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山神高校探偵部(2)

 入学式から早くも一週間が経過していた。沢渕にとって見る物、聞く物、全てが珍しかったが、今ではすっかり雰囲気にも慣れて、一人で校内を探索できるまでになっていた。

 こんな時、友人が少ないことが大いに役立つ。自分のペースで、自分の満足するやり方で物事を眺めたいと思う。一人でなければ、それも思うようにはできない。

 今日の放課後は図書室へ出向いてみようと、朝から決めていた。それで授業終了のチャイムと同時に、一人廊下に飛び出した。

 廊下に並んだ窓に、夕刻の空がどこまでも切り取られていた。春のこの時期、まだ外は肌寒いが、校舎内は日差しを受けて暖かい。ずっとこうして歩いていたい気分になる。

 窓の外に目を遣ると、どのクラブも新入生の勧誘に余念がない。特大の看板を掲げて、道行く人誰にでも声を掛ける文化部。新入生を前に生演奏をする吹奏楽部。反対側のグランドでは、ゴムで弾かれたように次々と駆け出す運動部員の練習風景があった。

 沢渕はどのクラブにも所属する気はなかった。これは中学の時もそうだった。一人で本でも読んでいる方が性に合っている。

 おかげで中学時代は本の虫となった。特に推理小説は彼のお気に入りで、シャーロックホームズ、怪盗ルパン、アガサクリスティー、横溝正史など全て読破してしまった。

 これからもその読書欲がなくなることはないだろう。高校ではどんな種類の本に出会えるのか、それを確認するために、こうして足を運んできたという訳である。

 大方予想はしていたが、放課後の図書室は閑散としていた。書棚に人影はまるでなく、遠くのテーブルで数人が勉強している程度である。いつもこんな雰囲気なのだろうか。

 沢渕にとってこれは実に有り難いことだった。人混みは苦手である。日頃からこのような環境を維持しているのであれば、大好きな本を誰にも邪魔されず、思う存分読めそうだ。

 早速推理小説の書棚へ足を運んでみた。一見して、中学校の図書室とはラインナップが異なっている。海外の翻訳本が充実していて、初めて見るタイトルが多い。これは嬉しい誤算である。どうやら足繁くここへ通う価値はありそうだ。

 作家の名前をメモしておこうと、胸ポケットからシャープペンシルを取り出した。その時、頭のキャップが抜け落ちて、床の上を転がった。そして窓側の大きなテーブルの奥へと吸い込まれていった。

 沢渕は両膝をついて、テーブルの下へ潜った。有り難いことに、付近に人がいないので、気兼ねする必要はない。

 夕方で、しかもテーブルの下は太陽光が遮られていて、一瞬何も見えなかった。それでもしばらくすると目が慣れてくる。

 キャップの転がった先を思案していると、突然頭上から乱暴な音が響いた。誰かがテーブルを叩いたのだ。予期せぬ出来事に、沢渕の心臓は飛び出るほどだった。これまでの行動が正当かどうかを思わず確認した。

 しかしどうやらそれは沢渕に向けられたものではなかった。すぐに椅子が引きずられて、勢いよく男子が腰を下ろした。続いてその反対側でも、今度は控え目なやり方で椅子がするすると動き出し、女子生徒が腰掛けた。すぐ目の前に、スカートから二本の白い足が伸びていた。

 沢渕は動けなくなってしまった。気配を消すべく、息を押し殺した。この体勢は非常によろしくない。上の二人に見つかったら、どう誤解されるか分かったものではない。果たしてどうしたらよいだろうか。

 沢渕はひたすら二人が立ち去るのを願った。しかし今来たばかりの連中がすぐに腰を上げるとは思えない。長期戦になるのは明らかだった。何とかここから消え去ることはできないだろうか。いや、手品でもない限りそれは無理だ。沢渕は途方に暮れた。

 それにしても、女生徒の足に顔を向けているのは、万が一発見された時の言い訳は困難を極めそうだった。ここはリスクを最小限に抑える必要がある。そう考えて、気の遠くなるような時間をかけて身体の向きを変えた。

