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「つまり、シュレーディンガーってのは悪いやつなのか?」
「そうだナァ、あんな極悪な話を世間に広めるなんて、恐ろしい人間だよ」
「ベつに本人はここまで流行るとは、思ってなかっただろうよ。じゃあ犬だったらよかったのか?」
「そういうわけじゃナァいけど」
鈴と蠢と厳道は関係ない話をしていた。
喋りながら歩いていると、前方から何かきた。
噂をすれば影。
犬だ。
首輪をしていて、千切れたようなリードが見える。
紐が劣化していて、たまたま今日、犬は拘束から開放されたらしい。
頭の高さが大人の腰くらいある、相当大きい、白い毛並みの犬。
それはボルゾイだった。
最高時速五十キロ、昔はオオカミ狩りの猟犬として親しまれていた。
なぜか双子、それも破子の方に向かってくる。
黒いふりふりが、何かを刺激したのかもしれない。
「い、いや」
破子が怯えた表情でつぶやく。
その口が開き、牙が到達するかと思われたところで、火楼の腕が割って入った。
ぎちり、と牙がスーツを巻き込んで、肉に食い込む。
そのまま犬は強引に首をふった。
スーツもろとも何かが破け、べちゃりとそれは地面に落ちた。
「ぐううう」
火楼はたまらず唸った。
犬がさらに火楼に飛びかかる。
逆に火楼も犬に抱きついた。痛む片腕を我慢して、無事な方の手で撫で回す。
それはまるで、仲の良い飼い主と飼い犬だった。
犬の毛には火楼の血がだんだんこびりついていったが。
あまりの光景に、他の五人は見ているしか無かった。
少しして本物の飼い主がやってきた。
二十代くらいの女性である。
火楼はすぐに重傷の腕を隠し、対応した。
「いやーかわいい犬ですね。ついじゃれてしまいました。すみません、ちょっと血で汚しちゃったみたいで。あ、俺は大丈夫です。ただのかすり傷ですから」
とそんな風に、犬を庇うようなことを言った。
飼い主は何度も謝ったが、火楼がなんども対応しているうちに、やがて帰っていった。
火楼は名残惜しそうに犬を見届ける。
「はあ、動物っていいよなあ」
ぽわぽわと満足気である。
何かのスイッチが入ってしまった火楼が、五人のほうを向くと、四人は心配そうな顔をしていた。
鈴だけは、何かを察したように猫耳を手で隠した。
「なぁ、鈴」
「駄目」
いつになく頑なだ。
それから洋館につくまで、火楼と鈴は追いかけっこしていた。
破子にとっては、命の危機だったが、火楼にはある意味ご褒美だったようである。
二日目の夜、双子の家。
破れたスーツを、双子が裁縫で直すと言い出した。
と言っても、裏から当て布をする応急処置なのだが。
「私達魔物が生まれた時に着ている服は、汚れても破れても勝手に直るんですが、ちょっと手を出してみたら、裁縫って結構楽しいものですのよ」
裁縫道具を持ってきた結子が言う。
「それはありがたいが、気をつけてくれよ」
二日目の運の悪さを危惧する火楼。
その不安もあたらず、なんなく修復に成功した。
破子が針を持ち、結子がそこに一発で糸を通したり、二人の片腕が一人の人間の両手のようで、火楼は見てるだけで、時間があっというまに過ぎた。
終わったので着てみると、腕の部分に黒い薔薇のマーク、だ。
もろに双子の趣味がでた。
火楼は笑顔をひきつらせながら、感謝した。
夕食の席でこんな話がでた。
今日はチャーハンとスープと冷奴だ。
「トころで、結子は良い事あったのか? 宝くじがあたるとかよ」
前に一蹴されたのに、また聞く蠢。
彼もなかなか図太い。
「そんな大した事はおきてないですわ。確かに私の運気は上昇中みたいですが、そもそも買ってませんし。そういえば、いつか読んだ本に書いてありました。不幸は這い寄ってくるが、幸福は自分から行動するものに訪れるのだと」
「ソいつは含蓄がありそうな言葉だな」
「元より私の願いは、鎖が戻るまで破子ちゃんが無事にすむことだけですわ」
三日目の朝。
破子と結子はあの日から、いつも手を繋いでいる。
だがその日は、起き抜けからずっと破子が結子に抱きついていた。
朝食だというのに、まだ着替えておらずパジャマのまま。
その日はベーコンエッグとパンとスープだった。
「おい、破子どうしたんだ。パジャマのままじゃ、さすがに学校のみんなに笑われるぞ」
「結子ちゃんと離れたくないの」
いつも以上にべったりな破子の理由を、結子は聞いていた。
「それが、破子ちゃん怖い夢を見たみたいで」
「なんだ、夢か。破子、ちゃんと今は現実だぞ。どんな夢みたんだ?」
「最初は楽しかったんだけど、数年たって、結子ちゃんがいなくなっちゃうの。『私とつながっていたことによって、もう破子ちゃんの不運は綺麗に消えました。私は次の不運な子を助けに行きます』って言って」
