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無名探偵  作者: 真島 文吉
二章  血戦
13/110

 客船と言うだけあって、船の内装は豪奢なものだった。


 広く天井の高い廊下にはいくつも照明が吊り下がり、その明かりを最大限利用するための巨大な反射鏡が壁に埋め込まれている。彫刻の施された木製の柱や階段は船の内部というより一級の洋館を思わせ、そこかしこに西洋の絵画や、調度品が飾られていた。


 手錠をされたまま、ひたすら奥へ奥へと連行される。

 途中背広やフロックコートを着た男達とすれ違い、その人数を数えて、棚主は舌打ちをした。

 思ったよりも人数が多い。棚主を迎えに来たのが四人、船内ですれ違ったのが、八人。

 手錠の拘束を解いたとしても、すでに丸腰で叩き伏せられる人数ではなかった。


「この先が一等社交室になります。今夜のもよおしは……あなたと天道雨音による、残酷喜劇ざんこくきげきといったところでしょうか」


 大きな観音かんのん開きの扉の前で、森元が笑う。


 口調は終始丁寧(ていねい)だが、乗船してから大仰おおぎょうで調子に乗った言動が目立ってきた。鼻を鳴らす棚主の前で、彼は扉を気取った仕草で押し開ける。


 だだっ広い社交室は石床の上に絨毯じゅうたんが敷かれ、廊下以上に高い天井から大きなシャンデリアが下がっていた。入り口から少し先に行くと一段低くなっていて、中央にはビロード張りの長椅子が一つと、ラッパ型の蓄音機が絨毯の上に直接置かれている。


 雨音は長椅子の脚に繋がった足枷あしかせを左足首につけられていて、衣類をほとんどまとわずに倒れていた。距離が離れているためによく見えないが、彼女のそばに白い小さな物がいくつも落ちている。


 それががされた足の爪だと気付くと、棚主の胸がどくんと脈打った。


 雨音の周囲には見知らぬ男が二人と、鴨山組の面々。そして顔に『痩男やせおとこ』という男物の能面を被った、恐らくは天道(山田)栄治と思われる男が立っている。


 大股で歩み寄って来る棚主に、まずは鴨山正一が包帯を巻いた手を振って挨拶した。


「よう、探偵。その節は世話になったなあ……おっと、そこで止まりな」


 互いに数歩の距離まで棚主が近づくと、鴨山は雨音の胸を靴底で圧迫した。

 苦しげにうめく雨音を見て、棚主が足を止める。彼女の短髪が、より短く切り散らされていた。切られた毛髪は周囲に散乱し、はさみも床に転がっている。


 今、部屋にいるのは棚主と雨音を除けば十二人。鴨山と、その子分が四人。森元とその仲間が三人。能面を被った天道栄治。そして、最も部屋の奥側にいる初老の男と、その脇に立つ、軍服を着た男。


 敵に囲まれながらも表情を崩さない棚主に、初老の男がこめかみに指を当てながら息をついた。


「君が棚主か。なるほど……いい度胸をしている。のこのこやって来るとは」


「察するに、あんたが山田署長だな」


「山田栄八だ。もう署長じゃない」


「驚いたよ」


 棚主が首を傾け、冷ややかに言う。


「もっと小物らしい顔だと思っていた」


 山田栄八は髪をきっちりと七三分けにしていて、髭も剃り、薄茶色の三つボタンの背広を着ていた。その面構えは意外にも引き締まっており、眉は濃く、目つきも鋭い。


 背後から森元が近づいて来て、棚主の手錠に指をかける。鍵を差しこむと、そのまま手錠を解いて床に落とした。

 背を向けて再び離れていく森元に怪訝けげんな顔をする棚主に、山田栄八が静かに怒りのこもった声を放つ。


「君から全てを奪いたい。幸福も、未来も、尊厳も、何もかも跡形もなく葬りたい」


「あんたの息子が雨音にしたようにか?」


 手首と肩を音を立てながら回す棚主の言葉に、山田栄八は床に転がった雨音を見やり、ため息をついた。その視線に哀れみの色がこもっていたことが、逆に棚主のカンにさわる。


「全てはこの娘から聞いたよ。確かに、うちの莫迦息子が迷惑をかけた……駆け落ちなどと、愚かなことを……」


 父親の視線を受けても天道栄治は悪びれる様子もなくそっぽを向き、能面をずらして、手にしていた小さな水盆すいぼんに顔をひたした。


 彼のまぶたと唇は、棚主の手によって切り取られているはずだ。その後どんな治療をしたのか知らないが、欠損したまぶたでは眼球の渇きを防ぎきれないのだろう。切り取った棚主自身、ひょっとすると失明するかもしれないと思っていた。


