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第三話 ぼくの好きなうた

 「おっとりした良い子ですがもう少し自己主張をした方がいいでしょう」

 ネロ・グレイムの、レオナール悪魔小学校での通信簿には、いつもそう書かれていた。それを見るたびネロは困った気持ちになる。自己主張という言葉の意味をネロはちゃんと知っていた。自分の考えを言うという事だ。

 でも、じゃあ自分の考えを言いたくないという考えを持ってるぼくは、どうすればいいんだろ?

 ネロの見ている世界は、ネロだけの世界だった。その小さな美しい、秘密の世界をネロは誰にも渡したくはなかったのだ。

 でもネロはたまに思う。

 兄ちゃんたちには、ちょっとだけ見せてあげてもいいな、と。


 目覚ましが鳴る1分前にネロは必ず起きている。午後6時59分。今日も時計の悲しい悲鳴を聴かずに済んだ事にネロは胸を撫で下ろした。

 ランドセルからリコーダーを取り出して、大好きな「セキトメミン風邪薬」のCM曲を吹く。ネロがなぜ毎日この日課をするのかはネロ以外誰も知らない。実は、これは隣の205号室に済んでいる砂子先生のために吹いているのだ。

 少女漫画家・砂山砂子はこの音を聴いて、きっと今頃慌てて起きて化粧をしているに違いない。ネロは砂子の秘密を知っている。そして、自分がそれを知っている事を、砂子が気付かぬように、さりげなく手助けしてやりたかった。

 食事の前に居間に顔を出すと、もう仕事に行ってしまったのだろう、セドの姿は無い。レヴだけが眠そうにテレビを見ていた。

「中にいちゃん、おはよう」

「うい……流しに目玉煮あるから、食えば」

「うん」

 目玉煮は好きだ。しかしネロは敏感な子供だった。昨日セドが、仕事で何か大変な目にあったのだろう事にもネロは気付いている。レヴの後頭部の小さな切り傷に、ネロのアンテナは当然、反応した。

「どうしたのそれ」

「ん……ぶつけたかも」

 他人事のようにそう言ったレヴは、右目のふちも少し赤い。ネロは何となく怖いような悲しいような気がして、それ以上聞けなかった。何も言わずにそのまま玄関に向かう。

 ネロは右足から靴を履く。昨日は左が先だったから。

「いってきます」

「ん」

 ネロとレヴは、いつもバス停まで一緒に歩く。レヴは、ついでだから、といつも言うが、ついでの用事など本当は無い事をネロは知っている。でも言わない。言えばおしまいになってしまいそうな気がしたからだ。

 二人が玄関を出ると、隣室の砂山砂子が夜食を買いに出るところだった。偶然ではなかった。

「砂子センセイ、こんばんは」

「こんばんは。いってらっしゃい」

 砂子はTシャツに突っかけ姿だったが化粧は済んでいた。ネロはレヴを見上げる。

「どーも」

 兄が砂子を見もせずに頭だけ下げて挨拶したのを見てネロは、少なからず砂子に同情した。

 街灯には白い蛾がひときわ目立ち、その横に赤い月。

 斜め後ろを黙って歩く、物静かな兄が、ネロは好きだった。けれど、好きという言葉には力があり過ぎる。暗黙のうちに了解している時はとても幸せなのに、言葉にして出すと何かが、終わりそうな気がして、ネロはそれがとても怖い。家族だから、余計に怖かった。

 魔界ゆきのスクールバスは音もなくやってくる。窓から、クラスメイトのアビイが長い爪を振った。

「いってきます」

 タラップを上がるネロの頭を、ぽん、と一瞬レヴの大きな手が包む。

 つめたい。

 振り返ると同時に扉が閉まり、バスは宙を滑る。ネロは思った。きっと本当は何かあったのかもしれない。けれどレヴはわざといつも通りにふるまったのではないか、と。


 レオナール悪魔学校の生徒は、ネロのように、あまり裕福でない下級悪魔の家の子供がほとんどである。地価の安い人間界に住まざるを得ないほど家計の切迫した悪魔もネロだけではない。世界征服などを企んで実行できるのは、ごく一部の上級魔族に過ぎないのだ。

 政治力も財力も無い下級悪魔は、子供の頃から自分たちが「その他大勢」である事を自覚していた。ネロの友人、アビイはよく言っている。

「正義の味方と一騎打ち、なんてカッコイイけど、ぼくらには関係ないよね」

 レオナールの生徒達は現実的だった。下っ端悪魔がヒーローを倒すサクセスストーリーなどフィクションだと、子供達は知っているのである。

 その日、ネロのクラスは授業で映画を見せられた。「金曜の夜」と題されたその教育映画は、どんなに反撃されても決して諦めないで人間を襲う、仮面の悪霊の姿が描かれていた。悪霊は、湖に沈められても最後の最後で、底から這い上がる。それは涙ぐましい努力だったが、真面目に見ている子供は誰もいなかった。

 教室は突き合いの笑い声や、ひそひそ話で溢れている。その中でネロは独り、映画の中の湖に見とれていた。水面に映る月の上を、ボートが横切る。月はゆらゆらと溶けていく。

 ネロは、夜の湖をボートに乗ってどこまでもいく自分と兄達と、そして死んだ両親の姿を想った。

 放課後。深夜2時半。バス停からコーポ村石まで、およそ十分の道程を、ネロは歌いながら歩く。

 コホンコホンをとめるみん

 セキトメミンで、とめるみん

 パパ、ママ、おにいちゃん

 ぼく あしたはみんなと

 お出かけできるから

 セキトメミンか、ぜ、ぐすりん

 ネロは、自分は歌があまり上手くないと思っている。だから、この道を独りで歩いている時しか歌わない。でも今日は、「あしたはみんなと」の部分がちゃんと歌えた、とネロは嬉しくなった。足が勝手に走り出す。

 か、ぜ、ぐすりん!

