狙われた佐々峰姉妹(1)
佐々峰姉妹は医科大学で二人の容疑者を探していた。
一人は市川という、雑誌のはがきに名前と住所の一部を残した人物。もう一人は進藤真矢という、新野悠季子と取り違えて解放された人物である。
奈帆子は五年前の容疑者が現在何歳になっているか、と考えてみた。五年という月日は長い。仮に医大に入学したばかりで事件を起こしていたとしても、今は六回生になっている計算である。そう考えると、この二人はすでに大学を卒業していてもおかしくなかった。
だが、それについては多喜子が面白い考察をした。
当時事件には関わっていなくても、後に犯人グループと知り合い、合流した可能性だってあるというのだ。なるほど、それなら特に年齢にこだわる必要はないのかもしれない。
それでも奈帆子は、市川も進藤も卒業して、今は研究生として大学に残っているのではないかと睨んでいた。高校を卒業して間もない学生が、犯罪の片棒を担いだとは考えにくいからである。
学生課では個人情報を開示してくれないので、調査は全て自分たちの足で行わなければならなかった。特に院生ともなると、専門の研究室に籠もるため、大学の敷地をうろうろしたところで見つかる筈もない。まずはどのように捜査を進めるかが問題だった。
そこでまず姉妹が考えたのは、学内の掲示物に二人の名前を探すことであった。しかし学生課や教授からの呼び出しは、通常名前ではなく学籍番号が使われる。よってこのやり方はすぐ壁にぶつかった。
次に二人は校舎内に潜入し、研究室の廊下に張り出された掲示物を見て廻った。こちらは学籍番号よりも実名が多用されていた。しかし「市川」と「進藤」の文字にはなかなかぶつからなかった。
それでも多喜子が四回生に一人、市川なる人物を発見した。ゴミ箱から回収した大学祭実行委員の名簿に、名前と連絡先が載っていたのだ。これには二人とも心が躍った。だが、五年前には高校生だったこの市川が、果たして犯人グループの一員なのだろうか。その点には少々疑問が残った。
それでも捜査に行き詰まりを感じていた奈帆子は、思い切ってその番号に掛けてみることにした。念のため、駅の公衆電話から発信した。
「もしもし?」
男の声が出た。
「あの、ちょっとお伺いしますが」
奈帆子は、自分は女子大生だと名乗り、来月学園祭を開催するのだが、伝統ある医大の大学祭をぜひ参考にしたいと伝えた。そして準備の様子を見学させてもらえないか、と話を持ちかけた。
市川は、自分たちのノウハウでそちらの学園祭が成功することは願ってもないことだ、と話に乗ってきた。どうやら奈帆子の餌に食いついたようだった。
彼は詳細は会って話そうと言った。奈帆子は少しも躊躇することなく、日時の約束を取り交わした。
「お姉ちゃん、直接会っても大丈夫かしら?」
電話を切った途端、横から多喜子が言った。
「仕方がないでしょ。このままだといつまで経っても市川は見つからないんだから」
「ねえ、もしこの市川が犯人の一人だとしたら、私たちも誘拐されちゃうんじゃない?」
多喜子は心配を隠せない。
「大丈夫よ。昼間に人の多い場所で会うんだから、そんな危険はないわよ」
「沢渕くんか、クマ先輩に一緒に来て貰おうよ」
「これは私たちに与えられた任務よ。自分たちの力でやり遂げたいじゃない」
奈帆子は強い調子で言った。それでも多喜子はまだ何か言いたそうだった。
その翌日の昼近く、姉妹はファミリーレストランへ出掛けた。約束の時間まではまだ一時間ある。車から降りると、二人は駐車場で別れ、それぞれ別行動をとる作戦に出た。
奈帆子は店員の案内で、窓側の席に腰を下ろした。それから目印の赤いリボンを髪につけた。
多喜子は店員に頼んで、奈帆子の背中が見える、斜めの席についた。
「多喜子、聞こえる?」
携帯から姉の声がした。実は市川との面会は電話回線をつなげたまま行うことにしていた。非常事態が発生した場合、妹が直ちに行動を起こせるようにである。
「バッチリよ。お姉ちゃん」
「気づかれないように写真を撮って頂戴。いいわね?」
「了解」
約束の時間少し前に若い男が現れた。奈帆子の赤いリボンを見つけると、早足に近寄ってきた。
「初めまして、市川です」
慣れた手つきで握手を求めてきた。奈帆子も立ち上がってそれに応じる。
「お電話した山本です。お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ、どんな方だろうかと楽しみにしてました。綺麗な方で、今日は来てよかったと思います」
さすがに大学祭の実行委員を任されているだけに、市川は社交的な男だった。奈帆子は果たしてこの目の前の人物が犯人かどうかだけを考えていた。
市川はメニューを繰って、やや値の張るランチを奈帆子の分まで注文してくれた。
「山本さん、どちらの大学でしたっけ?」
奈帆子は実在する大学名を言った。
市川は何の疑いもなく、
「ああ、その大学ならよく知っていますよ。フェンシングで有名でしたよね?」
「ええ、そうですね」
奈帆子は適当に相づちを打った。
「ところで、どうやって僕の電話番号を知ったのですか?」
市川はのんびりした口調で訊いた。
「実は、私の友人の彼氏がそちらの医大に通ってまして、学園祭の話をしたら、知り合いがいるからといって教えてくれたらしいです」
「へえ、そうなんですか」
市川は興味深く言った。
(多喜子は写真を撮ってくれただろうか?)
食事が始まってからでは、よい写真が撮れない。そんな心配が頭をかすめた。
同時に、奈帆子はなぜか胸騒ぎを覚えた。やはり長年一緒に暮らした姉妹である。妹に何か異変が起きれば、虫が知らせるのだ。慌てて後ろを振り返った。
そこには、さっきまで居た多喜子の姿がなかった。今は見知らぬ老夫婦が座ろうとしている。
「山本さん、どうかしましたか?」
視線を元に戻すと、そこには市川の不思議そうな顔があった。
「いえ、別に」
奈帆子はそう言ったものの、居ても立ってもいらなかった。妹の身に何が起きたというのか。
「でも、あなたの言っていることは、全て嘘ばかりですね」
市川の声のトーンが突然変わった。奈帆子は必死にその理由を考えた。
「その大学にフェンシング部なんてないし、この番号だって研究室の連絡専用だから、部外者は知らない筈なんだ」
「でも、ちゃんと名簿には出てましたよ。それを見て掛けた訳ですから」
奈帆子は慌てて言った。
「ふん。あの名簿はお前たちをおびき寄せるための罠だったんだよ」
意味が分からなかった。奈帆子の頭は激しく回転した。
「お前たち、一体何を企んでるんだ?」
市川は鬼の形相を浮かべていた。奈帆子は震え上がった。最初からこの男はこちらの動きを察知していたのだ。今やっと思い至った。
突然、携帯電話からかすかな悲鳴が聞こえた。
「お姉ちゃん、早く逃げて」
多喜子の声だった。しかし今、奈帆子にはどうすることもできない。
「妹の命が惜しければ、一緒に大人しく店を出ろ」
それはさっきの市川とはまるで別人の声であった。