探偵部、海へ。(2)
高速道路を走ること一時間、満員乗車のミニバンは休息場所を探していた。そこへサービスエリアの標識が飛び込んできた。先を行く車が次々と支線に吸い込まれていく。奈帆子も速度を緩めた。
大きな駐車場の先には売店などの商業施設、その奥には何と観覧車が大空に突き出していた。
「わあ、あれ見て。凄いわよ」
多喜子が第一声を上げた。
「ねえねえ、みんなで乗りましょうよ」
彼女のはしゃいだ声が車内に響く。
「でもね、タキちゃん。今日は海水浴に来たのだから、また今度にしましょ」
叶美が優しく声を掛けた。
「はーい」
多喜子はまるで従順な子どものようである。
雅希はそんなやり取りをじっと見ていたが、
「森崎さんは多喜子さんと仲がいいんですね」
と言った。
それを聞いて、二人は見つめ合って笑った。
「邪魔者一人だけ観覧車に乗せて、俺たちはズラかるという手もありだな」
クマが後席で独り言を言った。
混雑した駐車場で奈帆子は悪戦苦闘の末、ようやく白線内に車を停めることができた。ドアが開いて、八名の若者が降り立った。
「僕を誘ってくれたお礼に、女性陣にアイスクリームを奢りますよ」
雅希の提案に女子から歓声が湧いた。
クマはそんなやり取りを横目に、
「何がアイスだよ。そもそもお前なんか誘ってないっての」
「それじゃあ、十五分後に出発ね」
奈帆子の声を合図に、女子連中は売店の方へと歩き出した。もちろんその中心に雅希の姿があった。叶美だけが二度、三度心配そうにこちらを振り返った。
「ふん、そっちがアイスなら、こっちは大盛りカツカレーを二杯食ってやる」
クマは鼻息を荒くして言った。
「おい、二人とも何ぼさっとしてるんだ。食堂へ行くぞ」
「本当に食べるのかい?」
「十五分しかないんですよ」
直貴と沢渕の声が重なる。
「じゃあ、お前たちはそこに居ろ。俺だけ食ってくる」
そう言い残して、クマは姿を消した。
男二人は売店前のベンチに腰を下ろした。どこまでも並んだ自販機が彼らの背中を見守っている。
緑の山々が間近に迫っていた。二人はコーヒーを片手に、肩を並べての会話となった。
「君は今、こんな旅行よりも捜査をしたい気分じゃないのかい?」
直貴が訊いた。
「そうかもしれません」
沢渕は正直に答えた。
「実は僕も同じ気持ちさ」
頭上に設置されたスピーカーから流行歌が次々と流れてくる。それは自然に囲まれた場所ではどこか場違いな演出のように思われた。
「でも、たまにはこういう息抜きが必要ですね」
沢渕は言った。
叶美が犯人と出くわして危険な目に遭ったり、多喜子が足を骨折したりするなど、最近探偵部は災難続きだった。そんな重苦しい雰囲気を一掃できるなら、この旅行には大いに意味がある。
「この事件はもう五年近くこう着状態が続いているだろ。だから一日ぐらい捜査を中断しても、事態が悪化するとは思えないよ」
「同感です。それに監禁されている人々の生命は、差し当たって危険がないような気がするのです」
「その根拠は?」
二人の話題はやはり事件の考察になる。
「この誘拐事件はそもそも身代金が目的ではなかったからです」
「つまり金目当てではなく、十七人の人間の調達が目的だったと」
「そうです。人質を生かし続けることが目的ならば、そんな簡単に命を奪ったりはしないだろうという考えです」
「確かに君の言う通りだ」
直貴はコーヒーに口をつけた。
「ただ一つ気になるのは監禁されている人々の健康状態です。今彼らがどんな状況に置かれているのかは不明ですが、過度のストレスによって精神の異常をきたしてないことを祈るばかりです」
「誘拐された人は幸いにも若者が多い。だからそこは何とか踏ん張ってもらいたいところだね」
「当時高校生だった辺倉祥子は、恐らく今も普通に暮らしているような気がしてなりません。もちろん普通と言っても、自由を奪われた生活には違いないのですが、犯人らと共に、ある意味安全に暮らしていると思うのです」
「犯人が読み捨てた雑誌に、何回もメッセージを書き残しているからだね?」
「はい。犯人にバレることなく大胆な行動をとっていることから、彼女は犯人の行動パターンを熟知しているのだと思います。裏を返せば、それだけ犯人に近い場所で生活を共にしていることになる」
