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番外編 Rizer Sharp beginning(2)

 方向はともかく、しばらくの間、俺と賢太郎は前には進んでいた。「とにかく攻撃をかわすのが上手いヒーロー」32代目ライザーシャープは6ヶ月目で8割方完成していたと言える。ただ、ここに来て大問題が発覚した。

 かつての教え子である南十字に協力してもらい、初めて対人戦メニューをやらせた日、俺はその事に気付いた。ニャーニャー情けない悲鳴を上げながらも先輩ヒーローの攻撃を全部かわしたのは偉かったと思う。だが、何度もあった攻撃のチャンスを全て見逃すとはどういう事か。怖いのか、それとも……

 俺は答えを確かめるために訓練を中断させた。

「ちょっとこっち来い、賢太郎」

「……はい…」

「しゃがめ」

「?は、はい……にゃ痛ぁああ!」

 こいつをまともに殴ったのは、これが初めてだった。賢太郎の軽い身体はぺたん、と床にへたりこむ。その目を見て俺は愕然とした。そこに、物理的に攻撃を加えてきた相手への本能的な攻撃衝動は無かった。ふわふわした、なんで?という怒りにすらなっていないものがぼんやり浮かんでいるだけで、力の片鱗すら見受けられなかったからだ。

 人間は怒りを攻撃の力にする。ヒーローの場合は理不尽な悪のあらゆる暴力に対する怒りだ。おっとりとした性格のこいつにはそれが無い。だから仮想敵であっても攻撃することが出来ないのだ。これはパワー不足よりも致命的な事だった。何とかしてこいつの中の怒りを、攻撃本能を引きずり出さなくては。

 だが、どうやって?

 突然殴られても力の欠片すら生まれなかったのに。

「……チャンスはあった。攻撃しないのはなぜだ」

「………」

「南十字は改造人間だ、滅多な事では怪我をしたりはしない。ましてお前のヘナチョコな蹴りぐらいでどうにかなるわけもない」

「……………」

「顔見知りだからできないか?それとも、」

 そう尋ねかけたところで賢太郎は蚊の鳴くような声を出した。

「た、叩かれたら痛いだろうなって思って、したっけオレ動けなくて……」

「相手を悪の手先だと思ってやれと言っただろう。怒りを燃やすんだ、できないのか」

「……あの…悪の手先も痛さはおんなしだべなって、あの……」

「お前は……悪を憎んでいないのか…?」

「ひ……人にやなことすんのはいくねーなぁとは思うす、でも、ちょっといじゃけるかなぐらいで、殴ったりするほどじゃねくて何か、この人なんでそうなっちまったんかなって……オレ……」

 何やら方言らしきものが混ざったようだったが、言いたいことはわかった。それを聞いて、俺は何だか全身の力が抜けていくような気分になってしまった。車椅子でなければ床にへたりこんでしまいそうだった。

「お前なぁ……」

「……はい…」

「なんかもう……しょうがねーなぁ……お前ほんと、どうしたらいいのかなぁ……」

「うう、すいません……」

 ヒーローというのは一般の人間に裁けない理不尽な悪によって虐げられた者たちの怒りの代弁であり、不義がまかり通る時に人が心の底から望む力そのものである。現役の頃から俺はそう思ってきたし、研修生にもそう教えてきた。複雑な事情が絡んで、それだけではどうにもならない場面も確かにあるが、そういう虐げられた者の怒りを忘れてはいけない、と教えてきた。だがこいつは例え虐げられる側だったとしても、若干モヤモヤする程度で、怒りの力になっていかない人間なのである。要は、脱力するほど心根がやさしい。こんな奴は初めてだった。こいつみたいな研修生は1人だって居なかったし、同期のヒーロー連中の中にも居なかった。しかしだ……、

「お前、なぜ覆面ライザーをやろうと思ったんだ?」

 俺は訊いてみた。

「……えと……それは、あの、なんか……たいした理由とかないんすけど、」

 賢太郎は下を向いたまま小さくこう答えた。

「まっぴが……あ、こ、高校んときの友達なんですけど……そいつあんまりお喋りなほうじゃないんすけど、なんか、時々すごい鋭い事言ったりする奴で、あの……オレたまたまライザーの求人見てちょっといいなぁって思ってたら、まっぴが、お前みたいなヒーローがいたらいいよなあって、言ってくれて……そんでオレ、」

