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叶美の隠れ家(2)

「ここよ」

 突然、路地の一角で、叶美が立ち止まった。

 大通りからはもう随分と奥深くに入っていた。狭い通路の左右には一杯飲み屋やスナックが肩を寄せるように並んでいる。店の脇には野菜の突き出た段ボールやビールのケースが無造作に積み上げられていた。

 叶美はすぐ目の前の木製扉に手を掛けると、慣れた手つきで開いた。つたで覆われたその建物が、実は喫茶店であると気づくのに少々時間が要した。

 店内は狭く、空間は奥へと細長く伸びている。カウンター越しに客二人と話していた店主が、

「いらっしゃい」

と気安く声を掛けた。

 客もその声につられて顔を上げた。二人とも白髪の老人だった。

 叶美は軽く会釈をして、店の奥へと進んでいった。通路が狭いので学生鞄が何度か椅子に接触して音を立てた。

 一番奥のテーブルで立ち止まり、すらりと椅子に腰掛けた。やはり慣れた様子である。彼女と向き合って座った。鉄製のパイプ椅子はどこか油でねとねとする感覚があった。

「驚いたでしょ。この店はね、私のおじいちゃんがやってるの」

 木枠の窓越しに表の往来が映っているが、ガラスが曇っているせいで、それもぼんやりとしか見えない。店内には古い歌謡曲が流れていた。

「ちょっとしたカルチャーショックでしょ?」

 叶美は顔を近づけてきた。

「はい、高校生が出入りしちゃいけない場所ですね、ここは」

 二人は笑った。

「おじいちゃんの道楽なの。だからお客さんも、みんな近所の人みたい」

「なるほど」

 そう言ってカウンターの方に目を遣った。商店街でも人目につかないこの店は、老人たちの憩いの場としては申し分ないのだろう。

「テストの前には、ここで勉強することもあるのよ」

 叶美は指先でテーブルを叩いて言った。

「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」

 すぐ横でしわがれた声が聞こえた。見上げると、そこには柔和な表情の老人が立っていた。

「沢渕くん、コーヒーでいいかしら?」

「はい」

「コーヒーを二つ」

「カナちゃんが、男連れとは珍しいねえ。彼氏かい?」

「ち、違いますよ。大切なお友達です」

 叶美は慌てて否定した。

「そうか、そうか。コーヒー二つね。しばらくお待ちを」

 店主はそう言うときびすを返し、カウンター奥へと消えていった。

「もう、おじいちゃんはいつも一言多いんだから。でもね、コーヒーは結構イケるのよ」

 そう言うと、叶美はしばし無言になった。やはり今日の彼女はいつもとは違っている。沢渕は改めてそんなことを考えた。

 お互いが向き合ったまま、口を開かなかった。重苦しい雰囲気だけが流れていく。

 沢渕は耐え切れずに、

「あの、探偵部のみなさんはこの店のことを知っているのですか?」

 と訊いた。

「いいえ、みんなにはまだ紹介してないわ」

 それではなおさら、自分をここへ誘った理由は何だろうか。疑問はますます深まる。

 しばらくして、目の前に白いコーヒーカップが置かれた。

「それじゃあ、お二人さん、どうぞごゆっくり」

 老人はそう言い残して、また定位置へと戻っていった。

 コーヒーを一口すすると、確かに美味しかった。

 叶美も一度口をつけてから、静かにカップを置いた。

「今日は話があって、沢渕くんを誘ったのだけど、実はまだ迷ってるの。どうしようかな」

「探偵部のことですか?」

「まあ、そうね」

「事件のことではなさそうですね」

「どうして?」

「だって、先輩はこれまでずっとその話題を口にしてませんから」

「あら、事件のことは忘れてないわよ。むしろ頭からずっと離れないぐらい」

 叶美が饒舌に語り始めたので、敢えて口を挟まなかった。

「今回、事件の被害者は若い人が多いでしょ。高校生だって何人かいる。だから他人事とは思えないの。もうあれから四年が経って、みんな今頃どこでどうしているのか気になるもの。だってそうでしょう? 今私たちは自由だから、こんな風にのんびりコーヒーを飲んで話していられるけど、自由を奪われた人たちは、そんな当たり前のことすらできないのだもの。もし今でもどこかで生きているのなら、一刻も早く解放してあげたいと思う」

「それは僕も同感です。この事件に関わった以上、必ず解決してみせます」

「頼もしいわ」

 叶美は目を輝かせた。

「ところで、話というのはひょっとして、佐々峰多喜子さんのことですか?」

 沢渕は思い切って切り出してみた。

「えっ?」

 叶美は目を丸くする。

「どうして分かるの?」

「やっぱりそうですか」

 沢渕はカップを口に運んだ。

「ねえ、どうしてタキちゃんのことだって分かったの?」

「いや、それほど自信があった訳ではありません。ただ日頃から先輩を見ていると、多喜子さんへの接し方は、明らかに他のメンバーとは違いますから」

「例えば?」

「いつも多喜子さんには気を遣っているというか、どこか母親代わりのように見えるのです」

「さすがに鋭いわね。でもそれがどうしてなのかは分からないでしょう?」

「はい。正直分かりません。ただ佐々峰さんのお母さんは交通事故でお亡くなりになったと聞いています。何かその辺に関係があるのではないか、と思うのですが」

 途端に叶美の表情が曇った。しかし沢渕の言葉で覚悟を決めたようだった。

「あなたの言う通り。実は、佐々峰姉妹からお母さんを奪ったのは、私の父親だったの」

 長い沈黙が生まれた。叶美はもう沢渕の顔を見てはいなかった。うつむいて垂れた髪が彼女の表情を覆い隠している。まるで警察で取り調べを受ける容疑者のようだった。

「ひどい話よね。大切な母親を死なせておいて、タキちゃんの前では母親気取りだなんて」

 沢渕には言葉もなかった。今はただ、彼女の言葉を待つだけだった。

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