第八話 水面下の愛
「……胃潰瘍、ですか」
ベッドの上で医師の説明を受けたセドは、ホッと胸を撫で下ろした。
よかった……ガンじゃなくて。
「ええ、しかし穿孔を起こす寸前でしたよ。間に合ってよかった。2、3日も入院して安静にすれば、その後は通院という形で大丈夫でしょう」
「えっ入院!?」
セドは思わず医師の白衣の裾を掴んでしまった。
「こ、困ります!今すぐ治して下さい!」
「え!?そんな、アナタ、無茶を言わないでください」
医者は困惑していたがセドも必死だった。
入院なんてしている場合じゃない、闇竜の玉を治さなくては……。
その時。ネロを膝に乗せて窓辺に腰掛けていたレヴが口をきいた。
「兄貴は寝てればいーんじゃない」
「え?」
セドは、それから膝の上のネロも、驚いてレヴを見た。
「聞いたよ。闇竜の玉の事だろ。おれが何とかするよ」
相変わらずの淡々とした喋り方でレヴはそう言ってネロを膝から抱き降ろした。
「レヴお前……」
セドは、昼間気絶していた時に見た、妙な夢の事を思い出した。
レヴも、同じ夢を見ていたのだろうか?俺たちは、もしかして、前より何かが繋がっているのだろうか?
セドは少し嬉しくて
「な、何か、いい方法があるのか?」
と、ベッドから頭を上げる。が、しかし。
「いや別に、方法とかは、ねえけど」
当然のようにレヴは答えた。
「だ、だいじょうぶなのか……?」
セドは一気に不安になったが、医師の手前、動く事もできず、二人を見送るしかなかった。
病院からの帰り道、ネロとレヴは、並んで動いていく自分たちの影を見ながら、夕暮れの住宅街を歩いた。
「……中にいちゃん」
「なに」
遠くで、犬の鳴く声。
「もう、大丈夫なの?」
「多分」
レヴは後頭部を触ってみる。傷はあるが、あの誰かが背後に居るような奇妙な感覚は消えていた。
「よかった」
塀に延びた細長いレヴの影を眺めながら、ネロは
「帰ってこないかと思ったの……でも、よかった」
ヨカッタ、を数回繰り返した。レヴは小さく頷き、ぽつりと言った。
「ごめんな」
単純な言葉に置き換えられてはいたが、その時ネロは確かに、兄の感情を受けとった気がしたのだった。
その頃。
津賀賢太郎は覆面ライザー総本部で、ついに、ある宣告を受けていた。
「……こういう事になって、本当に残念だよ。俺は」
正面に座った三代目・覆面ライザー、ペンタゴンが、悲しげに首を振った。
「委員会が、審査をするそうだ……」
「えっ?」
津賀はすぐには理解できなかったが、三代目も含めて、何故かOBの誰ひとりとして目を合わせようとしないのに気付き、事の深刻さを感じとった。
「……う、うそ」
三代目は少し赤い目で津賀を見据える。
「一週間の審査に通らなかったら、お前はクビだ、シャープ。そして、歴史ある覆面ライザーそのものも、幕引きとなる。……おしまいだよ」
ライザーペンタゴンの言う委員会とは、「正義の味方委員会」のことに間違いなかった。かつての殿堂入りヒーロー、ヒロインによって運営される、総合的な正義の味方統制組織である。ここの名簿に載ってこそ公式にヒーローとして活動でき、さらに補助金も出るという訳だ。当然、時々、名簿を見直しする。人気も実績も無い、あるのは問題だけ。というようなヒーローは、野放しにする訳にいかない。こうしてしばらく監視して、審査をする。これに合格できない場合、名簿からその名は抹消されてしまうのだった。
ライザーシャープは、その名簿見直しにひっかかってしまったのである。
すっかり日も暮れた頃、総本部ビルから出てきた津賀は、魂が半分抜けたようになっていた。
だ、駄目だ、オレ……。
津賀は暗い溜息をつく。自分が、委員会に目をつけられても仕方ないほどの役立たずである事は、昼間の出来事が証明している。津賀はそう思っていた。
何ひとつできなくて、ひたすら逃走。救急車破壊もただ傍観。運よくレヴが正気に戻らなかったら、大変な事になっていたはずだ。
だけど、じゃあ、どうしたらよかった?