「当時、すでに息子には婚約者がいたんだ。私より地位の高い、警察幹部の娘さ……彼女と結婚していれば、息子には輝かしい未来が待っていた。それがどうだ? どこの馬の骨とも知れぬ娘に惚れたばかりに、何もかも台無しだ。取り返しはつかん。永遠にな」


 山田栄八が、鴨山に踏まれたままの雨音に歩み寄り、つくづくとその顔を見下ろした。

 乾いた涙に髪を張り付かせた顔が、弱々しくその視線を受ける。


「元々、息子は我が強い性格だった。若造のくせにいっぱしに意見を言い、何でも自分で決めたがった。父親の私が定めた人生の順路に対する反抗心が、この娘との駆け落ちにつながったのかもしれんな……」


「つき合わされたのは雨音の方だ。彼女の家の金をあてにした駆け落ち計画だった」


「私は息子に金銭を与えなかったからな。必要な物は家の者に買いに行かせていた……だが、そこは言いっこなしだ。駆け落ちというものは男女双方の合意がなければ成り立たん。息子が何を吹き込んだにせよ、同意したのはこの娘の意志であり、責任だ」


 確かに理屈だ。だが、棚主は退かずに山田栄八に言葉を返す。


「当時はたちにも満たない小娘だった雨音に盗みをすすめ、遠い帝都に連れて来た。あんたの息子には雨音を守る義務があったはずだ。それを放棄し、裏切り、ヤクザに情婦として売っぱらったんだぞ」


「それは本当に済まなかったと思っている。大変な迷惑をかけた。実に、申し訳ない」


 申し訳ない、と口では言いながら、山田栄八は棚主を睨み続ける。

 その手がポケットから煙草を取り出すと、森元が駆け寄ってマッチを擦り、火をつけた。


 紫煙を吐き出し、天井を見上げ、「だが」と山田栄八は続ける。


「君達は息子に罰を与えた。合法的な手段ではない、非合法の、復讐という名の罰だ。暴力に訴え息子を制裁した……だから私も、非合法の復讐を行おうと思う」


「笑わせるな」


「復讐は復讐を生む」


 山田栄八が片手を上げると、鴨山や森元、天道栄治を除いた男達が棚主を中心に円形に並び、包囲した。かつて木蘭亭で棚主に膝を砕かれたヤクザも足を引きずり、戦闘の構えをとる。


「天道雨音が望むなら、相応の慰謝料を払ってもよかった。できる限りの補償はしてやれたのに……君達は、暴力の衝突を選んだのだ」


「雨音も俺も、そもそもあんたと栄治のつながりを知らなかったよ。……だが、そんなことはどうでもいい」


 棚主が拳を握り、足を開いた。喧嘩の構えで、拳を能面を被った天道栄治に向ける。


「雨音が望んだのは、金じゃあない。本当は復讐ですらなかった。……雨音はな……暗い部屋で、ヤクザに抱かれながら」


 右から襲ってきた拳を腕で払い、敵の鼻面に肘を叩き込む。


「お前を、ずっと待っていたんだぞ」


 その言葉に、天道栄治が「ぐ」と喉を詰まらせたような声を漏らす。


 棚主は肘鉄を食らった相手の襟を掴み、さらに顔面に拳を浴びせながら、天道栄治が「ぐ」「ぐ」「ぐ」……と、何度も同じ音を出すのを聞いた。


 それが、後悔や悲しみによるえずきではなく、くぐもった笑い声だと気付くと、棚主の頭がかっと熱をびる。同時に床に倒れた雨音が、声を上げて泣き出した。


 天道栄治が、能面の奥から、唇を欠いたことで不完全になった音をまじえて、言い放つ。


くヅ(くず)のような女が……俺の、女房きドりか……」


 雨音に近づき、能面を外す。露出した眼球と歯茎を守るために、アザラシの皮膚でできた保護帯が、目と口の部分に巻かれていた。保護帯に空けられた覗き穴から、充血した目が雨音を見下ろす。


