第十七話 レッツゴー断片世界
薄墨のような雲がゆっくりと近づいて来て、ついに月が陰った。静かな夜。散らかった部屋のベッドの上、ついさっきまでここに居た瓜生と白根に巻いてもらった包帯だらけの姿で、津賀は、天井を見上げて起きていた。
「ねえ……砂山さん」
津賀の家のちゃぶ台の上に封筒と、便箋、それからヒーロー名鑑を広げて書き物をしていた砂子は顔を上げる。
「うん?」
津賀は消え入りそうな声で言った。
「昼間さ……言ったじゃん」
「……うん」
「忘れてよ……あれ」
ヨードチンキの染みる腕で津賀は顔を覆った。砂子は、津賀から目線をはずさないで
「うそだったの?」
と言った。非難めいた口調ではなく、静かな声だ。
「う、嘘じゃないけど……」
津賀はショボショボと口を尖らせる。
「嘘じゃないけど、でも困ったでしょう、砂山さんは」
「少し」
砂子は正直に答えた。
「だから、忘れて。オレ、月末にはきっと栃木に帰る事になると思うけど……砂山さんに普通に年賀状とか出したいんだ、も、もちろん友達としてだよ」
津賀は腕の下でもごもご喋った。
「あのさ、ツガケン……」
そう言いかけた砂子の顔を津賀は見ることができず、
「やめて。言わないで、ただ、忘れて……お願いだよ、オレ、」
遮るように言葉を続ける。
「わかんの。オレ砂山さんの漫画毎週読んでるからわかんの。砂山さんにとって、オレは運命的なアレじゃないんでしょう?」
津賀は暗唱した。
心が、苦しいほど、ときめくの…止まらないの。まるで運命に、手を引かれているみたい……。
週刊ダリアで連載中。東京魔法少女(さはら須那子・作)の一節、主人公マユコのモノローグである。
「ねえでも、砂山さんはオレにはそういうものを感じなかったよね。いつもサバサバしてて突き抜けたみたいに笑うものね。でもさ……オレ、そこが好きだったんだ……オレ、」
忘れろ、と言っておきながら。なんでここまで言ってんだ。津賀は泣きたくなった。
「ねえ、ツガケン、アタシの話もきいてよ」
砂子は、静かな足音で津賀の寝るベッドに腰掛け、目を閉じる。
「例えばさあ、」
砂子の声は柔らかかった。
細かな雲に遮られた月の光は、断片になってコーポ村石の、煤けたコンクリートのたたずまいを照らしていた。同時に、それと同じ光の破片は、やはり魔界にも降り注いでいて、伯爵のアジトをうっすらと包んでいたが、しかし今は、それより強烈な、光とも闇ともつかない不思議な色に、アジト全体が染まっていた。
「……何だ?これ」
貧弱な給水ホースを片手にカラス上官は眉をひそめる。辺りは目も眩むような、紫。まるで紫色のフィルターをかけたようだった。
「んん?」
バケツに水を注いでいたいずみも手を止めた。
「どうなってんのコレ……あ!」
いずみの体を覆っていた水竜の鎧が、玉に戻る。
地下室ではその時。ファングル伯爵も、火村も、セドもレヴもネロも。濃厚な紫色に圧倒されて立ち尽くしていた。正確に言えば、彼等が眺めていたのは紫色そのものではなかった。紫の中にすっくと存在する、黒。ネロの手首から下がった東友デパートのビニール袋から高くうねる、黒い、竜の姿だった。
「……闇竜」
笏をかざした姿勢で硬直した伯爵がそう呟く。
「玉は割れたはずなのに」
と言った火村の赤い鎧が、溶けるように赤い火竜の玉に姿を変える。そしてグレイム家の三兄弟、特にセドは、奇妙な既視感に包まれていた。
「あっ……」
セドの口から漏れた息に、闇竜はゆっくり頷くと、細長く裂けた口をにやあっ、と開き、天井付近から蒸気のような笑い声を吐き出した。
「くっ、くっ、……そいつはいかんよ……」
突然、バシッ!と紫色の閃光が走る。ファングル伯爵の手から笏が掻き消えた。
「うっ……」
伯爵は一歩も動けない。闇竜の力を、誰よりも知っているがゆえに。この黒い竜は、世界を滅ぼす力すら持っているのだ。
「竜よ……つまり、お前のその強大な力は、わたしではなく、そこの……下っ端どもが手にしたという訳か?」
かすれた声でようやく伯爵は問い掛けた。竜は答える。
「そう、おまえの言う、ちっぽけな下っ端がね、わしを目覚めさせた」
そこの、下っ端。と言って闇竜が顎で指し示したのは、他でもない。ファングル伯爵や、キングドラゴンにとってはその他大勢、下級悪魔セド=グレイムである。
「ええ!?」
誰よりも驚いたのは、セド自身だった。
「……それじゃ、あの時の、あれは……」
セドの脳裏に甦る、紫色の、光、そして声。
おまえはなにをのぞむ?
