出会い
Ⅰ,契機
「君たちには無限の可能性がある」
「やりたいことをやろう」
「夢はきっと叶う」
先進国に住む人間はこういったフレーズを思春期に至ってから何万回も聞かされただろう。
そして引き合いにだされるのは、過去の成功者や偉人の軌跡。
このフレーズに踊らされる人々とそうでない人々。
それはおおよそ現実という反映してない風に思える。
「こういうフレーズの裏に何人の犠牲者がいるんだよ、信じたら誰もが成功者になれるのかよ、トライするのが大事?まあそうかも知れないが、めんどくせえ。つーか、いいからこの人生早く終われ、所詮は暇つぶし。退屈すぎる。」
とか考えてた。
「結局はレールの上に乗って上手くやり過ごすしか方法ないでしょ?」
という意見には概ね同調する。
中学から平々凡々に生きて特に脚光を浴びるわけでもなく、無難にそこそこの大学を卒業して、それなりの企業に入って30前に近くのそれなりの人を好きになって結婚して定年までやり過ごすために生きてるとかガチで信じてた。
そうあの日がくるまでは。
Ⅱ,現状
「水曜日はノー残業デー!なんという素晴らしきひびき!」
そう、今日は水曜日。
ウチの会社では運がいいことに水曜日はノー残業デー。
個人的には金曜日の夜よりも水曜日の方が大事。だって中日はダレる。これがなかったら金曜までもたない。
ウチの会社は港区にある機械メーカー。一応BtoBで手堅く稼いでる老舗中堅企業。
そこの法人営業を担当してる。仕事はそこそこ。稼ぎもそこそこ。
人生逃げ切りタイプの私にはうってつけ。なんとなーく、ぼんやりとした社風が私にマッチしてる。
9時17時というわけにはいかないけれど、22時までには帰れるし。
帰ったらほたるのひかりじゃないけど、ネットサーフィンやりながらダラダラダラダラ。
これでいいんだ。まさに王道スタイル。お布団万歳、スウェット万歳、ビール万歳。
なんとなーく先延ばし、考えてるのは今日が早く終わること。つまり生きるってこういうことだろ?
貴重な水曜日が終わり、憂鬱な木曜日がやってくる。
乗車率200%の田園都市線に乗り、渋谷から銀座線へ、新橋まで憂鬱な密室。考えてるのは今日布団でどう過ごすか。それとルート営業も少し。
「先輩!おはようございます!」
「ああ、おはよう、いつも元気だなー。」
この至って元気のいい私の後輩は、自分と真逆にいるから何か気が合う。自分にもってないもの持ってるからかもしれない。とにかく気を使って何でも話してくれる。いいやつには違いない。
「そういえば昨日課長が先輩探してましたよ、先輩が帰ったあとに尋ねてきました。」
「課長が?何だろう?要件は聞いてないよね?」
「聞いてませんよ。直接確認したらどうですか?」
「うん、そうだね…」
この時頭を巡っていたのは、めんどくせえと。またよくわからない新規事業を任せられんのか、もしくはダメだしか。とにかく憂鬱にうなだれそうになりながらも課長に聞かなければと一応の理性。
「あるパーティに行ってこい、そしてこの人物に近づけ」
ああ、なるほど、営業ですか。めんどくせえ。
「何故私にいかせるんですか?ウチにはエースがいるじゃないですか?」
「ん、ああ、それはだな、えーと」
ま、要するにエースはこの仕事やる暇がないと、で、暇そうな私に巡って来たとそういうことだ。
とはいえこのパーティから私の生活は一変する、この時は単なるサービス残業と思っていたのだった。
ⅲ,確認
その日は金曜日だった。得意先回りを終えた私は大手コーヒーチェーンにて一服していた。その日は例のパーティに出席する予定だった。もう一度、件の人物のプロフィールをチェックする。
「すごい大物の担当になってしまったな…」
そのファイルには柔和ながらも、眼光の鋭い品のいい老人がいた。
フリィップ・ゲラー、64歳、ユダヤ系アメリカ人、不動産会社フリィップグループの創立者にてして現会長。中古車セールスマンから一代にして、ショッピングチェーン、ホテル、倉庫事業、アウトレット等の不動産コングリマリットを創り上げる。