「とっくに忘れていタよ……おまえミタいな……」



 ――しぼりかすは。


 雨音の悲鳴をかき消すほどの咆哮を上げて、棚主が次に向かってきた敵の蹴りを両腕で受け、弾き返す。バランスを崩した相手の足を払い、転倒した顔面と喉に拳を叩き込むと、次の敵が背後から襲って来る。


 多勢に無勢だった。周囲の全員と言わずとも、数人が別方向から同時に襲ってくれば、いくら棚主でも取り押さえられてしまう。


 だが、何故か男達は一人ずつしか向かって来ない。一人倒されると一人前に出る、その繰り返しだ。背広の男達……山田栄八の私兵達はともかく、鴨山組のヤクザ達は一度棚主に敗れているだけあって、すでに構えをとったまま後退し始めている。


 三人目の拳をとうとう頬に受け、奥歯がわずかにぐらつき、それで口の中を切った。棚主はうめきながらも口中に流れる血を敵の顔に吹きつけ、目をかばった隙に胸と腹に打撃を二発入れる。身体をくの字に折ったところで、さらにこめかみを拳で殴りぬけた。


 派手に転倒した男がへばってしまうと、棚主を囲む面子が鴨山組のヤクザ達だけになる。

 気合を入れ、構えをとり直すも中々棚主に向かって行けない子分達に、鴨山が額に手を当てて長いため息をついた。


「鴨山さん、あんたのとこの兵隊は、全員見かけ倒しかね」


 じろりと視線をくれる山田栄八に、鴨山は小さく「うるせえよ」とつぶやき、懐から匕首を取り出した。刃を抜き、相変わらずのだらしない姿勢で匕首をつまむようにして前に出る。その鴨山の肩を、強く掴む手があった。


 鴨山が片眉を上げて振り向くと、山田栄八のそばにいた軍服の男が松ヤニの瞳で彼を睨んでいた。「俺がやる」と低く言うと、軍服の男は棚主へと歩み寄る。

 その様子を見て、山田栄八が煙草を床に捨て、踏みにじりながら言った。


「棚主。君は暴力に頼り、腕っ節だけで世の中を渡ってきたような男だろう?」


 上がった息を整えようとしながら、棚主が無言で山田栄八を見る。


「さっきも言ったが、私は復讐として、君から全てを奪いたい。もし……一対一の暴力で君が敗れたなら、それは君の誇りが損なわれることになるだろうか? 君の自尊心は打ち砕かれ、弱者として絶望にあえぐだろうか? 私はそれが知りたい……」


 軍服を着た男が、音もなく構えた。

 手刀の形にした左手を前に出し、右手を腰だめにして握る。

 棚主と同じく我流の構えのようだった。そのつま先が、床を大きく蹴って一気に距離を詰める。


 まっすぐに突き出された蹴りを防ごうとした両腕が、凄まじい脚力に弾き飛ばされる。たたらを踏んで後方に退く棚主に、敵はそのまま姿勢を低くして肩から突進して来た。

 体と体の間にかろうじて左腕を入れて体当たりを防ぎ、棚主は頭上から相手の頭部めがけて打撃を繰り出す。刹那、わき腹に衝撃が走り、敵が後方に飛びのいた。


 密着した体勢から両の掌底しょうていを棚主に叩き込み、その反動で打撃を避け、距離を取ったのだ。


 臓腑が揺れ、嘔吐しそうになる。だが姿勢を崩せば、そこにさらに追撃が来る。

 棚主は気合を入れて強引に背筋を伸ばし、離れた相手に再び拳を向けて構えた。


 軍服を着た男の松ヤニの瞳が、暗い眼窩がんかの中で異様な光を帯びた。


 照明の光を反射しただけだったのだろうが、その光に続き「ほぉぉぉ」と、低い感嘆の声が唇から漏れる。


 掌底に会心の手ごたえを感じていた男は、それでもなおうめきもせずに戦意を示した棚主に、戦士として感心したようだった。自分に向けられた拳に手刀を構え返しながら、生身の方の目がゆるく弧を描く。


 気付いた時には、棚主の眼前に男が迫っていた。跳び込みの速さに驚愕する間もなく、手刀と拳の連打が繰り出される。


 一撃、二撃は腕で受けた棚主だったが、異常な素早さで攻撃を重ねてくる相手に防御が間に合わない。顔面と腹に拳を受けたかと思うと、左足に軍靴のかかとが突き刺さった。たまらず声を上げた棚主を足で捕まえたまま、さらに手刀が顎を弾く。


