捜査、始まる(2)
カラオケボックスを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。繁華街は派手にネオンサインを競い合い、漆黒の空を焦がしている。
森崎叶美の後を追うように、沢渕晶也と久万秋進士が続いた。今、彼らは商店街を抜けて駅へ向かっていた。
先を急ぐ叶美の制服の背中で、長い髪が右に左にリズムよく揺れていた。沢渕は気のせいか、彼女の背中にいつもとは違う雰囲気を感じ取っていた。
緊張しているのは、何も叶美だけではない。もし雑誌に残されたメッセージが本物であるならば、これは探偵ごっこでは済まされない。誘拐監禁された者の命が懸かっている。彼らの叫び声を聞いた以上、一刻も早く救出してやらなければならないのだ。
三人は駅に着くと、隣町までの切符を買い、電車に乗った。
この時間、電車は家路を急ぐ学生や勤め人らでごった返していた。叶美は何を考えているのか、一言も口を利かなかった。
駅を出ると、多喜子の言う通り、すぐ目の前に大型の古本屋があった。オレンジ色で満たされた暖かい店内に、次々と街の人が吸い込まれていく。
三人もまっすぐ店の中へと入った。
「まずは、女性雑誌のコーナーを探して」
叶美が指示を出した。
それは苦労することもなく、すぐに発見することができた。しかし天井まで届きそうなその棚は、上から下まで隙間なく雑誌が並べられている。これらを全部調べるには相当時間が掛かりそうだ。
叶美はクマの背中をトントンと叩くと、
「ここはあなたに任せるわ。例の雑誌の別月号を探して頂戴」
「分かったぜ」
次に、沢渕のシャツの袖を引っ張って、
「あなたは、私と一緒に来て」
と言った。
叶美はレジの方へと歩いて行く。
「私が一人で喋るから、あなたは黙って見ていて」
「了解です」
ここは部長のお手並み拝見という訳である。
カウンターの中では、数人の若い男女が動き回っていた。レジ付近に客がいなくなるのを見計らって、叶美は店員の一人に声を掛けた。
「いらっしゃいませ」
「ちょっとお尋ねしたいことがあって、店長さんを呼んで頂けませんか?」
「少々お待ちください」
男の店員が奥へ消えると、すぐに丸眼鏡をかけた中年の男が現れた。
「私が店長の北山です」
叶美は丁寧に頭を下げて、
「店長さんにちょっとご相談がありまして」
「何でしょうか?」
北山は怪訝そうな声で言った。ひょっとすると何かクレームでも付けられると思ったのかもしれない。
「こちらのお店で、ある雑誌を買ったのですが、実は中からこんな物が出てきまして」
(一体何をする気だ?)
「これなんです」
叶美は制服の胸ポケットから一万円札を取り出した。
「ほう」
北山は、叶美の手から高額紙幣を受け取った。そして裏返したり、蛍光灯にかざしたりした。
「実を言うと、こちらにいる弟が黙って貰ってしまおう、なんて言うものですから、一瞬私もぐらついてしまったのですが、違うページからもう一つ、こんな物も出てきまして」
北山はいつしか女子高校生の話に引き込まれているようだった。沢渕はいつの間にか彼女の弟になっていたが、それよりも続きが気になった。
手には白い封筒が握られていた。随分と準備がいいと感心させられる。
北山は今度は封筒を受け取って、宛名を確認した。
「重要」というペン書きの文字が見えた。
「これの中身は?」
「中までは見ていません」
「どうやら手紙が入っているみたいですね」
「そうなんです。お金だけならともかく、そんな手紙まであったので、勝手に処分する訳にもいかないと思いまして」
「お姉さん、あなたは正直な方ですね」
北山は一瞬、沢渕を睨むようにしてから、そう褒めた。
「もしできましたら、この雑誌を売った方にお会いして、これらを手渡ししたいと思うのです」
「ほう、そりゃまた何故?」
「だって、落とし物を拾うと、いくらかお礼が貰えるという話じゃないですか」
「ああ、なるほど」
北山は快活に笑った。
「まあ、それは冗談ですが、特に封筒の方は大切な物ではないかと思いまして」
「そうですね」
「ところで、雑誌を持ち込んだ人って、こちらで分かるものですか?」
「はい、分かりますよ」
北山はあっさりと答えた。
「この店の商品は全てコンピュータ管理されておりまして、商品をいつ誰が持ち込んで、当店がいくらで買い取ったかが、すぐに分かるようになっております」
彼は自社のシステムを自慢しているような口ぶりだった。
「へえ、凄いんですね。店長さん、その仕組みをちょっと見せてもらう訳にはいきません?」
北山は天井を見上げて、
「どうしようかな」
「私、この業界には大変興味がありまして、将来就職も考えているのです。ですから勉強のために拝見できたら嬉しいのですけれど」
叶美は甘えるような声で頼んだ。
「分かりました、ちょっとだけですよ」
「ありがとうございます」
「それでは、こちらにお入りなさい」
北山は叶美の肩に軽く触れるようにした。
沢渕も続こうとすると、
「タケシ、あんたはここで待ってなさい」
(誰だよ、タケシっていうのは?)
