表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/80

現場検証(1)

 日曜日の朝、沢渕晶也は隣町の駅前に一人立っていた。陽はすでに高く、今日も暑くなりそうな予感がした。

 小さな地方都市の駅前広場である。正面には例の本屋と、その隣にあるパチンコ店が空間のほとんどを占めている。真っ直ぐ伸びる国道の両側には、小さな商店がひっそりと肩を寄せ合っていた。

 駅を出ると、すぐ目の前がバス乗り場である。この街は観光地といった性格は持ち合わせてはいないが、それでもバスターミナルは明るく機能的に作られている。

 頭上の時刻表に目をやると、直貴から貰ったコピー通りの数字が並んでいた。バス時刻は四年前とは変わっていない。一般にバスの時刻は鉄道の時刻との親和性を考えて作られている。したがって鉄道のダイヤ改正がない限り、バス時刻が変更されないのは当然と言えば当然のことなのだ。

 乗り場のすぐ傍に小さな派出所があった。あの晩、辺倉へくら祥子の父親が駆け込んだ場所である。それとなく中を覗いてみたが、警官は出払っていないようだった。

 今、沢渕の目の前にバスが横付けされた。昇降口が開くと、アナウンスが行き先を告げた。発車までにまだしばらく時間があったが、乗り込んで待つことにした。

 この時間、他に乗客はいなかった。しばらく無意味な時間を過ごした後、定刻通りにバスは出発した。

 終点はSヶ丘住宅前である。地図で見ると山を大きく切り開いた新興住宅地らしかった。バスはそこで三十分の休憩を取った後、駅前へと引き返してくる。すなわち一台のバスが路線を往復するのである。このような運行方式は、田舎のバス路線にはよく見られる。

 ここで重要なのは、路線上においてバス同士のすれ違いがないということである。走行中反対側からバスはやって来ないのだ。あの日、誘拐の瞬間を目撃した者がいないのは、犯人がこの特性を最大限に利用したからであろう。

 沢渕はバスを独り占めしていた。他に乗客が乗ってこないからである。そのお陰で運転手の真後ろの座席を我が物顔で陣取り、フロントガラスに現れる町並みをじっくり観察することができた。ふと思い出して、運転台付近に貼られたネームプレートに目を遣った。しかし事件当夜の運転手、小酒井という名前ではなかった。

 いくつかのバス停に停車したが、乗ってくる人はほとんどいない。次の停留所を告げるアナウンスだけが虚しく車内に響き渡っていた。

 直貴から貰った地図に当夜のルートが書き込んである。しばらくすると地図上のバス停が実際に現れ始めた。

 今、T町バス停を通過した。この辺りは当時高校生だった辺倉祥子と片比良かたひら七菜が失踪した場所である。周辺は何の変哲もない商店が軒を連ねていた。

 沢渕はT町バス停より三つ先で下車した。小酒井運転手の証言によれば、ここが車椅子の女性が乗り込んできたバス停である。そのためバスは十分遅れることとなった。あの日、事件はここから始まったのだ。これ以上遡る必要はない。

 市街からはもう随分と離れていた。人や車の気配がまるでない。そんな風景画の中で、動いているのは路線バスだけなのである。そのバスも視界から消え去ってしまうと、いよいよ沢渕だけが砂漠で一人取り残されたような気分になった。

 車の通わぬひっそりとした道路を悠然と渡って、上りのバスの時刻を確かめた。これも四年前とはまったく変わっていない。今のバスが折り返しここへやって来るまで、まだ小一時間ある。

 辺りを見回すと、道路沿いには古い民家が静かに並んでいた。近くの水路では激しい音を立てて水が流れていた。

 バス停のすぐ横に酒屋が立っていた。黄色いケースが外に積み上げられている。果たして店は営業しているのだろうか。少々不安を覚えながら、沢渕は引き戸に手を掛けた。戸が開くと同時に鈴が乾いた音を立てた。