いいんだ、そんなんで。
思い出せ。
「あなたが……あなたが、力を貸してくれていたのか……」
言いながらセドは腕の中のネロを強く抱きしめた。ネロは、その感触にとても懐かしいものを感じる。
「あ」
何だろう?中にいちゃんにだっこされた時と、似ているような違うような……。
闇竜の黒い体は、煙のように濃くなったり薄くなったりしながら紫色の中をゆらめき、
「つまりだ。お前が、この下っ端の家族に手出しするならば。お前がよく知っている、ああいう力を……つまり世界を破壊するような力を使わざるを得ない。という事さ、大将」
と告げて喉を鳴らす。伯爵は信じられなかった。姿こそ、伝説そのままの、孤高の破壊神・闇竜であるが。
何で…強大なパワーを、こんな小さな小さな家庭の事情に使うのだ?闇竜とは、強力な闇の心に呼応する、主を持たない神なのではなかったか?
「……無駄すぎる。あまりに無駄すぎるだろ」
思わず口をついて出た。
「クックックック!無駄ときたか」
それは聞いた闇竜は機関車のように笑った。
「以前ならわしもそう思っただろうよ。割れてなけりゃな……断片になってみなきゃ見えないんだこれは」
断片。ネロの手に下がった東友デパートの袋の中でジャラジャラと音をたてる玉本体、それは確かに、断片だと言えた。
「わしの力を求め続けた魔の者オーティス・ヤン・ガン・ド・ブランシャール・ファングルよ。すべては、断片でしか、ないんだよ、わしも、お前も、彼らも。みんな単なる断片。この世は、ただ断片が散らばっているだけなのさ」
にいっ、と裂けた口の端を上げた闇竜の、深い穴のような目玉。割れた闇竜の玉の、黒紫の輝きが東友デパートの袋からぼうっと透けて見える。その破片から吹き出すように繋がっている闇竜に向かって
「……何を言っている?」
伯爵は悲壮な呟き声を発した。
「……嘘だ。あなたには、世界を動かす力がある。わたしには、世界を動かせる組織がある。最終的に、そういう高い所のものが大きな流れを作っていくから、下の破片のようなものたちも、動いていけるんだ。それが運命というものじゃないか!」
触れそうな近さで黒い舌をチロチロさせて笑う闇竜を前に、伯爵は、自ら築き上げた高い塔にすがりつくように言葉を並べる。
「…貴方の強大な悪の力は、世界を動かしていく特別なものだ。貴方までが、小さな断片の1つに過ぎなかったらこの世界は、まるで……」
つかみどころの無い幽霊みたいなものじゃないか!
という続きを、伯爵は飲み込む。言葉にするのが辛すぎたのだ。闇竜は鼻を鳴らして舌なめずりをした。
「そりゃあな、生き物は出生を選べない。だからわしも、わしは悪という巨大な運命のために生まれてきたのだと昔は信じた。だが全ての原因は、運命そのものじゃない。それを運命だと思ったわしという断片が居ただけだ……まったく虚しい話だよ」
闇竜はそう言ってなぜか一瞬、レヴを見た。
「今は後悔している、そんな実体の無いものを信じた事を。わしはただの、自己嫌悪にまみれた、小さな蜥蜴さ。誰かに罰して欲しかっただけなんだ」
そう自嘲的に紫色の息を吐き出した闇竜が、一回り小さく見えた気がして、伯爵は目を擦った。
と、その僅かな沈黙の間に、それまで黙って傍観していた火村が、声にならない声をあげた。
「……!」
握った火竜の玉からパチパチと火花が散っている。
やがてそれは火村の身体全体にまわって炎色反応のような鮮やかな赤になり、ねじれて噴き上がり……、
火村の頭頂から、真っ赤な竜の姿が生えてきた。
抜け殻のようになった火村本人に既に意識は無い。ちょうどイタコの降霊ように、赤い竜、火竜は、火村の声帯を借り、よく通るチェロのような音で口をきいた。
「久しぶり、ディー……」
その挨拶は紫の竜に向けられている。闇竜はしかし、そっぽを向いたまま
「エース……8千年ぶりだな」
とだけ答えた。悲しげに、けれど懐かしむように、真っ黒い穴の眼がまたたく。伯爵は、ぽかんと口を開けて二匹の竜を交互に見つめる事しかできなかった。
気まずい空気。そこにあるのは、善なる力と悪しき力の巨大な対立では無かった。
じゃあ……これは一体何だ、何なんだ?
