捜査、始まる(3)
四人は車の中で、一人の人物を待ち続けていた。
森崎叶美によれば、それは建川という男である。店長北山のパソコン操作によって、モニターに映し出された名前である。この古本屋に「助けて」と書き込まれた雑誌を、数ヶ月前売りにきた人物である。
叶美は建川を一万円でおびき出すことに成功した。店長が彼に連絡をつけたところ、三十分後に取りに来ると言ったそうである。果たして彼はこの誘拐事件にどう関わっているのだろうか。
駐車場はひっきりなしに車が出入りしている。この店は駅前の、しかも大通りに面しているので車の来客も多いのだろう。店の出入口に客の姿が絶えることはなかった。
沢渕は一人考えていた。
建川という男は叶美に危害を加えることはないだろうか。叶美はどこか無鉄砲なところがある。それは彼女の自信から来ているのだろうが、過信は禁物である。相手が凶悪な人物だった場合、予想のつかない事態に発展することもあるからだ。
四人は黙ったまま、店の入口付近を注視していた。事件の関係者と実際に会うとなると、どうしても緊張が走る。
その重苦しい雰囲気を打ち破るように、
「沢渕くん、建川って今度の誘拐事件に関係あると思う?」
奈帆子が身体をよじるようにして訊いた。
「この男が犯人だったら、これほど簡単な話はないと思いますが、おそらく事件との関係は薄いでしょうね」
「どうしてだ?」
久万秋が横から訊いた。
「誘拐事件の犯人が、人質の監禁場所に置かれてあった雑誌を、のこのこ古本屋に売りに来て、運転免許のコピーを残していくとは到底思えないからです」
「なるほど、確かにそうだよな。それじゃあ、例の雑誌はどうやって手に入れたのか、そこが問題だな」
フロントガラスの先に、突如、不審な男が現れた。辺りをきょろきょろ見回しながら歩いていく。
「あの男だわ」
叶美が短く声を上げた。
男は店の中へと消えていった。
すぐに叶美の携帯が鳴り出した。出ると、店長北山からの電話であった。売り主が来店したら、連絡を貰うことになっていた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるわ」
叶美は勢いよくドアを開けて車から飛び出した。沢渕も後に続く。
「私一人でもいいのよ」
「いや、僕は弟ですから」
二人は男を追いかけるように店に入った。真っ直ぐレジカウンターを目指す。
落ち着きのない様子で男が立っていた。日焼けした顔や腕は、彼が肉体労働者であることを物語っていた。
北山は叶美の姿を認めると、
「こちらの方が、本に挟まっていた一万円札と封筒を見つけてくれたのですよ」
と、その男に紹介した。
「どうも、はじめまして」
叶美は会釈をした。
男は無言だった。
「これはあなたの物ですよね?」
北山が一万円札をカウンターの上に置いた。
「ああ、そうだ」
男は意外にもしっかりとした口調で言った。
「こちらの封筒もですか?」
「そうだよ」
今度は面倒臭そうに答えた。
北山はちらりと叶美の方に目を遣ってから、両方とも男に手渡した。
「それじゃ、もう帰っていいんだろ?」
男はわざと乱暴な声で言った。
「ちょっと待ってください。私、まだお礼を貰ってないのですけど」
叶美は、今にもその場を立ち去ろうとする男の前に立ちはだかった。
「お礼?」
「そうです、お金を拾ったんだから、そのくらい当然でしょ」
「脅迫するのか?」
「いえいえ、人聞きの悪いこと言わないでください。正直に届けたのだから、そのお礼に二割ほど貰えるかな、と思いまして」
「一応、礼は言うが、金をやる気はない。それは俺の勝手だろう」
男はそう言うと、叶美を退けるようにして出口へと向かった。彼女はすぐに体勢を立て直して男を追いかけた。沢渕も駆け足になる。
自動ドアが開くのももどかしく、男は全力で駆け出すと、さっさと自分の車に乗り込んでエンジンを掛けた。
二人は奈帆子の車まで走っていった。
「あの車を追いかけて」
「了解」
奈帆子は手際よく車を始動させる。
「今、駐車場を出た車よ」
「オッケー、気づかれないように尾行するわね」
奈帆子がハンドルを切りながら言う。
国道に出ると、男の車は信号待ちで停車していた。その後ろにゆっくりと車を付けた。黒の軽自動車である。右のブレーキランプが切れていた。ナンバープレートはすぐに読み取れた。
どうやら建川はこちらに気づいてない様子である。まさか制服姿の女子高校生が、車で追跡してくるとは思ってもいないだろう。