 俺にはその時、その「友達」がどんな気持ちでそんな事を言ったのか判らない。だが、栃木の田舎の小さな高校に通っていた誰かが、こいつをヒーローにしたいと思った事実、こいつは「望まれた」のだ。少なくともこの世界に1人、確実に、こいつの完成を望んでいる人間が、居る。それは何か無視してはならないものであるように思えた。俺が現役だった時、俺というヒーローの存在を確実に望んでいた奴が果たしていただろうか?

「うううししょう……オレやっぱり向いてないのかなぁ……」

「向いてる向いてないで言えば向いてないと思う。前例から言って」

 それはそう訊かれたらそう言うしかない。賢太郎はあからさまにしょんぼりと肩を落とす。

「……ですよねぇ…」

 しかし俺の仕事は、変身ヒーローになろうとしている奴を育て、変身ヒーローとして世に送り出すことである。俺にはその責任がある。これは個人的なこだわりだ。とりわけ、そのヒーローの誕生を誰かが待っているのなら、俺がすべき事は1つしかない。

「おい、もう泣くな。どうしたらいいのか、正直まだわからないが……」

 俺は賢太郎にジュース代を差し出し、こう言った。

「どんな形にしろ俺はお前を変身ヒーローとして完成させる。それは絶対に約束する。だからお前はそうしょげなくていい。とりあえず飲み物買って来い」


 俺は考えた。悪党を憎まない賢太郎がどうすれば変身ヒーローになれるのか。どういう形でならあいつはヒーローとして存在できるのか。あいつの完成形は一体どういうヒーローであるべきなのか。だがなかなか答えは出なかった。難問だ。ヒーローを育てるのはクリエイティブな仕事であるという事を、俺は久々に痛感させられた。

 賢太郎にはその間も回避訓練とツボ狙いの学習は続けさせた。たまに対人戦メニューも入れてはみたが、人間相手の攻撃を躊躇してしまう癖は一向に克服できる兆しが無い。南十字のように温厚な奴が相手でない場合、攻撃を躊躇した隙に逆にカウンターを決められてしまう事もしばしばあり、賢太郎自身それが現場では命にかかわるという事を身をもって学んでいるはずなのだが、それでもなお攻撃をためらい続けるというのは、ある意味、底知れなさを感じさせなくもなかった。そういう部分を何とかしてヒーローとしての完成に生かしてやれないかと思うのだが、ベクトルとしてはヒーローと真逆に近いものであるから、どうにも結び付けるのが難しい。

 しかし何かあるはずだ。こいつが悪と戦える方法が、必ず。

「お前は歴代の覆面ライザーの中で憧れる先輩はいないのか?」

 ドリンクバーのセンスが微妙なファミレスで晩メシをおごってやりながら、俺は賢太郎に尋ねた。デザートの抹茶あんみつの寒天を口の中で転がしながら賢太郎は言った。

「ん~、そっすね~子供の頃いちばん大好きだったのはジャングル先輩です」

 確か覆面ライザージャングルは南米の密林で育った野性児で、正統派のヒーローというより野生動物みたいな変わり種だった。任期が終わる前に寺西博士の飼い犬と一緒に行方不明になったと聞いているので、賢太郎に引き合わせてやることは出来そうにない。憧れのライザーに会えば参考になるかと思ったのだが……。

「覆面ライザー以外では、どうだ?」

「小倉パンマン!小倉パンマンがすきです!めっさファンです!」

 即答だった。

「また特殊な人を挙げてくるな……。まさか餡子が好きだから、という理由じゃないよな?」

「えっ、」

「えっ?ちょ、待てお前、まさか本当に、」

「にゃは、や、餡子入ったお菓子スゴイ好きってのもあるけどちがくてあの、それだけじゃないんす、なんか好きなんすよ~、小倉パンマンの管轄の街ってみんなのんびりしてて、なんか、なんかいくないすか、」

