捜査、始まる(1)
次の日の放課後、沢渕は一人でカラオケボックスに到着した。学校から繁華街を抜けてここまでやって来たのだが、他のメンバーとは誰とも会わなかった。
入店すると、奥から佐々峰奈帆子が、
「いらっしゃいませ」
と声を掛けた。そしてすぐにカウンターを飛び出してきた。
「昨日はどうもありがとう。多喜子が面倒をかけたみたいで」
「いいえ、大したことありませんよ」
彼女の言葉が照れくさかった。
それから奈帆子は、
「これからも、どうか多喜子と仲良くしてやってください」
と頭を下げた。
「はい、もちろんです」
こんな自分でも誰かに頼りにされている。沢渕は嬉しくなった。
例の大部屋へ入ると、すでに全員が着席していた。
「遅刻だぞ、新人」
久万秋が言い放った。
「すみません」
すでに全員が集まっているとは思わなかった。いつの間に学校を出ていたのだろうか。
テーブルの上には、女性雑誌が数冊積まれていた。
「これは、昨日佐々峰さんの部屋に置いてあったものですね」
沢渕は定位置に腰を下ろしながら言った。
「へえ、さすがに鋭い観察力ね」
真正面から森崎叶美が感心した。
「それでは、沢渕君。この雑誌を見て、何か気づくことはあるかい?」
そう質問したのは、堀元直貴だった。
一番上の雑誌を手に取った。若い女性向けの月刊誌で、昨年の十月号とある。表紙は今をときめく女優の笑顔で飾られていた。中央をホチキスで留める製本のため、背表紙が尖っている。いつも思うのだが、こういう本は書棚に入れると、タイトルがまるで分からなくなる。
裏表紙を見ると白い値札が貼ってあった。定価からするとかなり安い値がついている。どうやら古本として手に入れたものらしい。
次に中身を確認した。一見したところ、ページを破いたりした形跡はない。
全員が見守る中、沢渕は流れるようにページを繰っていった。特に違和感はない。そのまま何事もなく最後までめくりきってしまうか、という所で手が止まった。裏表紙から数ページ手前の地点だった。
なるほどこれか、と思った。
読者のお便りや編集後記が載っているページだった。本ののど、すなわちホチキスが紙を押さえつけている辺りに、明らかに印刷ではない図形があった。どうやら鉛筆で書きつけたようだ。「力」「十」、そして数字の「1」が縦に小さな文字で並んでいる。
沢渕は本を左右に真っ直ぐ広げるようにして、そのページの反対側ののどを覗き込んだ。こちらは化粧品のカラー広告のページだった。鮮やかな青色が一面に広がっている。その背景色に紛れてはいるが、確かにここにも鉛筆書きがあった。しかしこちらはカラー印刷に負けて、余程注意しないと文字の主張に気づかない。現に先ほどは見落としてしまった。
目を凝らすと、「且」「し」「一」の文字が中央寄りに小さく書いてある。
左右に分かれた文字を合成すると、上から「助」「け」「て」になる。この三文字が本のとじ目で分断されているのだった。
他に何か文字はないだろうか。沢渕はとじ目部分を浮かせるようにして探した。
あった!
「助けて」の下に、さらに小さい文字で、アルファベットが読める。
「S・H」と「N・K」。イニシャルだろうか。
沢渕は雑誌をテーブルに戻すと、ソファーに深く腰掛け、目頭を押さえるようにした。
「よく発見できたわね」
すぐ目の前で叶美が口を開いた。
「いや、暗示を与えてくれたからですよ。それがなかったら、気づきませんね」
「沢渕くん、あなたはこれをどう見る?」
「事件性があるかどうか、ってことですか?」
「そう」
「断言はできませんが、これは何かのいたずらではなさそうですね。こんな目立たないやり方では、誰も気づきません。それにいたずらなら、もっと効果的な文面もあると思うのです。つまり誰かを担ごうとしている風ではない」
「いたずら書きでないのなら、一体誰が何の目的でこんなことをしたんだろうね?」
直貴が眼鏡の奥で鋭く目を光らせた。
「文字通り受け取れば、どうやら助けてほしい、ということらしい。しかしその割には、随分と主張を抑えたメッセージです。おそらくこのメッセージは一緒に居る者に見られたくないのでしょう。だからこんなに小さく、目立たないような書き方にした。たとえこの雑誌が開かれるようなことがあっても、自分の意図に気づかれないようにした。つまりこれを書いた人は、その敵とも思える人物の極めて近くに居るということになる。雑誌を共有できるほど近いのなら、恐らく同じ部屋に居るのだと思いますね」
「同じ部屋に住む者同士が争っているのか?」
そう声を上げたのは、久万秋だった。
「どうしてその部屋から逃げないのかしら。こんな面倒臭い方法で助けを呼ぶぐらいなら、自分でとっとと逃げた方が早いんじゃないかしら?」
多喜子が不思議そうに言った。
それには、直貴が答える。