それがわからないという事がもう、ヒーローの器でない証拠なのだ。というOBの言葉が津賀の胸に針のように深く突き刺さっていた。
「賢太郎くん、ちょっと」
トボトボと自転車を引いていた津賀の後ろから、小走りに寄ってきたのは。先代覆面ライザー、ライザーフラットをやっていた南十字翔であった。
「南十字先輩……」
津賀が魂の抜けた顔のまま振り返ると、南十字は
「いや、まだクビ決定じゃないんだから、そんな気を落とさなくていいじゃない」
と、津賀の肩を叩いた。
「受かるわけないです……」
「ねえ、他のヒーローを見て勉強してみたら。参考になると思うよ」
「他のヒーロー?」
「これあげるよ」
そう言って南十字が手渡した2枚のチケットには「豪楽園遊園地で僕と握手!竜戦士キングドラゴンショー」と、書かれていた。
冷めた魔力鍋の底に、割れた闇竜の玉のかけらが散らばっている。レヴは、しげしげとそれを見つめた。
「ふうん……これが、闇竜の玉」
「う、うん」
マイペースなレヴと対象的に、ネロは割れた玉を目にした途端再び心が焦ってくるのを喉元に感じていた。
「で、こっちが、お前の買ったスーパーボール」
「そう」
返事をしながら、テーブルの上のスーパーボールが落ちないようにネロは手を添えた。
「ふうん……」
レヴは指でコン、コン、とテーブルの端を叩きながらしばらく考えていて。
「いいじゃん似てるじゃん。じゃあ。とりあえずこれちょっと、身代わりに置いてくる」
そう言ってスーパーボールを手に取り席を立つ。
「えっ今から?」
ネロは慌てて兄の後を追った。
「待って」
玄関に向かうレヴをネロは引き止めた。
「置いてあった場所知らないでしょ中にいちゃん」
コートの裾を掴まれて、はたと立ち止まったレヴは
「そうか。いないとダメだな」
小さく呟いてネロを、ひょいと抱えた。そうして、近くなったネロの頭に囁いた。
「不法侵入になるけど、」
「うん」
答えながらネロは、レヴが口に出す言葉のすぐ後ろに、確かにレヴの心を感じた。
お前が一緒にきてほしい
と。
ネロは思った。
兄は。兄の心はもしかしたら、前より近づこうとしているのではないか。見つめるだけでなく、もっと触れられる距離でレヴは、繋がろうとしているのでは?