伯爵は眼前で起きている事象を理解できなかった。伯爵の理論体系からすれば闇竜と火竜は、悪と善の力そのものでなければならない。運命的な、対立の図式がそこには、あってしかるべきだった。
火竜も闇竜もただ沈黙して俯いている。
けれども静まりかえった地下室の中、グレイム家の兄弟達にはそれが何であるか直感的にわかった。この気まずさ、もどかしさにはとても、見覚えがあったのだ。
セドとネロ、そしてレヴは思わず顔を見合わせた。
これは……
なんか……
……まるで、
そこで火竜が漸く口火をきった。
「ディー、聞いて欲しい」
火竜は火村竜二の声帯を使って話した。
「……ディー、この継承者の男の中で色々考えたんだ、わしも」
言葉だけは口から紡ぎ、火村は目を閉じている。闇竜は視線を落として、頭の上の火竜の口と同時に動く火村のノドボトケを眺めながら小さく頷いた。火竜は続ける。
「お前が、わしらと同じ竜でありながら悪しき力となってしまってから、わしらはお前を止めようと必死になっていた。でも、ディー、わしは長らく、見過ごしていたよ。お前の気持ちも……わし自身の気持ちもだ」
火竜は赤い炎の帯を、そっと闇竜に差し出した。
「お前と話したい……昔のように、仲間に戻ろう?」
闇竜は、火竜の差し出した炎を見つめて、躊躇した。
「……エース」
「おいで、ディー」
火竜は、ゆっくりと炎を揺らめかせて、待った。しかし闇竜の黒い身体は、動かない。
「そうか、怒っているのか……ずっと、善と悪の図式に甘んじて、お前の心を思わなかったわしらを」
「………」
返事をしない闇竜は、さっきまで荘厳な姿で伯爵に語りかけていたのとは同じ竜とは思えないほどに、頭を落とし、頑固に黙っていた。
と、突然。
「怖いんだよ」
掠れた声で闇竜の代わりにそう答えたのは、レヴ。闇竜は、片目を細くしてレヴに視線を向ける。
「でしょ…?」
次男は小さく自嘲的な笑い声を洩らす。
「なんだって?」
振り向いた火竜は怪訝な顔でレヴを見つめた。それには直接返事をせず、どこか諦めたような表情でレヴは、闇竜を見上げた。
「怖いんだよ。大切なものを、自分でぶち壊しにしてしまうのが、怖いんだ……そうだろ」
寒い日の公園を散歩しながら呟く独白にも似たレヴの言葉は、闇竜に向けたものでもあり、自分自身に向けたものでもあり、
そして、兄に伝えられずにいた想いだった。
「いちばん好きなものを、いちばん嫌いなものと一緒にしておきたくない……。そうだろ、あんた同類なんだ、おれと同じ。自己嫌悪がたたってマトモに愛情を受け止められない不能者なんだよね」
火竜は数回目をしばたく。
「ディー……そうなのか?彼の言うようにお前は、」
「クックッ……不能者には同類がわかるんだな……、そうさエース、わしは、お前やみんなが、好きだ。でも愛される資格は無い、それが原因だよ、わしが悪に染まったのは」
淋しい闇竜は、この世にたった三匹しかいない仲間の1匹である赤い竜に、そう告げた。火竜は、目の前の黒い仲間を愛しているからこそ可哀相で、どうしていいかわからない、といったふうに炎を揺らすしかなかった。しかし、
「……平気なのに、」
代わりに呟いたのはセド。弟の心の世界を、ついに、はっきり見ることができた、長男だった。セドは、赤い、悪魔的な目玉を湿らせて、まっすぐにレヴを見つめる。
「……お前、やっと言ってくれたんだなぁ……そんなに自分を憎むのはさぞ辛かったろうに……頼れない兄で済まなかったなぁ」