「いや、この人は逃げようと思っても、逃げられない状況に置かれているとしたら?」
「ひょっとして、監禁されているとか?」
多喜子は自分でそう言っておきながら、身震いをした。
沢渕はそんな彼女に頷いてから、
「少なくとも二名が誘拐され、長期間監禁されているのだと思います」
「イニシャルが二つあったから、二名というのは同意だけど、誘拐され、しかも長期間監禁されているという根拠は?」
今度は叶美が訊いた。
「助けてほしいのなら、普通その場所を明記するか、または犯人の名前を示す筈です。しかしこの文面にはそんな形跡がまるでない。それは、監禁されている人も分からないからですよ。つまり面識のない人物に、どこか知らない場所へ連れて来られたということです」
「英文字が、実は犯人の名前や今居る場所って可能性は?」
久万秋が口を挟んだ。
「まあ、その可能性もない訳ではないですが、そんな回りくどいやり方で書かれても、犯人や監禁場所には迫れません。ですから常識的には、被害者二名のイニシャルでいいと思います」
沢渕は久万秋に向かって説明した。
「それじゃあ、長期間っていうのは?」
叶美が先を促した。
「この雑誌を外部への連絡として使ったからです。当然メッセージは部屋の外、もっと言えば建物の外へ出さなければ意味がない。逆に言えば、これを書いた人物はこの雑誌がいつか外に出て、古本屋へ出回ることを知っていたということになる。つまり部屋の中の雑誌を売りに出すという、犯人の生活習慣を知っていたのです。それを知るには、ある程度犯人と一緒に生活をしなければなりません。ですから、監禁は長期にわたっていると考えたのです」
「なるほど」
叶美は大きく頷いた。
「僕も沢渕君の推理は正しいと思う」
直貴が続ける。
「この雑誌が監禁場所から外部へ出た経緯を調べる必要があるね。犯人が直接古本屋に売ったのか、あるいは古紙回収業者を経由して、最終的に古本屋に流れ着いたのか」
「それから、監禁されている二人の生存についてですが、少なくとも去年の九月頃までは生きていたことが証明されます」
沢渕が言った。
「雑誌の発行月だね」
「そうです。通常十月号というのは九月に店頭に並びますから」
「いや、たぶん、このメッセージはもっと後から書いたものだよ」
直貴は自信たっぷりに言った。
「買ったばかりの雑誌は犯人も頻繁に目を通すだろうから、そんな時期に書き付けるのは発見されるリスクが大きい。となると、犯人が雑誌に興味がなくなって、すっかり読まなくなってから、行動を起こすんじゃないか。そうだとしたら、もうひと月ぐらいは後になると思う」
「それじゃあ、監禁されている二人は、少なくとも去年の十月頃までは確実に生きていた訳ね。今も生きているといいんだけど」
叶美が言った。
「女性雑誌を読んでいるってことは、犯人は女ってことになるよな」
久万秋の声が響いた。
「いえ、まだそれは分かりません。ただ女が共犯者という可能性はあり得ます。ところで、メッセージが書かれていたのは、この雑誌だけですか?」
沢渕は叶美に訊いた。
「慌てて他のも調べてみたけど、これだけね」
「他の雑誌に、メッセージの続きが見つかるといいのですが」
その言葉で、叶美は多喜子に強い視線を投げかけた。
自然とみんなの視線も彼女に集中する。
「タキちゃん、この雑誌を手に入れた経緯を説明して」
「はい」
多喜子は緊張した顔で、
「私、先月隣町の病院に、親戚のおばさんのお見舞いに行ったんです。その帰りに電車待ちの時間があったので、駅前の古本専門店に寄ったのです。そこでたまたま見つけて購入したのがこの雑誌だったのです」
沢渕はテーブルの上の雑誌を表紙が見えるように並べてみた。全て違ったタイトルである。偶然多喜子が古本屋で手にした雑誌の中に、一冊だけ監禁場所から出てきたものがあったということか。
犯人がもしこの雑誌を定期購読しているのなら、同じ雑誌の違う号を調べてみる価値はありそうだ。
沢渕と同じ事を考えたのか、叶美が立ち上がった。
「私、今からその本屋へ行ってみるわ」
久万秋もつられて立ち上がった。
「俺も行くぜ」
「クマと沢渕くんは私と一緒に来て。直貴は未解決の誘拐事件を調べて頂戴。検索条件は、二人の被害者のイニシャルよ」
「了解」
「叶美先輩、私は?」
多喜子が訊いた。
「タキちゃんは、その雑誌をビニール袋に入れて、鍵谷先生に渡せるように準備して。指紋を取ってもらうの」
「はい」
そこへドアが開いて、奈帆子が顔を出した。
「部長、車を出しましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。隣町の駅前だから電車で行きます。それに先輩はまだお仕事あるでしょ?」
「そうね。久しぶりの事件だから、舞い上がってしまって」
それにしても、相変わらず叶美の指示は素早く的確であった。