二人は奥の事務所に消えていった。
沢渕は仕方なく女性雑誌のコーナーへと戻った。
久万秋は巨体を揺らすようにして、雑誌の山と格闘していた。
「クマ先輩、どうですか。別の号は見つかりましたか?」
「一冊だけ見つけたよ。だが、中には何の書き込みもない。念のため、お前も確認してくれ」
沢渕は、久万秋に差し出された雑誌のページをゆっくりと繰っていった。時間を掛けて隅々まで目を通してみたが、メッセージは発見できなかった。
しかし沢渕にそれほどの落胆はなかった。
例の監禁場所から出てきた本は、この棚の中に何冊あるか分からないが、それら全てにメッセージが残されている訳ではないからだ。むしろ犯人に発覚することを恐れて、限られた本にしか書き込まなかったことは十分考えられる。
それに監禁場所に置かれていた本が、全て女性雑誌ばかりとは限らないのだ。連絡に使われる本は、特にジャンルを選ばない。そうだとすれば、メッセージが残された本は、この店内で各ジャンル別に拡散されたことになり、一カ所だけ探しても見つけられるものではないからである。
とにかく、もう少し情報が欲しい。叶美や直貴、あるいは雑誌を分析してくれるであろう鍵谷先生から何か追加情報が得られれば、一歩前進できる筈である。
十分ほど経って、叶美がこちらに歩いてきた。彼女の足取りは軽く、笑みを浮かべていた。何らかの情報を掴んだことは明らかだった。
「お二人さん、一旦店を出ましょう。タキネエが駐車場で待っているらしいの。クマは私たち二人が外に出てから、しばらく時間をおいてから来て頂戴」
二人が自動ドアを通り抜けて外へ出ると、駐車場の一角でパッシングする車があった。叶美は沢渕の手を引いて駆け出した。
白い軽自動車だった。運転席の窓が下に降りて、中から奈帆子の顔が現れた。
「お疲れさま。どうだった?」
叶美は前席に、沢渕は後席に分かれて乗り込んだ。
部長は奈帆子の質問には答えず、携帯を取り出すと、何やら独りで喋り始めた。沢渕と奈帆子は呆気に取られて、ただ彼女の行動を見守るしかなかった。
数字を区切りながら、テンポよく口にしていく。途中、言葉が出なくなることもあったが、それでも何とか最後まで捻り出した。
続いては雑誌の名前である。芸能、テレビ、映画、自動車、パソコン、ゲームの雑誌名を次々と口にした。
叶美は店長が操作したパソコン画面の情報を記憶していたのだ。それを携帯のボイスレコーダーに吹き込んでいるという訳である。
「以上、おしまい」
全て出し尽くすと、叶美はボタンを操作して携帯を閉じた。そして大きくため息をついて、身体全体をシートに預けた。
「さすがね」
奈帆子が感心して言った。沢渕も彼女の記憶力に舌を巻いた。
「ごめんなさい。情報は忘れないうちに記録しておかないと、ね」
「クマが出てきたわ」
奈帆子はそう言うと、さっきと同じようにライトで合図をした。
久万秋もすぐに気がついて、一直線にこちらに向かって来た。そして巨体をひねるようにして乗り込んだ。
後部座席で、沢渕と久万秋の身体が密着する。
「みなさん、お疲れさま。これは差し入れ」
奈帆子は三人に菓子パンを手渡した。沢渕はずっと空腹を感じていたので、これは有り難かった。
「三十分もしたら、例の雑誌を売った人物がここへやって来るわ」
叶美が出入口から目を離すことなく、そう言った。
「あら、そうなの?」
「店長に頼んで、面会させてもらえるようにしました」
「カナちゃん、やるわね」
「実を言うと、一万円で釣ったんですけど」
「それは必要経費として認めるわ」