つまり、典型的なアメリカ的成り上がり。
離婚歴、犯罪歴なし、配偶者死別、子供なし。日本語、中国語多少。フロリダ在住。大の日本好き。別名「会話の達人」、「セールスのマエストロ」
そこで、私は先日課長に言われたことを思い出した。
「今回、彼の来日の目的は何だと思う?」
「さあ、フリィップグループの日本進出の視察ですか?」
「もちろん、それもある。近年の日本のアウトレット事業は目を見張るものがある」
「では他に意図があると?」
「それなんだが、どうやら彼は引退を考えてるようだ。そこで、フリィップグループの次期後継者を探していると。」
「なるほど、そのパーティで次期後継者の発表があるとそういうことですね。」
課長は不敵な微笑を浮かべて言った。
「しかし次期後継者の発表があるのはいつかはわからん。一年後かも知れないし、来週かも知れない。そこでだ、その発表の前に彼に気に入られろ」
「次期後継者の発表の前に彼に近づき、次期後継者を紹介してもらうと解釈してよろしいですか?」
「我が社の北米事業は今競合他社との争いもあって相当苦しい立場にある。特にエレベーター事業部、君だって少しはわかってるだろ?」
まあ、それはね、わかってますとも。
「フリィップグループと我が社のエレベーター事業部がもし取引段階まで持ち込めたら、我が社の北米事業部も少しは展望が見えてくる。だから次期後継者に近づくために、フリィップ氏に気に入られろ」
本来、30代の一社員がこのような仕事がまわってくるはずがない。というかせめて役員か社長クラスの人間がいくべきだろう。そう抗弁したらあっさり
「業務命令だ、やれ」
そうですか、私のような不良中年社員でいいんですか、やれやれ。
「あと、君にはサポートで君の後輩の野々村をつける。二人でなんとかやるんだ。」
少しは安心した、元気溌剌の明るい野々村がいれば少しは糸口が見つかるかな。
と思った矢先
「先輩、ごめんなさい。今日立て込んでまして厳しいです…本当に申し訳ありません」
もちろんこのあと説教したのは言うまでもない。というわけで一人で行くことになった。徒手空拳。
さあどうなることやら。
ⅳ.接点
外資系超高級ホテルの会場を借り切ってそのパーティは行われていた。
エントランスからの雰囲気からして違う。まさに非日常の体現。目を見張るような調度品の数々とさながら摩天楼のような外観、一流のスタッフとまるで自分との格差を思い知らされるようだ。
早くも帰りたくなった。
憂鬱が音をたててやってくる。
そもそもこのパーティは経団連主催の日米企業間交流が表向きの目的ではあるが、いってみればなんてことはないロビー活動的な要素の強いなんでもありのパーティ。
テレビでしか見たことがない大物政治家、財界人、起業家、果てはアーティスト、文化人、芸能人etc.
とんだ場違いだ、しかし、壁の花になるわけにはいかない。なんとしてもフリィップ氏に近づかなければ。
まずはフリィップ氏を見つける必要がある。
彼の外観的特徴は資料にて目に穴があくほど確かめた。
しかしいない。どこにも。
この時ばかりは流石に焦る。この夜景もシャンデリアもシャンパンも用はない。
私はフィリップ氏に会いに来たのだ。
少し抵抗があったが近くにいた人物に話かけてみることにした。
「フィリップ氏ですね、あの人はだいたい遅れてくるんです。でもいつもスピーチをするからわかると思いますよ」
ありがとう、との矢先に名刺交換。サラリーマンの習わし。
結局壁の花状態になってるところで半ば諦めたところにフィリップ氏は登場した。
「みなさま、このたびお忙しい中お集まりいただきありがとうこざいます。今回フィリップグループ会長のフィリップ・ゲラーさまから一言いただけるようです。ではみなさまご静聴よろしくお願いします」
おおー、やっと来てくれましたか、待ちわびてましたよ。
生でみるフィリップ氏は小柄ながら、威厳と優しさを兼ね備えていて、僧侶のような落ちつきでありながらエネルギーの塊のようであった。