「絶対見失わないでね」
「大丈夫よ」
車はどんどん町から離れていく。片側二車線の広い道もいつしか一車線になり、高層ビル街も住宅街へと姿を変えていった。
「もしあいつが犯人だとしたら、十七人が監禁されている場所に案内してくれるって訳だな」
久万秋は後部座席から身を乗り出すようにして言った。
「残念だけど、建川は無関係ね」
叶美はあっさり否定した。
「どうしてだ?」
「本人と話して分かったの。確かにあの男はどこか怪しいところがあるけれど、おどおどしていて、とても誘拐をするほどの人物じゃない」
沢渕も同感だった。
前の車はゆったりと一級河川に架かる大橋を渡っていく。尾行にはまったく気づいてないようだった。
しばらくして車は細い路地に入った。
「このまま通り過ぎて」
奈帆子の車は何事もなかったかのように、スピードを落とさずに通り抜けた。
「次の路地で曲がって」
「はい」
車は建川が曲がったのと同じ方角を向いた。周りは田園地帯なので、見通しが利く。
「あれかしら?」
月明かりの下に、三階建てのアパートが見えた。その駐車場で、前に後ろに低速で動く一台の車が見えた。
「間違いない。さっきの車です」
沢渕が自信を持って言った。
「車を停めて」
叶美は奈帆子の肩を軽く叩いた。
「ここで待っていて。すぐに戻るから」
「僕も行きます」
慌てて沢渕も後ろのドアから降りた。
「森崎、俺も行こうか?」
クマが訊いた。
「大丈夫よ、沢渕くんがいるから」
二人は歩き始めた。田んぼからは蛙の鳴き声が聞こえてくる。
目標の建物まで、まだ五十メートルほどの距離がある。
「部屋の電気が点くから、よく見てて」
「はい」
すでにアパートの半分以上の窓は黄色い光を放っていたが、そこへもう一つ新たな光が生まれた。
沢渕は位置を記憶した。
「あそこね」
「今度は僕が話します。もし何かあったら、部長はすぐ逃げてください」
叶美は一瞬考えて、
「分かったわ。あなたのお手並み、拝見させてもらうわね」
と言った。
単身者用のアパートだった。外から見当をつけた部屋へ二人は直行した。
沢渕が呼び鈴を鳴らした。
奥から玄関に向かってくる足音が聞こえた。それからしばらく静かになった。ドアスコープからこちらを確認しているらしい。
男は躊躇しているようだった。沢渕が今度はドアをノックするような素振りを見せると、鍵を外す音が聞こえた。
ドアが細目に開かれた。
「お前たち、俺をつけていたのか」
建川が吐き捨てるように言った。
沢渕が何か言おうとすると、
「いい加減にしないと痛い目に遭うぞ」
と大きな声で凄んだ。しかしすぐに廊下の左右に目を遣って、他の住人に気づかれていないかどうか、気にしている様子だった。
「では、警察を呼びますか?」
沢渕は落ち着いた声で言った。
「ああ、それは名案だ。金を脅し取ろうとしている高校生二人組がいるって通報してやろうか?」
「どうぞ、どうぞ。しかし実際に警察に来られると困るのはそちらの方ではないのですか?」
「何だって?」
男はまた大声になる。
「僕たちは別にお金が目的ではありません。あなたに正直に答えてもらいたいだけなんです」
「何を?」
「売った本の出所を、です」
「だからあれは俺の本なんだよ。自分の持ち物を売りに出して何が悪い?」
「もちろん、それが事実なら問題はありません。しかしそれは嘘ですね」
「お前、何の根拠があってそんなことを言っているんだ?」
「あなたはさっき本屋で、僕の姉に『脅迫するのか』って言いましたね。一万円を拾ったお礼の話を持ち出した時にです。しかしその言葉は妙なんですよ。僕たちは、ただ単に権利を主張しているだけなのですから。
もし言うのであれば、『お前たちにそんな権利はない』ってことでしょう。
それなのに建川さん、あなたは何故か勝手に『脅迫』と思い込んだ。それはあなたにやましいことがあるからですよ。本の所有権について、お金を支払えば見逃してやる、と言っているように聞こえたのです。だからそれが『脅迫』という言葉になって出た。違いますか?」
建川はすっかり黙りこくってしまった。
「さっきも言いましたが、あなたが自分の物として売った本について、僕たちはあれこれと言うつもりはありません。ただ僕たちはあの本がどこから来たのか、出所を知りたいだけなんです。一万円はそのための協力金と考えてください。後から返せとは言いません。正直に話してもらえませんか?」
建川は観念したようだった。
