山神高校探偵部(3)
何の冗談かと思いながら、それでも連中について行くと、彼らは商店街のアーケードを抜けて繁華街へと出た。しばらくすると、本当にカラオケボックスの前で足を止めた。
三人は慣れた様子で店に入っていく。仕方なく沢渕も後に続いた。実は沢渕にとって、このような店に入るのは初めてだった。
そもそも歌を唄うのは苦手である。お金を払って、しかも音痴な歌を他人に披露するなんて、まるで理解に苦しむ。こんな場所は居心地がよい訳がない。彼にとっては、静かな場所で一人、本と向き合っているのが幸せなのである。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥で、若い女性店員が仕事の手を止め、笑顔で声を掛けた。しかし三人のすぐ後ろに沢渕の姿を認めると、一瞬その笑顔も凍りついたように見えた。店員にとっても、それほど場違いな人物に見受けられたのだろうか。
しかしさすがは商売人である。すぐに、
「はじめまして、ようこそ」
と、沢渕にだけ余計な挨拶をつけてくれた。
「いつものお部屋が空いておりますので、どうぞ」
エコーのたっぷりかかった、騒音ともとれる歌声が部屋から漏れてくる。まるで酒に酔った大人のようだ。そんな気分になれる連中がむしろ羨ましく思えてくる。
各部屋から放たれる騒音を避けるようにして、三人は廊下を奥へと進んでいった。この後、罰として一曲歌わされる羽目になるのだろうか。それを考えると、沢渕の心は重かった。
辿り着いたのは奥の大部屋であった。たった四人で使うにはちょっと勿体ない気もする。部屋の照明は薄暗く、途端に三人の表情が読めなくなった。
全員がそれぞれソファーに腰を下ろした。その動きには無駄がなかった。この部屋によく出入りしていることが容易に見て取れた。
誰一人、口を開く者はなかった。部屋は今、無音状態と化していた。
「みなさん、どうぞ私に構わず歌ってください」
沢渕がそう言うと、一同は顔を見合わせて一斉に笑い出した。
「いや、よかったら君が歌ってもいいんだよ」
眼鏡を持ち上げるようにして、堀元が言った。
「ああ、そうですか」
沢渕は分厚い歌本をめくって見せた。歌う気などさらさらなかったが、そうでもしなければ間が持たないと思ったのである。
すると外からドアをノックする者がいた。皆が一斉に振り返ると、小さく開いたドアの隙間から身体を滑らせるように入ってきたのは、制服姿の女子だった。
新入生歓迎会の司会を務めていた生徒会長、森崎叶美その人だった。あの時ステージで見たのとまったく同じ姿がそこにあった。
「あら、新人さん?」
そう言うと、彼女は沢渕の真正面に座った。長い髪がふわりと舞った。
「実は、このクラブの存在を、誰かがご丁寧に説明したらしい」
叶美の横から堀元が説明した。
「いや、俺とタキが喋っているのを、こいつが下で聞いていたんだ」
熊が慌てて言った。
「いいえ、違いますよ。上で勝手に話が始まったんです」
熊はキッと沢渕を睨んだ。
「上とか下とか、何だかよく分からないけど、まあ、これも何かの縁かもしれないわね」
叶美は口元に笑みを浮かべた。健康的な歯がちらりと見えた。
「私、森崎叶美。よろしくね」
「沢渕晶也です」
叶美は自然なやり方で白い手を出した。二人は握手した。
彼女の手は柔らかかった。思わず緊張する。
「あなた、このクラブに興味あるの?」
彼女は身を乗り出した。今、叶美の瞳には沢渕の顔だけが映っている。
「そういう色仕掛けは止めろよな」
野太い声が飛ぶ。
「うるさい」
「クラブって、探偵部のことですか?」
「そう、沢渕くんは、うちのクラブのことをどこまで知っているのかしら?」
叶美はゆっくりと長い髪をかき上げた。
「この探偵部は山神高校の非公式クラブで、その存在は教師や生徒たちに知られていないと思われます。今日は今年度最初の会合でしょうか。ここ最近は事件らしい事件が起きていないので、このクラブの出番もないのでしょう。
この部屋が探偵部の部室になっているようですね。今のところ僕が顔を合わせたメンバーは五人」
「あれ、この部屋にはお前の他に、四人しかいないんだが?」
熊がわざとらしく素っ頓狂な声を上げた。
叶美は唇に人差し指を当てて、先を促した。
「まずは探偵部の部長、森崎叶美先輩。同時に山神高校生徒会長。学校中の先生や生徒から圧倒的な支持を受けている。しかしこのクラブでは、厳しい部長という別の顔をお持ちです。そして今、新メンバーが加入することを希望されている」