「しっかし探偵部も最近パッとしないなあ」

 男の野太い声がした。

「でも、事件がなくて、何よりじゃないですか」

 向き合う女の声。

「そうかもしれんが、せっかく裏のクラブとして存在している以上、活動がないと、俺としては張り合いがないんだよ」

「クマ先輩、表向きは柔道部でしたよね?」

「あっちは練習ばっかりでつまらないんだよ。もっとこう、実践的に身体を動かしたいのさ」

「そう言えば、聞きましたよ。部長を救ったそうですね」

「ああ、あの時はさすがのあいつもブルっちまってさ。得意の投げ技で一人、二人と蹴散らしてやったら、あいつの見る目が変わったね」

 そんな会話が弾んでいたところで、突然二人は黙り込んでしまった。妙な沈黙が生まれた。その瞬間、沢渕は最悪のシナリオを覚悟した。

「そこにいるのは、誰だ?」

 男の声がしたかと思うと、天井が空へと持ち上がった。

「お前、そこで何してる?」

 図書室を揺さぶるほどの大声に、沢渕は恐怖のあまり、動けなくなってしまった。

 そこには制服のデザインを大きく歪曲させた男が立っていた。それは今まさに人間に牙を剥いた熊と言ってもよかった。身の危険を感じる。

 熊は男子生徒の背中を、まるで猫のように持ち上げた。

「立て!」

 沢渕はとうとう二人の前で顔を晒すことになった。

「あら?」

 突然、女の方が声を上げた。

「沢渕くん、じゃない?」

 それは天の救いだった。

 見覚えのある顔だった。確か、同じクラスの女子である。名前は何といっただろうか。ここですかさず名前を返して会話が弾めば、無事に解放されそうだ。そう思って記憶の糸をたぐるのだが、緊張しているせいか、名前が出てこない。初日、お互い自己紹介をした間柄なのだが。

「何だ、こいつと知り合いか?」

 熊が訊いた。

「ええ、同じクラスの子」

 だめだ、名前が分からない。焦れば焦るほど、記憶は遠のいていく。

「こんな所で何してたの?」

 彼女は不思議そうな顔で訊いた。

「シャープペンシルのキャップを落としてしまって、それで」

「キャップだって?」

 熊は床に目を遣ると、素早く視線を動かした。

「あっ、あった」

 これが野生の勘というやつか。熊はこうやって獲物を捕るのだと妙に納得した。

 今、彼の大きな指先には、沢渕の探し求めていた物が収まっている。

「ああ、それです。どうもありがとうございました」

 沢渕は頭を下げると、何食わぬ顔でその場を立ち去ろうとした。

「ちょっと待て。まだ話は終わってないぞ」

 熊の手が沢渕の肩に掛けられた。鉛のような重さを感じる。

 この重みから逃れられないのだろうか。この学校には、それこそ無数の生徒がいるというのに、どうして自分が選ばれたのだろうか。川を遡上する鮭の中で、熊に食べられる悲運な一匹の気持ちが、今は分かる気がする。

「一体、何事だい?」

 思わぬ方向から、落ち着き払った声が聞こえた。三人は一斉に振り返った。

 そこには眼鏡の男子生徒が立っていた。どこか見覚えのある顔だった。

「遅かったな、直貴」

「お疲れさまです、堀元先輩」

 二人の声が重なった。

 この堀元直貴という上級生には、高い知性を感じる。沢渕は今や、安息の地を見つけたような気がした。少なくとも熊と話すよりはましである。人類は熊と意思疎通する術を持たない。まだ助かる道はある。この人に従おう、沢渕は瞬時にそう決めた。

「ここは人の目もある。とにかく出よう」

 堀元がそう言った。


 四人は図書室を後にした。

 沢渕のすぐ横で熊の腕がリズムよく前後に揺れていた。これでは逃げ出す訳にもいかない。

「こいつ、俺たちの秘密を聞いてやがったんだ」

「でも、沢渕くんに悪気はなかったと思います。ただ偶然居合わせただけですから」

 同じクラスの女子が、慌ててそう付け加えた。

 彼女の言う通りである。二人が勝手に話し始めたのだ。それにこの連中の秘密とやらに、まるで興味はない。

 堀元は何も言わずに沢渕の方に目を遣った。

 沢渕はその視線から目を逸らさなかった。やましいことは一つもないのだ。

「まあ、いいじゃないか。君、もし時間があるなら、僕たちに付き合ってくれないか?」

 それは優しい声だった。

「分かりました」

 沢渕は憮然とした態度で答えた。心が落ち着いてくると、こんなことで逃げ回ることが馬鹿馬鹿しく思えてくる。ここで逃げ出せば、この先こんな連中に、ずっと怯え続けることになる。入学早々、それはまっぴらごめんである。

 三人は校舎を出ると、そのまま校門へ向かった。沢渕もそれに続いた。

 桜の花びらが無数に舞っていた。時折駆け抜けていく春風の仕業である。

「一体、どこに行くんですか?」

 前を行く三人はぴたりと足を止めた。そして熊が真っ先に振り返った。

「カラオケに決まっているだろう」

 まるで意味が分からなかった。

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