝都を歩く。

 カッフェの屋根に座ったカラス猫が、そんな二人を欠伸をしながら見送った。






   了。


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