スピーチの内容は日米の交流に飽き足らずこれからは発展途上国をみなさまのお力でどんどん発展のサポートをしていきましょうという、極めてシンプルなモノだった。
こうして要約だけすると味気ないが、フィリップ氏は3分に一回笑いを入れて来たりかと思えばビジネスの話になったり、日本のどこが好きかを話したりと、非常に多岐にわたる。
特筆すべき点はスピーチの技量もさることながら、彼は技術だけではなく、感情を操り伝えてる点にあるだろう。まるで会場全体が彼の言葉によって揺れ動くようなそんな印象を受けた。
その後フィリップ氏の周りは黒山の人だかり、もちろん一流の人間が彼の周りに集まっている。
「この中に割って入るのはどうしたらいいだろうか?」
しかし、何も解決策が浮かばないままひたすら待つことにした。いつかは人も減るだろうと淡い期待を寄せながら。
壁の花、もちろん私の場合は花にもならないが仕方ない待つしかないんだ。
人がひとりふたりといなくなり、フィリップ氏の周りにも人がいなくなっていった。
「今がチャンスだな。」
フィリップ氏の元へと一直線、ふかふかの絨毯を踏みしめながら、彼のもとへ。
すぐ目の前にあのフィリップ氏がいた。
意思の強そうな眼に、知識人のような柔和な雰囲気、そして、圧倒的なオーラ。
目が合う。私の第一声は、
「先ほどのスピーチ、大変勉強になりました。特に発展途上国にもチャンスをというところは感銘を受けました」
「ありがとう、私は本来こういうパーティは好きじゃない。ここにある食事、会場費、人件費、その他もろもろのかかったお金を貧しき人々に送るほうがよっぽど有益だと思ってるくらいだからね」
「ところで、君名前は?」
「失礼しました、芝電機工業の武田譲二と申します」
その後は、「会話の達人」たるフィリップ氏の巧みな会話によって私はかなり気持ちよく話せた。確かプロフィールには日本語多少と書かれていたが、ほぼネィティブの日本語に近い。会話の引き出しは豊富、適度に自分の話をして飽きさせない。相手の話もちゃんと聞く。
そんなこんなで、パーティはお開きになった。
「フィリップさん、今日は貴重なお時間ありがとうございました」
「そんなことは気にするな、こちらこそ楽しかったよ」
「ところで、君は健康問題について興味があるか?」
「はい、まあそれなりにはあります。自分のことですから」
「君さえ良かったら今度是非健康問題について話合おう」
「はい、それは喜んで!」
一応フィリップ氏との対談は上々に終わった。これなら課長も文句は言わないだろう。
次の約束まで取り付けたわけだから。
「フィリップ氏と次の約束をこぎつけた?そりゃあでかした!よくやった!」
この時、まさにこの時が一番幸せだったと思う。フィリップ氏との次の対談はまさに取引であったからだ。それも命をかけた。
ⅴ,いざ、ゆかん
フリィップ氏との対談は来週の金曜日に決まった。世界的不動産グループの会長と直で話せる機会などそうそうない。金曜日の対談いかんによっては我が社の今後の展望にかかわってくる。つまり私は我が社の重責をひとりで抱えることになる。
フリィップ氏は健康問題について話合おうとおっしゃっていた。そこで私は健康に関する本を神保町まで行き買いあさり、徹底的に読みまくることにした。
病理学、薬学、栄養学、各種スポーツ理論から、セラピー、果ては東洋医学まで。
もちろん日常業務としてのルート営業もあったが、そこはこの前失態を犯した後輩の野々村に回らせることとした。少々荷が勝ちすぎるところはあったが、それなりの負荷を与えなければ下は伸びない。
「先輩のルート僕がやるんですか?」
流石の野々村もこれには血の気が引いたようだ。
「そうだ、君にもそろそろ適切な負荷を与えないとね、将来我が社の次期エースとして活躍してもらうのだから。」
わずかに野々村の顔が気色ばんだのは見逃さなかった。まあわりかし単純だよな。
「じゃあ最低限のサポートと引き継ぎはお願いしますね。」
「あと、せめてもの情けとして、法人営業部2部の佐々木さんの下で動いてもらうから」
「佐々木さん?!ウチのエースの佐々木さんですか?」