「つまり辺倉祥子は人質の中でも別格ということかい?」
直貴は眼鏡を指で持ち上げた。
「ええ。これは僕の推測ですが、彼女は犯人から仕事を与えられていますね」
「仕事?」
「はい。恐らく他の人質の監視と身の回りの世話です」
「しかし、どうして彼女は、犯人の言いつけを守る必要があるんだい?」
直貴は素直にその続きが聞きたかった。
「以前、鍵谷先生に雑誌の指紋を調べてもらった時、辺倉祥子の指紋は検出されましたが、片比良七菜の方は検出されませんでした。つまり二人は別々の部屋で暮らしていて、お互いに顔を合わせることがないのだと思います。犯人は我々の指示に従わねば、友達に危害を加えるぞと別々に脅しているのです。二人はそれぞれ相手の身を案じて、仕方なく犯人の言いなりになっているのではないでしょうか。ある意味、犯人は人質の中から二人の助手を手に入れたという訳です」
「なるほど」
そう言うと、直貴は黙り込んでしまった。沢渕もすっかり冷えてしまったコーヒーを一気に飲み干した。
「実はさっき観覧車を見た時、ふと考えたことなんだが」
直貴は口を開いたが、すぐに言葉を飲み込んでしまった。そして一人思い出し笑いをした。
「どんなことですか?」
沢渕は促した。
「いや、口にするのも馬鹿馬鹿しいことなんだ」
「意外にそんな話から突破口が開けるものです。お願いします」
直貴は咳払いをしてから、
「あの観覧車のゴンドラ一つひとつに人質を分けて監禁したらどうだろう、って考えただけさ」
沢渕は真面目に聞いている。
「ゴンドラは全面ガラス張りで中が丸見えだ。つまり人質の動きは常に監視できる。それに観覧車は普段停止させておいて、食事やトイレの時だけ動かせばよい」
「なるほど、確かに犯人にとって効率のよい監禁場所かもしれませんね」
沢渕はそんな風に言った。
だが観覧車を人質の監禁に使うことなど、実際にはあり得ない。廃業した遊園地に当然電気は通っていないため動かすことはできないし、たとえ動かせたとしても偶然見掛けた人が不審に思うからである。
もちろん直貴だってそんなことは百も承知の筈である。だからこの場で話題にするのを躊躇したのだ。
しかし沢渕には、案外この発想はどこか的を射ているように思われた。もちろん犯人が観覧車を使っているとは思わないが、この考えから何かヒントを得た気がする。
犯人は少ない人数だと思われる。だから十七人もの人質を集中管理するためには、大きな部屋が必要だと最初は考えた。だが、実はそうではないのかもしれない。
犯人は逆に、人質を小分けにして小さな部屋に閉じ込めているとは考えられないか。刑務所のように廊下から部屋が覗ける小窓があればよい。このように人質同士を引き離しておくのは大いに意味があるのだ。連帯感を生まれにくくし、団結力を奪い去ることになるからだ。
人質は女性が多いとはいえ、例えば全員が結託して同時に飛びかかってきたら、犯人も瞬時には対応できない筈である。
「おまたせ」
突然背後から声がした。
男二人が同時に振り返ると、そこには叶美が立っていた。背中に回した両手をパッと目の前に出すと、そこには三つのアイスが現れた。
「あれ、クマは?」
「大盛りカツカレーを二杯食べに行きました」
沢渕が極めて正確に説明した。
「えっ、じゃあこれ、どうすればいいのよ?」
叶美は二人にアイスを渡した後、残り一つの処置に困ってしまった。
「森崎が食べたらどうだい?」
直貴の提案に、
「さっき一つ食べたから、もう十分よ」
「これも橘先輩の奢りですか?」
沢渕が訊くと、
「ううん、これは私が買ってきたの」
と叶美は笑った。
「もうすぐクマ先輩も戻ってくるでしょうから、ちょっと待ってみてはどうですか?」
「そうね」
叶美はそう言うと無理矢理に二人の間に割って入った。
「よいしょ」
ベンチに腰を下ろすと、揺れる髪からリンスの香りがした。
「事件の話をしてたんでしょ?」
「ああ、そうさ」
直貴が答えた。
「だって遠くから見ても、二人は真剣な顔してるんだもの」
「今日一日は事件のことを語らない方がいいですか?」
沢渕が訊いた。
「ううん、別に構わないわ。そもそも部長に言論統制をする権限はないでしょ?」