「え、えらく具体的だな……」
「そんな設定も目的も役目もないって、何度もいってるんですが」
「ハん、夢と現実の区別もつかない奴には、痛みを与えるのが一番だぜ」
そういって蠢はどこからか、洗濯バサミを持ちだした。
「やめてください。破子がかわいそうです」
それを止める結子。
「なあ、破子。その夢には、体温のぬくもりや、匂いや、肌触りはあったか?」
「…………」
破子は嫌な夢を思い出しながら、黙る。
「なかったなら、今感じるそれらが、現実の証明だ。わかったら着替えてきなさい。この朝食は、食べずに待ってるから」
うなずき、部屋に戻る双子。
そんな他の者からしてみれば些細な、それでも破子からすれば、結構な不幸だった。
学校にて、例の時間。
これで丸二日が過ぎたことになる。
幸いまだ破子はどこも怪我はしていない。
いくつか嫌な思い出が残った程度だ。
恒例のように、外からまた飛んできた。
今度は砲丸だ。
休み時間にどこのどいつが砲丸投げなんてしているのか。
何がどう間違って、それが教室に飛んでくるのか。
結構な勢いで、閉まっていた窓にぶち当たる。
が、割れなかった。
魔物教室の特別製ガラスが、初めて役に立った瞬間である。
もし窓が開いていたら、破子に命中しそうなコースだった。
さすがに三度目にもなれば、しっかり窓を閉めている。
二日とも何か起きていた、給食の時間。
異物が入ってない事を確認し、毒見までした。
けれど、食べ終えた破子は、お腹痛いと言う。
授業中に、お腹を抑えながら、机に顔を横向きに伏せるように、倒れた。
「お、おい破子、しっかりしろ!」
「破子ちゃん」
破子をゆする結子。
顔が青くなっている。
周りの生徒も心配そうだ。
火楼はどうするか迷った。
保健室に運ぶか、救急車か、医者を呼ぶか。
医者といえば、と彼女の存在に思い至る。
授業中でも、こんな事態でも、構わず寝ている薬宮を、火楼は起こしにかかった。
「おい、起きてくれ、薬宮」
専用の枕まで持ってきていて、完全に熟睡している。
がたがたと肩を揺さぶった。
「なぁぁに」
大人っぽい声がした。
シチュエーションが違えば、妖艶な、と付け加えられる。
「破子が倒れたんだ。給食のせいかもしれない。何かわかるか?」
それを聞き、ちらりと破子をみる薬宮。
急に目付きが鋭い。
何かが視えているのだろうか。
「ほっとけば治るわぁ」
「そうなのか? 何かしたほうがいいんじゃないのか?」
「起きてもお腹痛いっていうならぁ、薬あるけどぉ…………、眠い」
目を閉じる薬宮。
「お、おい寝るな」
「わかったからぁ揺らさないでぇ」
そう言ってごそごそと、おそらく胸の谷間から、錠剤を一粒だした。
一見してもわからないが、どこにも売っていない薬宮特製の薬だ。
「ありがとう。助かるよ。薬宮」
火楼は礼を言って、破子の様子を見に行った。
既に薬宮は寝ている。
六人は洋館への道を歩いている。
まだ空は雲で暗い。
朝より風も強くなってきた。
例の薬はしっかり効いて、破子の腹痛はきれいに消えた。
給食であんなことがおきたら、大事になりそうだが、能力のこともあって誰も騒ぎ立てなかった。
「それにしても、なんでこんなことに。俺がちゃんと毒見したのに」
給食の場面を思い出す火楼。
「僕もちゃんと見てたナァ」
「異物も特になかった」
鈴と厳道も思い返す。
「セんせいしかしなかったのが問題なんじゃねーの」
蠢が鋭い指摘をした。
「あ」
「そういうことか。先生は自分の体の事を、もっとよく知るべきだナァ」
はたと気づく火楼に、鈴はばっさりと言う。
「私がもっとちゃんとしていれば。むしろ口移しでもいいくらいですわ」
結子の言い分に、想像してぽっと顔を染める破子。
全く嫌がらず、寧ろ乗り気そうだ。
「お前ら二人は、たまに行き過ぎてるよな……。夕食で実践とか、しないでくれよ」
ふふと双子は楽しげに笑っている。
しかし不幸は空気をよまずやってくる。
もはや不幸というより、死神に狙われてるといえなくもない。
トラックが突っ込んできたのである。
進行方向は当然のように破子。
六人には見る余裕もないが、運転手は寝ている。
高速道路ならともかく、こんな街に近い一般道路でだ。一体どんな確率なのか。
火楼は全力で、破子を突き飛ばす。
結子も同じ方向へ、繋いだ手をを引っ張っりながら飛んだ。
その甲斐あって、被害は火楼だけで済んだ。
鉄と血と骨と肉と内臓とタイヤとエンジン音と。
色々な音が一瞬でまざりあい、そのままトラックは奥の塀に激突した。
何かの塊のような火楼が、隅に放られている。
破子は恐怖で動けない。結子が抱きしめている。
