雅美と晶也の共同捜査(1)
捜査会議が終わると、沢渕は一人カラオケ店を出た。
時刻はまだ昼二時を回ったばかりである。夏の日は長い。捜査にかける時間はたっぷりとある。
彼の手には一枚の紙切れが握られていた。それは隣町の植野率いる老人仲間が作成した資料である。彼らは町中を練り歩き、敷地内にマイクロバスが置かれている物件を片っ端から捜し出してくれたのだ。
しかし皮肉なことに、彼らの善意は一人の少女を不幸のどん底に陥れてしまった。最も怪しいと睨んだ物件に、単独で潜入した叶美が犯人の襲撃を受けてしまったのである。彼女は心と身体に深い傷を負うことになった。
沢渕は考える。
叶美が犯人と遭遇したあの出来事は一体何を物語っているのだろうか。その答えに辿りつけぬまま、ここまで来てしまった。せっかくリストアップされた他の物件も、調査は手つかずのまま残っている。
そこで今、沢渕は改めて一軒ずつ当たってみようと考えたのである。果たしてそれに意味があるのかないのか、彼自身にも見当はつかなかった。
こうして捜査を再開させた沢渕だったが、他のメンバーはそれぞれ予定があるようだった。
叶美は生徒会活動のため、直貴と一緒に学校へと引き返していった。
何でも、秋の学園祭の話し合いがあるらしい。ほとんどの生徒が知らぬ間に、生徒会は次の行事の準備を着々と進めているのである。沢渕は驚くと同時に、頭が下がる思いだった。自分にはとても務まる仕事ではない。
クマは大会の練習を午前で終えて、今は叶美の護衛にあたっている筈である。今日は直貴も一緒だから特に問題はないだろう。
一方、多喜子は姉のバイトが終わるのを待って、隣町の医大へ出掛けると張り切っていた。犯人と思われる二名が大学に在籍しているかどうかの調査である。これまで苗字だけだった「市川」に、今回、進藤真矢が加わった。こちらはフルネームがはっきりしているだけに、二人とも鼻息が荒かった。
しかし、ひょっとすると相手は凶悪犯人である可能性がある。くれぐれも慎重な行動をとるようにと、部長は何度も念を押した。
そう言えば、橘雅美はどうしたのだろうか。
彼女は特に何も言ってなかった。しかし彼女も生徒会の一員である。きっと叶美らと一緒に学校へ向かったに違いない。
昼間というのに、商店街には驚くほど人影が少なかった。ずらりと並んだ店舗からは絶えず客を呼び込む音楽が流り響いている。しかしそれはアーケードの天井に聞かせているようなものだった。この暑さでは、誰も冷房の効いた部屋から出ようとはしないのだろう。
沢渕の靴音は先ほどからしっかりと耳に届いていた。しかし、いつしかそれが二重になって聞こえ始めた。その訳を考える暇もなく、
「沢渕クン」
甘えた声が彼の背中を捕らえた。
立ち止まって振り返ると、そこにはポニーテールの小さな顔があった。
「橘先輩!」
「ビックリした?」
「どうして僕の後を?」
「これから捜査に行くんでしょ。私も連れていって」
沢渕の腕に両手を絡めると、束ねた髪が左右に揺れた。
「先輩は生徒会の仕事があるんじゃないですか?」
「そんな地味な仕事は嫌よ。もっと派手なのがいいの」
「いや、僕の方こそ、面白味のない調査ですよ」
沢渕はわざと仏頂面で言った。そうでもしないと、彼女が本気でついて来そうだったからである。これから向かうのは犯人グループの潜伏先かもしれない。彼女の危機意識の低さに軽い苛立ちを覚えた。
しかし雅美の方は、実にあっけらかんとした顔をしている。彼女を説得する効果的な言葉はないものかと、沢渕は思いを巡らせた。
「所詮、私って探偵部ではお荷物なんだよね」
雅美は腕をほどくと、ぽつりと言った。
「えっ、何のことですか?」
雅美には珍しく、いつもの元気はどこかへ行ってしまったようだ。彼女のうなだれた様子を見るのは初めてだった。