 男は目の前に晒された喉に拳を放ったが、そこで棚主が猛然と頭を振り戻し、拳を額で受けた。目を剥く男の胸倉むなぐらを掴み、そのまま頭突きを食らわせる。


 互いの視界に火花が散り、脳が揺れる。しかし男もまた棚主の肩を掴み、頭突きを返してきた。そのまま歯を食いしばり、さらに額をぶつけ合うと、両者は同時に体勢を崩して床に膝をついた。


「……う……はははははっ……!」


 男の口から、楽しげな声が漏れる。ぐらつく視界の中懸命に立ち上がろうとする二人に、戦いを見ていた鴨山が顔を引きつらせてうめいた。


「頑丈な奴らだ……山田さんよ、あの軍服の男、どこから見つけてきたんだ?」


「私じゃない、実家の親父が死ぬ前に発掘した護衛屋だ……」


「つまり、山田家の遺産か。あんたがこれから相続する」


 鴨山の言葉に、棚主がふらつきながら目を細めた。


 山田家の遺産? 相続? 軍服の男を見ると、だらしなく伸びた前髪の奥でひたすら笑っていた。向こうもまだ完全には立ち直れていないらしい。


 拳を握り、必死に構えようとする棚主に、山田栄八はわざとらしく両手を口の脇にそえて声を上げた。


「私の辞職が復讐のための身辺整理だとでも思ったかね? 全てを投げ打って、犠牲にしてでもやり遂げるという、覚悟の辞職だとでも? 確かに今回のことが露見すれば、警察署長の立場では追及をまぬがれんだろう。だがね、露見などしないのだよ」


 棚主の前で、軍服の男が気合を入れて立ち直る。笑顔の左目からは、頭突きの衝撃でぎやまんの義眼が飛び出しかけていた。その様子に満足げに笑みながら、山田栄八は続ける。


「周知のとおり、私が警察内部で署長の立場を越えて偉そうにできるのは、名家たる山田家の権力によるところが大きい。その権力を行使できるのは、私が元々本家筋の跡継ぎに当たる人間だったからだ……本来なら警察なんぞに入る必要もなかったんだが、親父が糞真面目な人間でね。家を継ぐ前に個人の力で成功してみせろと、俗世に放り込んだわけだよ」


 山田栄八が棚主に語りかけている間も、軍服の男は棚主の隙を狙ってじりじりと間合いを詰めている。敵の次の攻撃に備えながら、棚主は山田栄八の話の続きを待った。


「親父が死んだのは少し前だ。その時点で実家に戻れと声はかかっていたんだが、ほら……私にもやり残したことがあったからね」


 山田栄八が、息子の栄治を見る。


「つまりだ、なるべくしてなっただけなのだよ。栄治は見つかった、私は警察を捨て、山田家に戻れる。その前に君達をひねり潰しておこうと、そういうわけだ。……警察署長が部下やヤクザを使って人を殺せば、どこかで足がつく。だが政界財界、軍部に顔の利く権力者ならば、話は別だ。何故か分かるかね?」


 軍服の男が駆け出し、棚主のすね目掛けて滑り込むように蹴りを放った。

 脇へ跳んで避けると、男は床にうつぶせに両手をつき、下半身をコマのように回転させてなんと逆立ちの姿勢で踵を打ち込んでくる。


「ぐ、あっ!」


 こめかみを蹴りつけられ、棚主は初めて床に転倒した。


 とんでもない動きで攻撃してきた軍服の男が立ち上がり、慢心する気配もなく棚主にさらに軍靴を放つ。腹を蹴られ、床を転がる棚主に、山田栄八が勝ち誇った声を上げた。


「法というものは、権力者の味方なのだよ。法とは権力を持たない者を罰するための仕組みなのだ。社会を維持するために真に必要な人間に対して、法が牙を剥くことは少ない。

 考えてみたまえ、国の中枢、高級軍人や大物政治家が、取るに足らんつまらん犯罪で検挙されることがそうそうあるかね? 明らかな犯罪行為の証があったとしても、何故か追求されないこともあるだろう。それは社会が、警察が、彼らの特別性を認めているからなのだ。