 賢太郎はそう言って頬を弛ませた。

「あの人はまた変身ヒーローとも違う特殊なヒーローだからな……俺も直接の面識は無いし、会えるとは限らないが、委員会に知り合いが居るから一応頼んでみてやろう。お前もきっと勉強になる」

 そう言ってやると賢太郎はあんみつをこぼしかねない勢いで身を乗り出した。

「ええええぇ!?ほんとっすかああああああ!?ヤベエエエエどどどうしよ、えっ、あの、オレ服、ジャージとかでも平気すか?スーツ買ったほうがいい??あああ…やっ、やだどうしよ…うわあ緊張する!でも嬉しいでも緊張するうあああ~~」

 乙女かお前は……。

「いや……会えると決まった訳ではないし、そんなにテンション上げられても困るんだが……」

「あ、あ、そっか、すいません、はあああ~でも嬉しいい~、ししょうありがと~!」

 小倉パンマンの管轄地域はアクセスがかなり困難な事で有名である。正直、会える確率はかなり低い。しかしこれほど喜ばれてしまうと多少無理を通してでも会わせてやらなければ、という気分になってしまうではないか。

「お前、その代わり攻撃躊躇する癖、克服しろよな……。小倉パンマンだって小倉パンチしてんじゃねーか」

「う……それは、はい、がんばります……頭ではわかってんすけど……なんで動けないのかなぁオレ」

 まあ根性気合いで何とかなるタイプでないのは育てている俺が一番よくわかっている。こいつには心底、頭のてっぺんから爪の先まで、おっとりふにゃふにゃが詰まっているから、張り飛ばして力で強制しても、かえって萎縮してしまうだけだろう。だが本人が克服しようと意識を持って臨む事は大事だ。それはヒーローとして必要な精神力を育むことになる。

「おい、いつまで食ってる。明日もあるんだから、もう帰るぞ」

「わわ、待ってししょう、抹茶アイスだけ、抹茶アイスはロマンなんすよう」

「お前頼むから、現役なってから、TV枠のカメラ来てる時に和菓子ばっか食ってるとかするなよ」

 嘆く賢太郎を無視して俺はさっさと車椅子を回し、レジに向かった。


 都内といっても田舎である。10時過ぎるとだいぶ人気は少なくなる。ファミレスの扉をくぐってバタバタと出てきた賢太郎は、例によってまたわけのわからない鼻歌を口ずさみながら俺の後をついてくる。

「ンッン~ンンッン~、しっっしょ~のおっくさんは~モッズヘアのCMの~人に~、似って~る~美人~」

「ばっ……変な替え歌やめろ、ふざけんな馬鹿かお前。あと、いちいち家までついて来なくていいと毎回言っているだろう」

「えー何でですかいいじゃないすか、だってオレ家帰ってもししょうみたいにモッズヘアの奥さんいるわけじゃないし、友達みんな栃木だし、なんか隣の人とは生活時間ズレちゃってるみたいで全然会えないし、きのう怖い話の特番見ちゃったし……淋しんすよう」

「他のはともかく怖い話にビビるのは駄目だろうヒーローとして……」

 ため息をつきながら住宅街に入る前の遊歩道に差し掛かった時である。俺は何か妙な物音を聞いた気がして車椅子を止めた。

「どっかしました?」

「……ちょっと黙ってろ」

 現役ヒーローを退いてもう三十年近く経つとは言え、殺気に対する勘はまだ残っている。俺は背筋に冷たいものを感じた。

 何かが、いる。

「帰れ」

 そう言うと賢太郎は困惑した顔をした。

「え、えっ、何ですかどうかしたですか、」

「いいから後ろ向け!」

 一喝すると賢太郎はビクリとなって反射的に踵を返した。

「よしそのまま走れ。全力でだ。絶対に振り返るなよ。始め!」

 えっ、えっなんで、なにがどーなってるですか、などと狼狽えつつもとりあえず素直に走り出した賢太郎の姿を確認し、俺は車椅子に手をかける。あいつ殺気に対する勘も鈍いな…明日から右脳メニューをもっと強化してやらねばならない。

 もっとも、明日まで俺が生きていれば、の話だが。

 暗い雑木の隙間で赤い目が光った。


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