 しばらく間があって、中年の婦人が顔を出した。どうやら奥で家事をしていたらしい。

「いらっしゃい」

 沢渕は棚の菓子パンを二つほど摘んでレジの前に置いた。そして透明の冷蔵庫から牛乳を取り出した。

「ここで食べてもいいですかね?」

「どうぞ、どうぞ」

 沢渕は精算してから、手近な椅子に腰掛けた。

「久しぶりに親戚の家に遊びに来たんですが、あいにく留守でして」

「あらあ、そりゃ残念でしたね」

 婦人の大きな声が響いた。

「四、五年ほど前にもこちらにお邪魔したことがあるのですが、当時とあんまり変わってなくて、お陰で迷うことなく来られました」

「そうですね。この辺りは昔とちっとも変わってませんから」

「ああ、そうだ。以前来た時に道に迷って、車椅子の女性に助けてもらったんですが、彼女は今でもこちらに住んでいらっしゃるんですかね?」

 そんな質問に婦人は不思議そうな顔をした。

「車椅子の方、ですか?」

「あれ、この町の方じゃないのかな?」

「この町内で車椅子を使っている方はおりませんがね」

「どこかへ引っ越しされたとか、そういうことは?」

「いいえ、最初からおりませんよ。何かの間違いじゃないですかねえ」

「それなら僕の勘違いかもしれません」

 沢渕はもう一つのパン袋を開封した。

「そう言えば、その頃大勢の人が失踪する事件があったって聞きましたが」

 婦人は大袈裟に頷いて、

「そうなんですよ、一晩で十何人が一度に行方不明になった事件。未解決のままなんです」

「へえ」

 沢渕はわざと驚いて見せた。

「実はこの先に住む奥さんも被害者の一人でしてね。実家に帰ってきた妹家族を駅へ迎えに行ったきり行方不明。今頃どこでどうしているのやら。怖いわね」

 確かに主婦の名前がリストに載っていた。沢渕はすぐに思い出した。

「その奥さんは車で?」

「いいえ、車は車検に出していて、バスで行こうとしてたみたい。帰りは駅前のタクシーを拾うつもりだったのでしょうね」

「彼女はどこでいなくなったのですか?」

「警察の調べでは、どうやらバスには乗らなかったらしいのよ。ご家族の元に身代金の要求があったんだけど、どうやら犯人とは接触できなかったとか」

「なるほど」

「でもね、その奥さん、実は自分の意志で失踪したのではないかって、当時はもっぱらの噂だったのよ」

「ほう」

「田舎の生活に飽きて、男と一緒に逃げ出したんじゃないかって」

 しかしそれは噂の域を出ないだろう。大量誘拐事件が発生したその日に、主婦が自ら失踪をするというのは出来すぎているからである。

 沢渕はこれ以上、ここで得られる情報はないと判断した。

 急いでパンを平らげると、椅子から立ち上がった。

「どうも、ごちそうさまでした」

 まだ話を続けたがっている婦人をよそに店を後にした。

 車椅子の女性はこの町の人間ではなさそうだ。とすれば、彼女はよそから来た訪問者ということになる。しかし車椅子に乗った訪問客を果たして何の介抱もなく、夜中に一人でバスに乗せたりするだろうか。

 やはり車椅子の女は犯人の一人と見て間違いないだろう。彼女の年格好は、そして車内での様子はどうだったのか。できれば小酒井運転手から聞いてみたいところである。

 問題は彼女に与えられた役割である。これはバスの運行時刻を遅らせること、これに尽きるだろう。小酒井証言によれば、バスの運行は十分程遅れたということだが、これは当バス停での出発時刻という意味であって、実際にはもっと遅れていたのではないか。小酒井は自分に事件の責任の一端があると言われるのを恐れ、実際よりも少なく証言している可能性がある。

 本来、駅で降りた乗客から到着時刻を訊ければ、遅れた時間は判明するだろうが、バスにはほとんど乗客はいなかったと思われる。なぜなら先を行く犯人たちが、本来乗るはずの人を次々と回収していったからである。

 バスに乗り込んだ車椅子の女は先行する他の連中から連絡を受けていたと考えられる。すなわち犯行の進行状況を逐一耳に入れていたのだ。それに応じて必要があれば時間調整をする。そんな役割だったに違いない。

 時間の調整はさほど難しいことではない。先行する仲間に不手際が生じ、時間を捻出したいのであれば、降車ボタンを押せばよい。降車時に小酒井が手を貸すように仕向ければ、大幅に時間を遅らせることができる。

 沢渕は次のバス停まで歩き出した。

 折り返しバスがやって来るまでに、まだ四十分もあるからだ。バスに乗っている時には気づかなかったが、どうやら緩い坂道を登ってきたようだ。今は下り坂を足早に駆け下りることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