叶美は目を丸くするような表情を作った。
「続いて、堀元直貴先輩。生徒会執行部の一員。同時にこの探偵部においては、副部長を務めていらっしゃる。冷静沈着で、推理が得意。まさにこの部のブレインと言って差し支えないでしょう」
沢渕は続ける。
「そしてクマ先輩。そのあだ名は風貌から来ているのか、それとも名前がクマなのか。表向きは柔道部。投げ技を得意とし、以前森崎部長を暴漢から守ったことがある。まさに探偵部の用心棒。おそらくクマ先輩は部長のことが好きなのだと思います」
「おい、新入り。余計なこと言うな」
叶美は一人笑って、
「私を守ったって、実はそんな大袈裟なことじゃないのよ」
と訂正した。
「次に佐々峰多喜子さん。非常に家庭的で、洗濯や掃除が好き。料理を大の得意とする。僕のクラスメートです」
「お前、タキのこと、どうしてそんなに詳しく知っているんだよ。もしかしてストーカーか?」
「自己紹介ですよ。初日にクラス全員でやりました」
多喜子は目を輝かせて、
「私のことを覚えていてくれたのね?」
と、感嘆の声を上げた。
沢渕はそこで一度、周りを見渡した。
「ここまでが、今、この部屋にいる方たちですね。あともう一人は、さっき受付にいた若い女性、あの人はたぶん大学生ですが、この探偵部のメンバーです。それに佐々峰多喜子さんのお姉さんでもある。おそらく車を所有していて、探偵部の大事な足として活躍している。
これはまったく僕の勘ですが、佐々峰奈帆子さんは山神高校を去年卒業されていて、先代の探偵部の部長だったのかもしれません。
これで合計五名。あともう一人、世代の違う大人がいても面白いですね。少年探偵団の明智先生みたいな方です」
部屋にいる誰もが言葉を失っていた。その様子から、沢渕は自分の推理に自信が湧いた。
「直貴、どう思う?」
沈黙を破ったのは叶美だった。
「僕の睨んだ通りだ。申し分ない」
「お前、百メートル何秒で走れる?」
熊が訊いた。
「よして頂戴」
叶美はそれを手で制すると、沢渕の顔をまじまじと見つめた。
「いくつか訊きたいんだけど、いいかしら?」
「どうぞ」
「どうして私が新入部員を欲しがってるって分かった?」
叶美は挑戦するような目つきだった。
「先輩がここに入ってきた時、僕を一目見て、何も咎めることはしませんでした。もし部外者を排除する気なら、おそらく違う言動になった筈です。それに僕は学校の図書室からここまで連れてこられた訳ですが、おそらく部長と堀元先輩の間で、新入生を勧誘する話ができていたからだと思います」
「その通りさ。僕は君を一目見て、推理の得意な新入生だと睨んだんだ」
堀元が口を挟んだ。
「君はテーブルの下にキャップを落とした、と言った。つまりあの棚の付近で何か筆記をしようとしていたんだ。ではあの書棚にはどんな本が置いてあったか。そう、推理小説だよ。ということは、君は推理小説に関して大いに関心があることになる。それならこの探偵部に相応しい人物ではないかと考えたんだ」
「そうですね。確かに推理小説は大好きです」
「もう一つ、いいかしら?」
叶美が続ける。
「どうして私たちの他にメンバーがいると?」
「すでに佐々峰多喜子さんがいたからです。彼女は僕と同じで、今年入学したばかりです。この学校に通うようになって、まだ十日と経っていない。そんな人物が探偵部の一員というのはちょっと妙な話です。それなら以前から彼女はこの部に出入りしていたのではないか。兄か姉が高校在学中メンバーで、その時から彼女も一緒に活動していたのではないか、そう考えたのです」
「でも、どうして受付の店員がタキの姉貴だと分かった?」
そう訊いたのは、熊だった。
「簡単です。名札に書いてありましたから」
「うぐっ」
それから熊は咳払いをして、
「図書室ではすまなかった、許してくれ。俺の名は、久万秋進士、クマでいいよ」
そこでドアがノックされて、さっきの受付の女性が入ってきた。ジュースの載ったお盆を器用にテーブルに置いた。
「多喜子の姉の奈帆子です。どうぞよろしく」
彼女はそう言って、微笑みかけた。沢渕も頭を下げた。
「何だか、凄い子が入ってきたわね」
奈帆子は叶美にささやくように言った。
沢渕が不思議そうな顔をすると、
「ごめん、あのカメラでずっと見てたの」
と言った。
こうして、沢渕晶也は山神高校探偵部に入部することになった。