「いや、独裁者なら分かりません」
「沢渕くん、何か言った?」
「いえ、何も」
沢渕はうつむいてアイスを食べるのに専念した。
「ところで、お二人さん。この夏休みにケリはつきそう?」
「事件の解決が、かい?」
「もちろん。みんなで力を合わせれば、きっと解決できるわよね?」
叶美は沢渕の顔を覗き込んだ。
「はい、解決してみせます。探偵部は少しずつ犯人に近づきつつあります。実際彼らは森崎先輩の前に姿を現しました。もっと決定的な一撃を食らわせれば、きっと尻尾を出すでしょう」
「そこなのよね、犯人有利なこの現状を何とか打開する方法はないかしら?」
「突破口が一つだけあります。新野工業の社長との面会です」
沢渕が力強く言った。
「新野さんって、娘が人質になっている人ね?」
「はい」
「以前君に頼まれて、僕もあらゆる方面を当たってみたんだが、どうしても関係者が見当たらないんだ。まさか紹介状もなしに『こちら山神高校探偵部』って会いに行く訳にもいかんだろう」
「いや、沢渕くんなら、それでも会いに行きそうね」
叶美は口元に笑みを浮かべた。
「どうしてそんなに新野氏と会いたいんだい?」
「新野氏は事件の被害者の中では唯一の資産家と言えるでしょう。確かにこの誘拐事件は身代金目的ではないにせよ、人質を何年も監禁しておくにはそれなりに資金が必要となります。それに犯人グループの中には金目当てで加担した者がいてもおかしくない。ですから犯人は欲を出して身代金が欲しかった筈です。確実に身代金をせしめる相手がいるとすれば、それは新野社長しかいません」
「だが、その新野氏だって現金の受け渡しには失敗したんだよ」
直貴はそこまで言うと、
「まさか!?」
と声を荒げた。
叶美はきょとんとして二人の会話を聞いている。
「そのまさか、です。犯人グループと新野氏の間には裏取引があったのではないかと僕は考えています」
「裏取引ですって?」
叶美に構わず、沢渕は続ける。
「新野氏は最初の取引で警察に失望したと思うのです。それで犯人から第二の要求が来た時、彼は警察に相談せず、直接裏取引した可能性があります」
「では、新野氏の娘、悠季子さんだっけ。彼女はどうなったの? 無事解放されたの?」
叶美が勢い込んで訊いた。
「いや、残念ながらそんな報道はありません。犯人は金だけせしめて、娘は返さなかったのです」
「その後、警察には全てを話したのだろうね?」
「はい、娘が帰らないと分かってから、事後報告をしたと思います」
「でも、どうして二回目の取引は報道されてないのかしら?」
「それは文字通り、裏取引だからですよ。新野氏は地元では有名な会社社長です。自分の娘だけ特別に解放してもらえるよう、犯人と取引したことが世間に公表されれば、マスコミに叩かれるのは避けられない。会社の信用もガタ落ちになります。ですから、警察には発表しないように頼んだのだと思います」
「警察としても、裏取引を暴露された犯人側が激高して、見せしめに娘を殺してしまったとなれば元も子もない。だから公表しないことにした」
直貴は腕を組んで頷いた。
「それじゃあ、新野氏は身代金を取られただけで、事件は何も進展しなかったという訳?」
叶美は不服そうである。
「はい。ですが彼は新聞発表されてない、犯人に関する特別な情報を持っている可能性があります。彼に会ってその点を質したいのです」
「そっか。よく分かったわ」
叶美は沢渕の話に納得した様子である。
「あっ、クマ先輩が戻ってきましたよ」
沢渕は突然声を上げた。
「おーい、こっちこっち」
直貴がベンチから立ち上がって手を振った。
女性陣も雅希と一緒に戻ってきた。中でも雅美は身体をくるくると回転させて心底楽しんでいた。時計を見ると、まもなく出発時刻であった。
「しかし、さっきは驚いたわ。雅美さんが探偵部のことをバラし始めるんだもの」
叶美はすっと立ち上がると、二人の肩を叩いて駆け出した。それから女子連中と合流した。
「おい、どうした?」
頭上から太い声が降りかかってきた。
沢渕は叶美から預かったアイスを差し出した。
「森崎先輩からです」
「おー、気が利くな。って、半分溶けてんじゃねえか」