「あ……」

 テンポよく玄関を開けようとしたのだが、鍵は閉まっていた。ネロはランドセルを逆さにして鍵を探す。ない。ランドセルのチャックの付いたポケットまで開けて振っている音を聞き付けて、203号室から津賀賢太郎が顔を覗かせた。

「ネロ君どした?」

「鍵がないの……」

「お兄さんたちまだ帰ってないのか」

「うん」

 あー、じゃあミカン好き?と、突然、津賀は話を変えた。津賀の喋り方はいつもこうなのだった。

「好き」

 と、ネロが答えると、津賀はおいでおいでをしてネロを部屋に招き入れた。

 津賀の部屋は不思議な匂いがする。同じアパートなのになぜ匂いが違うんだろう?ネロが考えながらキョロキョロしていると、津賀がジャージの胸に蜜柑を2つ当てて現れた。

「見て。パイオニア」

 意味は解らなかったが何だか可笑しくて、ネロは笑った。

「空いてるスペース座って。オレ、お茶入れてくるから」

 ネロは以前も何度か203号室に入れてもらった事があったが、いつ来ても津賀の部屋はネロたちの家よりも散らかっている。特に、壊れた便座が外されてコタツに立て掛けてあるのが、ネロには信じがたい光景だった。セドが見たら何と言うだろう。

 蜜柑を食べながら、ネロは壁の隅に見たことのないメカニックなベルトが転がっているのに気がついた。

 なんだろう?

 きれいな機械だな、と眺めていると。

「いいでしょ、それオレの商売道具。見ていいよ〜」

 津賀は茶の乗った盆を持ったまま、足でひょい、とネロにベルトを投げてよこした。

「すごい、きれい」

 ベルトの真ん中には色とりどりのランプで飾られた不思議な機械が取り付けられている。ネロは目を輝かせた。

「光るの?」

 津賀は菓子の入った段ボールをガサガサやりながら受け答える。

「そうそう。それでね、変身すんのね。あっドッキリマンチョコ残ってんじゃん!いる?シール」

「ううん、ぼくもう集めてないの。ね、変身するの?」

「そー。シャキーンて」

 津賀はポッキーをくわえながら手だけポーズをとって見せた。

「あれぁ?言ってなかったっけ。オレいちお、せーぎの味方やってんだよう」

「えっ」

 あんまり驚いたので、ネロは蜜柑を噛まずに飲み込んでしまった。

 津賀賢太郎は、天然パーマで眼鏡でジャージの、おっとりとした、正義の味方とは見た目も性格も掛け離れた若者である。ネロの思う正義の味方は、もっと強そうで恐ろしく、怪物じみたものだった。

「じゃ、じゃあぼくのお兄ちゃんと戦ったりもするの」

 ネロが不安げに尋ねると津賀は、まっさかあ!と笑った。

「オレなんて、ちっさい組織の安い改造人間倒して月給もらってるだけの末端ヒーローだよ、人気も全然ないし。お兄さんとこみたいな魔族とやり合うなんて、にゃははは、ないない」

 この日、ネロは津賀から教わった。ヒーローにも格の違いがあり、そしてそれには容姿や血筋が、大きく関係するのだという事を。

 午前4時頃。カン、カン、と階段を上がる音がした。お兄さんかな、と津賀は呟いて欠伸をした。

「大にいちゃんおかえり」

 津賀の部屋のドアから顔を出したネロを見て、セドは驚いていた。

「ネロ、鍵無かったのか」

「うん、わすれちゃったみたい」

「ああ、津賀さんすいませんご迷惑を」

 セドは深々と頭を下げる。

「えっ、いやいや全然そんな、オレが遊びに来てもらっただけなんで」

 ネロ君またな、と津賀が手を振った。

「あっ」

 その瞬間、ネロはそれを思い出し、振り返る。

「つがさんヤークルトありがとう!」

 閉まる直前のドアの隙間から、津賀の指がピースサインを作ったのが見えて。「歳の離れた友達」って、どうして何だかワクワクするのだろう、とネロは思った。

「津賀さんに遊んでもらってよかったな。何して遊んでたんだ?」

 手を洗いながらセドが尋ねる。

「ミカンもらったよ、あとマリオやったの」

 ネロは、津賀が正義の味方である事をセドには言わなかった。何となくセドに申し訳ないような気がして言えなかったのだ。

「明日、学校休みか」

 と、セドは壁に貼ってあるネロの学校行事予定表を指でなぞった。

「うん」

「ボスにな、見学の許可とったから。明日、来るか」

「いいの!?」

 ネロは思わず兄にしがみついてしまった。嬉しい。温かいセドの身体に顔を押し付けて、こもった声を出した。

「にいちゃんありがとう」

 兄に隠し事をした自分が恥ずかしくなってネロは更に顔を押し付ける。

 にいちゃんのおしごとが見れる

 ネロは嬉しさで何だか興奮してしまって、パジャマに着替えて歯も磨いたあともなかなか布団に入る気になれなかった。セドに、

「もう寝なさい。明日は6時には起きるんだぞ」

 と、注意され、ようやく寝室に向かう。

「はあい……」

 しかしネロは目が冴えてしまっていた。兄の仕事場は、一体どんなふうなのだろう?兄を雇っている魔族は、やはり悪者らしくてかっこいい服を着ているのだろうか?

 自分の知らないセドの世界を見せてもらえるのが、ネロは嬉しかった。

 じゃあ自分もにいちゃんに、自分の世界を見せなきゃ、とネロは思った。兄と世界を見せっこするのだ。それはきっと、とても楽しい事に違いない。

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