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不良と化した生徒会長(2)

 午前の授業が終わり、昼食の時間を迎えても、沢渕はぼんやりと窓の外を眺めていた。しかし彼の目には何も映ってはいなかった。まるで時間が止まってしまったかのようであった。すぐ傍では弁当箱を手に、席を移動する女生徒のスカートがひらりと舞った。

 朝一番の出来事だった。森崎叶美は凄い剣幕で沢渕に詰め寄ると、いきなり頬を叩いた。彼女の感情はひどく高ぶっていたに違いない。

 確かに多喜子の事故を知って、現場にいた沢渕を責める気持ちは理解できる。だがそれにしても叶美の身体からは鬼気迫るものを感じた。

 多喜子の怪我を心配する以上に、叶美にはもっと別の怒りがこみ上げていたように思われた。理不尽とも言うべき心の不整合を沢渕にそのままぶつけているようだった。

 その後、実にあっさりと探偵部を退部させられるのだが、その時叶美の大きな瞳に涙が滲んでいたのを沢渕は見逃さなかった。大股で教室から出て行くその背中には、言いしれぬ不安が浮かび上がっていた。

 汚れた制服といい、叶美の身に一体何が起きたというのであろうか。

 沢渕はそんなことばかりを考え続けていた。

 突然、無遠慮なやり方で教室の扉が開かれた。まさしく上級生による予期せぬ訪問である。和んでいた部屋の空気が一瞬で凍りついた。

 扉の枠に収まりきらない巨漢、久万秋進士の姿がそこにあった。教室内をぐるりと見渡して目的の人物を見つけると、大声で呼び掛けた。

「沢渕、飯が終わったらいつもの所へ来てくれ」

 それほど空腹を感じていなかったので沢渕はすぐに席を立った。クラス全員の視線を一身に集めていたが、そんなことはまるで気にならなかった。

「クマ先輩」

 廊下に出ると、背中に向かって声を掛けた。

 クマは驚いて振り返った。

「いや、今すぐでなくてもいいんだぞ」

 そうは言ったものの、すぐに沢渕の表情から何かを感じ取ったのか、

「分かったよ、それじゃ一緒に行こう」

 二人は肩を並べて廊下を歩いていった。

 化学準備室にはすでに堀元直貴の姿があった。一人でパンを食べているところだった。

「あれ、二人とも早いね」

 顔を上げて言うと、

「おい、直貴。こんな非常事態によくのんびり飯なんか食っていられるな」

 クマは小さな丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。それから直貴の目の前のパンを一つ掴んで、口に放り込んだ。

