現場検証(2)
沢渕は一人歩き続けていた。
下り坂とも別れを告げる頃には、周りの風景はすっかり変貌していた。車道と歩道は完全に分離され、商店や住宅が隙間なくどこまでも続いている。この辺りはもう十分に街の様相を呈している。
そんな中、見覚えのある景色が迫っていた。T町バス停である。ここまで辿り着くのに三十分歩いたことになる。
沢渕はバス停で一度立ち止まった。時刻表に目を落とすと、最終バスは十時十三分と出ていた。あの日と同じである。
四年前の夏の夜、この場所に二人の女子高生が肩を並べて立っていた。予備校からの帰り道、彼女らは楽しいひとときを送っていたに違いない。
そんな二人に魔の手が迫っていた。定刻にやって来たのはいつもの路線バスではなかった。
最初に考えなければならないのは、犯行に使われた車である。鍵谷先生によれば、正規のバスの前に別のバスを走らせた形跡はない。それは防犯カメラの解析により立証されている。
だが沢渕は犯人が車を、しかも大型車を利用したことに間違いないと見ている。十七人もの人質を乗せるにはそれなりに大きな車が必要となるからである。同じ大きさのバスを使って乗客を騙したという推理はこれが起点となっている。
バス停を離れて、最初に目に入った小道を折れてみた。
道幅は途端に狭くなり、建物の陰で日差しも遮られる。対向車を考えなければ、確かに路線バスでも通行は可能だが、やはり現実的ではない。最大に譲歩しても、このままどこかへ走り去るので精一杯である。
この後順番にバス停を目指して、路地を縫って走ることは不可能だ。なにしろ車の取り回しに時間が掛かって、とても時刻表通りには走れない。
再び大通りに引き返すと、一度T町バス停の方を振り返った。
拉致された女子高生二人はどんな思いでいたのだろう。犯人に殺害されるのではないか、そんな恐怖に襲われて生きた心地がしなかったであろう。
一方、犯人グループはこの先も拉致を続けていく。そして十七人の誘拐に成功し、そのまま地下へと潜ってしまった。
沢渕も次のバス停へと歩き始めた。
幸いなことに女子高生二人は今も生きている。彼女らは雑誌の暗号に一縷の望みを託した。必ずや彼女たちをはじめ、全員を無事に救い出してやる。自然と足に力が入った。
今、隣の車道を小型バスが通り抜けていった。ふと立ち止まって、その行方を目で追った。そのバスは一つ先の赤信号に引っかかった。沢渕は自然と駆け出していた。
マイクロバスである。後部に自動車学校の文字が読める。リアウィンドウから若者らしき男性の後頭部が見えた。見たところ、十七人を乗せるのは難しそうだが、それでも十人程度なら何とかなりそうである。これよりも大きいバスと言えば、幼稚園やホテルの送迎バスになるだろう。
信号が変わると、そのバスは息を吹き返して走り去ってしまった。残念ながら追いつくことはできなかった。
マイクロバスか、沢渕はつぶやいた。大型バスが無理なら、小型バスでの犯行は可能だろうか。
しかし新たな疑問も生じる。
路線バスの代わりに同型のバスを利用したという推理は、乗客が警戒することなく乗り込むであろうという前提から成り立っている。ところが見慣れないマイクロバスが横付けしたらどうであろうか。果たして乗客は怪しまずに足を踏み入れるであろうか。答えはノーである。
だがそれについては、沢渕に一つ考えがあった。犯人たちがひと手間掛ければ十分に可能なのである。
停留所でバスを待つ乗客の前に、一台の普通乗用車が現れる。そこから慌てて降りてきたのは制服制帽を身につけたバス会社の職員である。乗客に向かって次のように言う。
「みなさん、お急ぎのところ誠に申し訳ございません。先ほど、ここから三つ手前の交差点でトラックとバスが接触する事故が発生致しました。只今警察の検分を受けているところでございます。つきましては、皆様にご迷惑をお掛けしないよう、代替えのマイクロバスをご用意いたしましたので、そちらにご乗車ください。なお、今回の運賃は無料とさせて頂きます」
この時、制服の効果は絶大である。乗客は誰一人疑うことなく彼の指示に従うだろう。制服と制帽は本物である必要はない。夜のことでもあるし、恐らく誰にもバス会社の制服が本物かどうか見分けられないからである。
そうこうするうちにマイクロバスがやって来る。ボディの横にはバス会社の名前と「臨時代行バス」などという文字が書かれている。
制服の男は次のように言う。
「みなさん、お待たせしました。代替えのバスが参りました。こちらにご乗車ください」
全員が乗り込んで扉が閉まると、乗客の一人が突然立ち上がり、みんなを凶器で脅す。犯人の一味が乗客の振りをして予めバスに乗り込んでいたのだ。そしてバスはさらなる獲物を狙うため、次のバス停へと向かう。
問題はマイクロバスが防犯カメラに写り込んでいるかどうかである。これはもう一度鍵谷先生に質す必要があるが、この話題が出なかったところをみると、おそらくバスの類いは一切姿を残していなかったと考えるべきだろう。
