探偵部、海へ。(1)
七月下旬。今年も熱波が日本列島に押し寄せていた。もちろん沢渕晶也の暮らす町も例外ではない。
そんな中、山神高校は夏休みを迎えていた。今日はその記念すべき初日である。
「俺はタキネエの運転だけが心配なんだよ」
沢渕の隣で久万秋進士が溜息を漏らした。
今、二人は駅前のロータリーに並んで立っていた。お互い肩には水着の入ったナップサックがぶら下がっている。
沢渕のすぐ横では、堀元直貴と森崎叶美が地図を片手に今日の段取りに余念がない。
その四人の目の前を一台の白いミニバンが通り過ぎていった。その車は突然何かを思い出したようにブレーキを掛けると、じわじわと後退し始めた。その速度たるや、まるでカタツムリが這っているかのようである。
それでもようやく沢渕の正面まで来ると動きを止めた。助手席の窓がスルスルと降りて、そこにはハンドルを握り締めた佐々峰奈帆子の緊張した面持ちがあった。
「何してるのよ? 早く乗って」
その言葉に背中を押されて、クマがスライドドアに手を掛けた。
「随分と大きな車を借りてきたもんだな」
三列ある中央の座席の一角を佐々峰多喜子が陣取っていた。骨折した足も順調に回復し、今はギプスも外れてリハビリ中である。
多喜子は叶美の姿を見とめると両手を振った。
「先輩、おはようございます」
叶美も笑顔で応える。
男三人は後部座席に行儀よく並んで座った。叶美は多喜子の横に腰を下ろした。
「こりゃ、八人乗りか」
あとは叶美の横と助手席が空いている。
「先輩、運転の方は大丈夫ですか?」
叶美が座席の間から身を乗り出して訊いた。
「うん、まっすぐ走る分には問題ないわ。何だか船を操縦しているような感覚で楽しいのよ、これ」
「いつまでもまっすぐ走っている訳にはいかねえだろ。いつかは曲がるんだから、そこが生死の分かれ目だな」
「クマ、縁起でもないこと言わないで頂戴」
奈帆子はハンドルを固く握ったまま応戦する。
「それにしても、橘のやつ、遅えなあ」
クマが不満を漏らした。
「待ち合わせは確か八時でしたね」
直貴はそう言って腕時計に目を落とした。
「あっ、雅美ちゃん、来たわよ」
突然の奈帆子の声に、全員の視線がフロントガラスに集中する。
「あれ、隣にいるのは誰だ?」
すぐにクマが異変に気づいた。
「連れがいるね」
直貴も続けざまに言った。
「あれって、橘雅希先輩ですよね?」
多喜子が弾んだ声で言った。
「何っ!」
クマの叫び声。と同時に車は小舟のように大きく揺れた。
沢渕もその顔には見覚えがあった。確か雅美の選挙演説に登場した兄である。サッカー部の主将を務める三年生で、女子生徒の人気の的である。
実は沢渕の知識はそれだけではない。
どうやら彼は叶美に告白したらしいのだ。しかし叶美にはその気がなかった。探偵部の部長として捜査に専念したいという理由は伏せて、丁寧に断ったという話を聞いている。
二人はまっすぐこちらに向かって歩いてくる。
「おい、まさか兄貴もついてくるんじゃないだろうな?」
クマが叶美の肩を小突いた。
「まあ、兄妹だからいいじゃないの」
視線を前に向けたまま、とぼけた調子で応えた。
「そうですよ、旅行は人数が多い方が楽しいですし」
多喜子も加勢する。
「あのなあ、あいつは部外者だろ? こりゃ探偵部の慰安旅行なんだぞ。あいつは関係ないだろうが」
クマは怒りをぶちまけた。
「おい、晶也。お前も何か言えよ」
クマの鼻息は荒い。
「連れていっちゃ、いあん、という訳ですか?」
一瞬で車内の空気が凍り付いた。誰もが言葉を失っている。
「お前ね、さすがの俺でもフォローしきれんぞ。いつからそういうキャラになったんだ?」
沢渕は一人激しく後悔した。
「あっ、座席が二つ空いているのはそういう訳か。もしや女ども、最初から橘が兄貴を連れてくることを知ってやがったな?」
「昨日、橘さんから連絡があったのよ。お兄さんも一緒に行ってもいいか、って」
「で、森崎はどう答えたんだよ?」
「別に構いませんよ、って」
「何でそういう答えになるんだ? お前は俺たち部員には厳しいくせに、他人には甘過ぎるんだよ。その優しさの一欠片でも俺に寄越したらどうなんだ」
「クマも往生際が悪いわよ。仕方がないでしょ、来ちゃったんだから」
橘兄妹はこのレンタカーに気づいたようだ。小走りで近寄ってくる。
「探偵部のこと、あいつにバレてもいいのか?」
「そりゃ、ダメよ。絶対内緒」
「ふん、都合のいい話だよ、まったく」
大きなドアが自動でスライドして、車内と外界とがつながった。内輪話もピタリと止む。
「お待たせしましたぁ」
雅美が両手を広げて大袈裟に乗り込んできた。
「今日はどうぞよろしく」
後ろから雅希が頭を下げた。無駄のない俊敏な動きで助手席に収まった。足下にはサッカーボールの入った袋を置いた。
「それじゃあ出発しましょう」
奈帆子の声が響く。彼女の両肩はすっかり尖って、それは並々ならぬ緊張を物語っていた。しかしそれ以上に気分が高揚しているようでもあった。
白いミニバンはロータリーを何故か二周した後、駅から伸びる大通りに出た。ここからはしばらく直線が続く。奈帆子の運転には多少ぎこちなさが感じられたが、何度か信号停止、発進を繰り返すうちに、次第に滑らかになってきた。そのうち誰の頭からも不安という二文字は消え去っていた。
助手席の橘雅希は後席を振り返ると、
「ところで、みなさんはどんな集まりなのですか?」
と訊いた。
メンバー全員に緊張が走る。
時が止まってしまったかのような車内の空気に、当の雅希は困惑した顔になった。
「みなさん、どうかしましたか?」
雅希が重ねて訊くと、
沈黙を破ったのは、妹である雅美だった。
「みんな、探偵なのよ、ね?」
彼女は嘘をつくのが余程下手なのか、これではまるで秘匿になっていない。むしろ積極的に事実を暴露していた。
思わず叶美が隣で雅美の尻をつねった。
「タンテイ?」
「いや、タ、ダンデイ、って言ったんだよ。ほら、俺たちってみんなダンディだろ?」
クマが一番後ろから慌てて言った。
「確かに女性陣はみんな魅力的だけれど、男性陣はパッとしない感じだけどな」
雅希は思ったことをそのまま表現するタイプらしい。
「何だって? もう一遍言ってみろ」
クマは一番後ろの席から一番前まですっ飛んでいきそうだった。沢渕はシートベルトの金具の強度を思わず確認した。
それからクマの言葉に被せるように、
「僕たち、実は昔からの知り合いなんです」
と説明役を買って出た。
「へえー、そうなの?」
雅希はあっさりと納得したようである。意外と単純な性格で助かった。
「じゃあ、みんな森崎さんの友達なんですか?」
これは叶美への質問だった。
「そう、みんな大切なお友達なの」
叶美は満面の笑みを浮かべてそう言った。