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佐々峰姉妹の活躍(2)

 放課後、多喜子と一緒に校門を出ると、白い軽自動車が道路脇に控え目に停まっていた。時間通りである。

 近づくとエンジンが始動した。

「沢渕くんは前に乗って」

 開いた窓から奈帆子が声を掛けた。

 多喜子に背中を押されるようにして乗り込んだ。

「今日は付き合ってくれてありがとう」

 奈帆子は前方を向いたままハンドル操作をしながら言った。

「いえ、僕もぜひ鏡見谷旅館に行ってみたいと思ってましたから」

「ねえねえ、この三人で何かするのって初めてよね?」

 多喜子が後部座席から身を乗り出して言った。

 確かに彼女の言う通りである。これまで佐々峰姉妹とじっくり話した記憶はない。

「はしゃぎ過ぎなのよ、あんたは」

「だって何だか楽しいじゃない?」

「何言ってるの。これはピクニックじゃないのよ。事件の捜査なんだからね」

 奈帆子は厳しい口調で言った。

「そんなこと言って、お姉ちゃんだってうきうきしてたじゃない」

「余計なこと、言わなくていいから」

 軽い姉妹喧嘩が始まった。アパートで二人はいつもこんな調子なのだろうか、沢渕は微笑ましくなった。

「そうそう、二人ともこの間のテストはどうだったの?」

 奈帆子が信号待ちで訊いた。

「どうして、お姉ちゃんは楽しいひと時に水を差すようなこと言うの」

「まあ、あんたの点数は最初から分かってたけど」

「フンだ」

「それで、沢渕くんは?」

 信号が青に変わった。奈帆子はアクセルを踏み込む。

「平均より少し上ってところです。考えて答えを出す数学はまだ良かった方ですが、英語や社会といった暗記科目は惨敗に終わりました」

「そっか、沢渕くんも学業では苦労しているみたいね」

 奈帆子は笑みを漏らした。

 街中を抜けると高速道路の入口に差し掛かった。料金ゲートを通過すると、小さな車は加速し始めた。

「沢渕くん、この車いくらしたか知ってる?」

 多喜子が後ろから訊いた。

 まったく見当もつかなかった。返答に窮していると、

「たったの十五万円。信じられないでしょ?」

 それはまた随分安い車を見つけたものである。

 そんな激安車でも十分加速をしてから、見事本線に合流を果たした。スピードメーターは九十キロを指している。

「お父さんの知り合いの中古車屋で買ったからね」

 奈帆子が隣で説明した。

「ということは、一人当たり五万円ってことでしょ。そんな値段に命預けて大丈夫かしら?」

 今日の多喜子はいつもと違って口数が多い。

 それにしても、車体価格を搭乗者数で割ると一体何が求められるのだろうか。

 奈帆子はそんなことにはお構いなく、

「私はいつも安全運転。だからその点は安心して」

 と言った。

 確かに彼女の運転は慎重だった。どんどん他車に抜かせていく。

 いつの間にか車窓の景色が一変していた。街を塗り固めたコンクリートはすっかり消えて、緑のじゅうたんが限りなく広がっている。道路はうねりながら、ひとつまた一つ山を越えていく。

「お姉ちゃん、何時頃着くの?」

「そうねえ、四時ぐらいには着く見込みね」

「結構かかるのね」

「そうは言うけど、鏡見谷旅館までは片道二百キロ。そのうち高速道路を利用できる区間が百五十キロ。だから交通の便は比較的よい方なのよ」

「ドライブはよくするのですか?」

 奈帆子の横顔に問い掛けた。

「この車を手に入れた頃はそれはもう嬉しくて嬉しくて、毎日にように出掛けてたわ」

「へえ」

「でもね、別に遠出する訳じゃないの。近くの知らない街を走るだけなんだけど、それでもいろんな発見があって楽しいのよ。近くにこんなお店があったんだとか、あの裏道はこんな所に繋がっていたんだとか」

 奈帆子の言いたいことは何となく分かる。しかし免許を持たぬ二人にとっては実感が伴わない。

「道路っていうのは人の血管みたいなものでしょ。ありとあらゆる場所を結んでいる。今この瞬間、道路の先では様々な人たちが様々な暮らしをしている。これって凄いことじゃない? だって人は道路によって繋がっていることになるのだから」