レヴは首を振った。
「兄貴が悪いんじゃないよ。おれが悪いの。おれが駄目なだけで、」
言葉が途中で途切れたのはセドが、ちょうどネロを間に挟むようにして、レヴを抱きしめたからだった。
「大丈夫、お前がどんなにお前を嫌いでも、その分、兄ちゃんがお前を好きでいるから、怖がる事はない」
言いながら、あいた方の手で、セドが背中をさする、その触覚に、レヴは泣きたくなった。無言でセドの肩に頭を乗っけたまま、レヴはただ
「うん」
と答えた。泣きたくても涙が出ない自分が相変わらず嫌で仕方なかったが、兄が、それを埋めてくれるのだと信じれば、救われる気持ちがした。
その様子を見ていた火竜はひとつため息をついてから紅色の眼差しを、闇竜に向け直す。
「正直、わしは自分達、竜が神なのか魔物なのか、或いは単なる道具なのかはわからない。でも、ディー……少なくとも、兄弟だよな?わしらは」
闇竜はそこで初めて火竜をちゃんと見た。
「エース……」
「できると思うんだ……あんなふうに、わしも、お前を包み込んでやれると思うんだ」
いま一度、炎の先を差し出した火竜に。
「……信じるよ」
闇竜は、そっと黒い尾を巻き付けた。
触れた部分が激しく発光する。赤と黒の二匹の身体は絡み合い、混じりあいながら、真っ直ぐな柱のようになって上昇していった。そして地下室の天井を突き破る。ホールの床も突き抜けた。その天井も、次の階も、次の階も上に抜けて、抜けて、高く、
「ああ……」
夜空の覗く天井の穴を呆然と見つめ、ファングル伯爵は呟いた。
「同じモノなんだ……」
月の真ん中に、抱きしめ合う二匹の竜のシルエット。視線を落とせば、下っ端の兄弟三人。その、心。
ああ、おんなじだ、みんな断片だ、貴賎も、何もない、この世界は……
月の光にうっすら混ざって拡散する、火竜と闇竜の赤と紫の気配は、安普請のコーポ村石203号室の窓からも差し込んで、ベッドに腰掛けた砂子の顔を照らしていた。
「例えば……、運命的な恋とか強い憧れとかね、そういう大それたものは……確かにアタシ、ツガケンには感じないんだけれども……」
その言葉にあからさまに悲しそうな顔をした津賀を手で制して、砂子は話を続けた。
「ちがうの、でもさ、じゃあ、そういうんじゃない、もっと素朴で小さなかけらみたいな、いとしさは、取るに足らない、捨ててしまっていいものなのかって言ったら……違うんじゃないかって。ね、家族が一緒にいる時みたいな、あたりまえのいとしさはさ、運命的な恋に劣っているわけじゃないと思ったのね……」
と、困ったように見つめてくる砂子に、津賀は、もっと困った目で尋ねた。
「あ……あの、つまり、どうゆうこと?」
ちょっと笑いをこらえて歪んだ砂子の口元から出て来た答えは。
「……つまり、あのー……結婚しない?っていう話なんですけども……」
「らっ」
言葉になる以前の音だけを漏らして、津賀は硬直した。
ぱあん
と、一瞬。窓の外が赤紫に、光った気がして。
「なんだろね、今の、ね」
砂子は照れ隠しに言ってみたが、津賀は固まったままだった。
ぱあん、
と赤紫色に光ったのは、闇竜と火竜が、尻尾のところでひとつなぎに融合した部分だった。それは不完全に混ざりあいながら火村の手元の赤い玉の中に、一直線に落ちてきた。
床の穴から突然、飛び出て天井を突き抜けていった赤と黒の竜が、ひとつになってもう一度、今度は上から下に通過していったのを見て、ホールの者たちは驚いて、ただただ呆然となる。
一体、下で何が起きたんだ?
