第十四話 スパイラル
竜戦士キングドラゴン、つまり
火竜の火村竜二。
地竜の土屋悠人。
水竜の氷川いずみ。
の、3人は、いよいよ今夜アジト総攻撃をかけるつもりで最後の打ち合わせをしていた。
「闇竜の封印を解く儀式は、ホールで行われるの。裏に廊下があるから、そっから侵入するのが定石ね……って、聞いてるの?竜二」
いずみに小突かれて、火村は曖昧に頷いた。
「あ……聞いてる。一応」
「おい、最終決戦になるかもしれないんだぜ。しっかりしてくれよ、リーダー」
大柄な土屋も心配そうな声を出す。
「すまない」
火村は気持ちを切り替えようと、自分の頬をピシャリと両手で叩いた。
「ホールには恐らく、手下の魔族が集合させられてる。あたしと悠人で時間を稼ぐから、竜二、あんたが伯爵から玉を取り返すのよ」
「封印を解かれる前に。伯爵を倒す。頼むぜリーダー」
いずみと土屋は、ぽん、と火村の肩を叩く。しかし火村は、俯いてしばらく考えていたかと思うと、ぽつりと呟いた。
「こっそり……玉だけ奪って帰ればいいんじゃないか?」
「馬鹿言わないでよ!今更そんなの無理よ?封印解く儀式はもう、始まるんだから」
「竜二お前……やっぱり変だぜ。調査中に何があった?」
土屋の問い掛けに火村は黙り込む。
どこかで、夜の鳥が鳴く声が聞こえた。
こんなことではいけないと思うのだが、火村の心はどうしても、青い非力なヒーローの言葉の網に取り縋られ、振りほどく事ができないのだった。
ああもしも本当に、俺が悪だと考えているものの片隅に、小さいけれど綺麗なものや暖かいものが落ちているのであるならば。
俺は、それを無視するのか?踏みにじるのか?
この手で?
火村は暗く薄ぼんやりとした月明かりの下の、アジトの旗を見つめ、微かな息を吐いた。
「行くぞ。ファングル伯爵の野望を打ち砕きに」
「棒読みじゃないの!」
いずみが、舌打ちした。覇気の無い火村を引きずるように3人はアジトへと向かった。
一方、セドとレヴはコーポ村石の204号室で、テーブルの上、闇竜の玉の破片のあったスペースを目にして嘆息していた。
「……やっぱり持ってったねこれは」
レヴは、天草商店とロゴの入ったメモパッドを手にとった。2Bの濃い鉛筆の線の書き置きは、百パーセント、ネロが書いたと見て間違いなかった。テーブルには他に、「せいかつ」のノートも置いてあった。セドはそれを開いてみようとして、手を止める。
セドの仕事場を見学していたあの日、見られたくないと隠したノートだ。
「何て書いてある?」
セドはレヴの読んでいるメモパッドを覗き込んだ。そうして、2人は、暫く言葉をなくした。
かってにいなくなってごめんなさい。くろい玉は、ぼくがかえしてきます。ぼくのせいだからです。
中にいちゃん、ぼくは中にいちゃんと、まえよりなかよしになれてすごくうれしかったです。大にいちゃんにも、こないだおもしろかったときの話ししてあげてください。
大にいちゃん、ノートをかくしてごめんなさい。にいちゃんに見せたくなかったんじゃなくて、ぼくはへただからはずかしいので、色をぬってからのほうがよかったけど、見ていいです。
ぼくはにいちゃんたちのことが大すきです。
たぶんしばらく会えないけど、ろうやから、まい日てがみかきます。
暗い電灯の下で、セドの指は恐る恐るノートをめくる。
●かぞくのしごとについてしらべよう
その題字以外に、文字は、見当たらなかった。ただ、絵だけが描いてある。掃除をする、セド自身の姿を描いた絵。目にした途端、セドはどうしようもなく胸が切なく痛み、泣きそうになった。それに堪えて受話器を掴むと、上官の携帯番号を震える爪で押していった。
「カラス上官、グレイムです。……ええ、体の方はもう幾分か、はいありがとうございます。あの、お願いがあるのです。弟がもしもそちらにお邪魔したら……」
鼻声で喋るセドの声を背中で聴きながら、レヴは部屋を出ていった。そしてそのまま玄関から飛び立つ。
心臓が身体の中で熱く燃えているようで、身を切るような冷たい空気が、いっそ心地よかった。
「待て、レヴ!独りで行くんじゃない!」
セドが後ろから追って来た。レヴは振り向く。
「兄貴は来ないで」
胃を押さえて息をしながらセドは
「そんな事言ってる場合じゃない。上官が言っていた。今夜は、敵が攻めてくる可能性が非常に、高いそうだ」
と告げた。
それを聞いてレヴは、長いまばたきをした。開けた目が、暗赤色にテラテラ光る。レヴは言った。
「それは……ネロが、もしか、」
「言うな。俺も怖い」
セドは、レヴの手を握りしめた。
再び、アジト。
土屋といずみは、目の前の信じがたい光景に、ただ唖然としていた。
一体、火村はどうなってしまったのか?