「お姉ちゃん、何言ってるの? さっぱり分からないわよ」

「あんたは黙ってなさい」

 奈帆子は一蹴した。

「沢渕くんは分かってくれるわよね?」

「ええ、まあ」

 人は道によって繋がっている、か。

 失踪した人間もどこかに監禁されている。彼らが日本にいる限り、確かに我々と繋がっていることになる。場所さえ分かれば、きっと救ってやれる筈なのだ。

 沢渕はそんなことを考えた。そのために今、車は現場に向かっている。

「そう言えば、例の『市川』探しはどうなりました?」

「ああ、あれね。電話帳から拾い出した市川宅は全部チェック済みよ。クマの仲間が手を貸してくれたから思ったより早く終了したわ」

 寺田や梶山たち五人の顔が浮かんだ。

「その結果、どの家にも外車はなかった。おそらくそういう類いの雑誌の読者だから、きっと外車を所有していると思ったんだけど、当てが外れたみたい」

「そうなると、やはり電話帳に載ってないアパート住まいの若者の線が濃厚ですかね」

 沢渕は腕組みをして言った。

 どうやら市川探しも暗礁に乗り上げたようである。

 犯人に迫る手掛かりは断片的に集まり始めてはいるのだが、いずれも決め手に欠ける。もっと強力な手掛かりがないものだろうか。

 今回の鏡見谷旅館の捜索で、大きく前進できるといいのだが。

「お姉ちゃん、例のあれ持ってきてくれた?」

「ちゃんと積んできたわよ。あんたの座席の後ろにあるわ」

 多喜子は器用に手を回し、辺りをまさぐった。

「あった、あった」

 そう言うと、嬉しそうに小型のクーラーボックスを膝の上に載せた。

 開くと、そこには食べ物が詰まっていた。

「沢渕くん、どうぞ」

 どうやらそれは手作りのお菓子だった。

「ありがとう」

 沢渕は受け取った。よく冷えた口当たりのよいプリンだった。

「おいしいね」

 多喜子はその言葉を聞いてから自らスプーンを手にした。

「昨日の晩、テレビを観るのも忘れてずっと作ってたのよ、この子」

 奈帆子は呆れた風に言ったが、実は妹のことを褒めているようにも取れた。

 多喜子は交通事故で亡くなった母親の代役を、幼い頃よりずっと務めてきたのだろう。そんな佐々峰家の事情を垣間見る思いがした。

「お姉ちゃんの分はちゃんと取っておくから、後で食べてね」

 案内板が見えてきた。ここで高速道路とはお別れである。

 山の中に突如出現したインターチェンジは立派過ぎて、周りの自然にそぐわない様子であった。他に降りる車もない。

 白の軽自動車は、今度は幅の狭い国道を走り始めた。 

 すぐ目の前に山が立ち塞がっていた。我々人間の営みを邪魔するかのようである。時折、渓谷が眼下に広がる。川底が透けて見えるほど澄んでいた。

 一度集落を通り過ぎると、次の集落まで民家や商店は出てこない。対向車もほとんどない。

 黄色いヘルメットを被った地元の小学生が集団で側道を歩いていた。

 川を挟んだ向こうの山に、マッチ箱を横にした建物が見えた。どうやら小学校である。校舎も運動場もまるでミニチュアのように可愛らしい。

「もしここに生まれていたら、今とは違った人生を歩んでいたんだろうなあ」

 多喜子がしみじみと言った。

「あんた、いつも一人でそんな妄想ばかりしてるんだから」

「だってそうでしょ。ここでは学校へ行くのも大変だし、ちょっと友達の家に遊びに行くのも一苦労よ」

「確かにそうだね」

 もし自分もこの山村に生まれていたら、探偵部のメンバーとは出会えなかったのだろう、沢渕はぼんやりと考えた。

 三人の乗った車は山道を登っていく。付近に人家は見当たらない。ただひたすら細い道だけが続く。

 道は急カーブの連続である。ついさっき登ってきた道路が、今は遙か眼下に折り重なって見える。

「本当にこんなところに旅館があるのかしら。お姉ちゃん、道間違えてない?」

 そんな多喜子の声も、うなり声と化したエンジン音にかき消されがちである。

「大丈夫よ。地図で見る限り一本道だから、迷う筈がないわ」

 奈帆子は右に左に忙しくハンドルを切りながら応えた。

「あれじゃないですか?」

 沢渕は山の切れ間に、一瞬建造物が出現したのを見逃さなかった。

「えっ、どこどこ?」

 多喜子が後ろから身を乗り出して聞いた。

「次のカーブを曲がれば、左に見えてくると思うよ」

 説明した通り、突然開けた視界の先に大きな二つの建物が姿を現した。

 この大自然の中で、人の手が作り出した五層の構造物は一際目を惹いた。

 手前に本館、そして隠れるように別館が建っている。どちらの建物も茶色の塗料が剥がれ、所々が白くなっていた。そのせいか、遠くからはまだら模様に見える。

 今の今までひっそりと人間の訪問を待っていたかのようである。

「これが旅館なの?」

 思わず奈帆子が口にした。

 白い軽自動車はどんどん近づいていく。今にも大きな建物に飲み込まれそうである。

 沢渕は素早く辺りを観察した。人の気配は感じられない。

 もしここが人質の監禁場所だとすれば、犯人たちと接触する可能性もあるのだ。そんな緊急時の対応も考えておかなければならない。

「あっ、何か動いたわ!」

 突然、多喜子が叫んだ。

「ね、見えたでしょ?」

「いいえ、何も見えなかったけど」

 奈帆子がのんびりと言った。

 沢渕も気づかなかった。

「今、確かに三階の窓を白い物がすうっと移動したんだけど」

 彼女は早口で言った。興奮を抑えきれない様子だった。

「そんなの気のせいよ。あんたって臆病なんだから」

 奈帆子は笑い飛ばそうとしたが、それでも顔はこわばっていた。

 沢渕も心を引き締めた。

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