ということは、やはり小型バスは大通りの防犯カメラ設置場所を巧みに避けて、狭い路地を走行したことになる。この点がどうも腑に落ちない。
たとえカメラに写ったとして、犯人側にどんな不都合があるというのか。
確かに事件後警察はカメラの映像を回収し分析するかもしれない。しかしバスを利用したことが露見したところで、そのことがすぐさま犯人を特定する材料になるとは思えないのだ。
それにカメラに写るといっても、真横から一瞬だけのことである。走行中の車なら、おそらく時間にして一秒もない計算である。しかも夜のことで、バスの形を判別するのも困難なほどである。
そう考えると、小型バスよりも、最初から大型バスを用意する方が理にかなっている。
小型では載せる人数に不安が残るし、乗客への口実も考えなければならない。だったら最初から大型バスで何ら問題はないではないか。
それともそんな大きなバスを中古で購入すれば、足がつくとでも考えたのだろうか。
それもおかしな話である。マイクロバスだって特殊な車両に変わりはない。警察が販売店をしらみつぶしに捜査すれば、犯人に辿り着く可能性は変わらない。
どこか妙な具合である。犯人の意図が読めない。
沢渕は交差点で信号を待ちながら考えた。信号が青に変わって、歩行者が一斉に動き出してもしばらく動かなかった。ふと我に返って、小走りで点滅信号を渡った。
使い勝手のよい大型バスではなく、わざわざ小型バスを用意して、写っても構わない防犯カメラをわざと避け、ご丁寧に狭い裏道を走り抜ける。これらに一体何の得があるというのだろうか。
いや、何か大きな考え違いをしている。もう少しで何かが閃く予感。
そうだ、発想を逆にしてみてはどうか。
犯人は元々そういう小型バスを所有していたのではないだろうか。
それを犯行に利用しようと考えた。つまり犯人の中に店を経営し、尚かつ送迎バスを自由に使える者がいた。
だが、これでもわざわざ路地に入る説明はつかない。バスの車体に書かれた会社名はカメラに一瞬写ったぐらいでは判読できないであろうし、どのみち乗客を乗せるために隠してある筈だ。ではなぜカメラを避けるのか。
そうか、これも発想を転換してみよう。
犯人はカメラを意識していたのではない。結果としてカメラの前を通らなかっただけなのだ。
では、何の目的でそんなことをしたか。
それはどうしても路地裏に入らなければならなかったからである。
そうか、分かってきた。
今ようやく論理の歯車が噛み合って、沢渕の推理はどんどん前に進み始める。
店のマイクロバスは小型のため、乗客を十名乗せるのが限度だった。犯人はなるべく多くの人間を捕獲したかったので、一度バスを空にする必要があった。つまり路地裏には別の車が待機していて、一旦乗客を移し替えた。
いや、それは違う。沢渕はすぐ頭を振った。
もう一台バスが用意できるのなら、最初から二台とも正規のルート上を走らせておけばよい。乗客が一杯になったら、次のバスに切り替えればよいからだ。つまり別の車へ乗り換える意味はまるでない。
では、どうやってバスを空にするか。
乗客をどこかで降ろしたのだ。しかし夜の路地裏で乗客をバスから降ろす筈がない。降りた途端に大声を出されたり、逃げられたりするのが落ちだからである。
それなら、バス路線からそう遠く離れていない場所に犯人の隠れ家があったとは考えられないか。
小型のマイクロバスは人質で満員になった後、路地裏の隠れ家へ立ち寄った。そこで見張り役が乗客を静かに降ろした後、部屋に監禁した。そして空になったバスは次のバス停へと向ったのだ。
この推理が正しければ、監禁場所は絞られてくる。バスの運行時刻を乱さない程度の距離に隠れ家があるからだ。
犯人たちはバス路線のそばに物件を借りていたか、または自分たちで管理する建物を持っていた。
しかもマイクロバスを所有する商売をしていた可能性が高い。例えば自動車学校、幼稚園、ホテル、高級料理店、葬儀場などである。この可能性を森崎部長に伝え、探偵部全員で手分けして捜索する必要が出てきた。
沢渕はその後数時間を掛けて、駅前までバス路線沿いを歩いた。途中バス停に差し掛かると、裏通りに入って周りを観察した。また同時に大通り沿いの商店やマンションの防犯カメラの設置場所もチェックしていった。
駅前に辿り着いた頃は、もうすっかり夕方になっていた。駅は行楽帰りの人々でごった返していた。駅構内の立ち食いそばを腹に流し込むと、今度はレンタカー店へ足を運んだ。実際にマイクロバスの種類や大きさを確認するためである。
そして事件当夜と同じバスに乗車するために、Sヶ丘住宅前の最終バスに乗車した。これが折り返して駅へ戻ってくることになる。
バスに揺られながら、沢渕は身体全体が疲労で覆われているのを感じた。固くなった足を何度も揉みほぐした。これだけの距離を一日に歩いた経験はなかった。
確かに身体はぼろぼろだったが、精神は充実感で満たされていた。