「だって、そうじゃない? 沢渕くんは叶美さんとだったら一緒に捜査してたんでしょ? それなのに、私とはできないって言うのなら、やはり信頼してないってことになるじゃない」
「いやいや、そういう訳ではありません」
沢渕は慌てて言った。
「橘先輩は、探偵部の大事な戦力です。僕が推薦したのも、先輩の行動力を買ったからです」
「ホントにそう思う?」
蚊の泣くような声だった。彼女は見た目が派手なだけに、他人から微妙な心のひだを理解してもらえないのかもしれない、沢渕はふとそんなことを考えた。
「僕はただ先輩のことが心配なのです。森崎先輩のように、メンバーを危険な目に遭わせることは避けたい、そう思っているのです」
「もちろん、危ないことは分かってるわ。でも、探偵部で肩身が狭い思いをするのは嫌よ。早く実績を作って、みんなから認められたいもの」
それは沢渕にとって意外だった。彼女はこれまで多くを語らなかったが、実は探偵部では居心地が悪かったということだろうか。確かに沢渕も入部したての頃、同じような気持ちだったことを思い出した。
「ね、だからいいでしょ?」
雅美は重ねて訊いた。
「分かりました。では一緒に捜査をお願いします。先輩が居てくれると、正直心強いですから」
沢渕はそう言った。
雅美の表情が途端に明るくなった。その変わり様は、ひょっとして全ては彼女得意の演技だったのではないかと思われた。
「さすが沢渕クン、あなたは話の分かる人だわ」
雅美は沢渕の腕を取ると、さっさと先に歩み始めた。
二人は肩を並べて駅まで歩いた。
その際すれ違う人の視線を意識せずにはいられなかった。これは叶美と一緒に歩いた時にも感じたことである。
沢渕は何の変哲もない、平凡な男子高校生である。一方、雅美の方は実に個性的で、輝く存在と言ってもよかった。
細身で背が高く、手足も長い。やや尖ったあごは精悍な顔立ちを演出し、アスリートであることを主張している。実際遠くから見ると、北欧の体操選手を思わせる。
そんな彼女の風貌は若い男性の目に魅力的に映っている筈である。しかし本人は沢渕との会話に夢中で、まるで気にしていない様子だった。
二人は列車に乗った。
ここへ来るまでに、事件の概要とこれまでの探偵部の捜査を今一度雅美に語った。それは同時に、沢渕にとっても情報の整理という意義があった。
話す内容もなくなってしまったので、話題を変えた。
「先輩、一つ訊きたいことがあるんですが」
揺れる車内で、時に身体が接触する。そんな中、沢渕は切り出した。
「どうぞ、何でも訊いて頂戴」
「クマ先輩のことなんですが」
「ああ、クマちゃんね」
「どうしていつも仲が悪いんですか?」
雅美はきょとんとして、
「えっ、別に悪くはないと思うけど」
「でも、いつも会う度に喧嘩ばかりしているじゃないですか」
「そうかしら?」
「何か恨みでもあるんですか?」
以前聞いた話によれば、クマが体操部のマットでぶつかり稽古をしていたのを雅美に咎められたということだった。
「いいえ、恨みなんて全然ないわよ」
「では、どうして?」
「だってクマちゃんをいじると向こうも乗ってくるでしょ。すると話も盛り上がるじゃない」
「いや、僕には喧嘩しているようにしか見えませんが」
沢渕は正直なところを口にした。
「ううん、全然。でも、ここだけの話なんだけど、クマってさ、実は私のこと好きなんじゃないかしら?」
「えっ、まさか」
そんなことは断じてない。賭けてもいい。地球が真二つに割れても、それはない。
「体育系の人って結構恥ずかしがり屋が多いのよ。運動ばかりやっているから、異性にどう接してよいか分からないのね。相手にしっかり言うべきことを回りくどく言ってしまうの。だから、時々それが真逆に伝わったりするのよ。それでますます相手から避けられてしまう」
「そんなもんですかね?」
