狛枝一樹の運命講義
私は、私であって、私ではない。
自分という存在を知覚出来ないというのは、即ちそういうことだろう。
内側から見る自分。外側から見られる自分。
どちらが本物で、どちらが偽物なのか……私には、分からないから。
だから、私は――考えることを、自分が自分であることを……放棄した。
◆◇◆
世の中には、どうにも避けられない事態というものが存在している。
それは、地震・雷・火事・親父……という言葉が指すように、ごくごく身近な人災から、想像もつかないようなスケールの天災まで、幅広く分布しており……。
「運命って言葉、君は信じるかい?」
そう。俺にとっての人災――廊下で偶然遭遇した狛枝一樹の放った第一声は、そんな一言だった。
コイツ馬鹿か、と軽くあしらえばいいだけの話なのだが、どういう訳か俺はコイツの話に巻き込まれてしまう。
大方、そんな俺をからかって楽しんでいるんだろう。落ち着いた物腰や少年然とした容貌からは連想できないほどに、コイツの中身がドス黒い事は、付き合いの長さから分かっているつもりだ。
そして、平常通り唐突に切り出されたその会話に、俺は以前から温めていた一つの考えを以て臨んだ。
――いつもいつも、そっちのペースに飲み込まれているだけと思うなよ。
そんな心意気も乗せて、言葉の雨を降らせる。
「――運命、ねえ。……運命、英語で表せば『fate』や『destiny』――避けられない事象を指して言う言葉――全言語から総合してみるに、この言葉は、俺たち人間は世界の意思ともいえる存在にその行動や性質を支配されている、という考え方のことも指してる。所謂、見えざる神の意思……ということで間違いは無いな?」
コレは、狛枝がよく使う手――後で「いや、それはスタートから間違ってるんだよ」などいう屁理屈の類だ――を防ぐための作業。
それを知ってか知らずか(多分知ってるんだろうが)、平常通りににへらと笑いながら狛枝は答えた。
「うん、間違ってないよ……続けて?」
「どうも」
……さて。あとは俺の脳内倉庫に貯蔵されている無駄知識の配合を上手くやれるかどうかだ。
――ナラカ、うまくやれよ。
「狛枝……ならお前を運命論者だと仮定して話を進めようか。
見えざる神の意思――それを肯定するってことは……例えば、今俺たちがこの場所で顔を合わせたことや、さっきの一言から俺がこういう言葉の羅列をペラペラと話しはじめていること自体が既に予定されていた……そう言いたいのか?馬鹿げてる。実に馬鹿げてるよ狛枝。そんなのが成り立っているのならこの世には偶然なんて言葉も存在しちゃあいけないはずだろう――さあさあ、賢いお前なら、言いたいことは分かってくれるよな?」
実に馬鹿馬鹿しい。……そう思いながらも俺は、時に手を広げ、時に拳を空に突き上げ、時に表情をコロコロと変えてみせ――演説さながらのパフォーマンスを行っていた。
「……うんうん」
ニヤニヤと笑いながら俺の話を聞く狛枝を見ながら、続ける。
「そもそも、予定説――俗に言う『予言』だが――黙示録然り、大予言然り、全て明確な予言はされていないハズだ。そりゃあ人間生きてれば幾億もの行動パターンをこの一瞬でさえ行っているワケだから、地球上の何処かで、今も必ず予言は成就している。大雑把な予言を、小さな出来事に無理やり当てはめている、というのが正体だ。大は小を兼ねる、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、というと途端にチープな問題のように聞こえるが……即ち、コレはこういうことだろ?人に運命を知る術はなく、また操ることもできない。知れず、触れれず、操れず……はたして、そんな現象は存在していていいものなのかな?」
ふう、と息を吐く。これで終わりだぞ、と言う意味を込めて、自分の左肩を右手で軽く揉みながら首を鳴らした。
虚勢と勢い、保有している無駄知識から無理やり捻り出したこの長文――さあ、どうだ……狛枝一樹。
「……はあ、以前の君の方が知的ではあったね。少しガッカリだけど、まあ及第点をあげるよ」
大袈裟な溜息が少し鼻につくが、予想通りだ。
狛枝一樹という個人は、ジャンルを問わず幅広く張り巡らされた情報網によって構成されているといっても過言ではない。
その情報たちを絶対であると信じているからこそ成り立っているのが狛枝という人間だ。
今の俺の反論は、コイツにとって多少の不快感を与えるものだったのだろう。……まあ、こうやって時折豆知識を披露して一矢報いるぐらいが俺の限界なんだけれど。
にやり、と勝利を確信したかのような笑みが見えた。……ああ、分かった。今日も負けだ。大人しく聞いてやるよ。
「さっき、君は既存の言葉を否定したね?……ナンセンスだよ、実にナンセンスだ。考えてもみなよ。意味の無い言葉なんてこの世には存在していないだろう。偶然は確かに存在するんだよ、ナラカ。君が今君であることも、僕が今僕であることも、コレは偶然であり必然だ。……そして、定められた運命でもある」
「偶然であり、必然である――なんて、SFやファンタジーぐらいでしか聞かないぞ。大体、意味が逆の言葉が同時にあるっていうこと自体がおかしいだろ」
「まあまあ、話を最後まで聴いてくれよ。今の君でも分かるよう、手短に話すからさ。……要するに。ありとあらゆる『偶然』という確率を支配し、その結果として『必然』がある。偶然は必然に内包されるのさ。そして、必然という点の集合が一本の線として結ばれた時――そのとき、形を成したものが即ち運命」
分かるかい、と笑って俺を見る狛枝。
「ああ……『努力は必ず報われる』って言いたいんだろ」
コイツが言いたいことはつまり――偶然はそれを起こす努力によって発生し、その結果、観測したものから見ればそれは必然となり……その一繋ぎこそが、運命――と、人間賛美的なことなのだ。
……分かりにくい。ものすっごく、分かりにくい。世の中に普及している小説や論文の中には、『~~語』と呼ばれる独特の文体やルビ振りをしているものがあるが、この際『狛枝語』もその序列に加えてみてはどうだろうか。
「やっぱり物分かりが良いねナラカは!そう、僕は今君に会う為に……時間帯や場所、君の性格は勿論、行動パターンなどの不確定要素も織り込みつつ推測に推測を重ねて」
ぺらぺらぺらぺら。残念ながら、俺の低俗な脳では理解するに及ばない――というか、気持ち悪くて聞きたくないので、適当に流しておいた。
そして、数分後。タイミングを見計らい、俺は狛枝の言葉を遮った。
「はいはい。……で、何か用があるんだろ」
巨大な言葉の群れは遥か彼方へ。驟雨は過ぎ去ったようだ。
「ああ、うん。君に会いたかったというのもあるけれど、目的はそれじゃないんだ」
「おええ」
マジかよホモかよ本気でやめてくれ。……まあ、逃げ道があるだけ今回はまだマシな方か。
過剰なリアクションから立ち直り、続きを促す。
「屋上だよ、屋上。ちょっと会わせたい人がいてね」
俺に、会わせたい人?
「へえ、狛枝……友達いたんだ」
「また馬鹿言って……」
そんな軽口を叩きながら、俺と狛枝は屋上に向かって歩き出した。