その夜は雲が多く、墨色の鰯雲の真下を一塊の影になって飛行する下級悪魔の兄弟の姿に気付いた者はいなかった。レヴとネロはひっそりと、セドの組織のアジトの裏手に降り立つ。
アジトは中世の建築に似た平たい搭のような形をしていた。表側はゴテゴテと厳めしい彫像なんかで飾られているが裏手の作りは味気無くシンプルで、真っすぐな壁面には各階に窓が1つしかない。それも素通しである。
おもむろに一階の窓から様子をうかがい始めたレヴの後ろ姿を、ネロははらはらしながら見つめた。
初めてだったのだ。レヴがこのように、積極的に動いているのを見るのは。
「平気みたい」
と、レヴが囁いた。ネロも兄の後について窓から侵入する。だが二人が降り立った一階は今まさに、組織の集会の真っ最中だった。ファングル伯爵らしき声が響くホールは、レヴとネロの居る廊下と壁一枚隔てた向こう側。
ネロが強張った手で地下への階段を指差すと、レヴは無言で頷いてネロの体を片手で抱え上げ、足音を気にするでもなく散歩のように歩き出す。レヴの行動は大胆というよりも、無頓着と言った方が正しかった。
ネロは、吐く息と共に心臓が飛び出そうなほど緊張したが、叫ぶのを我慢して、兄の腕の中で静かに身を硬くする。せっかく近づいてきたレヴの心を離したくなかった。ネロは、兄を信じようと思ったのだ。
抱えられたまま、ネロはレヴのよれよれのダッフルコートのポケットから見え隠れする、闇色のスーパーボールをそっと取り出して、両手で大事に包む。
階段を降りていく振動で、今にもポケットから転がり落ちてしまいそうに見えたからだった。ネロは、不安と緊張に混じって何だか、妙な懐かしさを覚える。
なんだろう?この感じ。ぼく前にもこんなふうに……
ネロがそれを考え始めた頃、レヴの足はちょうど地下牢の前に差し掛かっていた。
その時
「ねえちょっとそれ!」
と、声が、した。
ネロはビクリと顔を上げ、レヴは立ち止まる。地下牢の、格子の向こうに水色の髪の少女が立っていた。
「ボク、どうしてそれを持ってるの?」
恐いほど透き通った少女の声が、ネロの喉元に突き立たる。
見られた。
「うと、……あ、あの……」
「ねえそれ何だかわかってる?子供の玩具じゃないのよ」
うろたえるネロに、少女は作り笑顔で微笑みかけ。ネロの角は、ぞわりと冷えた。
「ネロ誰、これ」
レヴはそっとネロを降ろしながら、囁いた。すると少女はネロが答えるよりも先に早口に
「うそでしょ?あんた宿敵のこの私を知らないなんて、ここの手下じゃな…」
ばれた。ネロは目をつむる。しかしレヴが
「いえ知ってます」
バレバレの嘘を表情ひとつ変えず堂々とついたので、ネロは唖然としてしまった。
「いや、いま誰って聞いてたじゃない。知らないんでしょ?」
「聞いてません知ってます」
「じゃ言ってみなさいよ」
少女も困惑しつつ、追求する。しかしレヴは淡々と、むちゃくちゃな返事をした。
「む……マッキー、さん?」
「全然違うわよ!なにそれどっから出て来たのそのテキトーな名前」
「さあ。なんか、マッキーさんっぽい。顔が」
「あのねえ、顔のイメージで人の名前勝手につけないでくれる?」
二人のやりとりは何だかマヌケで、緊急事態にもかかわらずネロはクスクス笑ってしまい。それを見た少女は溜息をついた。
「あーいいわもう……面倒だわ、あんた泥棒か何か知らないけど、関係ないなら、それ」
ネロのスーパーボールを指差し
「もとの所に戻しといた方がいいわ。大変な事になる」
そう告げて牢の奥へ引っ込んだ。
「あ。マッキーさん、この事は誰にも、」
レヴがそう言いかけると
「言わないわよ、言ってもしょうがないでしょ変な泥棒の事なんて」
と、声が返ってきた。
「誰にも言わないって。行こう」
レヴは腕の中のネロにそう囁き、早足で階段を降りた。下にいくほど薄暗い。大丈夫だろうか、とは思いつつも、ネロは先ほどの一件で少し緊張がほぐれていた。
意外だった。レヴに、あんな一面があるなんて、ネロは知らなかった。いつも、少し距離を置いたところから見守ってくれている大人のイメージだった兄は、近くで見るとちょっとヘンで、ズレたところのある悪魔なのだった。でも何だか、かえって、そんな兄のほうが、前よりも頼れる気がするのは何故だろう?
ネロはレヴを見上げた。そして思った。
もう絶対に、兄はいなくならない。だってこんなに近くにいるのだから。
廊下の突き当たりに、宝物庫の扉が見えてきた。