「少なくとも、私は彼のこと嫌いじゃないわ。運動選手として一目置いているもの」
それは意外な事実だった。
「真面目な話をするのが照れくさいから、辛く当たってしまうのかもね」
雅美はふんわりと腕を組んで、一人納得するように頷いた。
この事実はクマに伝えるべきか、それとも秘密にしておくべきか。沢渕は激しく迷った。
列車を降りて駅舎を出ると、沢渕は目を細めた。
コンビニの入口に群がる柔道着たちが目に入ったからである。この出で立ちなら駅前のどこからでも大いに目立つだろう。
歩道を行き交う人々はわざと大回りをして彼らを避けていく。それだけ近寄りがたい存在なのであろう。しかし沢渕は珍しい昆虫を見つけた子どものように駆け出した。
「ねえ、ちょっと待って。どうするつもり?」
雅美の声には応えず、沢渕は直ちに彼らの中に飛び込んだ。
「おや、沢渕さんじゃないッスか?」
リーダー格の寺田が言った。
「お久しぶりです」
背の低い梶山が小刻みに頭を下げるような仕草をした。
「今日は森崎さんと一緒じゃないんッスね」
そこまで言ってから、寺田は沢渕の陰で小さくなっている雅美に気づいたようだった。自然と全員の視線が彼女に集まる。
「こちらはお連れの方ですか?」
沢渕は雅美をクマの親友だと紹介した。雅美は何か言いたそうだったが、初めて見る連中に遠慮して黙っていた。
それでも紹介が終わると、
「うちのクマがお世話になってます」
ペコリと頭を下げた。
「沢渕さん、おいしい役ッスよね。いっつも可愛い女の子連れてるじゃないスか?」
梶山が羨ましそうに言う。
「これだけ可愛い子が多いなら、俺も柔道部辞めて探偵部に入りたいッス」
後ろで誰かの声がした。
「アホか。探偵部入る前に、まずは山神高校に入らないとダメだろ」
とリーダーは言ってから、
「今日もまた捜査ですか?」
「はい」
「今、俺たちちょうど部活終わったとこなんッスよ。よかったらお手伝いしますよ」
沢渕と雅美は顔を見合わせた。
「でも、みなさん、お疲れじゃないですか?」
雅美が恐る恐る全員の顔を見回して言った。
「大丈夫ッス」
「橘さんのためなら、何でもやりますよ」
各自が声を上げた。
そんな声が鎮まるのを待って、寺田は、
「久万秋さんに手伝うよう言われてますので」
と言葉を添えた。
沢渕は例のリストを取り出した。
「この廃ボーリング場は、以前みなさんに行ってもらいましたね」
「覚えてますよ、森崎さんが襲われた場所ッスね」
「それ以外の物件もそれとなく見てきてほしいんです」
「お安いご用です」
「くれぐれも気をつけてください。深入りする必要はありません。もし人の気配がしたら、僕に連絡をください」
「了解ッス」
部員以外に危険な調査を任せるのは気が引けるが、この屈強な連中なら安心だろう。
「お二人はどうされるんッスか?」
「僕たちはこれから、ある人に会ってきます」
「分かりました。調査が終わり次第、連絡します」
「では、お願いします。くれぐれも無理はしないでください」
「任せてください」
そこで柔道部の五人とは別れた。彼らは全員、雅美に手を振り続けていた。雅美も何度も振り返ってはそれに応えた。
「人は見かけによらないわね。みんないい人たちみたい」
「クマ先輩を師匠としているそうですよ」
「クマちゃんって、なかなか素敵なところあるじゃない?」
「来週、柔道の大会があるので、僕はクマ先輩の応援に行くつもりです。彼らも出場するようですから、そこでまた会えると思います」
「それじゃ、私も行こうかしら」
雅美は真面目な顔して言った。
その言葉を聞かせたら、クマはどんな風に応えるだろうか、沢渕は一人で想像して可笑しくなった。
「ねえねえ、沢渕クン。聞いてる?」
「はい?」
「だから、これから誰に会うつもりなのって訊いているのよ」
「ああ、それなら、『老人探偵団』です」
沢渕は笑いながら答えた。