魔族どもが集まるホールに斬り込んだまでは、いい。ところが、騒然となったホールの檀上からファングル伯爵が
「現れたなキングドラゴン……我が部下達よ!そいつらを捕まえろ!」
と、叫び、いざ戦いが始まろうとした途端。弓と斧を振りかざして敵軍に向かおうとするいずみと土屋に、火村が何と言ったか。
「駄目だ、待て!殺すな!ひとりも殺すな!」
そうして火村は、素早く檀上に駆け上がるや否や。
「全員、逃げろっ!」
声を限りに叫んだのだ。
ホールは、一瞬、しいん。と静まり返った。まだ若い青年のような姿にマーコールのような捻れて巨大な角を持つ、かの恐ろしいファングル伯爵ですら、
「な……」
と口をぱくぱくさせるばかり。それを振り返りもしないで火村は
「逃げる奴を追って殺しはしない。約束する。いずみも悠人も、命令だ。そこで待機しろ。いいな」
そう言って、いずみと土屋を見据える。その目は決して狂気的ではなく、もはや迷いも無かった。
「馬鹿な」
土屋はそう呟いたが、いずみは
「本気なのね?」
と、溜息をついて弓を降ろした。ホールはざわめき始める。部下達は、明らかに戸惑っていた。
若いファングル伯爵は、我を取り戻すや怒りに震えた。
「貴様、何を言う!」
かっ、と、青い宝玉の付いた杖を一閃させると、火村を檀上から叩き落とした。
「お前ら!こいつの言う事を真に受けるんじゃない!この男は我々の敵だ!逃げた者は処刑する!捕らえろ、いや、殺せ!」
戸惑いながらも、部下達は、やはり処刑が怖かった。もろんクビを切られるのも怖かった。
「すいません、ごめん!私には養わなきゃならない娘がいるんです」
言いながら火村に爪をかけてきた一匹の下級悪魔を皮切りに、部下達は一斉に、キングドラゴン三人に襲いかかってきた。
火村は、しかし。決意を崩さなかった。刃を使わず、襲い来る魔族を、全てみね打ちにしていく。
「馬鹿じゃないの!?死ぬわよ竜二っ!」
そう叫びながらも、火村の事を憎からず思っているいずみは、ついつい自分も水の弓矢の威力をセーブしているのに気付いていた。土屋も同じである。彼の場合は火村をリーダーとして尊敬しているからだったが。
だがハイレベルの実力で人気ヒーローにのし上がったキングドラゴンとは言え、力を抑えながらの戦いは、かなり厳しいものがある。三人は次第に劣勢に追いやられていった。
壁を背にして何とか攻撃を凌ぎながら、火村は、津賀賢太郎の姿を思い浮かべた。段々と剣を握る腕が痺れてきて、火村は肩で息をする。
「もう無理よ!誰も死なせないなんて、そんな神様みたいな事、できるわけないでしょう!」
いずみの高い声を聞きながら火村は、自嘲的にクッと笑った。
奴なら、やるんだろうな。
「いずみ、悠人、もういい、お前らは逃げろ。妙な事につきあわせて悪かったな」
火村の諦めたような物言いに土屋は反論しようとしたが、その火村の頭部を狙って槍を突き立てようとする魔族の姿を認め
「後ろだ!」
援護しようと駆け寄る。だが間に合う距離ではない。
「ああっもう!」
いずみは、足元の青い鬼火の照明を、投げた。
「あっつい!」
いずみが投げた鬼火は、火村に槍を突き立てようとした魔族の頭を掠って、ファングル伯爵の紋章の入った旗にぶち当たった。
ぱっ、と青白い炎が輝いて明るくなり
「火事だ!」
誰かが大声を出した。どよめきがホール全体に反響する。火は瞬く間にベルベットのカーテンに燃え移った。
「駄目だ駄目だ!火事だから退却〜!避難だ避難!」
黒い兜を付けた魔族が怒鳴った。火村達は知らないが、それはセドの上司、カラス上官だった。別の魔族が
「カラスお前、勝手な命令出して、ボスを裏切るのか」
とカラス上官の胸倉を掴む。しかし上官は、
「部下の命が大事だ」
そう言ってチラッと火村の方を見た。
黒い河童のような姿の魔族カラスと目が合った瞬間、火村は何だか、時間がゆっくり流れている気分になった。
カラスは、ペコッと会釈した。
感謝する。部下を斬らないでくれて。
火村には直感的にその気持ちが伝わった。敵意以外の視線を、魔族が送ってきたのは生まれて初めてで、火村は。
「はは……」
泣く代わりに、声に出して笑った。
これか……。あいつが、見ていた世界は。
ぱちぱちと煙を上げて炎が拡がっていく。魔族の半分ほどがカラスの命令にならって、退却しようとしていた。残り半分はまだ戦おうとしていたが、逃げる者と火を消そうとする者とでホールは混乱し始めた。
「風向きが変わって来たみたいだな」
土屋が呟いた。
「竜二、あんたは伯爵から玉を取り戻して。この状況なら、ここはあたし達でなんとかなるわ」
と、いずみは火村を見つめた。
「……しかし」
火村が言いかけた言葉を遮っていずみは続ける。
「いいから行って。わかってるわよ。ブッ殺さなきゃいいんでしょ。リーダーはあんたなんだから……従うわよ、ちゃんと。ね?」
土屋も頷く。
「すまない……」
火村は、混乱に乗じて姿を消したファングル伯爵を追い、檀上の裏扉へと駆けていった。その後ろ姿は少し猫背になっていて、いずみは何となく
あいつ、さては、負けたな。
カンだが、何故かそう感じた。