他の三人が火楼に駆け寄った。
「先生、生きてるのか?」
厳道が確かめる。
「はは、トラックは二度目だ。最初の時と違って、轢かれた価値はあったけどな」
口からも血を流しながら、吐くように言った。
ほかはともかく、喉は無事なようだ。
「ちょっと、しばらく動けないから、先帰っててくれ」
ひゅー、ひゅー、と息を漏らしながら、目をつぶる火楼。
「オいおい、こんなところに置いて行ったら、通行人がビビっちまうぜ。そのまえに、目を覚ましそうな運転手が気づくか」
そんな台詞が聞こえるか聞こえないかのところで、火楼は気絶した。
火楼が目を覚ますと、そこは今朝も使用していたベッドだった。
いつのまにか降っている雨が、窓を叩く。
あれから数時間は経った。
「いっつつ……」
上半身が裸で、血の滲んだ包帯でぐるぐるまきだった。
足にも添え木と包帯が、ズボンの上から巻かれている。
「起きたかナァ」
鈴が側で木の椅子に座っていた。
「あ、ああ。鈴か。あれから、どうなった?」
火楼はあまりハッキリしていない頭で、端的に聞いた。
「一言で全部聞いてきたナァ。先生を運んだのは、厳道っちだよ。血の跡は残ったままだ。運転手はびっくりするだろうね。あれだけの血を流した本人がいナァいんだから。それで、そのまま歩いていると、次はラジコンの飛行機が飛んできてね、厳道っちが咄嗟に手をかざしたら、勢いをなくしてぽとりと落ちたけど、そのままだったら、破子っちの顔に当たっていたナァ。操縦していた子供は謝ってたけど、灰色のラジコンを渡す時、厳道っちは申し訳ナァさそうだった。機械の誤作動みたいだったしね。それから雨がふりだして、皆急いでここに向かったんだ。ベッドで先生の具合を見てみると、多少治りかけていたけど、まだぐちゃぐちゃしてて、気持ち悪かったから包帯で隠したよ。それから交代で見張ってたんだ。他の四人はリビングで遊んでいるナァ。あまり運の絡まない、チェスとか、山手線ゲームとか」
短い質問だったが、鈴は長々と答えた。
ゆっくりめに喋ってくれたので、火楼はなんとか理解できた。
「皆が無事で安心したよ。そろそろいい時間なんだろう? 飯、作るか。厳道にも礼言わないとな」
そう言って火楼は立ち上がった。
「先生、もう動けるのかい?」
「ああ、さすがに包帯は取れなそうだけどな。それに、まだ油断はできない。寝てもいられないさ。看病、ありがとな」
火楼は鈴の頭を撫でて、掛けてあった上着をきて、部屋を出た。
猫耳の部分には触れていない。
「まったく、飛び出た内蔵を見たときは、どうナァるかとおもったよ」
台詞がひとつ、部屋に残った。
「いやああああああ」
破子が声を張り上げた。
現在、午前三時ごろ。
雨と風ががたがたと窓をゆらし、不安を煽る夜。
悲鳴の直前、窓が割れる音もして、驚いて起きた火楼は急いで双子の部屋に行った。
「どうした!?」
「な、なんで電気つかないの」
破子がランプのスイッチをかちかちと鳴らす。
割れた窓から、雨や風が入ってくる。
変な鳴き声も、近くで聞こえた。
破子は火楼に気づけないくらい、動転していた。
「破子ちゃん落ち着いて。危ない物は何もないから」
「何があったんだ? 結子」
暗くてよくわからない。
「それが、カラスみたいなのが飛んできて、窓が割れたんです」
部屋の隅で苦しそうにしているカラス。
「それに、天気のせいか電気もつかなくて」
結子はある程度状況を理解していた。
「う、う、もう嫌だよ。助けて結子ちゃん。何も見たくないの。ずっと結子ちゃんの腕の中にいるの」
破子は絶望しかけている。
目が暗闇に慣れてきた頃、双子と火楼は別の部屋に移動した。
破子は結子にしがみついている。
先ほどの声で起きてきた他の三人は、とりあえず問題はないと伝えて、部屋に戻らせた。
新しい部屋についてから、火楼はふと思いつき、鈴の部屋に行く。
そのころには、電気は戻っていたようだ。ランプが灯っている。
「なあ鈴。アニマルセラピーって知ってるか?」
真面目な顔の火楼。
「ナァっ。確かに僕は元動物だけど、今は魔物だよ」
突然言われた予想の斜め上の発言に、驚いた。
それとともに、ぴこっと猫耳が動き、火楼の目線はそれにいく。
「本当に癒されたいのは先生ナァんじゃ……」
「ち、ちがうぞ。双子以外では、この中じゃ女の子は鈴だけだし、ショックを受け続けてる破子のために、朝まで一緒に寝てもらおうと思っただけだ。こんなとき、人のぬくもりは大事だしな」
「さっきはアニマルがどうとかいってた気がするよ。だけど、そういうことナァら、わかったナァ」
「頼んだぞ、鈴」
「頼まれたナァ」
鈴が新しい双子の部屋に入っていくのを見送った。




