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不良と化した生徒会長(3)

「これから保健室へ行って森崎に会ってくるよ」

 直貴が真っ先に立ち上がった。彼の身体からはひしひしと緊張感が伝わってくる。

「俺も付き合うぜ」

 クマも続いた。そして沢渕の方を振り返った。

「もちろん、お前も来るよな?」

 正直気が進まなかった。精神が不安定な叶美とまともな議論ができそうにないからである。

 しかしそんな考えをよそに、クマは沢渕の腕を引っ張ってずんずんと廊下を進んでいく。

 三人は保健室の前に一列に並んだ。直貴が引き戸に手を掛けてするすると開けると、クマが我先にと飛び込んだ。

 意外なことに保健室はもぬけの殻であった。

「あれ、森崎はいないじゃないか」

 直貴がクマを睨むようにして言った。

「いや、確かにあいつは調子が悪いから、保健室へ行くって教室を出たんだよ」

 そこまで言ってから、「あっ」と短い声を上げた。

「まさか、こっそり学校を抜け出したんじゃねえだろうな、あの即席不良娘は。午後からの選挙演説会をほったらかして、今度は一体何をやらかすつもりだ?」

 クマは一つ大きなため息をつくと、頭を抱え込んだ。


 その頃、叶美は病院にいた。

 保健室で一度はベッドに横になったものの、多喜子のことが気になって仕方なかった。すぐに飛び起きると職員室へ出向き、教頭から早退の許可を受けた。

 学校を出ると、最初の公衆電話で足を止めた。そこで姉の奈帆子に連絡を取って病院の名前を訊いた。

 通り掛かったタクシーを拾って病院に向かった。所要時間はわずか十分程度だったが、知らぬ間に眠ってしまっていた。どうやら身体はまだ睡眠を欲しがっているようだ。運転手の怒ったような声で目を覚ました。

 部屋は奈帆子から聞いていたので、真っ直ぐ向かうことができた。エレベーターを降りたところで、ナースセンターの奥から中年の看護師に大声で呼び止められた。

 どこへ行くのか、と訊くので、佐々峰多喜子の名前を告げた。そう言えば、制服のブラウスが薄汚れていることに思い至った。咎められたのはこのせいに違いない。清潔であるべき場所に、あまりにも相応しくない格好なのであった。

 病室の前で立ち止まった。ふと視線を感じて廊下の先に目を遣ると、先ほどの看護師が遠くで叶美の動きを窺っていた。

 ノックをしてから、多喜子に何も持ってきてやらなかったな、と気がついた。いつもの冷静さをすっかり失っていた。一度多喜子の顔を見てから、改めて何か果物でも差し入れることにしよう、そう思い直した。

 スチールの冷たい扉を開くと、そこは広い病室だった。六台のベッドが並べられている。この時間、見舞客は一人もいなかった。患者は皆それぞれのベッドで大人しく眠っているようだ。その中に見覚えのある姿を捉えた。

