朝霧が隠す
「やあ、堂島さん。調子はいかがかな」
今日は、よく声を掛けられる。
「……ええと」
医者のような風貌をしている優男が、俺に向かって歩いてきた。
またか。名前が、どうにも思い出せない。
「朝霧玲人、ですよ」
アサギリ、レイト。朝霧玲人――ダメだ、思い出せない。
「よく遅刻とかなさりませんか」
駄洒落で自己紹介に答える。……何をしてるんだ、俺は。
軽い自己嫌悪に陥っていると、薄い笑いが聞こえてきた。
「はは、やっぱり君は面白いですよ」
嘘だろう、絶対笑えないぞ……さっきの駄洒落は。駄洒落の域にさえ達していないぐらいのレベルだぞ……あれ。
「君は、どうあれ私を見てはいないんですからね……」
笑いのツボが浅すぎるだろう――っと。
「今、何か仰いましたか?」
俺としては、何気なく聞き逃した言葉を問い直しただけだったのだが……。俺の言葉が、どうも気に障ったらしい。
くしゃりと顔を歪めた彼の目は――。
――怯えてる?
……そこに、見て取れるほどの恐怖を孕んでいた。
理由は分からない。ただ、この男は今、俺に対して恐れを感じている。
貼り付けたように不自然な笑顔の裏には、こちらの一挙動、一呼吸、更には思考までも穿とうとする意思が見て取れた。
「どうなされました?」
歩み寄ってくる男。
未だに、笑みは崩れていない。
もしかすると、声をかけてきたときから今まで、ずっとこの男は俺の腹を探ろうとしていたのではないだろうか。そんな疑念さえ抱いてしまう。
「……少し、体調が悪くて」
嘘ではない。この男を見ていると、気持ちが悪くなる。胸の奥から止め処なく滲む不快感が、吐き気さえも催させる。
「ああ、それは大変だ。部屋に戻る途中だったのなら謝ります。ゆっくりお休みになってください」
……この文字列の、どこまでが本心なのか。
「……はい、そうさせてもらいます」
では、とお互いに声を交わして対称の方向へと歩き出す。
――風にあたりたい気分だ。
屋上にでも行こうか。
ちょうど日が沈んだ頃だから、涼しい風が浴びられるはずだ。
日が沈んでいるというのに、窓は驚くほどに綺麗で。
そこには――自分の姿さえ、映っていなかった。