番外編 Rizer Sharp beginning(1)
変身ヒーローにも研修があるのを知る人間は少ない。俺の仕事はその研修の講師である。高校時代の友人のコネと、俺自身、事故にあう前はほんの数年だが変身ヒーローをやっていた経歴も幸いし、車椅子の身ながら、改造人間系変身ヒーローの研修講師の職に就くことができた。以来、何十人も改造人間系ヒーローを育成してきた俺だが、今年の研修生ほど苦労したことはない。没落してしまった覆面ライザーという変身ヒーローの32代目募集に応募してきた中では一番「マシだった」と聞いていたはずだが、
「おわようございまーす」
と、間抜けた声を出して初めて研修所にやってきた津賀賢太郎は、160センチ無いんじゃないかと思われる小柄で貧弱な体躯といい、オレンジに近いような淡い色の巻き毛やお洒落なんだか何なんだかわからない安っぽいセルフレームのメガネといい、先ず一目見て俺はいやな予感がした。後で聞いたところによれば、応募してきた延べ人数は全部で三人、うち一人は面接に現れなかったという。駄目そうだ……。こいつ研修途中で辞めてしまうんじゃないかと思った。昔ほど変身ヒーロー業界全体に勢いの無い昨今ではそういう生徒もごくたまにだが居るのである。
実際、いやな予感は半分的中した。辞めこそしなかったが、津賀賢太郎は基礎体力強化メニューでいきなりつまずいたのだ。
「おい何してる、始めろ。30セットだ」
「え……あの……こ、ここまでしか上がんないんすけど……」
「え!?嘘だろ、」
「ほんとうでぇえす!あ、無理、やばい落としそう落としそう!落ちます!」
生徒は研修が決まった時点で改造手術を受ける。そして研修が終了したら晴れて変身ベルトなり腕輪なりを受け取るシステムとなっている。覆面ライザーは低予算だから大したものではないとはいえ、改造されて一般人よりは能力の強化がなされているはずのこいつが、なぜ50キロバーベルすら持ち上げられないのか。俺は唖然としてしまった。改造手術のクオリティがよっぽど低いのか、それとももとが非力すぎるのか。多分その両方だろうと思う。
「わ~ダメぇえ!ししょう~限界です落としちゃだめですかー!」
「もうほとんど落としてるも同然だが、待て、もうちょっと頑張れ、お前そんなんじゃ……」
「うわー無理~あ~」
「馬鹿、自分の足よく見てから落とせ!今危なかったぞおい!」
「わーんごめんなさい」
そんな具合であるから、異例の事だがこいつに関しては通常カリキュラムではダメだ、特別メニューを組む必要があると俺は考えた。当然、研修日数を延長せざるを得ない。だがその旨を覆面ライザー運営部に連絡すると、
「特別カリキュラム?そんな予算取れないですよ鵜堂さん。うちはこないだ10分枠のTV番組も5分に削られて、カツカツなんですから……」
この反応。役にも立たないヒーローを世に送り出して構わないというのか?伝統ある覆面ライザーも堕ちたものだ。
「しかし、あいつは通常カリキュラムだけで訓練させても絶対にモノにならないぞ。あのままヒーローとして活動させたら、大怪我をする。特別カリキュラムが組めないのならクオリティを上げて改造手術をし直してやるしかない」
「無理です。可哀相ですけどそしたらクビです、次を募集するしかない」
「…………」
俺は受話器を持ったまま絶句した。廊下の自販機でジュースを買う賢太郎の呑気な鼻歌がこっちまで聞こえてくる。
きりん、れもん、きりん、れもん、きりんれもんきりんれもんきりん、れもん、
あいつに罪は無いと思う。募集にエントリーし、ちゃんと面接も受けてそれで合格と言われたから研修に来ただけの話だ。ろくに育てもしないで現場に出して使い捨て、ではあまりに気の毒ではないだろうか。
「わかった……通常の料金だけでいい。足りない分は俺が出す。だから、特別カリキュラムを組ませろ。いいな」
「鵜堂さんが!?ちょっと、それはいくらなんでも申し訳ないですよ……あなたあいつの親戚という訳ではないんですよね?」
「ああ。おととい会ったばかりだ」
「じゃあ何で、」
「俺は生徒をちゃんと使えるヒーローとして世に送り出す責任があると思っている。だがそれはただの俺の個人的なこだわりだ、あんたが気にする必要は無い、以上だ」
言いたい事だけ言って電話を切り、振り返ると賢太郎がレモンジュースを持ってこっちを見ていた。
「お前……キリンレモンと違うヤツ買ってるじゃないか」
「ししょう、あの、オレ……」
「ああ、聞いてたのか。別にお前は何も心配する必要は無い。気にするな」
「ううう……」
「気にするなと言ってるだろうが。お前な、ヒーローはよっぽどの事がなきゃ、泣くな。涙腺緩すぎると人気出ないぞ」
「ごめんなさい、ごめんなさいでも無理っすオレ……ししょう~ありがと~ありがと~ございますウワアアアン!」
「おいっ、こぼしてる!ジュースこぼしてる!」
さて、どうしたらこいつは使えるヒーローになるだろう……俺は車椅子の膝にこぼされたレモンジュースを拭きながらため息を吐いた。