「森崎、どうやって売った奴を特定できたんだ?」
クマの大きな声が狭い車内に響いた。
「この店は商品をコンピュータ管理しているんだって。それで携帯で撮ってきた例の雑誌のバーコードを読み込んだら、氏名と売買履歴が全て出てきたわ。運転免許証のコピーまでスキャンしてあった」
「それなら本人に間違いないな」
「そうね。あの雑誌が売られたのは、今年の二月。同時に様々なジャンルの本が持ち込まれてた」
「それらを調べて、またメッセージが見つかれば、ますますそいつが怪しいってことになるな」
「でも、ちょっと気になるのは、本の種類があまりにも多岐にわたっている点ね。個人で読むにしては、ジャンルがバラバラなのよ」
「つまり、古紙回収業者の可能性があると?」
沢渕が訊いた。
叶美はフロントガラスの方へ顔を向けたまま、
「そうかもしれないわ。毎月平均二回、本を売りに来てるの。個人がそんな頻繁に本を売るものかしら?」
「しっかし、どうにも回りくどいな。こいつが誘拐犯なら、事件も即解決ってことになるんだが」
久万秋が舌打ちをする。
「それはこの後、本人と直接会えば分かるかもね」
奈帆子が続けて言った。
突然、叶美の携帯が爽やかなメロディーを奏でた。
「直貴からだわ。もしもし?」
「今、誘拐事件のことをインターネットで調べているんだが、これは、もしかすると大きな事件に当たったかもしれないぞ」
狭い車内では相手の声までよく聞き取れる。直貴はいつになく興奮している様子だった。
「今から五年前なんだが、その街で十七人もの人間が一斉に誘拐されるという事件が起きてる。森崎は知っているか?」
「いいえ」
沢渕もまるで知らない事件だった。五年前と言えば、まだ十歳である。小学四年生では誘拐事件など記憶に残っていなくても無理はない。
叶美は自然と年長者の奈帆子の方を見た。
しかし彼女も小さくかぶりを振る。
「こちらにいるメンバーは誰も知らないみたい」
「この事件、今も未解決のままなんだが、この被害者の中に、辺倉祥子と片比良七菜という女性がいるんだ。二人は当時高校三年生で、友達だったらしい」
「イニシャルは、『S・H』と『N・K』ね」
「ああ、そうなんだ。これは偶然なんだろうか?」
「まだ分からないけど、その事件についてできる限り資料を集めて頂戴」
「分かったよ。で、そちらの状況は?」
「今、本屋の駐車場。これから雑誌を売った人物と会うところ」
「おお、もうそこまで辿り着いたのか。だが森崎、あまり無茶するなよ」
「大丈夫よ」
「くれぐれも気をつけてな」
直貴は電話を切った。
「おいおい、十七人の誘拐事件って一体何だよ。ちょっと今回の事件は、大き過ぎやしないか?」
そう言ったのは久万秋だった。
奈帆子がハンドルの上で軽く両手を叩いた。
「そう言えば、思い出した。この事件、当時は毎日テレビでやっていた気がする。子供心にも怖かったのを憶えてる」
「どんな事件だったのですか?」
沢渕が訊いた。
「誘拐って、普通被害者は一人よね。それが一度に十七人も。それに身代金の受け渡しはことごとく失敗して、誰一人帰ってこないの」
「何だか不気味な事件ね」
叶美が前を向いたまま言った。
「おい、本当にこの事件、俺たち探偵部で何とかできるものなのか。もし今ここに犯人が現れたら、俺たちも消されちまうなんてことはないよな?」
「案外、クマって気が弱いんだから」
叶美がそう言うと、前席の二人は肩を揺すって笑った。
そうは言うものの、叶美の緊張は一段と高まったように感じられた。