 同じ犯罪を犯しても、一般人は裁かれ権力者は裁かれない、それが現実だ」


 立ち上がった棚主が、追撃してくる敵の腕を抱え、投げ飛ばそうとする。だが手を離す瞬間に逆に襟首を掴まれ、諸共に床に顔をぶつけた。


「『この地位ならここまでの犯罪はゆるされる』という線引きがあるのだよ。警察署長としての私に直接的な殺人は赦されないが……山田家の当主としての私は」


 山田栄八が、その場の全員に視線をめぐらせた。


「殺人すら、赦されるのだ。少なくとも戸籍を持たぬ男や指名手配されている女を罰したところで、私を責めようと思う者は警察にはいまい……もっとも、君らの死は誰にも知らせんがな。このままなぶり殺し、死体は刻んで箱詰めにして外洋でばら撒こう」


 床でもみ合い殴り合う二人が流す血が、青い絨毯に赤黒い染みを広げてゆく。

 流石に体力が底をつき、お互いの攻撃にキレがなくなってきた。


 軍服の男が棚主の頬を突き、続く手刀を頭の上で滑らせ、直撃を外す。刹那、棚主の拳が男の腹にもろに突き刺さった。


 大振りな攻撃だったが、避けることができなかった。ひしゃげる胃に悲鳴を上げた男は、しかし、笑顔を崩さない。

 棚主の眼球に指を突き込もうと手を伸ばした瞬間、その口が更なる悲鳴を上げた。



「やめろォオオオッ!」



 悲鳴の意味を理解した時には、棚主は床にうつぶせに倒れていた。


 左肩とこめかみから噴き出す赤い血。二発の弾丸を放った銃口を、その場のほぼ全員が愕然と見つめていた。


「……栄治……お前……」


 山田栄八が、拳銃を構えた息子に絶句した。


「遊んでんジゃねぇよ、おやじィ」


 苛立たしげに言った天道栄治は、さらに棚主に引き金を引こうとする。


 山田栄八は即座に渾身の力で彼を殴り飛ばし、顔を真っ赤にして叫んだ。


「勝手なことをするな! 莫迦者ッ! 貴様まだ反省してないのかァ!」


「……」


「私の言うことを聞かず勝手にいなくなり、こんな田舎娘と勝手に駆け落ちして勝手に恨まれ挙句復讐され! 尻拭いを親にさせている分際で何だその態度は!? 一人じゃ何もできんくせにしゃしゃり出てくるんじゃない! 莫迦め! 莫迦者めがッ!」


 二度三度と罵倒して、それでも収まらずに山田栄八は壁を殴った。


 動けない棚主を見下ろして、無言ながらも同じように歯を剥いて震えている軍服の男に、山田栄八が声を飛ばす。


「手錠をかけて拘束しろ! そして応急処置だ! まだ死なせるんじゃない……傷の具合を確かめて致命傷かどうか判断しろ! 森元ッ!」


 次いで呼び捨てにされた森元が、急いで背筋を伸ばし「はっ!」と返事をする。


「今の銃声の処理をしろ! 一般人に聞かれては面倒だ! それと息子がどこから拳銃を手に入れたか調べろ!」


「落ち着いてください、大丈夫です……周辺警察には手を回してありますから、誰かが通報しても上まで届きません。それにあの拳銃、以前は玩具屋で売っていたような安物ですよ。わざわざ大層な手段で手に入れるものじゃない……ですよね、坊ちゃん? 何年か前に民間で購入したんですよね?」


 森元の質問に、天道栄治はそっぽを向いて答えない。その様子にまた山田栄八が激怒し、怒鳴り散らす。


 混乱の中、結局出番のなかった鴨山正一は匕首を指でもてあそびながら、とぼとぼと歩み寄ってくる子分達を無視して棚主を見た。軍服の男に手錠をかけられながらも、その目は死んでいない。


 立ち上がることはできないようだが、このまま死ぬような気配はなかった。


 棚主の視線は、ひたすら一点を見つめている。床に倒れた天道雨音が彼の目を受けて、絶望に青くなった顔で、それでも必死に笑おうとしていた。


「……どうせお前らには、初めから勝ち目なんざなかったんだ」


 鴨山は雨音に歩み寄り、しゃがみ込んで、その髪を撫でた。


 棚主の怒りを横顔に受けながら、鴨山は引きつるような声で笑い、宣告する。


「この女は、お前の目の前で殺してやるよ。探偵……」


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