「まあ、ここでは何だから、中へ入れ」
押し殺した声でそう言った。
二人は中へ入れてもらった。
「確かにお前たちの言う通り、この本は俺のじゃない。俺は古紙回収を仕事にしているのだが、トラックに集めた古紙の中から、金になりそうな古本を会社に持ち帰らずに、あの本屋に売っているんだ。その方が金になるからな。もちろん会社には内緒でやっている。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったんだ」
「それで、あの本はどこで回収したものか、分かりますか?」
沢渕は勢い込んで訊いた。
「俺の受け持ちエリアは広いから、ちょっと思い出せねえ」
「大体の見当でいいんです。分かりませんか?」
「無理だな。一日回って、会社に戻る前に金になりそうな本をチェックして売りに出すんだ。いちいちどこで回収したかは憶えてないんだよ」
それでも建川は天井を仰ぐようにしながら、
「だが、一冊だけ回収するということはないから、同じ場所で、他にも何冊か回収してると思う」
「つまりあの本以外に、他にも本はあったのですね?」
「そうだ」
「いつも回るコースは決まっているのですか?」
「大体な」
「それじゃあ、もう一度同じコースを回ったら、思い出せませんか?」
「いや、古本を出す家庭は毎回違うからな。ただもう一度出してくれるのなら、雑誌の種類は同じだろうから、見当はつくかもしれんな」
「なるほど」
沢渕がそう言うと、
「いい考えがあるわ」
と、叶美が言った。
「ねえ、建川さん。あなたのトラックに一人同乗させてもらえないかしら。もちろん仕事のお手伝いはしますから」
「簡単に言うけど、仕事はきついぞ」
「体力だけは自信があるから大丈夫」
「しかし、バイト代は出せねえぞ」
「ええ、それは分かっています。もちろん無償で働きます」
「そこまで言うのなら、別に構わんが」
建川は渋々承諾した。
沢渕と叶美がアパートを出ると、目の前に奈帆子の車が着けていた。
今度は先に叶美が後部座席に乗り込んだ。
「どうだった?」
奈帆子が心配そうに訊いた。
「一歩前進、ってとこかしら」
「二人とも何ともなかったか?」
久万秋が訊いた。
「大丈夫です。話し合いで決着がつきましたから」
沢渕が答えた。
「それじゃあ、もう帰りましょう」
奈帆子が車のエンジンを掛けた。
「クマちゃん、お願いがあるの」
突然、叶美が甘えた声を出した。
「何だよ、気持ち悪いな。森崎がこんな風に俺に優しくする時は、大抵悪い話なんだよな」
「あのね、今度の土日に古紙回収業のアルバイトをしてほしいの」
「バイト?」
「そう、建川さんのトラックに一緒に乗って手伝ってくれないかな?」
「まあ、それはいいけど。俺もいろいろと買いたい物があるし。で、時給はいくらなんだ?」
「それがね、そのバイト代はなし、ということで」
「おい、待てよ。給料が出ないバイトって何だよ。そもそも、そういうのはバイトって言わないだろうが」
クマが身体を揺すって抗議すると、車全体がバウンドした。
「おい、沢渕、今の聞いたか? あり得ないだろ、そりゃ」
「そこはクマ先輩を男と見込んで」
沢渕は苦し紛れにそう言った。
「お前ね、そんなの男とか女とか関係ないだろ。無給で働けって、これ労働基準法に反してねえか?」
「まあ、クマちゃん。そんなこと言わずに、ね?」
「森崎、お前可愛い顔して、言っていることが凶暴なんだよ」
どうにもクマの怒りは収まりそうにない。
「あっ、そうだわ。仕事明けに二人で焼肉食べに行こ。私、おいしい店知ってるんだ」
「焼肉?」
「そう、ホルモンが特においしいの。私、ホルモン大好き」
「嘘こけ」
前席の二人は吹き出した。
「分かったよ。じゃあこちらからも一つ条件言わせてもらうぞ」
クマの逆襲が始まった。
「今年の夏、俺と一緒に海に遊びに行くこと」
「えっ?」
「いいだろう、そのぐらい」
「分かったわよ」
「あと、その時は水着になって泳ぐこと」
「何よ、それ? 条件二つじゃない?」
「あのなあ、土日二日働くんだから二つだろ」
「仕方ないわね。別に学校の水着でもいいんでしょ」
「駄目、駄目。お前は男のロマンがまるで分かってない」
「そんなこと言ったって、私、水着なんて持ってないもの」
「だったら可愛い水着を買えばいいだろ。デートするのに、学校の水着なんて着るかよ、普通?」
「しょうがないわね、もう」
叶美は腕組みをして、ため息をついた。