当面は、基本的な筋トレをやらせなければ話にならない。改造人間としてはこなして当たり前のメニューを組んだつもりだったが、通常1時間で済むセットが、賢太郎の場合は4時間かかった。さぼっているのかと思ったが、そうではなく、本当に出来ない。例えば腹筋なども一定数を超えるとガクッとスピードが落ち、なかなか体を持ち上げられず、ニャーニャー悲鳴を上げ始める。もっと行くと今度は頭が回らなくなってくるようで、幾つまで数えたか判らなくなり、えー、とか、あれれ?とか言って結局最初からやり直しになってしまうのである。しかも休み明けから日が経つにつれて前日の疲労が溜まり益々スピードが落ちる。半端な出来で回数を誤魔化したり、反動を利用して横着したりしている様子が無いのは良いのだが、結果として本来の研修時間を大幅にオーバーしてしまう事になる。特に週末は夜の10時帰宅、などという事もざらだった。
「もう時間過ぎてる。帰れ」
「えええ……ま、また終わらなかった……」
「おいまた猫背になってるぞ。全然直らんなお前……ヒーローが猫背だと奥様方の評価が下がる」
「あっあっ、本当だ、ごめんなさいぃ」
「お前、伸ばしたら伸ばしたで妙な違和感があるな……何だ?何がいけないんだ……?伸ばさないほうがかえってマシな見栄えかもしれん……」
「エヘほんとすか!ヤッター!」
「喜ぶ事じゃないんだが……」
正直、俺は悩んでいた。何だか全然、先に進んでいる気がしなかった。半分は改造クオリティのせいもあるのだろうが、パワー不足が致命的すぎて本当にどうにもならない。このペースでは1年後ぐらいにようやく改造人間の平均よりやや下ぐらいの基礎力が付く程度だ。思いきって少し実践的な格闘訓練に近付けてみたらどうかと思い、手始めに改造人間用サンドバッグを叩かせてみたところ、
「ギャアアアアイタァアア!」
一発で手首を傷めてしまった。
「すんませんししょう……」
「いや……やらせた俺が悪かった。すまん」
これで腕立てやバーベル等、こいつに最も必要と思われるメニューがしばらく出来なくなってしまった。仕方がないので、もう少し腕力が付いてからと思っていた、反射神経を向上させるメニューをやらせる事にする。
「えっ、エッ、すげえ!メカ出てきた!わーわー!ししょう何すかこれー!わー」
「RB-2700だ。ランダムに動くようになってるから、当たらないように避けろ。わかったな?」
テニスボール大の機械を空中に投げる。これは様々な軌道を描いて予測不能に空中を飛び回る機械で、敵の攻撃を避ける訓練になる。回避率、というものはヒーローとしてはさほど重要ではない要素なので、この機械は倉庫で埃をかぶっていたのだが……、
「わー、きゃー、ニャー」
「………」
「あっぶな、うわい!セぇええフ」
「あっ!おい、ちょっと待てお前、」
「えっ?な、んか言ったですかししょ、わー」
「いや……」
驚いた。久しぶりにいじったので俺はRB-2700の設定を間違えてしまい、最高速度に近いスピードで作動させてしまったようなのだが、そんな事より、
こいつ避けるのめちゃくちゃ上手いんじゃないか?
「わわ、これけっこう面白いかも~」
賢太郎の避け方は、比較的体が柔らかいのも手伝って、クネクネと妙に滑らかで無駄がない。これだ、と思った。
やり方次第だ。正直、ヒーローとしては微妙だが、この回避能力をうまく生かしてやれば、こいつでもちゃんと悪と戦える筈だ。俺はそれに気付いた途端、思わずパチンと膝を叩くと
「ちょっとしばらくそれやってろ賢太郎、カリキュラム書き替えて来る!」
猛烈な勢いで車椅子を走らせていた。
数時間後、取り敢えず作った簡易の指導案を賢太郎に見せて、説明する。
「いいか、お前は非力だしダメージにも弱い。だから絶対に組み合うな、ガードもなるべくしない、避け続けろ。イメージは悪くなるが、お前に限ってはそのスタイルでやるしかない、解るな?1日のうち半分は回避能力の強化に充てる事にする。複数人数の動きをしっかり見て、隙間を縫うように動く練習も入れる。加えてお前は大してスタミナも無いので、省エネで動く必要がある。これについては改造手術の方法にもよるから、後で技術的な部分を問い合わせてからメニューを作ってやるからな。それから、攻撃の仕方だが、ツボ狙いというやり方がある。これは俺が現役だった頃、敵が採用していた攻撃型で、はっきり言って地味でイメージが悪いが、あまり腕力が必要無いという利点がある。これを、相手の攻撃を避けながらタイミングを見計らって、決められる確信のあるチャンスにだけ確実に決めていけば、多少時間はかかるがお前でも勝てる筈だ。学科に追加でツボを勉強してもらう。寝るなよ」
一息にまくしたててしまったが、理解しただろうか、と見ると、賢太郎は
「スゴイ……ししょうスッゴイすよ……オレこれならいけそうな気がしちゃう……」
思った通り、案の定、泣きそうになっていた。
「うわーんししょー、オレがんばるっすよー」
「だからいちいち泣くんじゃないと言ってるだろう、どうなってんだお前の涙腺。ヒーローというのはだな、最終戦直前まで普通は……」
しかし当然ながら俺もこんなやり方のヒーローを育てた経験は無い。それから約3ヶ月の間、試行錯誤で色々試したが、時折ふと、これは果たして変身ヒーローと言えるものなのか?俺は一体、何を作っているのか?と思い悩む事もあった。ただ、賢太郎自身は全面的に俺を信頼して真面目に(相変わらず妙な鼻歌は混じるものの)メニューを消化していた。指導側に迷いがあっては、こいつは益々ヒーローから遠ざかるばかりだ。俺は「ヒーローらしさ」という点については極力見ないように考えないようにして指導を続けた。