 多喜子は身体を窮屈そうに折り曲げて来訪者を確認しようとした。

 二人の視線が合わさった。

「叶美先輩っ」

 多喜子の顔が自然とほころんだ。

 それから気まずそうに、

「へへへ、やっちゃいました」

 と言った。

 小柄な多喜子には、白いギプスが異様なぐらい大きかった。

「聞いたわよ。タキちゃん、昨日は大変だったわね」

 叶美は手近な丸椅子に腰掛けた。

「足は大丈夫?」

「はい、ただの骨折ですから、ひと月で治るそうです」

「他に怪我をしたところはない? お医者さんにちゃんと診てもらった?」

「はい、一応レントゲンも撮りましたが、他に問題はないそうです。明日には家に帰ってもいいそうです」

「もう、随分心配したんだから。もしものことがあったらどうしようって」

 目には自然と涙が浮かんだ。

 多喜子はただならぬ雰囲気を察したのか、

「先輩、すみませんでした」

 と、殊勝な顔で言った。

「ううん、タキちゃんが謝る必要はないのよ」

 叶美は涙を拭った。

 しばらく二人は無言になった。反対側のベッドから患者が寝返りする音がした。

「でも、先輩。今日の選挙で大切な一票を入れられなくてごめんなさい」

「いいのよ、そんなこと」

 多喜子は急に思い出して、

「そう言えば、先輩。選挙結果はどうだったのですか?」

「どうなのかしらね。学校を抜け出してきたから、私にも分からないわ」

 それには多喜子も驚いた表情を浮かべた。

 しかし叶美がそれ以上語ろうとしないので、黙りこくってしまった。

「謝らなければならないのは、私の方よね」

 叶美はしばらくうつむいていたが、突然そんなことを言い出した。多喜子は黙って聞いている。

「だってタキちゃんを危険な目に遭わせちゃったもの」

「いいえ、これは私自身のせいです。先輩は悪くありません」

「でも、もう安心よ。探偵部は解散するつもりだから」

「えっ、何ですって?」 

 多喜子は慌てて口を挟んだ。

「やっぱり私たち素人が探偵の真似事をすべきではなかったのよね。もうこれ以上、怪我人を出す訳にはいかないでしょ。だから解散することに決めたの」

 叶美の脳裏には、植野老人たちや、クマの柔道仲間の顔が浮かんだ。早く事件から手を引かなければ、そのうち彼らの身も危険に晒されることになるかもしれない。

「先輩、それはみんなで出した結論なのですか?」

「えっ?」

「直貴先輩やクマ先輩、それに沢渕くんは賛成なのですか?」

「まだみんなには伝えてないけど。いえ、でも沢渕くんだけは知っているかな」

「彼は何て言ってました?」

 多喜子は身を乗り出した。

「それは、その、実は話し合った訳じゃなくて、私の一存で彼には探偵部を辞めてもらったの」

 一瞬、多喜子は目を見開いた。そして叶美を睨むようにして、

「どうして、沢渕くんが辞めなきゃならないんですか?」

「だから、それはタキちゃんにこんな大怪我をさせた責任があるでしょ」

「そんな、それはあまりにも酷過ぎます。骨折したのは、私が不注意だったからなんです。沢渕くんに非はありません。それどころか、彼は私を助けてくれたのですよ」

 多喜子の声には明らかに不満が表れていた。

 叶美は彼女の激しい抗議に驚きを隠せなかった。内気で大人しい性格の多喜子が、これほど情熱的に語るのはこれまで一度たりともなかったからである。

 次の言葉を思案していると、多喜子は当夜の状況を説明した。

 鏡見谷旅館は廃業後、不良連中の溜まり場と化していた。そこへ招かざる客が車で乗りつけた。彼らは自分たちの城を守るべく、侵入者を痛めつけよう考えた。三階の窓から白い布をひらひらと動かして、それに興味を持った者が三階へ上がってくるように仕向けた。そこには雨漏りで腐った廊下が大きな穴を開けていたのである。それはまさしく侵入者におあつらえ向きのトラップだった。

 不良たちの思惑通り、三人のうち多喜子が罠にかかった。連中は天井から落下した多喜子を素早く部屋に隠し、人質にしようと考えた。

 しかし沢渕の機転で、多喜子への被害は最小限に食い止められた。彼は逆に不良たちを脅し、不安を煽ることで彼らを服従させることに成功した。

 沢渕は多喜子の骨折した足に応急処置を施し、不良たちに簡易的な担架を作らせ、奈帆子の車まで運ばせた。

 そして車は山を下り、最寄りの病院へ駆け込んだ。多喜子はそこで応急手当を受けた。自宅へは深夜遅く帰ることになったのだが、沢渕は予め多喜子の父親に連絡を取り、彼女が骨折したことを伝えた。この病院で落ち合うと、誠実に父親に謝罪した。自ら怒られ役を買って出たのである。

「先輩、沢渕くんを探偵部に戻してください」

 多喜子は叶美の手にすがった。

 しかし探偵部は解体するつもりなのである。沢渕を戻したところで、部そのものがなくなるのだ。もはや意味などないではないか。

「もし先輩が探偵部を解散するというなら、それはそれで構いません。ですが、私はお姉ちゃんや沢渕くんと一緒に事件の捜査は続けます」

 そんな力強い宣言に叶美の気は動転した。今まで自分に従順だった多喜子が今や牙を剥いているのである。

 言われてみれば、沢渕に向けた言葉は理不尽なものだったかもしれない。薄々とそう感じていた。どこか自分の気持ちに嘘をついていた気がする。

 沢渕を責めたのは、実は多喜子の骨折のことではなかったのかもしれない。彼のことだ、多喜子を守ってやらない訳がない。そんなことは事の顛末を聞かなくても分かっていた。だからそれが理由で怒ったのではない。

 ではあの時、どうして沢渕にあんな態度を取ったのだろうか。

 彼はいつも多喜子のことばかりを心配している。確かに彼女は守ってやるべき存在には違いないが、どうしてその心配の少しでも自分に向けてくれないのか。そんな不条理さに怒りがこみ上げてきた。多喜子のことばかり夢中になって、どうして自分に気を遣ってくれないのか、そんな不公平さに我慢ならなかったのだ。

 彼を目覚めさせたかった。それでつい手が出てしまった。挙げ句の果てに部長という権限を悪用して、解雇通告までしてしまった。

 本当に、自分は嫌な女だと思う。多喜子の純粋な心が羨ましくなった。

 涙が止めどなく溢れ出した。それを多喜子に悟られまいとして両手で顔を覆った。

「タキちゃん、本当にごめんね」

 唖然とする多喜子の前で、そんな言葉を捻り出すのがやっとだった。

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