いずみと土屋は、火村の身を案じて穴を覗き込む。
「竜二!大丈夫!?」
同時に
「ボス!」
全く同じように伯爵を心配したカラスと、ほか数人の魔族達も駆け寄った。
天井の穴から覗く手下の姿を、ファングル伯爵は生気の抜けた表情で仰ぎ見る。
「ボス?」
訝しげに尋ねたカラスに伯爵は、
「……無くなったよ。闇竜の玉は。わたしは、もうボスではない。ただの一介の魔族だ。組織は解散、する」
「何ですって!?」
その大声に、火村がピクリと薄目を開いた。
「竜二、大丈夫なのあんた。闇竜はどうなったの?」
穴から落ちんばかりに身を乗り出したいずみの方を、ボンヤリと見上げて。火村はそっと、自分の手の中の火竜の玉を掲げた。
「……こうなった」
赤の中に、黒紫がマーブル状に入り交じった、小さな玉は。時折、会話するように煌めいている。
「宝物庫の物は退職金として皆で分けろ。…済まなかったな」
空虚でありながら、どこかさっぱりした言い方で、ファングル伯爵は部下たちにそうツ告げた。絶句したカラスの代わりに、レヴとネロに腕を巻き付けたままのセドが、恐る恐る
「ボス……わ、私の処罰は……」
言いかけたが、伯爵は首を横に振り。
「もういいんだ」
ポツリと呟いて床に座り込んだ。ふと、キナ臭い香りが伯爵の鼻をつく。
「…何か燃えてないか?」
弾かれたようにカラスが頭を上げる。
「あっ!そう。火事なんです!彼らと共に消火に当たっていたのですが、消えなくて」
「彼ら?」
問われてカラスは、いずみを振り返った。
「彼ら、です」
火竜に体を貸している間、火村は眠っているようになっていたが、感覚的に、二匹の竜に何が起きたかはわかっていた。流れ込むように入ってきた闇竜は、とても柔らかく、優しいもので。その感触だけで火村には、充分理解できた。
ああ、俺の中の火竜はそれを望んでいたのだ。悪だの正義だのでない、素朴でやさしい繋がりを、ずっと。
薄目をはっきりと開くと、カラスの声が耳に入ってきた。
「彼ら、キングドラゴンが消火を手伝ってくれたのです」
いずみがきまり悪そうに
「リーダーの方針だから」
と言ったのを聞いて、火村は一瞬、ぱたぱたと飛んでゆく青い鳥に似たヒーローの幻覚を見た気がした。
炎のはぜる音と明かりを背景に、厳めしいアジトからぞろぞろ避難する魔物達、そのボスだった魔物、下っ端の兄弟、それから三人の正義の味方。シルエットとして見えるその行列は、誰も彼もがみんな同じようでもあり、また、逆に同じものが1つとして無いようにも見えた。
「ああ……燃えちゃう」
少し離れたところで振り返った魔物の1人が呟いた。
「でもなんかキャンプファイヤーみたいでもあるね」
別の1人が言った。
「うちの学校、キャンプファイヤーなかった……」
と、また別の1人。そういう会話を、尖った耳から取り込みながらファングル伯爵は、少し笑った。ほんの少し、であったけれども。顔の左側をアジトの炎に照らされたカラスは、伯爵を見つめた。目の中にも、炎が映り込んでいる。
「本当にやめちゃうんですか?組織」
「ああ、やめる。わたしは細かなものを何も見ていなかった。それでも仕えてくれていたお前達にも、随分ひどいことをした。若いからって、なめられるのが怖くてな。……疲れたよ、ほんとに……」
伯爵は、溜息を挟んで
「魔族だ悪だって、そういうの関係ない所で、素朴な恋でもしたいな……」
と、マッサージのように手で顔を覆った。火村は少し離れた所からその様子を、妙に真面目な顔で数秒眺め、おもむろに懐から携帯電話を取り出した。
「もしもし……俺です」
畏まった面持ちで喋る火村の、電話を持っていない方の手には、今や一体となった火竜と闇竜の玉がゆるい輝きを放っている。それを、随分と柔らかく有機的な物になった目玉に映していたレヴに、セドは言った。
「組織が解散したら、悪魔らしい仕事ではないかもしれないが、俺はあの街で人間のするような職業をしたい。しばらく家計は、前より苦しくなるかもしれないが……許してくれるか?」
レヴは微かに口角を上げ
「いいね、それ」
シンプルで暖かな感情を含む声でそう言いながら、セドと自分の間にまだ引っ付いているネロの頭を、そっと撫でた。
「ネロ、もう大丈夫」
そう言って交互に頭に触れてくる二人の兄たちの体にネロが密着し続けていたのは、まだ少し膝が震えている事だけが理由ではなかった。
「ぼく……もう少しだけこうしててもいいい?」
セドは優しく
「いいよ」
と、告げ。レヴはコクリと頷く。ネロは、さらにギュッと兄達の身体にくっついて、いつかの映画の湖を、思う。
ボートに乗って、湖をゆく。
ネロは気付いた。兄たちの中に、父と母が「居る」のだという事に。セドとレヴに触れていると、そこに確かに感じられた。几帳面な父の声が。マイペースな母の体温が。
いたんだね、そこに。
ネロは声を消して泣いた。