「そうそう、彼女には話を通してあるから、挨拶に言ってこいよ」
「それはもう!じゃあ早速言って来ます!」
佐々木さんと野々村案外相性いいと思うからまあ大丈夫だろ。
ルート営業がなくなってからというもの健康関連の知識はかなり吸収されてきた。これならばどんな話題が来てもある程度は返すことが出来そうだ。
面談の3日前、一通の手紙、それはフリィップ氏の側近からだった。
“Dear, George takeda
この度は御多忙にもかかわらす、対談のオファーを受けていただきありがとうございます。今回フリィップもこの対談を楽しみにしております。お互いに是非有意義な時間を過ごせますことをご期待しております。
唐突ですが、貴殿は持病等をお持ちでしょうか?もし持病をお持ちでないなら、返信不要です。持病のお持ちの場合は持病の詳細を返信していただきたい。
この質問は今回の対談で必要不可欠になるためお伺いさせていただいた次第です。
では、当日お会い出来るのを楽しみにしております。
Sincerely”
その他面談の場所、日付、地図が書かれた用紙が書かれた紙が一枚。
“ウェスティンホテル東京、13××号室”
「もっとフランクな会談だと思っていたが、案外気合いが入っているな。付け焼き刃の知識で大丈夫か?それとも何か狙いがあるとか?」
まあいいだろう、今日は水曜日。定時で上がれる。早くダラダラしよう。
であっという間の金曜日到来。
「なんとしても、フリィップ氏と懇意になるんだ。わかってるよな?このことは重役ならびに社長たっての希望だ」
「はい、わかってますよ。というか課長こそ大袈裟じゃないですか?ただ対談するだけですよ?」
あ、やべこれ説教スイッチ入れてしもうた。
案の定、課長の顔色がみるみる変わって行くのがわかる。総務の女の子クスクス笑ってるし。
「とにかく万全をきして早めにでまーす、言ってきまーす」
こうして、フリィップ氏のいるウェスティンホテルへと私は向かった。電車の中手紙に書いてあった病気の有無の意味をひたすら考えていた。どうして病気の有無など聞いてくるのか?仮に病気を持っていたらどうなるのか?向こうの狙いは何か?
考えて考えあぐねたうちにいつの間にか、最寄り駅について慌てて飛び降りる。
ウェスティンホテルは外資系の超一流ホテル
であり、まさに超高層ホテルと呼ぶにふさわしい。まず自分の給料では来れないだろうなとか無駄なことを考えながら、フリィップ氏の待つ部屋へ受付で通してもらう。
美しいシャンデリア、身体を包み込むソファー、手入れのいきとどった観葉植物、そこで待つこと10分。
ハリウッド俳優顔負けの美男子がこちらに向かってくる。
「武田譲二さんですか?」
完璧な日本語で話かけられややパニックになりながらもなんとか同意する。
「ようこそ、わざわざお越しいただきありがとうございます!では早速ですが、お部屋にご案内致します」
身長はゆうに180cmを超える、短髪、ブロンド、ブルーアイ、仕立ていいスーツはバーニーズかブルックスブラザーズあたり?紺スーツが憎いほど似合っている。痩せ型ではあるが、適度に筋肉はついてそうだ。
「失礼ですが、携帯電話は電源をお切りください、それとICレコーダーの類がありましたらお預かりします」
ICレコーダーは持ってなかった、携帯電話をOFFにした。
「ありがとうございます。ではこちらの部屋になります。どうぞ」
部屋に入るとすぐ正面にフリィップ氏がニコニコしながら立ち上がり迎えてくれた。
「よく来てくれたね、楽しみにしてたよ」
「こちらこそ、お時間いただき恐縮です」
「まあリラックスしていこうか、コーヒーでもどうだ?」
「ありがとうございます、いただきます」
そこへ、今度はアジア系スレンダー美人がコーヒーを持ってきた。日本人?中国人?とにかくこの人もその辺の女優が裸足で逃げるほどの美人には違いなかった。
今思うと私はここで帰るべきだったのだ。
今でも自分の判断が悔やまれる。もしこの時帰っていれば、今ごろどうなっていたのだろう?