「森崎先輩はいないんですか?」

 沢渕は室内を見回して言った。

 一人事態が飲み込めず、不思議そうな顔にしている後輩に向かって、クマは面倒臭そうに、

「お前にここへ来てもらったのは、実は森崎のことなんだ」

 と言った。

「今日のあいつはどこか変なんだ。選挙当日っていう大事な日に」

「どうかしたのかい?」

 直貴が訊く。

「お前はあいつに会っていないから、そんなのんびりしていられるんだよ。一目見ればその激変ぶりに驚くぞ」

「クマ、もうちょっと落ち着いて説明してくれないか」

 直貴は相変わらずマイペースを崩さない。

 クマはもう一つパンを口に放り込んで、

「あのな、今日の森崎は突然変異していて、一体どこから説明していいのか分からんのだ」

 と、困った表情を浮かべた。

「とにかく一言で言うと、いきなり不良になっちまったんだよ」

 直貴は思わず吹き出しが、沢渕は黙って聞いていた。

「笑い事じゃないぜ。昨日は家に帰ってないんだ。家出したんだよ、あいつ。それで今日は制服も着替えずにドロドロのまま、鞄も持たずに学校に来てるんだ」

「あの森崎が? まさか」

 直貴はまだ半信半疑のようである。

「それだけじゃないぞ。何でも夜中に学校のプールに裸で入ったとか、意味不明なことを口走ってた」

「おいおい、裸でプールって。森崎にはそんな趣味があったのかい?」

「驚くのはまだ早い。プールで身体を洗ったとか抜かしやがった。風呂代わりに使ったんだとよ」

 さすがの直貴も黙りこくってしまった。

「それから校舎の窓ガラスを割ったとか言ってたな」

「しかし、どうして突然そんなことを始めたんだい?」

「そりゃ、こっちが訊きたいよ。一夜にして優等生が不良少女に転落しちまうなんて、聞いたことがない」

「それで、森崎は今どうしているんだい?」

「一時間目から授業をサボって、保健室に引き籠もってる」

「選挙の日に妙なことになってきたな」

「な、そう思うだろ? ひょっとして、絶対自分が当選しなければならないという重圧に耐えきれず、ついにおかしくなってしまったのかも」

 もしそれが本当なら、クマの心配は至極当然のものだった。

「おい、晶也。さっきから黙って聞いてないで、お前も何か推理したらどうなんだ。探偵部の一員としてそれぐらい朝飯前だろ」

 苛々した声が飛んだ。

「実を言うと、僕はもう探偵部員ではないのですが」

「そんなことは分かっているさ、そうじゃなくって」

「ん?」

 クマと直貴は顔を見合わせた。しばらく沈黙ができた。

「今、お前何て言った?」

 クマが怪訝そうに訊く。

「ですから、僕はもう探偵部のメンバーじゃないんです。今朝、部長からクビを言い渡されました」

「なにー?」

「そりゃ本当かい?」

 二人の声が重なった。

「そう言えば、今朝森崎にタキが骨折した話をしたら、一目散に走り去ったんだが、やはりお前のところへ行ったのか?」

「はい。教室の中で大声で罵られました」

 頬を打たれたことは敢えて言わなかった。

「あちゃー」

 クマは五分刈り頭を両手で抱え込んだ。

「みんな、その一部始終を見てたんだろうなあ?」

「はい」

「アホか、あいつは。何で選挙当日に、自ら人気を落とすことをやってるんだ?」

「部員を解任されたのは、やはり多喜子さんの事故の責任をとってかい?」

「はい、そうだと思います」

「俺が推理するに、あいつは昨日学校の階段から落ちて頭を強打したんじゃねえか。それでおかしくなっちまった。これで全ての説明がつく」

「それにしても、森崎は午後からの選挙演説に出られるのかい?」

「いや、むしろ出ない方が票を減らさないで済むってもんだ。このままだと、演説中に何やるか分かったもんじゃねえ。全校生徒の前でいきなり裸になって踊り始めるぞ、きっと」

「まさか」

 直貴の顔も次第にこわばってきた。

「突然不良と化したあいつの行動は予測不能だ。元々真面目な人間だからどういうのが不良なのか、よく分かってないんだろうよ。それで手当たり次第、思いつくことを何でもやってるんだ。

 だから不良とは言っても、相当ピントがズレてる。ロック歌手が革ジャン着てサングラスかけて、唄っているのはドレミの歌ってぐらい訳が分からんのだ」

「信じられないけど、どうすればいいんだい?」

「ああゆう奴は暴走すると手がつけられん。目覚めさせるには、もう一度頭を打った方がいい。今から呼び出して階段から突き落とすか?」

 クマは真面目な顔をして言った。

「もしかしたら、森崎先輩に何か衝撃的な事件が起こったのかもしれませんね」

 沢渕がひっそりと言った。

「どういうことだ、それは?」

 クマが間髪入れずに訊いた。

「例えば、誘拐事件の犯人と接触したとか、何か危険な目に遭ったとか」

「でもそれならクマと会った時、真っ先に話すと思うんだが」

 直貴が眼鏡を持ち上げて言った。

「確かにそうかもしれません。ですが先輩はどうやら睡眠不足のようですから、おそらく夢と現実がごっちゃになって、うまく説明できない精神状態だったのかもしれません」

「なるほど、そういうことか。制服が汚れていたのも説明がつくな」

 クマは感心したように言った。

「実は昨日、監禁場所の探索に誘われたのです。ですが多喜子さんと先に鏡見谷旅館に行くことを約束していたので断りました。それで先輩は一人隣町へ行って何かに出くわした可能性があるのです」

「まさか、犯人たちと対決したとでもいうのか?」

「そうかもしれません。もしそうなら相当怖い目に遭ったのでしょう。生命が危険に晒されたのかもしれない。それで一時的に精神に錯乱をきたしていると思われます」

 おそらくこの推理は正しいような気がする。

 だからこそ部員である多喜子の怪我に、異常なまでの反応を示したのではないだろうか。自分が味わった恐怖体験を思い出し、半狂乱になった。

 もしかすると叶美は探偵部を解体する気でいるのではないだろうか。

 自分の他にこれ以上犠牲が出ることを恐れてである。そう考えると彼女の一連の異常行動にも説明がつく。もう彼女は探偵部の部長、ひいては生徒会長も辞するつもりでいるのだ。

「おい、晶也。もし森崎が犯人と出くわしているのなら、顔を見た筈だろ? だったら事件は一気に解決するんじゃないか?」

 黙り込んでいた沢渕は我に返って、

「そうかもしれません。ですが先輩は責任感の強い人ですから、他の部員を巻き込まずに、自分一人で決着をつけようと考えているかもしれません」

「そりゃマズいぜ。あいつまで誘拐されてしまったら元も子もないぞ」

「クマの言う通りだ。今後森崎が一人で行動しないように監視しよう。それから護衛をつける必要があるね」

「それは俺の仕事だな。あいつを全力で守ってみせる」

 二人の顔には多少の安堵が戻っていたが、沢渕の心は一向に晴れることはなかった。

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