叶美の隠れ家(1)
カラオケボックスを出る頃にはすっかり日は落ちていた。とうとう森崎叶美は現れなかった。
店の前でメンバーと別れると、間髪入れずに沢渕の携帯にメールが着信した。立ち止まって確認すると、画面には「カラオケ入口付近」とだけ表示されていた。これは部長からの呼び出しである。
沢渕は少し前を行くメンバーたちに目を遣った。しかし彼らは何事もなかったように、ずんずん歩いていく。どうやら叶美は自分だけに用があるらしい。
立ち止まって辺りを見渡してみた。ひょっとして叶美がどこかで見張っているのではないか、ふとそう思ったのである。しかし、彼女の姿はどこにもなかった。
今商店街は、買い物客や家路を急ぐ人で溢れかえっている。ちょっと目を離した隙に、探偵部の連中も、そんな人波にすっかり飲み込まれていた。
沢渕はカラオケ店の出入口から少し離れた電柱の陰に立った。ここは店の中にいる佐々峰奈帆子からは目の届かない場所になる。どうして彼女の目を避ける必要があるのか、自分でも説明がつかないが、何故だかそうしておかなければならないという気がした。
しばらくすると学校の方角から森崎叶美が現れた。沢渕の姿を認めると、小走りで近づいてきた。すぐ目の前で左右に揺れていた髪が動きを止めた。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
叶美はすがりつくように言った。
「会議はもう終わりましたよ」
「それは分かってるの。直貴からメールを貰ったから」
それならどうして自分だけを呼び止めたのだろうか、沢渕は思いを巡らせた。
「これから時間ある? ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「いいですよ」
「それじゃあ、私についてきて」
二人は肩を並べて歩き始めた。校外で森崎叶美と二人きりになるのは初めてのことである。これまで意識などしたことはなかったが、そう考えた瞬間から、身体全体が緊張感で浸食されていくのが分かる。
隣を歩く叶美の表情をちらりと見ると、何か考え事でもあるのか、黙りこくったままである。これでは間が持たなかった。
「あの、やはり生徒会の仕事は大変なんですか?」
そんな風に声を掛けた。
「そうねえ。でも慣れてしまえば、そうでもないわよ」
「それにしても、今日は遅くまで掛かりましたね」
叶美はそれを聞いた途端、
「もう、変な事思い出させないで」
と、頬を膨らませて言った。
「すみません」
「いいえ、いいのよ。別にあなたが謝る必要ないんだから」
叶美にはいつもとは違う雰囲気が漂っていた。探偵部の部長としての威厳が微塵も感じられない。何と言うか、言動全てが感情任せになっている、そんな感じだった。
「実は生徒会の仕事はとっくに終わっていたの。問題はその後」
沢渕は聞き役に徹していた。叶美の知られざる一面を垣間見て、それにどう接するべきか思案しているのであった。
「実はね、校舎裏に呼び出されて先輩から告白されたの。それでこんなに遅くなったって訳」
それは自分自身に腹を立てているかのような口ぶりだった。
しかしどうしてそんなことを他人に聞かせるのか、叶美の真意が計りかねた。今はただ黙って歩くしかなかった。
「ねえ、ちょっと。この件に関して、あなたからのコメントはないの?」
「え?」
「相手が誰とか、告白にどう答えたとか」
「いや、それは森崎先輩の個人的な問題ですから、僕には無関係ですし」
「何だか素っ気ないのね」
叶美は両腕を大袈裟に組むと口を尖らせた。
「でも、先輩はその人によい返事をしなかったのでしょう。だったらそれ以上訊くこともないと思いますが」
「あら、どうしてそんなこと分かるのよ?」
「だって、さっき『変な事』だって言ってませんでした?」
「あら、そうだったかしら? 沢渕くんのことだから、また推理でもしたのかと思った」
「先輩の心までは推理できませんよ」
「それもそうね」
叶美は自然と笑顔になった。
「では一応、型通りの質問を。森崎先輩はモテるのですか?」
「随分とまた、直球でくるわね。まあ、結構いろんな人から手紙とかメールで告白はされているわ。だけど、それでおしまい。私、みんなに気のない素振りを見せてるから」
「それは意外ですね」
「そうそう、これは男子だけに限らないのよ」
「え? どういうことですか?」
「よく分からないけど、後輩の女子から告白されたこともあったわ」
「その点は大いに興味があります」
「バカね」
叶美は商店街の大通りから細い路地へと向きを変えた。沢渕も遅れず後に続く。
「正直言うと、私、告白とか恋愛とか、そういうの興味ないのよね」
「そうなんですか?」
「そんなことよりも、人助け。探偵部の部長として頑張っていきたいの」
「なるほど」
「だから今日だって、丁寧にお断りしたわ」
「相手は学校で一番人気の先輩だというのに、ですか?」
「えっ、どうして知ってるの?」
「森崎先輩は恋愛に興味がないようなことを言いましたが、今、僕に告白の顛末を聞かせようとしている。つまり心のどこかではちょっと勿体なかったな、という未練があるからじゃないですか?
先輩をそんな気にさせる相手というのは、恐らく女生徒の人気の的じゃないかと見当がつきます」
「ほら、やっぱりそうやって、女心もちゃっかり推理してるじゃない?」
叶美は横から沢渕を小突いた。身体がよろめく。
「それで、何て断ったと思う? まさか探偵部の件は持ち出せないでしょ」
「確かにそうですね。どう答えたのですか?」
沢渕は少し興味が湧いた。
「ごめんなさい、私には好きな人がいるんです」
「ほう」
「何故かしら、その時最初に浮かんだのはあなたの顔だった。直貴やクマじゃなくて、あなたの顔」
一瞬、次の言葉に詰まった。それでも、
「佐々峰姉妹の存在を忘れてません?」
「あのねえ」
二人は顔を見合わせて笑った。