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佐々峰姉妹の活躍(1)

「ねえねえ、沢渕くん。ちょっといい?」

 鞄を置いた途端に多喜子の声がした。どうやら待ち構えていたらしい。

「おはよう」

「あっ、おはよう」

 多喜子は思い出したように挨拶を返した。

「こっちに来て。早く、早く」

 沢渕は彼女に引っ張られるようにして廊下へ出た。

 この時間、教室は同級生で一杯である。そんな二人のやり取りは、彼らにどう映っているのだろうか。

 窓際に立った。

 グランドでは、朝練を終えた運動部が一斉に移動を始めていた。

「あのね、お姉ちゃんが一緒にドライブしないか、って」

「ドライブ?」

 思わずオウム返しになった。

 多喜子は慌てて、

「ほら、今日から父兄懇談会が始まるでしょ。午後から暇になるじゃない?」

 もちろんそのスケジュールは頭に入っていた。今日から三日間、学校は午前授業となる。親の前で学業の話を持ち出されるのは少々気が重いが、それさえ我慢すれば、あとは自由な時間が手に入るのは有り難かった。

 しかし、どうして佐々峰姉妹からドライブという話が出てきたのだろうか。

「例の鏡見谷旅館よ。今日一緒に行ってみない?」

 なるほど、捜査のことだったか。それなら答えは決まっている。

「もちろん行くよ」

「それじゃあ、放課後ね。お姉ちゃんが車で迎えに来るって」

「分かった」

 多喜子はその返事を貰うと嬉しそうに教室へ戻っていった。

 彼女は随分変わったな、と思う。以前はこんな風に積極的に話し掛けてこなかった。それが今では人目をはばかることなく、堂々たる態度で会話をしている。これが探偵部の力であるならば、彼女にとってこのクラブは性格を変えるほどの影響力を持っていることになる。

 姉奈帆子の提案は沢渕にとって願ってもないものだった。鏡見谷旅館は人里離れた山奥に位置するため、都合のよいバスや電車の便がない。そのためどうしても車が必要となる。高校生の力ではどうにもならない。

 確固たる証拠はないものの、現段階でこの旅館は一度調べる価値があると思われた。人質が監禁されている可能性がある以上、まずは現物を見てみたい。

 たとえこの旅館が事件に無関係だったとしても、送迎バスの中から片比良メモが発見された事実に変わりはない。この点についてどう辻褄を合わせられるのか。いずれにせよ、捜査を進めるきっかけになることは間違いないだろう。

 授業中そんなことばかりを考えて、沢渕の心は躍った。


 三限目の体育を控えて、沢渕は体操服に着替えると教室を出た。

 下駄箱付近に差し掛かると、廊下の遙か先に森崎叶美の姿を捉えた。一方の手で円筒形のポスターを抱え、もう一方で大きなケースをぶら下げている。ぎこちない動きでこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。

 沢渕は靴を履き替えるのを放棄して駆け寄った。

「森崎先輩」

「あら、沢渕くん」

 叶美も気がついて軽く笑顔を見せた。

「お手伝いしましょうか?」

 そう言って手を伸ばすと、

「いいわよ、一人で持てるから」

 と言った。

「でも、重そうですよ」

「物理の実験に使う道具。先生に頼まれてね」

 叶美の身体からは疲労感が滲み出ていた。顔色も悪い。いつもの魅力も今日はどこかに置き忘れてきたようである。連日の選挙活動のせいかもしれない。

 それにしてもクラスメートたちは何故手を貸してやらないのだろうか。人知れず孤軍奮闘する叶美が不憫に思えた。

 二人は無言のまま歩いた。

 校長に呼び出されたこと、テストの結果が芳しくなかったこと、そして捜査の経過など、話したいことは山ほどあった。しかし何一つ言葉にできないのだ。口を開けば叶美を窮地に追い込むことが目に見えているからだ。

「ねえ、次、体育なんでしょ。のんびりしてたら、遅刻するわよ」

 そんな言葉にもいつもの鋭さが感じられない。

「先輩、とにかく応援してますから」

 沢渕は叶美の肩に軽く触れると、下駄箱へ向かった。

「あっ、沢渕くん、ちょっと待って」

 叶美が弾かれたように返した。

「今日授業が早く終わるでしょ。だから、また一緒に隣町へ行かない?」

 今、叶美にそんな心のゆとりがあるのだろうか。あと数日、それまでは事件のことを忘れて、選挙運動にだけ力を注いでいればよい。

 もし自分に気を遣っているのなら、ここはきっぱりと断るべきだろう。それに佐々峰姉妹との先約もある。

「すみませんが、今日は別の用事がありますので」

 沢渕は敢えて捜査に関心がないかのように無表情で言った。

「そうなんだ」

 叶美の残念そうな声。

 同時に、誰もいない廊下に大きくチャイムが響き渡った。

 叶美は立ち止まって沢渕の顔をじっと見据えた。

 今にも小さな唇が動きそうな気配だった。しかし彼女は何も言葉を発しなかった。

 それから思いついたように、

「さあ、急いで。授業に遅れるわよ」

「先輩も」

 そうやって二人は静かに別れた。

 これでよかったのだ、沢渕は後から何度もそう思った。

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